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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第四章
38/69

荊棘は潜む・三

 ボワフォレ山の麓には、予想通りお昼前に到着した。私達が木陰にウェンテを停めて休憩をとっていると、玄鳥さん達は少し離れたところで、何やら話し合いをしている。

 その姿を目の端に捉えつつお昼ご飯を胃に押し込んでいると、不意にうなじに毛の逆立つような感覚が走った。

『どう思う』

 頭の中に直接言葉が飛び込んでくる、今は慣れた感覚。音声を介さずに直接思考を伝え合う、精神感応魔術だ。

『ゲントって奴は、明らかに疑ってるだろ。まあ、俺もあれで騙せるとは思っちゃなかったけどよ』

『直生の偽名が安直すぎる』

『うるせーな』

『あの、玄鳥さんは〈彩李〉なんですか?』

『ああ、〈彩李〉の構成員は色を冠した名で呼ばれる。玄鳥、青鳥(せいと)黄鳥(こうと)朱鳥(しゅと)白鳥(はくと)茶鳥(さと)だったか。他にもいるのかもしれねえが、そこまで突っ込んだ情報は持ってねえな』

『それだけで十分突っ込んでるだろ。――で、ゲントはどうよ。やり合ったら』

『俺が勝つさ』

 さらりと告げられた答え。ひゅう、と細い音色が聞こえた。精神感応ではなく、実際に耳で捉えた音。ヒューゴさんの口笛だ。

「根拠は」

「負けてやる理由がねえ」

 おい、と珍しくヒューゴさんが呆れたような顔をした。ベイルさんは素知らぬ風で、再び思念を飛ばす。

『鳥が竜に勝ることがねえとは言わねえが、滅多にあることじゃねえだろう』

『それもそ……うか?』

『ともかく、〈彩李〉を撒くのは無理だろうよ。何か手を講じておくべきだな』

『異議なし。本職の諜報員なら、標的は逃がすめえよ』

『問題は、連中と別れる前に〈爪〉が襲ってきた場合だ。最悪、状況全てが明るみになる』

『雪も、降り出してしまいましたしね』

『この積もり具合じゃ、山じゃあ結構前から降ってたみてえだしな。ミッテランとやらにゃ、十分な好機だろ。実際に〈爪〉と鳥を一挙に相手することになったら、どうするよ』

『俺が〈爪〉をやる。お前は鳥の相手をしてやれ』

『逆の方が良いんじゃねえか? 〈爪〉相手にゃ加減してられねえだろ。ミスミにお前の素性が知れたら面倒だ』

『俺が〈爪〉を抑えてる間に、お前が鳥を討ち落とせばいいだけのことだ』

『……そうかよ。全く、人使いの荒いこったぜ』

 やれやれ、と声に出して、ヒューゴさんが肩を竦める。それでも、本当に嫌がっているようには見えなかった。二人の間には確固とした信頼関係が存在するのだろう。

『やっぱり一緒に戦うの、慣れてるんですね』

『戦場を抜け出してから粋蓮に向かうまで、しばらく組んであちこちを流れ歩いてたからな』

『あ、そうだ、そうだったんですよね』

『お? ナオは知ってんのか、その辺の話』

『前に暇潰しついでに話した』

『はー。へー。ほー。ふーん。成程なー』

 何ですか、その含みありげな……。この前の夜もだけれど、ヒューゴさんの反応は時々よく分からない。

『直生』

『はい?』

『借りる』

「――って、危ねえなオイ!」

「つい、鬱陶しかったもんでな」

 ベイルさんは結構――と言うか、かなりヒューゴさんに容赦がない。気の置けない仲だからかもしれないけれど、いくら抜いてないったって、顔面に向かって刀をフルスイングするのは、ちょっと、よくないと思います……!

