最果てに至り・四
「あなたとは違う。あなたみたいに、強くなんてあれない」
「何が怖い」
短く、突くように問われて、返事に詰まる。
「いや、訊き方を変えるか。――誰を殺すのが怖い」
びくり、と肩が震える。私は頭を振った。どうしても、それだけは答えられない。答えたくなかった。
「答えろ。分からねえ訳じゃねえだろう。答えたくない、なんて我が儘は、今更聞かねえ」
何と言われても、無理なものは無理だ。刀を抱き締めて、また首を横に振る。ベイルさんは重々しい息を吐くと、
「全く、強情だな。どうしても自分の口で言わねえってんなら、代わりに言ってやる。お前は、俺が死ぬのが一等恐ろしいそうだな。俺を殺すのが、そんなに怖いかい」
「当たり前――って、え?」
いま、なんかちょっとおかしなことばきいたきがした。
「聞かれたくねえ話なら、きちんと周りに聞き耳立てる奴がいねえか確認してからにすべきだな」
しれっと、ベイルさんが言う。……そ、そんな馬鹿な!
「う、うそ」
「な訳あるか」
「う、うううう嘘ですよね、嘘って言ってええええ!」
「じゃあ、嘘」
「じゃあ、って!」
イヤアアアア、と思わず叫んで布団の中に潜り込もうとする私の襟首を、ベイルさんがむんずと掴む。
「逃がすか。それから、こいつは邪魔だ」
握っていた刀がもぎ取られる。
「鬼!?」
「ああ、鬼だな。確かに」
「その切り返し笑えない! 何で起きてたんですか、エンデは起きたって言わなかったのにぃいぃいいい!」
「阿呆。あれは、俺に聞かせる為にわざわざあんな話へ誘導しやがったんだ。お前はあれを信頼しすぎだ」
「だ、だって、エンデだけが、ずっと私を助けてくれて、味方でいてくれたから」
そう答えた瞬間、一層襟首を引っ張る力が強くなった。布団にしがみついて抵抗するものの、すぐに布団ごと引きずり寄せられた。引かれるままに倒れ、仰向けになった視界の中に不機嫌そうな顔が映り込む。
「で」
発される声の低さに、反射的に怯む。
「結局、何か。予想通り、自分の性能に怯んで、更にはそれが俺を殺すことを恐れて、逃げ出そうって訳かい」
「に、逃げ出す訳じゃ」
「お前一人でハーデをどうにかできる訳があるか。そもそも操られる可能性があるなら、一人になる方が危険だと、それすら分からねえかい。だとしたら、俺の目も曇ったもんだ。それとも俺を殺しそうになるのが、そんなに恐ろしかったか」
全くの図星だったので、黙る。
「随分と、見くびられたもんだな。お前に殺されるなら、俺は前の戦争でとっくに死んでる」
「す、すみません……」
「よって、単独行動は却下。これ以上ガタガタ言うと、さすがに俺も本気で怒る」
「さ、さっきも怒ってたのに」
ちょっとした反発心で、ぼそっと呟く。途端、ぎろりと鋭い眼差しが頭上から突き刺さった。
「何か文句が?」
「なっ、なな、ないです。すみませんありません!」
「結構。それから、故郷に帰るかどうかは、もう一度よく考えとけ。帰りたいと、心の底からそう思うのでなきゃ、俺はお前を攫うぞ。泣こうが喚こうが、帰らせてやらん」
「な、何がどうしてそんなことに……」
「お前は俺が、お前が死んで――消えて、それで喜ぶと思うのかい。例えそれで問題が解決するとしても、誰が死なせてやるか。幽界から引きずり出してでも生かしてやる」
「で、でも、万一の時、私のこと、こ、殺」
そこまで言って、自分が地雷を踏み抜いたことを悟った。ベイルさんのこめかみに、青筋が浮かび上がる。
「お前は、よほど俺を怒らせたいと見える」
「や、その、そ、そんなことは」
「俺は、その選択肢しか残されてねえような――考え得る限り最悪の状況になった時、実行を引き受けるだけだ。お前を殺してもいいだとか、殺したいだとか思ってる訳じゃねえ。そう思われるのは、心外だ」
「その、す、すみません、本当に」
厳しい声は、怖かった。若干どころでなく泣きそうになるのを必死で堪え、謝る。ベイルさんはまた溜息を吐いて、
