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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第三章
32/69

花降る街・八

 転移した先――〈ヒラソール〉の裏庭では、ヒメナさんとテオドロさんが待っていてくれた。血まみれの私達が現れると、ヒメナさんは泣きそうな顔になってしまった。ナオ、と私を呼ぶ声はそれこそ泣いているようで、何とも申し訳なくなる。

「ああ、こんなに血まみれで――どれだけ傷があるの? 痛いわよね、痛み止め、すぐに出すから」

「私より、ベイルさんの方が」

「人より自分の心配をしろ。大分、血を流しただろう」

「そうよ、そもそも何でナオが怪我してるのよ! 隊長、護衛役でしょう!? 何してたのよ!」

 もぎ取るように私を抱き上げ、ヒメナさんは泣きそうな顔のまま、怒った。まあまあ、とテオドロさんが仲裁に入る。

「とにかく手当の準備はしてありますから、中へ」

 食堂に連れられて行くと、その言葉通りに完璧な用意が整えられていた。私とベイルさんは円卓の両端に座らされ、

「さあ、服を脱ぎなさい!」

「……ヒメナ、もう少し穏便にと言うか、包み隠そうか。色々」

「この状況で穏便も何もあるもんですか!」

 ぷりぷり怒るヒメナさんを前にして、抵抗は無意味だった。

 成す術もなく服を剥かれ、処置を受ける。傷に薬が塗られ、包帯を巻かれ、治癒の術符が貼られる。全ての手当てが終わると、今気付いたとばかりにヒメナさんが「あら」と声を上げた。

「ナオ、これメリノットの風習? 左手と、左肩と、左胸」

 肌の上の三つの紋様を、ヒメナさんが順に指で示す。

「花と、蔦と、茨かしら」

「ええ、まあ、そんなところです」

 へえ、と頷くヒメナさんから、新しい服を受け取って着る。

「傷の数は多いけど、幸いどれも深くはないわ。でも、しばらくは安静にしてるのよ」

「分かりました」

「そう言えば、素性をまるで聞いていなかったけど、ナオ、あなたこれまで何をしてたの? 随分と傷跡が多いわ」

 訝しげに言うヒメナさんに、苦笑して見せる。今や私の身体には、思い出した過去の分、傷跡が現れていた。

 例えば、右上腕の傷は演習中に魔物に噛まれたもので、左脇腹の切り傷はナタンさんとの鍛練で受けたものだ。

「ヒメナ、余計な口を挟むな」

 背中を向けた、円卓の向かい側から声が飛んでくる。分かったわよ、とヒメナさんは不満そうに応じ、

「それで、テオ、隊長の方はどう?」

「傷は多いし、深いけど、まあ問題はないかな。隊長、自分で治癒しました?」

「直生が掛けた」

「へえ、そうだったんですか。ナオちゃんは、癒術師でもやっていけるかもしれないね」

 朗らかに掛けられた声に、むず痒い気分になる。

「いえ、そんな、大したことじゃ……」

「なあに? もっと自信を持ちなさいよ」

 ばし、と背中を叩かれた。い、痛い……。

「ヒメナ、乱暴するなよ。それにしても、隊長がこれだけ傷を負うなんて……相当に手強い相手だったんですね」

「それなりにな」

「早く他の護衛の方と合流できればいいですね。――あ、終わりましたよ。服を着ても問題ありません」

 そりゃどうも、と答える声に重なって、衣擦れが聞こえる。音が止むと、今度は足音が聞こえた。ヒメナさんがやれやれとばかりの仕草を見せ、席を立つ。足音は、私のすぐ近くで止まった。

「調子はどうだ」

「今のところ、大丈夫そうです」

 振り返って答えると、「そうかい」と短い相槌が返ってきた。左胸の茨について訊かれるかと思ったけれど、それもない。少しだけ、ほっとした。私自身何なのか分かっていないのだから、訊かれても答えようがない。

「なら、上に戻るぞ」

 頷いて、席を立つ。淀みない足取りで部屋を出ていくベイルさんに続いて廊下に出ると、テオドロさんが「隊長」と呼んだ。足を止め、ベイルさんが肩越しに振り向く。

「食事はどうします?」

「任せる」

 その言葉は、考えるのも億劫だと放り投げるような、どこか投げやりな響きを帯びて聞こえた。ベイルさんにしては珍しいどころか、かつてないことだ。

 分かりました、とテオドロさんが応じる声を背中に受け、ベイルさんは歩みを再開する。先を行く背中――廊下を歩み、階段を上る後ろ姿は、いつも通りに隙がない。けれも、一度抱いてしまった疑念は、どうやっても消えなかった。

