最果てに至り・一
ぼう、と世界が燃える。青く、碧く燃え上がる。紡いでいた転移術式も、青く燃える炎に呑み込まれて消えた。雪を溶かす炎は地表をも焦がし、掌を縫い止めた骨を塵に変え、赤い血を火種にして鮮やかに燃えてゆく。
ゆらり、立ち上がる。右手の刀を片腕だけで構える。流れる端から燃えていく血で、世界は真っ青に霞んで見えた。
そんな中、ハーデさんは嬉しそうに手を叩いて笑った。
「さすがだ、君は本当に優秀な兵器だ」
「お喋りよりも、訊かせてください。あなたの復讐の理由は、グナイゼナウ部隊にある。……そうですよね?」
「ああ、そうさ。それ以外の何物でもない」
「なのに、邪魔だから――そんな理由で、ベイルさんを?」
「言ったろう、今はただ憎いんだよ、あの人が。復讐し得る力を持ちながら、復讐を選ばずに生きられる強さを持つあの人が。羨ましくて、憎い」
そんなの、ただの逆恨みだ。指摘しかけて、止める。
それでも怨まずには、憎まずにはいられなかった――そういうこと、なのかもしれない。
「確かに、ベイルさんは強い人です。でも、完璧な訳でも、感情がない訳でもない。言ってました、グナイゼナウ部隊を作ったことで、惨劇の発端も作ってしまったって。後悔しているのではないかもしれない。でも、何も感じてない訳じゃない」
「だろうね。結局、あの人は優しいよ。自分一人なら、いくらでも自由に――好きに生きていけたろう。それなのに少将と手を組んだのは、全て他の鬼子の為だ」
「他の……? どういう、ことですか」
「なんだ、知らないのかい」
ハーデさんが鼻で笑う。むっとしたけれど、話の先を聞く方が大事だ。我慢……。
「あの人は、鬼子が受けてきた仕打ちを知っていたからね。生まれてすぐに間引かれるのは、まだいい方さ。野に捨てられ、己を抑える術を知らずに育ち、化け物として討伐された同胞なんて数知れない。もっと運がなければ、外道に飼われて実験材料だ。ひどいものだよ。――だから、あの人は自分を使って、鬼子を管理統制する組織を作ることを考えた」
「それが、グナイゼナウ部隊の、真意」
「そうだ。兵士としての価値を提供することで、中佐は鬼子を守ろうとした。最終的には、価値が上がりすぎたせいで崩壊してしまったけれどね」
饒舌に語るハーデさんは、苦々しげな風を隠しもしない。話を聞いただけの私でも、アルトゥ・バジィの国に良い感情を持つことはできないのだから、当事者なら尚更だろう。
「お喋りが過ぎたね。さて、それでどうするつもりかな」
「あなたを、止めます。今、ここで」
「できると思うのなら、それはただの無謀と傲慢だ」
それでも、この人をあの人に会せたりなんかしない。あの人が守ってきた――守ろうとしたものに剣を向けられるような目になんか、絶対に遭わせない。
「だとしても、譲るつもりは、ありません!」
真っ向からハーデさんを見据え、言い放つ。
「全く、君がそこまで盲目になるなんてね」
細面の顔が笑い――途端、首のないキマイラが飛び掛かってきた。青い焔を纏った刀を一閃、胴斬りの返す刀でハーデさんに向かって突撃する。
「らしくもない猪突猛進だ。そこまでして、あの人を守りたいというのか」
「分かりません。ただ、あなたを止めると決めた」
青い火の粉を散らす刀を振り下ろす。けれど、風を切る刃は徒手空拳――それも、軽く翳した掌に受け止められた。甲高い音を立てて激突した刀の、ひどく硬質な手応えにぎょっとする。
「また吹っ切れたものだね。強がったところで、君は最悪の兵器として目覚めてしまった。それを、あの人が見過ごすかな」
ハーデさんは私が何に耐えられて、何に耐えられないか、分かっている。その意図が読めれば、動揺することはない。
「これは意外だ。狼狽えさせられると思ったのに」
薄く笑う私を見て、ハーデさんは大袈裟に驚いてみせる。
「ベイルさんは、そんなこと、ずっと前から知ってましたよ」
その上で私を守り、導いてくれた。その事実だけは、どうやっても揺るぎはしないのだ。
「だから、惑わそうとしても無駄です」
「その程度で揺らぐ絆ではない、と。妬けるね」
おどけるように笑い、ハーデさんは刀を受け止めた掌から魔力を放出させた。凄まじい密度の魔力は、物理的な攻撃に等しい。大きく弾かれ、たたらを踏んで着地する。