「誤解を招くような言い方をした俺にも、責任はあるが。前にも言ったろう、自分を軽視するなと。お前が死んだら、悲しむくらいの人間性は俺にもある」
「あ、ありがとうございます」
どもりつつ答えると、またベイルさんは呆れた顔をした。
「お前は、毎度ずれるにも程がある」
「す、すみません」
「……ま、いい」
ぱ、と襟首を掴んでいた手が離れる。
「まだ傷は癒えてねえんだろう。寝てろ」
そう言うや、ベイルさんはベッドから離れ、囲炉裏の傍へ向かう。炉辺で足を止め、腰を屈める姿を見るに、火の具合を確かめているようだった。
「あ、あの」
「何だ」
「ベイルさんも、疲れてますよね」
「別にいい。強いらしいからな、俺は。誰かと違って」
胸に突き刺さる一言。うぐ、と情けない声が漏れた。
「うう、その、それは、言葉の、あやで、そ、その、そういうつもりじゃ、な、なかったんです」
「そうかい」
ひどく素っ気ない声。向けられたままの背中は、まるで拒絶を示しているようにも見えた。何故だろう、それだけのことが、ひどく辛くて、悲しくて、怖くて、
「ご、ごめんなさい。怒――」
「別に、お前を怒っちゃねえが」
「だ、だったら」
こっち向いてください、なんて言えなかった。
「だったら? 何だ」
「……ごめんなさい」
「それは、何に対する謝罪だ」
静かな言葉。突き刺さる。動揺、狼狽。どうすればいいのか、どうしたいのかも、分からなくなる。
頭の中が真っ白になって、気付いた時には叫んでいた。
「だ、だって、どうしても嫌だったから! ベイルさんを殺してしまうのは嫌で、本当に、それが一番嫌で、一番悩んでたのに『そんなこと』じゃないのに!」
振り向いたベイルさんがぎょっと目を見開いたことすら、意識には留まらない。そんなことに気を向けていられる余裕なんてなくって、ただただ感情のまま喚き散らしていた。
「直生」
「どうせ、私なんか弱くって怖がりで役に立たないって、そんなこと、私が一番分かってる! でも、ベイルさんは殺したくないし、他の誰かだって殺したくなかった!」
「直生、分かった」
大きな影が近寄ってきて、手を伸ばす。腕が掴まれる。衝動的に、その手を振り払った。
「そんなことじゃない」
「分かった。分かったから」
「他のことだったら、そんな困らない。ベイルさんだから、いけないんだ」
「ああ、そうだな。俺が悪かった」
もう一度伸びてきた手が、今度は振り払えない強さで腕を掴む。ぐん、と引かれて、長い腕の中に抱き込まれた。
「だから、泣き止め。泣くな」
ごつんと鎖骨に押し付けられた額の下、つう、と滴るものがあることに、やっと気付く。
「泣いてない」
「嘘吐け」
「嘘じゃない」
「怒っても、拗ねてもいいから、泣くな」
「怒ってないし、拗ねてない」
「どうすれば、機嫌を直す?」
「機嫌悪くない」
「直生」
困り果てたような声が、呼ぶ。ちくりと胸が痛んだ。
「……ごめんなさい」
「何でお前が謝る」
「ひどいこと、言いました。違うことなんて、そんなないのに。誰にも同じように、辛いこと、苦しいこと、あって」
「同じじゃねえだろう。俺とお前じゃ物差しが違う」
「でも、あれは言っちゃいけない、言葉でした」
ひどい拒絶の言葉だ。私とあなたは違う――だから、分かり合えない。そんな拒絶の言葉だった
「ごめんなさい」
「謝るな。謝るのは、俺の方だ。悪かった。……年甲斐もなく焦って、それでてめえの頭の中の始末すらできねえんじゃ、本当に世話がねえ」
「……焦った?」
「馬鹿か、お前は。お前を目の前で攫われて、焦らねえ訳があるか。その上、こんなに傷だらけで、」
腰に回った手から、じわりと暖かな魔力が伝わってくる。治癒と探査の術式だということは、すぐに分かった。いつも通りの暖かさ。荒れた気分さえも落ち着かせる、優しさだ。
「望みを諦めるほどの目に遭ったと思えば、焦りを通り越して憤死したくなる。全部、俺の咎だ。――だから、俺が怒ってたのはお前じゃねえ、俺自身にさ」
「でも、ベイルさんのせいじゃ」
「下手な慰めはいらねえ。俺は、護衛としての役目を果たせなかった。それは事実で、確かな咎だ」
