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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第三章
35/69

花降る街・十一

 吟遊詩人の騎士の冒険を謳う歌を聞いたり、露店に立ち寄ってお菓子を買ったりしながら、時間を掛けて通りを歩いていく。

 お菓子の代金は、折角だからと銀貨を使ってみようと思ったのに、私がお菓子を受け取っている間にベイルさんが払ってしまっていた。代金を渡そうとしたら、

「釣りが出せねえから、いい」

『嘘だぞ』

 ベイルさんの言葉に被せて囁いてきたエンデが、ニヤニヤ笑いながら『確かめてみろ』と唆してくる。……どうしよう。

「……ベイルさん、あの……本当ですか?」

「いや、嘘」

 そうしたら、即答である。ぽかーんとした。

『ほら見ろ!』

 エンデは爆笑している。

「そう言えば、お前は引き下がるだろうと踏んだが――エンディスが何か入れ知恵でもしたな?」

「ええと、その、まあ」

「余計なことを」

「でも」

「その銀貨は他に使え。細工物の類が気になるんだろう。店先を通る度に気にするくらいなら、何か買ったらどうだ」

「ど、どーしてそれを!」

 これまでの道中、確かにちらちら見てはいたけれど。き、気付かれてはいないと思っていたのに!

「さっきからお前は何かを集中して見てると、決まって手を握る力が強くなる。意識してやってることじゃなさそうだから、癖かと思ってたが――自分でも気付いてなかったのかい」

「き、気付くも何も、こうやって誰かと、その、て、手を繋いでお祭りに来たこととか、ないですし」

 知りようがないと言うか、ともごもご言うと、

「だったら、尚更だな。大人しくエスコートされとけ。ああ、嫌なら構わねえが」

 さらりと最後の一言を付け足され、ぐっと言葉に詰まる。エンデに助けを求めてみても、ただ笑われるだけだ。全くもう、こう言う時こそ、助言が欲しいって言うのに。

「そう言うのは、ずるいと思うんですけど」

「誠実だと自己申告した覚えもねえがな」

 ……本当に、敵わない。

「じゃあ、せめて、これ、半分こしましょう」

 買ったお菓子を示して、提案する。名前は違うけれど、このお菓子はクレープそのもので、薄い生地でクリームと細かく刻まれた赤色の果実が包まれている。ベイルさんは私の分を買ってくれたけれど、自分の分は買わなかったのだ。

「あ、甘いもの、嫌いじゃなければですけど」

 慌てて付け足す。いや、とベイルさんは首を振った。

「じゃあ、問題ないですね! お先にどうぞ」

 お菓子を差し出すと、ベイルさんは感心しているような呆れているような、何とも言えない表情で受け取った。

「……お前が、存外強情だってことを、忘れてた」

 ぼそりと言いながら、ベイルさんはお菓子をかじる。

『そなたにその菓子は、似合わぬなあ』

「ほっとけ。――直生、後はやる」

 二口三口かじられただけのお菓子が、早くも差し出される。

「もういいんですか?」

「ああ。お前の為に買ったものだ」

 ベイルさんの言葉は、とても婉曲なことがあるのに、時々まっすぐ過ぎて反応に困ってしまう。

「じゃ、じゃあ、頂きます」

 ああ、と頷くベイルさんからお菓子を受け取り、今度は私がかじりつく。お菓子を食べながら、これまでよりも少しだけ慎重になって、人波の中を歩く。通りのそこここで広げられた劇や芸の舞台を渡り歩いている間に、お菓子も食べ終わった。

 その時、珍しい魔力の気配が意識に飛び込んできた。気配を辿るようにベイルさんの手を引いて、人ごみの中を方向転換する。ベイルさんは何を言うでもなく、後からついてきてくれた。

 たどり着いたのは、小さな露店だった。鍛え上げられた刀剣のような、鋭く研ぎ澄まされた気配が流れ出している。

「装飾を扱う店だな。何か、興味があるものでもあったかい」

「はい、少し見てもいいですか?」

「好きなだけ」

 すらりと返される言葉がくすぐったい。露店の軒先に入ると、奥から女の人が出てきた。いらっしゃい、と笑う女の人に会釈を返す。その時から、私は紺色のクロスを敷いた品台の上の、あるものから目が離せなくなっていた。

「それに興味があるのかな、お嬢さん」

 問われて、こくりと頷く。そうか、と笑う女の人は無造作にそれを摘み上げ、私の手を取り、掌に載せてくれた。

「これは魔除けの護符だ。孔雀石は、魔を退ける」

 護符の名に相応しく、それは縦に細長い形をしていた。私の親指よりも小さな、艶やかな銀色の札。札の中央に埋められた緑色の石が、孔雀石なのだろう。それを取り囲むように、細かな魔除け――守護の紋章が刻まれていた。

 よほど腕の良い人が作ったものなのか、驚くほど強い魔力が伝わってくる。この店から流れているあの独特な気配も、この品物達が醸し出していたものなのだろう。

 繋いでいた手を離して、掌の上の護符を指先で慎重に摘み上げる。札の上端から細い銀の鎖が伸びているのは、首に掛けるものだからだろう。これなら、そう邪魔にもならないはずだ。