「全く、世界とは測りがたい。中佐と君がこれほどまでに近しくなるなんて、思いもよらなかったよ」
くつくつと喉を鳴らして、ハーデさんはまた笑う。
「さて、中佐が君の存在を許していることは分かった。じゃあ、君はどうだろうね」
「……何を言いたいんです」
「本当に、故郷に帰る覚悟はできているのかい? 最悪の兵器たる身分で、どんな顔をして家族に会おうと? いつか他愛ない怒りのままに家族を消し去らない確証は? 気に入らないものを衝動のままに消滅させない根拠は?」
その言葉は、刃に似ていた。刺し貫かれた胸が、ぎくりと鋭い痛みを訴える。私は答えられなかった。
「一度箍が外れてしまえば、二度と戻れはしないよ。破壊と殺戮を繰り返すだけの、私の望む兵器に成り果てる。第一、逃れられると思っているのかい。君に埋めた種はもう芽吹いている。ここで退いたって、私は何の支障もない」
けれど、とハーデさんは意地悪く笑う。
「私を仕留めそこなった君は、余裕など保っていられないだろう? 私が去れば、中佐は君を見つける。念願の再会が叶う訳だが――果たして、君は中佐を消し去らずにいられるかな?」
ハーデさんは、言葉を変えて動揺を誘っている。そうと分かっていても、慄かずにいられなかった。思考を誘導する精神干渉の術式だって、既に仕込まれている。
ベイルさんを殺す――。その想像は、足元にぽっかりと穴が空いたような、底無しの恐怖を抱かせた。
「顔色が変わったね。事の重大さが、やっと分かったかい」
「そうなる前に、仕留めてしまえばいい!」
がむしゃらに地面を蹴る。傷みきった身体のあちこちが悲鳴を上げたけれど、気付かなかった振りをした。刀の間合いに捉えるまで、わずか数歩。その歩みを踏んだ時、唐突にハーデさんの陰から白いものが這い出した。
丸みを帯びた物体の連結した奇形――白骨化した、竜の尾。常識外れに長大な骨の連なりが宙を薙ぐ。直撃は避けられず、冗談のように吹き飛ばされた。弾丸のように飛ばされながら、頭の中で笑う声を聞く。
『全く、面白い状況になってきた。あの中佐に葛藤など存在しないだろうけれど、君は違うからね。どんな結論を導き出すのか、楽しみだよ。だから、ここは見逃してあげよう。悩み苦しみながら、あの人を待つといい』
大きな木に、受け身も取れず背中から衝突する。血の混じった空気が口から押し出されて、そのままずるずると地面に落ちた。見逃すと言った言葉の通り、追撃はなかった。
動けない身体は、真っ白な雪の中に沈んでいく。青い火は今にも消えそうなほど細く、まるで今にも尽きそうな命運のよう。
「……逃げなきゃ」
朦朧とした意識の中でそう思っても、手も足もぴくりとすら動かない。瞼だけが、急速に下りていった。
◇ ◇ ◇
ふふ、と男は笑った。血に似て赤い髪を揺らし、翡翠の双眸を眇めさせて、嗤った。愉快で堪らなかった。
「ああ――本当に、楽しいね。素晴らしいね」
己が欲するものと憎むもの――あの二人はどんな結論を導き出すのだろう。結ばれた絆は解けてしまうのか。それとも――否、とハーデは己の思考を否定する。
ベイルがこの一件から手を引くことは有り得ない。あの無関心の権化が、これほどまでに入れ込んでいるのだ。嫌だと泣かれようが拒まれようが、最後まで助力を続けるに違いない。そうなれば直生のことだ、絆されるに決まっている。
「引き裂く時、どれほどの慟哭が生まれるのだろうね」
ベイルを己が為に喪うことになろうものなら、きっとあの娘の壊れてしまうだろう。いや、そうなって貰わねば困る。抗う意思が残っていては、兵器としては失格だ。
「やはり、中佐を殺してもらわないといけないな」
その過程を経てこそ、立派な兵器になる。厄介な魔祇も引き離すことができ、準備も着々と進んでいる。慰め庇い、手助けしてくれる絶対の味方を失ったのだ。少女の苦悩は、どこまで深まってくれるものやら。
くすくすと笑い、ハーデは空を仰いだ。
「さあ、早く探し出してあげるといい、中佐。彼女は待っている――いや、もう待ってはいないのかな?」
ベイルが妨害にも折れず、ひたすらに直生を辿り続けていることは知っていた。ここで妨害を解けば、すぐにも駆けつけるだろう。高らかに笑ってハーデは周辺一帯に広く展開させていた術式を消し去り、己のあるべき戦場へと飛んだ。