「あの」

 三階の部屋に戻ってから、意を決して声を掛けた。扉に鍵を掛けるベイルさんが、視線だけで何事かと問う。

「ベイルさん、やっぱり疲れてますよね? 私、本当にそんなに疲れてませんから、しばらく起きています」

 言いながら、つい視線が逸れていく。正面から顔を見て言えるだけの度胸は、残念ながら無かった。

「頼りにはならないでしょうけど、見張ってますから、その間、ゆっくり休んで下さい」

 思い切って言ってみたものの、返事は無い。沈黙が気まずい。怒ってしまっただろうか。それとも、呆れられた? 考え出すと余計に怖くなった。恐る恐る、ベイルさんへ目を戻す。

「――!」

 ぽかんと開いた口を、慌てて掌で覆った。……驚いた。

 なんたってベイルさんは、今までに見たことのない――驚いたような、困ったような表情をしていたのだから。

「ええと、その、余計な事でしたら、すみません……」

 もごもご言って頭を下げると、ようやく答えがあった。

「……いや。こっちこそ、悪かった。護衛対象に心配されるようじゃ、世話がねえな」

 大きく息を吐いてから、ベイルさんは額に掛かる髪を左手で掻き上げた。その表情に浮かんで見える疲労は、やっぱり気のせいではないのだろう。

「ああなると、少し消耗が大きくてな」

「今も、どこか?」

「いや、それはねえ」

 ベイルさんは、緩く首を横に振る。それ以上の問いを拒むかのように、言葉だけは矢継ぎ早に続けた。

「少し休めば、すぐに回復する。だから、お前も休め」

 ベイルさんがベッドへ歩き出す。その足取りは確かで、私の心配など杞憂のように思えてくる。けれど、最初の問いが否定されなかったことが、気分を重くさせた。否定されなかったということは、つまり肯定のはずだ。そして、何よりも「あの姿」になることはひどい消耗を伴い、言葉にするのが憚られるほどの秘密だという――その事実が、ひどく寒々しく感じられた。

『ナオ、そなたも休め』

 悶々と考えていると、エンデの声が頭の中に聞こえた。

『うん、そうする。――そっちは、大丈夫?』

『地竜の祝福があったのでな、事なきを得た。心配はいらぬ』

 そっか、と答えて、私もベッドへ向かう。お互い話したいことがあるのは分かっていたけれど、今はぐっすり眠りたかった。



「風が、止む?」

 朝食のパンをちぎりながら問うと、早くも食事を終え、朝刊を広げていたベイルさんが小さく頷いた。

 ナタンさんとエジードさんとの戦闘から、今日で二日だ。幸い怪我の経過は良好で、テーブルの向かいに座るベイルさんの顔色も一昨日と比べ、格段に良くなっていた。

「〈爪〉の野郎が散々魔力を引き出した影響だろうな。後三日四日で外へ出られるようになるそうだ。領主はそんな事情は知りやしねえから、何の天変地異かって大騒ぎしてるらしいが。――とりあえず、祭りは予定通りの行われる」

「あれ、そうなんですか」

「今更予定を変えるってのも、障りが出るんだろうよ」

「じゃ、じゃあ、ちょっと見に行くことも――」

「傷が良くなったらな。早くても明後日」

「うっ……。了解……です……」

「物分かりが良くて、大変結構」

「でも、もうあんまり痛くないので、大丈夫かなー、なんて」

 などと言ってはみるものの、即答で「却下」の二文字が返ってきただけだった。厳しい。

 部屋の中にいても、お祭りの気配は届いてくる。かすかに聞こえる楽の音や、風に乗って舞う紙吹雪は、好奇心を煽るには十分過ぎた。アンジェリカやジョージナさんがお土産を持ってきてくれたりはするのだけれど、やっぱり自分で実際に見聞きしてみたいという欲求は、どうにも抑えきれない。

「退屈だろうが、明後日までのことだ。大人しくしてろ」

「はい。あ、いえ、退屈ということはないですけど」

 ベイルさんが新聞を読んでいた目を上げて私を見るので、疑われている訳でもないだろうけど、「ほんとですよ」と重ねた。

「ずっと、色々、教えてもらってますし」

 ここ二日間、外に出ようとすると漏れなくヒメナさんに発見され、部屋に戻されるという事態が続いている。その結果、私達は部屋に籠らざるを得ず、ベイルさんによる魔術講義が始まったのだった。昨日は精神感応魔術を教えてもらった。

「……ところで、ベイルさんは具合、どうですか?」

「お前よりはいくらか長引くが、まあ、問題はねえ」

 傷以外は万全だ、と付け足す言葉は、まるでそれ以上の質問を拒んでいるようにも聞こえて、私は訊きたかったことも訊けず、ただ「それはよかったです」と答えることしかできなかった。

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