「つーか、それ! 何だよ!」

「刀」

「んなこた、見りゃ分かる! 俺が聞きてえのは、お前が何でそんなもんを持ってるのかっつーことだ!」

「ノアの得物だ」

 へ、とヒューゴさんがきょとんとした表情を浮かべる。

「ええと、前にいたところで、使っていたんです」

「ほほーう。どの程度使える?」

「す、少しです。少し! 弱いですよ」

「まあ、そう謙遜すんなって」

 そんな、謙遜じゃなくってですね。えええ、いや、何でそんなにんまり笑って……。何だか嫌な予感がする。物凄くする。

「ま、その話はまた今度にするとして。自衛手段があんのはいいが、それを使わせんじゃ護衛失格だかんな。出番は回るめえよ」

 玄鳥さんが知っていたということは、ヒューゴさんは翠珠でも傭兵として名前が知られているのだろう。そのヒューゴさんの自信は、この上もなく頼もしかった。

「宜しくお願いします」

 不穏な言葉は聞かなかったことにして、頭を下げる。おう、とヒューゴさんは明るく笑った。つられて、私も少し笑う。

 そうしている間に食事は終わり、再出発の準備も整った。

「そろそろ出るぞ!」

 ヒューゴさんが玄鳥さん達に大声で呼びかけ、ウェンテを起動させる。あちらの用意が整ったのを見計らってから、雪山へ向かい発進。木々の合間を縫って、ハーヴィは進んでいく。

『直生』

 出発から小一時間ばかり経った頃、ふと精神感応で名前が呼ばれた。『はい』と隣を見上げれば、一瞬だけ視線が向けられる。

『索敵はできるかい』

『できる、と思います』

『最大範囲で展開。気付いたことがあったら、すぐ言え』

 山の天気は変わり易いという。急に勢いを増した雪もその為なのかは分からないけれど、ベイルさんは警戒すべきだと判断したようだ。返事をする代わりに、急いで術式を展開させた。



 山越えの旅路は、平穏と言えば平穏だった。探査術式が反応するような怪しい気配が感じられることもなく、雪だけが激しくなっていく。黙々と山道を登っていくと、やがてハーヴィは山道を抜け、木々の絶えた広い空間に出た。

『ナオ』

 眠たげな声で呼ぶエンデに、胸の内で頷き返す。……嫌な気配がする。左腕がじくじくと疼くのは、巧妙に隠されてはいるものの、辺り一帯に薄く竜の気配が漂っているからだろう。

『気付くか、アンドラステ』

 ベイルさんに伝えないと、と思ったその時、声が頭の中に飛び込んできた。――ゾエさんだ。

『だが、気付いたとて無駄だ』

 鋭い声が言い捨てるや否や、みしりと軋む音が聞こえ、ぎょっとする。広く敷いた探査術式は即座に音源を看破したものの、もう遅い。警告を叫んだ声は、みっともなく裏返っていた。

「な、雪崩です!」

 木々を根こそぎ薙ぎ倒して迫り来る、白い波。山そのものが揺れているかのような、大雪崩だった。

虚を突かれた一瞬の空白がすぎると、後列で恐慌が起こった。引き攣れた声で、誰かが叫ぶ。その悲鳴が、妙に耳に残った。

我は水渦の王ウォウ・ヌ・ジム・ヘ・ラゥ

 気付いた時には、そう唱えていた。

『ナオ!?』

 エンデが驚いた風で叫ぶ。その反応も当然だ。

 これは、竜の言葉。生き延びる為、かつてその腕から引き出した、より深く鋭く世界に干渉する為の言語。それを唱え、用いることの意味が分からなかった訳ではない。それでも、躊躇いはなかった。躊躇ってはならないと、思った。

 魔力を一気に練り上げ、術式を高速構築。沸き起こる左腕のざわめきは黙殺する。封印はまだ有効、エンデが制御を担当してくれているお陰で、脅かされるほどではない。

原初にして(オノム・レブソ・)根源の(ウ・ズォン・)渦を(ネグノ・ケチ・)統べる者(シ・ノシュネグ)

「止せ、ノア!」

 制止する声や、あちこちで展開する結界の気配は感じていたけれど、止める気にはならなかった。この雪崩はそう容易に止められないと分かっていたからでもあるし、彼ら(・・)までも守り得るのはきっと私だけだろうという、自意識過剰な考えもあった。

 身勝手だとも、身の程知らずだとも思う。けれど、恐怖を叫ぶ人を見捨てることは、どうしてもできなかったのだ。

命ず(ウジェム)(オイェイ・コ・)敗北し(トナ・サ・)服従し(スウジュク・)露と(ヒ・スコビア・)消えよ(ヒジェナ)――!」

 刹那の沈黙――そして、爆音。目の前に迫っていた雪崩が、天上から剣が振り下ろされたかのように分断される。

「……、っ!」

 ほっと息を吐く間もなく、圧倒的質量への干渉による反動が脳を襲った。ぐるぐると目が、世界が回り、喉は奇妙な音を立てて喘ぐ。頭は割れそうなほど痛み、左腕は軋んで痙攣する。ぬうっと皮膚を貫いて鱗が生える、背筋の震える感覚すらした。

