見知らぬ街で・四
砦と呼ばれるお城は、小高い丘の上にあった。思わず見惚れてしまうほど壮麗でありながら、どこか武骨な印象も受ける。城の周囲には、淡い光沢を放つ灰色の城壁が巡らされていた。正門と思しき巨大な扉だけが、眩いばかりに白い。門の周囲には、守衛なのだろう屈強な男の人達が何人も控えていた。
ベイルさんがその中の一人に事情を説明し、通用口を開けてもらう。扉をくぐると、お城はもう目前だった。そして、その周囲に広がる一面の緑も。……緑と言うか、
「畑?」
きちんと並んで植えられた植物、たわわに実った果実。どこをどう見ても、立派な畑である。見慣れた赤い実の生った植物の列の先頭には「トマト」と街で見かけた文字で書かれた札も立っていた。文字は違っても、名前自体は違わないらしい。
「んあ? 畑がどうした?」
「ええと、お城の前に畑があるとは思わなくて」
「ああ、なるほどな。身内しか出入りしねえトコで、庭を整えといたって仕方ねえからなあ。畑にしといた方が経済的だろ?」
「ちょっと潔さすぎるような気もしますけど」
そんなことを話していると、遠くから子供の声が聞こえてきた。一人や二人じゃなくて、かなり多そうだ。
「子供がいるんですか?」
「商会じゃ、孤児も養ってんだ。畑は農夫の爺さんと、主にガキ共の仕事。暇してる連中も時々手伝うけどな」
なるほど、と相槌を打つと、今度はお城から人影が飛び出してくるのが見えた。黒髪の男の人だ。
「隊長!」
その人は大声で呼びながら私達の方へ走ってくると、ベイルさんの前で足を止めた。そして、ヒューゴさんに背負われた私に気付くや、ぎょっと目を見開く。
「ちょっ、ヒューゴさん! まさか、ついに犯罪に……!」
「ついにって、お前は俺を何だと思ってんだ。喧嘩売ってっか?」
「あっはっは、冗談スよ。んで、どしたんです?」
「……街に穿角鳥が転送されてきやがってよ、その縁だ」
「げっ、何スかそれ! やっぱニーノイエの仕業スか」
「さあな。証拠は残ってねえから、確かなことは言えねえよ。どっちにしろ、ここと街とで何か対策はすんじゃねえの?」
「そりゃそうだ、こりゃ忙しくなりそうスね。最近、ニーノイエもゴタゴタしてるって聞きますし、あーもう厄介スわ……」
嘆く素振りを見せながら、男の人が呟く。そこに、これまで通りの落ち着き払った声でベイルさんが問い掛けた。
「それで? ヴィサ、何か用事があって来たんだろう」
「そうでした! 隊長、カレルヴォが癒務室で待ってます」
隊長は、ベイルさんのことだったらしい。……と言うことは、やっぱり偉いのだろうか。そんな人に散々迷惑をかけてしまったなんて――ああ、また穴かあったら入りたい。
「カレルヴォが?」
「ええ。ザハールの班が帰還したんですが、どうも妙な呪いをもらってきたようで。やけに衰弱してて、癒術師連中も手を焼いてます。……なんですが、最近あちこちで妙に呪いが流行ってるでしょう。そのせいで解呪師は皆出払ってるんスよね」
「身内じゃ解呪しようがねえ、か。面倒だな。ヒューゴ、お前は先に会長を訪ねて事の次第を報告しとけ。俺は直生を連れて、癒務室に行ってくる」
「へいへい。ナオのことは何て言っとくよ」
「伏せておけ。今は報告の必要はねえ。後で俺が話す」
「はいよ。んじゃ、ナオは――」
「あ、いえ、歩きます。もう大丈夫ですから」
「そうか? んじゃ、降ろすけどよ。無茶すんなな?」
「はい、ありがとうございます」
「じゃ、俺は一足先に行くぜ。また後でな」
私を下ろすと、ヒューゴさんは颯爽とお城へ消えていった。その背中を一瞥した後で、ベイルさんがヴィサさんへ向き直る。
「ヴィサ、これから用事は?」
「ありません」
「なら、門番に島主の使いが来たら、すぐ中に通すよう伝えといてくれ。俺の名前を使っていい」
「了解ッス!」
敬礼を返し、ヴィサさんが門へ走っていく。その背中を見送って、私とベイルさんもお城へと向かった。重厚な扉をくぐり、お城の内部――広いホールへと足を踏み入れる。外観とは逆にホールの内部は装飾に乏しく、殺風景にすら見えた。
行き交う人達の物珍しげな視線を受けながら、黙々と廊下を進む。しばらくすると、ベイルさんは艶やかな栗色の扉の前で足を止めた。扉をノックすれば、「どうぞ」と入室の許可。ベイルさんが扉を開けると、つんとした匂いが鼻を突いた。大量のハーブを混ぜたような、刺激的な匂い。
「いらっしゃい――って、アレ?」
ベイルさんに続いて中に入ると、入室を許可した声が不思議そうに語尾を跳ねさせた。声の主は、部屋の奥から出てきた細身の男の人だ。歳は私より少し上くらいだろうか。癖のある灰色の髪は見るからに柔らかそうで、黒い目は眠たげに半分閉じていた。
「ベイル隊長、その子はー?」
「ついさっき、街に穿角鳥が転送されてきやがって、その鳴き声に少し中てられた。後遺症が残ってねえか、診てくれ」