「そう言うなら――……死なないでください、絶対に」
「死なねえさ、お前が故郷に帰りたいというのなら、それを果たさせるのが俺の役目だ。死んでも、役目は果たす」
「そうじゃなくて」
思い出すのは、花降る街での会話。
私が最初に失った過去に触れた時。あの時、ベイルさんは驚くほど何気ない調子で死を口にした。あの時は驚いただけだったけれど、今はそれが恐ろしくて堪らない。
「死んでからのことなんて、考えなくていいです。私も諦めませんから、ベイルさんも、死なないでください」
「命令かい、そりゃ。だったら――」
「お願いします」
「……。……はいはい」
いつものようにどこか気のない風で繰り返し、ベイルさんは私を抱え上げて立ち上がる。何事かと驚いているうちに、ベッドに寝かし直されて、布団を掛けられた。
「とりあえず、もう少し寝てろ。泣いて疲れたろう」
「泣いてないです」
「はいはい」
「それに、疲れてもないですってば」
「分かった分かった」
「聞いてますか、私の話」
「お前の話なら、いつでも聞いてるが」
「そ、そういうことじゃなくて! ……そういうの、ずるい」
「そうかい」
それだけ言って、ベイルさんは踵を返そうとする。
「……まだ何か用かい」
「別に」
「もったいぶらねえで、とっとと言え」
「用事って訳じゃないですけど」
「用がねえなら、手を離せ」
「そんな強く持ってないですよ」
「……お前なあ」
渋面で、ベイルさんは私を見下ろす。その上着の端を、確かに私は掴んでいるけれど。別に、爪を立てている訳でもないし。少し引っ張ったら、それだけで指は外れてしまうだろう。
「俺も、万全だって訳じゃねえんだが」
「だから、休んだ方がいいですよ」
「だったら、離せと」
「私、身体大きくないです。ジヴルは凄く大きいですけど」
「それがどうした」
「いえ、別に」
「……お前、ワイアットの言った言葉、覚えてるかい」
「ワイアットさん、ですか?」
ワイアットさんは、確か商会の――ええと、何番隊の隊長さんだったっけ。少し話をしたことは覚えているけれど、後はベイルさんに転ばされていたことしか覚えていない。
「……覚えてねえなら、別にいい」
ベイルさんが観念したように目を伏せる。
「少し離れた間に、随分口が上手くなったもんだ」
「……寝て起きたら、我が儘はもう言いません」
「別に構わねえがな。――上、通るぞ」
私の腰の辺りを跨いで、ベイルさんがベッドに上がる。
「我が儘も、言うだけなら自由だ。それを受け入れるか無視するか決めるのは、俺の領分。もっとも、お前はもう少し我が儘になるべきだとも思うが」
「ベイルさんは、甘やかし過ぎだと思いますけど」
「お前以外の奴にそうする訳でなし、構わねえだろう」
さらりと、言う。頭が沸騰するかと思った。
「……は、恥ずかしい!」
居ても立ってもいられず、布団から這い出す。と、頭を後ろから掴まれた。
「恥ずかしいのはどっちだ。お前が叫んだことも相当だ」
「そ、そんなことない! と思いたい……」
「阿呆め」
布団の中に引き戻される。止めのように、腕が胴に回されて、いよいよ身動きもしづらくなってしまった。
「雪空の下を這いずり回って、危うく凍えるところだった。俺が寝てる間だけ我慢して、暖房になってろ」
「が、我慢することじゃないですけど」
「誘ったのはお前だしな」
「誘っ……」
予想もしなかった言葉に、絶句する。……でも、結局はそういうことになる、のかも、しれない。
「あのう、その……嫌でしたか」
「今更だな。嫌だと思ったら、とっくに振り払ってる。いいから、大人しく寝てろ」
「胃と心臓が痛くて寝れません」
「我慢しろと言ったろう」
「横暴!」
背中の向こうの心音はどこまでも静かで、私とはまるで逆だ。どくどくばくばく、凄くうるさい。きっと、それはベイルさんにも筒抜けなんだろう。……逃げたい。すごくにげたい。
「横暴で結構」
……結局、そんな言葉を聞いているうちに、また眠ってしまったのだけれど。




