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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第五章
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鬼哭奇譚・六

 長い夜が明け、朝がきた。寒い寒いと呟きながらベッドから這い出して、カーテンを開ける。青く晴れた空は、それだけで気分を明るくさせた。寝巻の上にコートを羽織って、暖炉に向かう。かじかみかけた手でも、どうにか火を入れることはできた。

「ベイルさん」

 ベッドサイドに戻って呼ぶと、

「……ああ」

ゆるりと深い藍色の双眸が開いて、掠れた声が答えた。今まで聞いたことのない、ほんの寸前まで寝ていたという風の声。ベイルさんが私よりも後に起きるのは、これが初めてだ。やっぱり、それだけ消耗が激しいのだろう。

「今、起きる」

「あ、大丈夫です。朝食もまだ届いてないですし――ちょっと、失礼します」

 床に膝を突き、膝立ちになってベイルさんの額に手を載せる。触った感じでは熱もなさそうだけれど……。

「うーん、傷は少しずつ塞がり始めてるみたいです。でも、今日は一日安静にしててくださいね」

「はいはい」

「……絶対ですよ」

「分かった分かった」

 気のない返事をして、ベイルさんが起き上がる。一晩眠ったお陰か、顔色は少し良くなっていた。朝食をとる間も普段と変わりない風に振る舞っていたけれど、重傷に変わりはない。無理をしてないか、ちゃんと見ていなきゃ。

「お前は、俺を監視でもしようってのかい」

 食事も半分終わった頃、ベイルさんが呆れた風で言った。

「何ですか、藪から棒に」

「そんなに睨まれてちゃ、飯を食うのも一苦労だ」

「睨んでないですよ。注意して見てるだけです。ご飯を食べるのが大変なのは、義手がないからです」

 言い返せば、重い溜息が落ちた。それを聞こえなかったことにして、残りの朝食を手早く胃に押し込む。

その後はベイルさんの手当てや宿泊延長の手続き――一泊延長になった――に、義手の調整の進み具合の確認、買い出しなんかの作業に追われて、気が付けば午後もいい時間になっていた。

 お茶を飲むにもいい時間だ。部屋の備品のヤカンを暖炉にかけながら、私は極力何気ない風で切り出した。

「ちょっと、お話でもしませんか」

 さも退屈だと言わんばかりの表情でテーブルについていたベイルさんが、こちらへ目を向ける。ずっと部屋にいてもらったのは少し申し訳ない気もするけれど、怪我を悪化させる訳にはいかないのだ。今になってようやく、うろうろ出歩く私達を見つけては部屋に押し戻したヒメナさんの気持ちが分かった気がする。

「訊きたいことが、あるんです」

「だろうな」

「今までずっと、ベイルさんが話さないでいたことなんですけど……いいですか?」

「お前が望むなら、答えるさ」

 返る言葉は、まるで打てば響く鐘のようだ。むず痒いような感覚を持て余しながら、お茶の準備をする。深い紅色のお茶は、故郷でよく飲んだものと同じ匂いがした。

「どうぞ」

「どうも」

 紅茶を注いだカップを渡しながら、ベイルさんの向かいに座る。鼓動が早まっているのを感じた。

「傷に障るといけないので、なるべく短く済ませますね」

 強張っていたかもしれないけれど、どうにか笑ってみせる。ベイルさんは浅く頷いてから、

「そう気を使ってもらうこともねえが。何から聞きたい?」

「……ベイルさんは、あの神話のうたの、『黒き竜』が鎖した寝所の主――『玄き帝』と、何か関係があるんですよね」

 推測に過ぎないけれど、前にナタンさんが言っていたことと、あのうたはきっと同じものを語っている。アルトには、竜が封じたものが今も眠っているのだろう。ひどく竜に憎まれ、また竜を憎んでいた――何かが。

「そう特別なもんじゃねえがな。俺と玄帝の関係は、〈竜の寵児〉と竜の関係と同じだ。こっちがその規格外の魔力に侵されただけで、向こうはこっちのことなんざ眼中にねえし、知りもしねえ」

「その、玄帝というのは」

「この大陸には、旧時代と呼ばれるヒトでなく神が栄華を誇った時期があった。その頃のアルトの位置には、ある神が国を構えてた。そいつが玄帝だ。抜きんでて力の強い神は帝を号され、玄帝の他に四柱あった。その五柱――五帝は激しく争い、戦いは大陸全土に及んだ。玄帝は闇と影を司る。闇属性の魔力が、時として摂理に反した邪なるものに転じることは知ってるな?」

「死者の蘇生や、傀儡化とか、ですよね」

「そうだ。玄帝は禁忌を侵し、死体を素にした化け物を作った。生物の血肉を貪り、その恐怖や憎悪をも喰らって力を増す――敵を滅ぼす為だけに作られたからには、理性も知能も持ち合わせちゃいねえ。まさに悪鬼って奴さ。そいつらで構成された鬼兵部隊は、大層恐れられたそうだ」

 そこでベイルさんは一度口を閉ざし、お茶を飲んだ。

「伝承に曰く、五帝の戦争は、それは凄まじかったそうだ。幾多の竜が制止に動き、成す術もなく散った」

「りゅ、竜が、ですか?」

「それほど五帝の力は強かったんだろう。だからこそ、決着は百年経ってもつかなかった。竜の数は減り、ヒトの数も減り、死体の数だけが増えていく。それをいい加減見かねた創造神は、生き残った竜と共に全ての神を封じることにした。それが人の時代の始まりだそうだ。傍迷惑なことにな」

 封じるなら、百年待たずにとっととやれば被害も少なくて済んだろうに。ざっくりと切り捨てるベイルさんの言葉は、いつになく辛辣だ。前から薄々思ってはいたけれど、どうもベイルさんは竜や神に対しては、一際手厳しい。