「これ、おいくらですか?」

「お嬢さんは、目が高いね。ただ、安い買い物ではないよ。銀三枚――大丈夫かな?」

 良かった、ちょうど手持ちで足りる。大丈夫です、と答えながら、ジョージナさんに貰った財布を取り出す。

「直生」

 隣から降ってきた声に、首を横に振る。

 言おうとすることは、分かる。折角の銀貨をここで使い切ってしまうのは、無計画だと言われても仕方がない。

「すみません。でも、どうしても、これが欲しいんです」

「早とちりするな、咎めてる訳じゃねえさ。それが欲しいなら、それでいい。ただ、確かに安い買い物じゃねえだろう」

 どういう意味だろう、と内心で首を捻ると、

『そなたは相変わらず、時々恐ろしく鈍いな。ベイルは、そなたにそれを買ってやろうと言っているのだ。――であろう?』

『ああ』

 即答の肯定。あわ、と裏返った声が口を突いて出た。

「あ、あの、その、これはですね、私が自分で買わないと、意味がなかったりする訳でして……」

 面と向かってそう告げるのは、やたらに気恥かしかった。にへら、と誤魔化すように笑って見せると、店主の女の人がからからと軽やかな笑い声を上げるのが聞こえた。

「なるほどね。そういうことなら、銀二枚半にしておくよ」

 何やら、察してくれたらしい。これ幸いと銀貨三枚の代金を渡し、簡素な包装をされた護符とお釣りを受け取る。

「ありがとうございます」

「こちらこそ。――そちらの御仁は、いかがかな」

「間に合ってる」

 水を向けられたベイルさんは、いつも通りの淡白な声音で答えた。女の人も「それは残念だ」と言うきりで、それ以上の言葉を重ねることはなかった。商売人の勘でも発揮されたのかもしれない。軽い挨拶を交わして、その店からは離れた。

 通りに戻ってしばらく歩くと、道すがら道化師に歓声を送るアンジェリカや、男の人と踊るジョージナさんを見かけた。気ままに歩くうち、踊りが盛んだという「西の広場」近辺に来てしまったらしい。華麗に踊るジョージナさんは綺麗だったけれど、声は掛けないでおいた。邪魔をしてもいけないし。……誘われたりしても困ると、思わなかったと言えば嘘になるけれど。

 若干の情けない思惑を含みつつ、西の広場を抜ける。その次の区画は踊る人も露店も少ない代わりに、花を配っている人がたくさんいた。配られているのは、鮮やかに赤い花だった。

 そう言えば、人込みの中にもあの花を髪や服に挿した人がいたっけ。ベイルさん、と呼んで、道行く人に花を配る人を示す。

「あれは、何でしょう」

「ああ、〈祈りの花(ステラブエナ)〉だな。新年の幸福やら厄除けやらを祈るのに使うが……ホヴォロニカじゃ、この祭りに合わせて使うのか」

 行ってみるかい、と問われたので、頷く。花を配る女の人に歩み寄ると、笑顔で二輪の花が差し出しされた。お礼を言って受け取り、一輪をベイルさんに手渡す。

 周りでは、家族連れや友達同士と見える人達が、祈りあっていた。それを真似して、ベイルさんに向き直る。すると、私が何か言うよりも早く、ベイルさんは左手で花を軽く掲げ、穏やかな低音で唱え始めた。

「暁は喜びに満ちてあれ、黄昏は願いに満ちてあれ。祈りは灯りとなり、祝いとなり、旅路を照らし導くだろう」

 幸いと共にあれ――と、言葉を結ぶ。

 その瞬間、弾けるように花が散った。散った花は淡い光になって、ふわふわと漂っては消えていく。ぽかんとしていると、エンデが護りの祝福だと教えてくれた。

 こんなに素敵な祝福を貰ったからには、ちゃんとお返しをしたい。そう思うのだけれど、私は祝福の魔術を知らないし、祈りの作法も分からないときている。ううむ、と迷っていると、

「健康でありますように、幸せでありますように、って祈ればいいのよ。そんなに難しく考えなくてもね」

 花をくれたお姉さんが、脇から助け船を出してくれた。もう一度お礼を言うと、にっこりと笑顔が返される。その笑顔に励まされて、気を取り直して左手で花を掲げた。

「これからの一年が、どうか幸せで、喜び多くありますように」

 そう言うと、花を掲げる手に軽い震えが走った。震える手の中で揺れていた花が、光になって散る。何が起こったのか分からずにいると、「どいつもこいつもお節介な」とベイルさんが呟くのが聞こえた。え、と見上げれば、肩をすくめる姿。

「ケラソスだ」

 ということは、祝福を介して助けをしてくれたのだろうか。

 ありがとうございます、と呟く。頭上の大樹から降り注ぐ赤い花弁が、頬を掠めて消えていった。

「さて、次はどうする」

 視界の端で、三度右手が差し出される。未だに平静を保つことはできないけれど、その手を取ることに躊躇いはなかった。

「隣の通りには、オルキデアとか言う歌劇団がいたはずだが」

「歌劇団……。行ってみてもいいですか?」

 ああ、と頷く声がして、手が引かれる。すいすいと人ごみの間を縫っていく背中は、まるで海を泳ぐ魚のようだ。

 そして、私達のお祭りは、日が暮れるまで続いた。

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