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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第五章
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鬼哭奇譚・四

 確かめておくことがある。

 その先を聞くことなく、私は雪原へと飛ばしていた感覚を引き戻した。盗み聞きは、してはならないと思った。

「一個小隊、三十人余りか」

 そして何より、この宿に向かう数多くの気配が余所見を許さなかった。目を開いて、シェルさんの呟きに頷く。魔術の気配はなかった。いかにハーデさんが卓越した術者であっても、一切の痕跡を漏らさず人間三十人を転移させることは難しいだろう。

「事前に街に潜入してたみたいですね。他に怪しい気配もありませんから、この二十八人で全部でしょうか」

「だと、いいが。――ヒューゴ、出てくれ。位置情報は逐次精神感応で伝える」

「分かった。が、その人数はさすがに荷が重いぜ。全部を一度に始末はできねえ。何人かは確実に抜けるぞ」

「なれば、手を貸そう」

 唐突に響いた、鈴の音にも似た軽やかな声。なんて良いタイミング。

「もしかして、襲撃に気が付いて?」

「是、我は常に汝らの動向を把握している。あの痴れ者の接近を察するも容易。故、此度こそ我が手で滅してくりょうと思うたが――あの男が出てしまったでな」

「……はい」

「その腕のほどを疑ってはおらぬが、父に聞きし通り、実に異な事よ。謂れなき嫌悪も憎悪も、中々に不愉快極まる」

 アーディンの声は、心底苦々しげだ。

 ベイルさんの持つ秘密は、本当に根本的な部分で竜と対立するものなのだろう。その存在の片鱗が窺えるだけで、竜の亡骸すらもが叫び疼くのだから。

「しかし、あの男に科された封じは、極めて精巧だ。我ら竜族の業にも劣らぬ」

 確かな感心を示す声に驚きながらも、何となく納得できるような気もした。そうでもなければ、竜の亡骸が騒いで近くにいることすらできなかったはずだ。

「おい、話すのも良いけどよ、そろそろ出ねえとまずいだろ」

「ああ、そうであった。汝――」

「ヒューゴだ。ヒューゴ・パルツィファル」

「では、ヒューゴ。我が援護する故、存分に戦いや」

「そりゃあどうも。そんじゃ、行ってくら」

 言うが早いか、窓を開け放ち、ヒューゴさんは颯爽と夜に飛び出して行った。アーディンの姿も、それを追うように消えた。

「あれが、例の竜なのか」

 再び静寂が落ちた部屋の中、ぽつりとシェルさんが言った。

「はい。ハイレインさんの子供で、アーディンです」

「彼女は、全てを知っているのか」

「……多分、ですけど」

 そうか、とシェルさんは溜息を吐いた。

全て、とシェルさんは言ったけれど、その言葉はある一つのことを示しているような気がした。私が知らない、シェルさんも知らない――あの人が口を閉ざし続ける、ただ一つのこと。

「そういう規模の話だという訳か」

 低い声音の呟きで、推測は確信に変わる。

 竜が知り、竜に関連する。そういう、とんでもない話なのだ。起源は神話の時代にまで遡り、「湖岳の血戦」での因縁で事情は更に複雑になっている。とてもじゃないけれど、気軽に口に出せるような話ではなかった。

「あいつが頑なに話さずにきたのも、納得できる。詮索はしない方が身の為だな」

「身の為、ですか?」

「知ったところで、俺の手には余る。過去を知らなければ、今に障るという話でもないだろう。……だが、もしも知りたいと思うのなら、お前はそのままでいてやってくれ」

 そのまま? よく意味が分からなくて首を傾げると、シェルさんは苦笑を浮かべて続けた。

「いや、すまん、口が滑った。忘れてくれ。お前はいずれ去るものであり、何よりまだ子供だ。背負わせるのは酷だ」

 その言葉を聞いた瞬間、ずきりと何かが痛んだ気がした。

 そうだ――私は、帰る。元の世界へ、生きていた場所へ。その為に生き延びて、この旅も全てその為で。そんなこと、分かりきった話なのに、どうしてかひどく落ち着かない気分になった。

「どうした?」

「あ、いえ、何でもないです」 

 強張っていた頬の筋肉を動かして、無理矢理に笑う。余計なことを考えていないで、探査に集中しなければ。

 ヒューゴさんとアーディンは順調に敵を倒していくけれど、油断は禁物だ。ベイルさんも、まだ戻る気配はない。……ゾエさんは、どうなっただろうか。

 私に戦い方を教えてくれた四人のうちの、三人目。自分のしていることの正も否も理解し、その上で肯定することのできてしまう人。その強さに、憧れなかったと言えば嘘になる。

 ごめんなさい、と呟きかけた言葉を呑み込む。何かを選ぶことは、何かを選ばないことで、私は選んでしまったのだから。もう後戻りも、言い訳も許されない。

「ベイルの方はどうなっている?」

「戦いは終わって、ベイルさんが勝ちました。今は、話をしているんだと思います」

 そうか、とシェルさんが呟き、それきり言葉は途切れる。私達はただ、黙って事態の収束を待った。



 先に戻ったのは、ヒューゴさんとアーディンだった。ヒューゴさんは戦闘中に少し怪我をしたけれど、アーディンによってもう治癒が施されたらしい。それなら、一安心だ。

「些か粗いが、悪くはない。死すべき定めのものにも、良き戦士は在るものよな」

 部屋に戻ってきたアーディンは、珍しく満足そうだった。

「而して、あの男は如何に? 戦闘は、既に終結してあろ」

「今は、用事を済ませているのだと思います」

「用?」

「質すことがあるのだそうです。何か、お話でも」

「否、恙無く終えたのであればそれで良い。――だが、肝心の汝は浮かぬ顔をしているな」

 そうですか、と頷きかけたところに直球で問われて、一瞬言葉に詰まる。何でもない、と誤魔化したかったけれど、それを見逃してくれる相手ではないような気もして、曖昧に笑った。