あいあい、と頷くと、その人は床に山積みにされた本や木箱、ベッドの間を滑るように抜けて、私の前までやってきた。にこりと微笑んでみせてから、右手を私の額に当てる。ひんやりとした掌が触れた瞬間、ぞっと身体が震えた。
「うひゃっ」
「冷やっこいよねー、俺冷え症なのよねー」
冷たい掌には驚いたけれど、何もそのせいだけじゃない。触られた場所から、何かが入ってくるような感じがしたからだ。
「おかしいトコはないですけど、妙に鋭いですねー? 俺の探査にも反応しちゃうってのは、相当やばいですよー。感覚鈍化の呪いか、抗魔術の魔道具持たせるかくらいしなくっちゃー」
「分かってる。シェルは残ってるかい」
「部屋にいると思いますよー」
「エリアスは?」
「アリーチャー隊長と七番隊室で会議中、本土のいざこざで七番隊総出の任務だそーです。もうすぐ出発しちゃいますよー」
「一々間の悪い……。連中は当てにゃならねえか」
「ですねー……って、そうだ。ベイル隊長、ザハールの班が帰ってきたんですけどねー」
ヴィサさんが言っていた話だ。と言うことは、この人がカレルヴォさんなのだろう。癒術師――お医者さん? にしては、随分と若いように思えるけれど。
「妙な呪いを掛けられたそうだな? 具合はどうだ」
ベイルさんが問い返すと、カレルヴォさんの目がきゅっと鋭さを帯びた。眉間に皺が寄り、厳しい表情になる。
「強力な呪いですよー。徐々に衰弱させ、やがて命を奪う。今は薬草と魔術で進行を遅らせてますけど、解呪師が戻るまで最短でも五日ですからねー。正直、それまで持つかは……」
「全く、ついてねえな。街で探してはみるが、本土に人をやって探した方が早いかもしれねえ。問題は、その呪いだけかい」
「他は、多少の外傷だけでしたー」
「分かった、ご苦労。解呪師はこっちで手配する」
いいえ、とカレルヴォさんが礼をするのを見届けると、ベイルさんは私を促して部屋を出た。先に立って廊下を歩きながら、これまでと変わらない調子で、淡々と言う。
「話は聞いてたな? どうも厄介な事案が重なってるらしい。俺はその処理があるから同席できねえが、これからシェルって奴に会いに行く。そいつが助けになるはずだ。面倒の始末が終わったら迎えに行くから、それまでそいつのところにいてくれ」
「分かりました」
頷きながら廊下の角を曲がると、広い階段があった。三階まで上がり、またしばらく廊下を歩む。やがてベイルさんは、ある扉の前で立ち止まった。黒い木の扉だ。
「シェル、いるかい」
呼びながら、扉をノックする。短い間の後、重い音をさせて扉は開き、部屋の主が顔を出した。
「何だ」
「頼みごとがあってな」
そう前置きし、ベイルさんが事情を説明する声も、驚きの余り耳に入らない。扉の奥から出てきた人に、私の目は完全に釘づけになっていた。なんたって、その人は、
(羊……!)
――だったのである。とは言え、動物の羊が二本足で立っている様とも違う。漫画にあるような獣人――まさしく人と獣を足して二で割ったような姿だ。目鼻立ちは人間のものだし、頭を掻く手も五指が揃っている。ただ、腕は髪同様の白い毛に覆われていて、側頭部には捻じれて巻いた、頑強そうな角が生えていた。
「――と、いう訳だ」
「呪いか……。解呪なら、お前も多少はできるだろう?」
「多少でどうにかなるなら、問題になっちゃねえだろうよ。ともかく仕事を片付ける間、この娘を預かって欲しい」
「何者だ?」
「ちょいと縁があって、連れてきた。開いてもねえのに穿角鳥の鳴き声に中てられるほど、鋭い感覚を持ってる」
「それは相当だな。頼みは、それを抑える魔道具か」
「ああ。暇なら、ついでに魔術の基礎も教えてやってくれ」
「分かった、預かろう」
「助かる」
それでベイルさんは会話を終えたらしく、扉の前から脇に一歩退いた。今度は、私が獣人の人と相対する格好になる。
雰囲気からして、歳はベイルさんと同じくらいだろうか。けれど、身体ははベイルさんよりも一回りは大きく、まるで小山のようだ。瞳孔が横に長い紫の瞳は理知的という言葉がしっくりくる落ち着きを湛えていて、高校の数学の先生を思い出させる。
「名前は?」
「天沢直生です。ええと、直生が名前なのですけれど」
「メリノット人か?」
「シェル、直生の素性については後で俺から説明する」
「お前が? ……何やら事情があるようだな。ならば、後で訊くとして――俺はシェル・フォーセルという。ナオ、でいいか? とりあえず、中に入れ」
「あ、はい。お邪魔します」
促されるまま、一歩足を踏み出す。二歩目を踏み出す直前、ふと思い立ち、振り向いて頭を下げた。
「ここまで、ありがとうございました」
顔を上げると、緩く瞬いたベイルさんが「ああ」と頷く。
「また、後でな」
その言葉に頷き返し、今度こそシェルさんの部屋に入った。