『ナオ、無理だ、抑え切れぬ!』

『無理でも、やる』

 諦めるなんて選択肢は有り得ない。歯を食い縛って、更に左腕から魔力を引き出す。めり、と生え伸びる鱗に耐え切れず、左腕の手袋が裂けてちぎれた。

『ナオ、止めよ! これ以上は――』 

「この馬鹿! 死ぬ気か!」

 叫ぶ声と怒鳴る声が同時に響いたかと思うと、術式に介入する気配があった。咄嗟の拒否(キャンセル)は無視され、強引に式が書き換えられる。介入により魔力の供給源が分散、消費量が半減。意識の圧迫も弱まり、砕けかけた左腕の封印を修復する猶予が生まれる。

 それから雪崩が止まるまで、十分以上もの時間が掛かった。辺りは私達を避けて流れた雪で埋め尽くされてしまったものの、誰も被害は受けていない。頭は痛いし、左腕も感覚がなくなったままではあるけれど、目的を達成できたことにほっとする。

「この、大馬鹿が」

 とか、暢気に浸っていた私が馬鹿でした。

 頭上から降る、底冷えのする低音。ヒィ、と喉の奥から悲鳴が飛び出す。断頭台に上るような心持で隣を見上げると、明確な怒気を湛えた藍の双眸が見下ろしていた。

「……え、ええと、その」

「話は後だ。――が、覚悟しとけ」

 その一言は、まさしく死刑宣告にも等しかった。心臓が縮み上がり、胃がギリギリと悲鳴を上る。がっくりと俯――

「うぐぁっ!?」

 きかけたところに、衝撃。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。一拍遅れて、頭のてっぺんから走る猛烈な痛みが意識を支配する。

「今は拳骨で勘弁しておいてやる」

 ……そういうこと、らしかった……痛い……。

「まあ、おい、そう怒ってやるなよ、ノアは自分なりに一生懸命考えてやったんだしよ」

「それで自分の首を絞めてりゃ、世話ねえだろうが」

「だが、まるきり分からねえ動機じゃねえ。だろ?」

「理解はできるが、共感はしねえ」

「石頭だなお前はよ……」

 庇ってくれるヒューゴさんに心から感謝しつつ、頭を抱えて痛みに悶えていると、

「全く、なんてこった。喜ぶべきやら、悲しむべきやら」

 やれやれ、と溜息混じりに玄鳥さんが言う。その声音とは対照的に、急き込んだ風の声も聞こえた。

「玄鳥殿! もしや、この少女が――」

「運び手、なのかもしれやせんやね。この魔術も魔力も、竜じみて尋常じゃァありやせん」

「なれば、早急に連行――」

「すべきなのかもしれやせん、がねェ。如何とも」

「何を悠長――」

「まあ、落ち着きなせェよ」

 三度、玄鳥さんが遮る。ふざけないで頂きたい、と声を荒げた反論に、どこか酷薄に聞こえる笑声が応じた。

「おやおや、もしかして襲撃がこれっぽっちで終わりだとか、そんな甘っちょろいこと考えてなさりやすかい? えェ?」

「何ですと?」

「ここまでやっといて、ハイ終わり――なんて、ある訳ねェでしょうや。改めて言っときやすが、あっしはあんた方を守る義務なんざ、これッぽっちもありゃしやせんぜ」

 そう、玄鳥さんが展開した結界はかなりの強度を持っていたけれど、あくまで自分一人を守れるだけの規模でしかなかった。恐慌に陥り、雪崩から身を守る手も打てずにいた何人かの同行者に対しても、まるっきりの放任だったのだ。

「あのお嬢さんが守ってくれなきゃ、今頃あんた方は雪の下でぺしゃんこだったでしょうなァ」

 鼻で笑う気配に顔を上げると、肩を竦める玄鳥さんが小瓶を取り出し、雪壁の表面を削り取る様が目に入った。雪片を収めた瓶を、使者の人に向かって投げる。

「ここから先、力のない者はただのお荷物でさァね。とっとと逃げ帰って、王子さんに伝えてくだせェや。経路二にて候補発見。詳細はそちらで分析し判じるように――ってねェ」

 使者の人はしばらく渋い顔をしていたものの、「撤退!」と号令を発するや、他の三人と引き返していった。遠ざかるウェンテの駆動音が聞こえなくなったところで、玄鳥さんが口を開く。