「私は弱く愚かで、だから、いつも決断の代償に怯えずにはいられないのです」

「そういうものか」

「そういうものです」

 畳みかけるように重ねると、アーディンもそれ以上の追及はしなかった。ちらりと目を向けてみれば、ヒューゴさんもシェルさんも難しい表情をして黙っている。きっと困らせてしまうと分かっていたから、余り言いたくはなかったのだけれど。

 苦笑しつつ、話を変えるべく口を開く。

「もう、部屋に戻っても大丈夫でしょうか」

「あ? あー、どうだろうな。どうよ、シェル」

「一人になるのは……さて、ベイルがまだ戻らんしな」

「なれば、我が見ていよう。あの男が帰還するまで、警護しておれば良いのであろ」

「まあ、そうだな。ずっと見ててもらっても構わねえけどよ」

「我は長く住処を離れること叶わぬ」

「冗談だ。そこまでさせるつもりはねえよ」

「……ヒトの会話は、要領が掴めぬ。ともかく案内せよ、直生」

 アーディンに促されて、席を立つ。けれど、部屋を出る前に言っておかなければいけない言葉があった。シェルさんとヒューゴさんを振り返って、頭を下げる。

「お疲れ様でした。それから、ありがとうございました」

「礼を言われることじゃねえさ。そっちもお疲れさん」

「ああ。後のことは気にせず、よく休め」

 優しい言葉にもう一度お礼を言って、アーディンと一緒に部屋を出る。南方の雪原に立つベイルさんが戻る気配は、まだない。溜息を呑み込んで、アーディンを部屋に案内する。

「あ、椅子、どうぞ」

「否、我はこのままで構わぬ」

 アーディンはふよふよと宙に浮いている。そうですか、と相槌を打ちながら、暖炉に火を入れた。次に鞄から薬瓶や包帯を取り出して、テーブルに並べる。ついでに浴室にあった盥にも水を張って、タオルと一緒にテーブルの上に置いた。

「アーディンは、ベイルさんのことをどれくらい知っているんですか?」

作業が一段落したところで問い掛けると、アーディンは険しい表情を浮かべた。

「あれは遠く過ぎ去った古い時代、最早忘れ去られたに等しい時代の話ぞ。我ら竜族は、父祖の知識を継いで生まれる。それ故、我は――我らは、あの者の意味を知る。だが、あれが何故にあのようであるか、は知り得ること叶わぬ」

「……どういう、ことですか?」

「直生、汝は何故己がヒトに生まれたかを知り得るか?」

「分かりません。……でも、それは誰にも分からないことじゃないんでしょうか」

「是。要は、そういうことぞ」

 分かったような、分からないような……。何であるかは分かるけれど、何故そうなのかは分からない。どうにも婉曲な言葉だ。

「そう言えば、ベイルさんは〈竜の寵児〉ですけれど」

「嗚呼、ヒトの身にありながら、我らに近しく生まれた者をそう評すのであったか。全く、奇妙極まることよな」

「え?」

「分からぬか。ならば、それはそれで構わぬ。――そうさな、さすれば汝は後天的な寵児となるか」

「あ……そう言えば、そうなのかもしれません。でも、腕をお返ししてしまえば、それで終わりですよね?」

「否」

 明快な否定。一瞬、何を言われたか分からなかった。

 空気の中を泳ぐように、アーディンはぽかんとした私の目の前に漂ってくる。アーディンに左腕を握られると、じんわりとした熱が腕の中に灯った。

「我らの力はヒトには大き過ぎるのだ。汝が母の腕を得て、どれほどになる」

「半年――もう七ヶ月近いです」

「その間、腕を封じ続けていた訳でもあるまい」

 それどころか、ずっと上手い使い方を探してさえいた。嫌な予感がして、ぶるりと身体が震えた。

「我が母の腕は、今や汝に馴染みすぎている。ここまで至ってしまえば、汝は得た力を失えぬ。二度と――決して」

「そう……なん、ですか」

 答える声も沈む。それでも魔術のない世界に戻れれば、この力に翻弄されることもなくなる――そう信じるしか、なかった。

「うむ?」

 ふとアーディンが私の腕を掴み直して、首を傾げた。

「これは――何という! 実に愚かしき狗め!」

 秀麗な容貌が、いきなり憤怒に歪んだ。憎々しげに吐き捨てて私の手を離したアーディンは、いらいらした風で頭を振る。

「嗚呼、嗚呼、直生よ。汝はどこまでも辛い定めにあるようだ。これを知らずにいるべきなのか否か、我には判断がつかぬ」

 怒りと憎しみを持て余して吐き出されるアーディンの言葉が、そう古くない記憶を掘り起こす。

『少しずつでも思い出していけば、自分で答えを見つけられるだろう』

『そうした方が良い、ということですか?』

『本質を理解するには、な』

 もしかしたら、あの時のベイルさんと今のアーディンは、違う言葉で同じことを語っているのかもしれない。

「アーディン、前にベイルさんが言ってました。私にはまだ思い出せていない重大な事情があって、その本質を理解するには自分で少しずつ思い出していく方が良いと」

「……左様か。ならば、その方が良いのだろう」

 アーディンが溜息を吐く背後で、俄かに強い魔力が渦巻く。慣れた気配は待望のものだったけれど、その術式はこれまでを思えば信じられないほど粗く、心臓が縮み上がるようだった。

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