「――で、アルトの、今は神山と呼ばれる山には、玄帝が封じられた。万が一にも復活することのねえように、件の黒竜が配されてな。他の四柱の神については、特にそういった配慮は聞かねえから、よほど鬼の存在が厄介だったんだろう」

「でも、きちんと封印されたんですよね?」

「封印自体は、な」

 含みのある言葉に、どきりとする。

「封じられる間際、玄帝は一つの呪いを残した。国を奪われるのが癪だったのかもしれねえし、創造神への意趣返しだったのかもしれねえ。その真意は分からねえが、とにかく今も呪いはあの土地に残ってて、まだ生きてる。それが、何よりの問題だった」

「その、呪いというのは」

「アルトには、徹底的に伏せられた秘密がある」

 ベイルさんの語り口は重く、知らず私は息を殺していた。

「あの国には年に何人か、決まって墨のように黒い肌と鋭い角を持った子供が生まれる。その子供は鬼子、鬼人と呼ばれ、忌まれた。生まれ来る生命に鬼の種を植え付ける――それが玄帝の残した呪いだ。鬼子は強烈な破壊衝動と人並みの理性を持ち合わせ、生まれた瞬間からその板挟みに苦しむ。鬼の性質を封じ、人として生きられるようにする術が見つかったのは、つい三十年ばかり前のことだ。それまでは生まれてすぐ間引かれるか、捨てられた果てに狂い、魔物として討伐されるのが大半だったと聞く」

「じゃあ、ベイルさんは……」

「鬼人だ。前にお前が見た額の紋で封じてはあるが、それを解けば、途端に化け物の姿に戻る。――あの黒い奴にな」

「でも、ベイルさんは姿が変わるだけですよね。人が変わったりなんて、しなかった」

 これまで破壊衝動に悩まされているような姿は見たことがない。……それとも、私の知らないところで苦しんでいたのだろうか。

「そりゃ、簡単な理屈だ。俺は〈竜の寵児〉でもある。竜と五帝は不倶戴天の敵で、本能的に対立するからな。お陰で俺の中でも都合よく竜が鬼を抑え込んでる。よって、封を解いても姿が変わるだけで済むって訳だ」

 アーディンが言っていたのは、このことだったのだ。それほどまでに深く激しく敵対する二つのものが、一つの生命の中に共存する――多分、それは奇跡に近いことなのだろう。

「そして、それが幾多の惨劇の発端になった」

 乾いた響きの声にはっとして見れば、ベイルさんはじっとカップの中の紅色を見下ろしていた。

「四十年ほど前から、アルトとラクスの二国間は緊張状態にあった。当時のアルトは、少しでも兵力を増したい時勢でな。ある馬鹿が、ろくでもねえことを考え出しやがったのさ。鬼子は〈竜の寵児〉宜しく、玄帝の魔力を強く受けて生まれたものだ。その力は、厄介なほど強い」

 そこまで聞いて、分かった。竜騎兵団と全く同じだという、かつてのグナイゼナウ部隊。つまり、それは――

「鬼子達を、軍に組み込もうとしたんですね」

「そうだ。グナイゼナウ部隊は鬼子で構成された。だが、奴らはどうしても強い破壊衝動――狂気を帯びる。封じたって、何の拍子で放たれるか分かったもんじゃねえ。だから、有事の際に殺して始末できる管理者が必要だった。……そこから先は、言うまでもねえな。ある意味じゃあ、俺が全ての発端だ。俺が、鬼子を表舞台に引っ張り出した」

 淡々と言うベイルさんに、私が掛けられる言葉はなかった。そんなことはない、と言ったところで、慰めにもならない。

「お互いにこの上なく憎み合いながら、どうしてこうも上手く釣り合いが取れてくれやがるんだかな」

「アーディンも、分からないって言ってました。何でそうなっているのか、とても不思議だと」

「だろうな。ま、そのお陰で俺は俺でいられる訳だ、感謝しとくしかねえが――ともかく、俺はそういう生き物だってことだな。……他に質問は?」

「ベイルさんは、いつ軍に入ったんですか?」

「さて……六つだったか七つだったか」

 どこまでも平然として紡がれた言葉に、目が見開く。

「そ、そんな子供の頃に?」

「色々と事情があってな。俺を産んだのは、とある貴族の正妻だった。その身分で鬼子を生んだとあっちゃ、都合が悪い。それで生み落としてすぐ、あちこちに口止めをして山に捨てたんだと」

「その、後は……」

「山に棲んでた、自称魔祇のレムレースって奴に育てられた。お喋りな野郎で、生家の事情を聞かせたのも、名前がなかった俺に名前を付けたのも、そいつだ」

 もしかしたら、それは私とエンデに近い関係だったのかもしれない。魔物の中でも、魔祇と呼ばれる特に強力なものは高い知能を持つことが多く、人と共存する道を選ぶことも珍しくない。エンデも住処の山の周辺では、守り神と崇められていた。

「六年ばかり奴の下で育ったが、奴を討伐しに来た軍と一悶着あって、鬼子だと露見してな。居合わせたグナイゼナウ中佐と取引して、軍に籍を置くことになった」

「レムレースさんは、今は」

「さあな。今も好き勝手生きてるんじゃねえか。鬼封じの式をもらって別れたきり会ってねえから、分からねえが。――他は?」

「あ……ええと」

 最後に一つ訊きたいことが浮かんだものの、何というか、さすがにこれは訊きづらい。ここまで話を聞いておきながら、今更といえば今更なのだけれど。

「あるなら言え。今更、はぐらかしたりはしねえ」

「その、名前を」

「名前?」

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