荊棘は潜む・八
「直生」
草木も眠る夜更け、密やかな声が私を呼んだ。待望の声に、眠っていた頭が覚醒する。ずっと、呼んでいたのだ。
目を開ければ、見知った暗闇が広がっていた。
「声は、届きましたか」
「汝の身の内に封じられしは、我を産み育んだもの。届かぬ道理はない。儚くは、あったが」
「それは良かった。お呼び立てして、申し訳ありません」
構わぬ、と白金の髪を揺らして、幼い竜は頭を振る。一面の暗闇に、艶やかな白金はよく映えた。
ここは彼女の領域。かつてアーブルの街でケラソスさんが見せてくれたものと同じ、精神感応で共有された空間だ。ケラソスさんとは違って、ひたすら何もない空間は彼女の幼さの象徴か、それとも膨大な未来の証明か。
「――して、何用か。我を呼ばわるとは、大事であろ」
「まず、教えて頂きたいことが。ハイレインさんは、まだ空蝉を粋蓮に滞在させていらっしゃいますか?」
「是。父は彼の国の王の子と会談を続けている」
「そうでしたか! でしたら、どうか伝えて頂けませんか。私達は翠珠――佳怜第四王子の配下にも追われていると」
そう言うと、竜の幼子はひどく憎々しげな顔をした。
「それもまた、我が母の亡骸を狙うてのことかえ」
「残念ながら。けれど、こちらは止める手があります」
「申せ」
「彼らは竜の腕を欲していますが、その目的はあくまでもハイレインさんとの同盟。本来ならば、機嫌を損ねることだけは避けたいはずです。なのに、追っ手を出しているのは」
「我が父が知らぬと思って、か」
「そうです。彼らは竜を甘く見ている。空蝉を引き留めておいたくらいで、目隠しをした気になっている」
「――実に、愚か」
低い声。びしり、と大気が罅割れるような怒気。
身体が竦む。心が震える。問答無用の恐怖。――けれど、まだだ。まだ屈してはならない。話を伝えきるまでは。
「その策が何よりの失敗であると、教えてやりましょう。追手が出ていることをハイレインさん自身の口から突きつけられれば、彼らは追手を戻すことを確約せねばならない」
「成程、汝は中々の策士よな。承知した、父にはその旨伝えておこう。さすれば、遠からず愚かな謀も止む」
「お願いします。確約が表面上だけのものだとしても、少しでも戦闘が減るに越したことはありませんから」
どれほど強かろうと、人が永遠に戦い続けることはできない。万が一のことがあってから泣いたって、遅すぎるし何の役にも立たないのだから。できることは、何だってやらなくちゃ。
「汝、それほどあの護衛らが大切かや」
「え?」
「汝の顔に恐怖はない。憂いているように見える。何故ぞ」
銀色の瞳が、じっと私を見つめていた。その眼差しに威圧感はなく、ただ純粋に疑問に思っているように見えた。
「それは、もちろん。あの人達が傷付くのは、嫌ですから」
「己が傷を受けるよりも?」
「それなら、自分の失策のせいだと割り切れるでしょう?」
「分からぬ。あれらが傷を受けたとて、それも同様にあれらの失態であろ」
「そうなのかもしれません。……でも、やっぱり、誰かが傷付くのは嫌です。争うのも、怖い」
「それでも、汝は戦わねばならぬ」
「分かっています。生きる為に、望みの為に、戦って、勝ち得なければならない」
まっすぐ、彼女を見返して答える。彼女は無表情の中に、わずかな困惑とも疑問ともつかない感情を覗かせた。
「汝はよく分からぬ。ヒトとは、かくも不明なるものかや」
「分かりません。もしかしたら、私が変なだけかも」
苦笑する。そうか、と彼女は分かったような、分かっていないような顔で頷く。そして、小さく欠伸をした。
「我は、もう行く。汝も壮健であれ」
銀の輪郭が遠ざかる。少しずつ闇に紛れていく。
「はい、おやすみなさい」
その姿を、手を振って見送った。
闇が深まる。視界が真っ暗に塗り込められ――
『無茶をする』
脳裏に響いた声で、我に返った。再び、目を開ける。わずかに魔石で照らされた、薄闇の真っ只中。
『無茶なんて』
してない、と接続された精神感応で言い返そうとして、
『あの竜は術の組成が強引で粗すぎる。対象に疲弊を強いるんじゃ、三流もいいとこだ』
不機嫌そうな声が先回りをして遮る。落ち着いてみれば、確かに身体は疲れて重く、呼吸も少し荒くなっていた。
『すみません。でも、必要なことだったんです』
『何の為に?』
『無事に、辿り着く為に』
『詳細は』
『まだ、言えません。……すみません』
もごもごと謝ると、ベイルさんは『そうかい』とだけ呟いた。追及がないことに内心でほっとしていると、
『――のわぁっ!?』
『なんて声だ』
だって、と上げかけた声は腕の中深くに抱きこまれて消える。また、いつかのような隙のない転移術式。額から伝わる心音。背中に触れる掌。何もかもが、あの夜と同じだ。
『疲労にどれほど効くかは、分からねえがな』
一つだけ異なるのは、掌から注がれる魔力、治癒術式。穏やかな暖かさが眠気を誘う。
『今度は、大人しく寝てろ』
囁く声に、もう逆らうことはできなかった。
◇ ◇ ◇
「ナオ、ちゃんと寝たのか? 具合悪いのか」
暗がりの向こうから声が聞こえ、ベイルは片目を開けた。
「寝させた。どうやら、ハイレインの娘と何か企んでるらしい。その打ち合わせで消耗しただけだ」
「さよか。……ったく、無茶しすぎだぜ。何の為の護衛なんだか、分かってんのかね。俺達を惜しんで自分が倒れちまうんじゃ、元も子もねえだろうに」
『それができぬのが、この娘というものよ』
久方ぶりに聞く魔祇の声に、ベイルは眉を上げた。エンディスは雪山で無理矢理に姿を現したことでひどく消耗し、ここ数日は会話すら途絶えていた。
「久しぶり、でもねえか?」
『嫌味か?』
「そこまで陰険じゃねえよ。どっかの誰かと違って」
「誰のことだかな」
「お前だお前」
『相変わらず、そなたらは騒がしい。微睡んでもいられぬ』
「目覚ましにはちょうどいいだろ」
「眠り呆けられて、無防備にされても困るからな」
『調子のいいことを言う』
だが、とエンディスはほのかに笑う。
『そなたらであればこそ、ナオも救われよう。これまでナオはただひたすら自分の足だけで走り続けてきた。それより他の術を持たなかったが故に。お陰で要らぬ鎧を被り、歪に育ってしまった――哀しくも、いとおしい娘だ。くれぐれも、宜しく頼む』
「言われなくとも、そのつもりだ」
『それは、務めであるからか』
「そうすると、決めたからだ」
『……左様か。ヒューゴも、頼むぞ』
「ああ、任せとけ」
『良い返事だ。これなら、ナオも、きっと――』
かすかな笑声を残し、エンディスの声は途切れる。その余韻も消えやらぬうちに、探るような声が聞こえた。
「お前ってさあ、こんなお節介焼きだったっけか」
「さあな。俺は、ただ同じ轍を踏みたくねえだけだ」
「……ふうん」
気のないような短い相槌の後に、続く言葉はなかった。