「さて――ラウル改めベイルの旦那? 単刀直入に言いやすが、お嬢が竜の腕を持ってんでやしょ? おっと、無駄な言葉遊びはしねェでいきましょうや。この雪崩も尋常じゃねェですが、それを捌き果せる何かってのも、十二分に異常でやす」

「で? 単刀直入に言うんだろう。どうする気だ、〈彩李〉」

「おや、あっしのことを知ってらっしゃったんで?」

 答えの代わりにか、ベイルさんは肩を竦める。

「ひょっとして、お嬢もですかい? あっしをご存じで?」

 続いて向けられた問い掛けに、黙然と頷き返す。

「それでも助けた、と。とんだお人好しじゃァねェですか」

 呆れた風で言われるものだから、がっくりと肩が落ちた。ベイルさんが「全くだ」と冗談に聞こえない声で相槌を打つので、更に情けなくなる。もう雪に埋もれて冬眠したい。

「とは言え、あっしも見逃す訳にゃいかねェんで」

「まあ、そうだろうな」

 ヒューゴさんが頷き、片手に槍を握って臨戦態勢に入る。それでも玄鳥さんは気安げな風のまま、

「まあ、まあ、落ち着きなすって。あっしの仕事は、竜の腕の奪還――有体に言えば、略奪ですやね」

 身も蓋もない、自分の行動を悪しざまに評する物言いに、ヒューゴさんが怪訝そうな顔をする。

「ですが、あっしらとはまた別に、お嬢を狙う不届き者がいるらしい。となれば、先に奪われちゃ困る訳でやす」

「――お前」

 ヒューゴさんが目を見開く。玄鳥さんはにやりと笑った。

「一度、あっしが旦那方の代わりに戦いましょ。それでチャラ、改めて追いますぜ」

 笑ってこそいたものの、声は真剣だ。疑うまでもなく、本気の宣言なのだと分かる。だからこそ、分からない。

「何故だ?」

「何故、とは? どういうこってす、〈鵺〉の旦那」

「お前は、自分の連れを守る義務はねえと言った。なら、ノアが連中を守ったところで、感謝する筋合いはねえだろう」

 淡々と、ベイルさんは指摘する。

 確かに、玄鳥さんと他の人達の間に信頼関係があるようには見えなかった。たぶん、体よく追い払っただけなんだろうなあ。

「まあ、なんですか。あっしは暗殺者なんてやくざな商売してやすがね。あっしなりに、一つ決めてることがありやして――ノアのお嬢は、商会の傭兵でもなけりゃ、ギルドの傭兵でもねェ一般人でやしょ?」

「よく知ってんな」

「これでも諜報員の端くれですぜ。んで、一般人が何故ここにいるのか。効率としちゃ最悪だ。なのに、敢えてそれをするなら、そうせざるを得ねェ事情があるってことになる。けども、あっしは一般人には極力剣を向けねェと、それを信条にしてやしてね。さりとて、仕事は仕事、手は抜けやせん。――詰まる所、自分を納得させる為の準備でさァ。あっしが稼いだ時間を使って、お嬢が先に竜の湖に着ければ良し。着けねェなら旦那方が間抜け、奪われても仕方がねェってことで」

「素敵にてめえ専用論理だなオイ」

「生き物なんてのは、所詮そんなもんでやす」

「開き直りかよ。――しかし、イロドリってのは、王族直属の暗殺者だろうがよ。手心加えようなんて考えるもんか」

「ヒトの戦争はヒトの力でやるのが道理ってェもんでやしょ。戦いたくねェ御仁を無理矢理に戦わせるってのも、無粋千万。気に入りやせんでね」

 きっぱりと、玄鳥さんは言った。ひゅう、とヒューゴさんが口笛を吹く。

「悪くねえ信条だ。全く、暗殺者らしくねえ暗殺者だな」

「よく言われやす。が、それくらいの思想を持ってなきゃ、暗殺屋なんざ、意志のねェ人形か、狂った獣に同じでやしょう」

 そうかよ、と呟いたヒューゴさんが、最初に質問したきり黙っていたベイルさんに目を向ける。どうする、と言外に問う視線を受け、ベイルさんは静かに頷いた。

「断る理由もねえ」

「ご了承頂き、感謝しやす。それじゃ、敵が出てくるまであっしが先頭を切りましょ。目的地は、アーブルで?」

「ああ」

「了解しやした。――おっと、そうだ。申し遅れやした。あっしは玄鳥と申しやす」

 どうぞ宜しく、と赤い唇が弧を描く。こうして、何の因果か、追跡者は奇妙な同行者へと変わったのだった。

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