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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第三章
31/69

花降る街・七

 轟、と風が鳴った。目も開けていられないほど、強い風。

『まずいぞ、ナタンは竜巻を呼んでいる』

 エンデが厳しい声で言った。辺りを探ってみれば、がりがりと音を立てて地面を削りながら、無数の竜巻が近付いていた。その速度と、何よりも異常に増殖した数に、呆気にとられる。

『奴は土地へ干渉し、蓄積された魔力を強制放出させている。エジードの短剣をも得たからこその無理よな』

 ナタンさんの顔は、今や土気色だった。エンデの見立て通り、相当な無理をしているのだろう。

「そんな大技使って、こいつに傷がついたらどうする」

「最悪左腕さえ持ち帰れば問題はない、と指示を受けている」

「そいつは素敵な方針だな。死に腐れ」

 低く吐き捨て、ベイルさんが右手の剣を投擲する。けれど、雷光を纏う剣も、暴風の壁を貫くことはできなかった。剣をぼろぼろに砕いた風が、いよいよ動き出す。破城鎚めいた突風が押し寄せ、私はまたベイルさんに抱えられて宙に逃れた。

「次から次へと、鬱陶しい」

 逃れた先にすら、竜巻が回り込んでいた。舌打ちをして、ベイルさんが右手を宙に翳す。

止針(ししん)の巡り、停時(ちょうじ)の果」

 詠唱する声に合わせて、ベイルさんの魔力が広がっていく。

 ぐるりと取り囲む竜巻は、ナタンさんに誘導されているとは言え、天災そのものだ。竜でもないければ、天災を消し去ることはできない。だからこそ、ベイルさんの選択もナタンさんと同じく干渉、誘導だった。竜巻がじりじりと押し返されていく。

「逆巻き、因に報――」

 バチ、と爆ぜる音が上がり、声が途切れた。

 え、と間抜けな声が漏れる。視界の端で弾けた、その鮮やかな赤が血であると気付くのに、何故か時間が掛かった。

『押し負けたな』

 エンデが、苦々しげに言う。ようやく、理解できた。

 宙に翳されたベイルさんの腕は指先から肩まで、真っ赤に染まっていた。それは術式を競った結果、相殺することもできないほど一方的に押し切られたという証だ。

「だ、大丈夫ですか? 傷、傷を」

 発した声は、ひどく震えていた。伸ばした手に、温かな血が触れる。治癒術式を展開させると、傷の情報が次々と脳に流れ込んできた。その多さと深さに、愕然とする。

「ど、どうしま、しょう」

 治せない傷では、ない。ないけれど、時間制限がなければの話だ。一刻一秒を争う状況では、応急処置もままならない。

「お前が痛えんじゃねえだろうに、泣くな」

 ――だと言うのに、平然とした声で言われた。

「な、泣いてません!」

「だったら、しゃんとしてろ」

「だって、傷が――」

「大したことはねえ」

 ない訳がない、と背後を振り仰いで反論しかけ、止まった。

 ベイルさんは、笑っていた。酷薄――そう形容するのが最も相応しい顔で、笑っていたのだ。

「下手な使い走りかと思ったが、中々やる」

 唐突に、間近で雷光が弾けた。ひゃ、と短い悲鳴が口を突いて出る。連鎖して閃く白光を茫然と見回していると、視界の端に奇妙なものが映った。ぎょっと目が見開く。

 流血を続けるベイルさんの右腕が、膨張していた。指も腕も太く大きく膨れ上がり、爪は鉤爪のように伸びていく。肌は漆黒に染まり、振り返って見れば、顔すら半分以上が黒い。その上、爛々と輝く右目は黄金、髪は白金へと変わり、額の中央にわずか覗く鋭角な黒銀色は、紛れもない角だろう。

 今や、ベイルさんの姿は獣でも人でもない、私の知らない何かへと変貌を遂げていた。

「――つ、っ!」

 ずき、と左腕が痛んだ。目を向ければ、傍目にも分かるほど大きく震えている。左肩の祝福まで、奇妙な熱を持っていた。

『……これは、何だ』

 驚愕に震えた声で、エンデが言う。答えられない。私に分かる訳がなかった。

『何故――竜が目覚めるぞ!』

 エンデの声は、悲鳴に近かった。あの真っ白い部屋の中、銀の濁流を内包する結晶に罅が入る様を幻視する。半ば反射で、左腕に魔力を巡らせた。無理矢理に暴走を抑え込む。

 これは一体、何なのか。エンデと同じことを思考する。

(拒絶、嫌悪――憎悪?)

 いくつかの単語が脳裏を巡り、訳もなく悟る。竜に関わる全てが、心底からの否定と拒絶を叫んでいるのだと。

 何に。――ベイルさんに、だ。

 今やその身はヒトでなく、獣でなく、魔物ですらない。人知を超えた、途方もなく禍々しい何か。だからこそ、真理と秩序の具現であるという竜は、これほどまでに強く拒むのだ。

 視界の端で、元の倍はあろうかという大きな手が翳され、ゆっくりと拳を作った。その動作に呼応するかのように、正面から迫る竜巻がぐにゃりと歪み――掻き消える。拳が横薙ぎに一振りされると、周囲の竜巻も悉く霧散した。それはもう戦闘でなく、蹂躙と評すべき光景だった。ただただ圧倒的な力の侵攻。

 ふと、ベイルさんが降下を始めた。地上に程近い中空から私を降ろすと、手振りだけで離れているように示す。

「……ここで、待って、ろ」

 始め、それが私に向けられた声だと分からなかった。

 嗄れた、ひどく聞き取り辛い声音。人の声ではなく、獣の唸り声か、風の吹き荒ぶ音だと言われた方が、まだ納得できる。聞いている方が苦しくなるような、荒れ果てた音だった。

「……分かっ、た、かい」

 聞き慣れない声の、聞き慣れた言い回し。言葉を重ねられ、ようやくその嗄れた声の主が誰であるか、実感できた。

「わ、分かりました! います、ここに、います!」

「……素直、で、結構」

 肩越しの首肯。右腕だけが膨張した、歪な背中が遠ざかる。その後ろ姿は、まるで知らない人のもののようだった。

 宙を駆ける歪な影は、瞬く間にナタンさんへと接近する。差し向けられる竜巻も、鎌風も、容易く踏み砕いて迫ってゆく。ナタンさんがサーベルで斬りかかる、その行動すら障害にはならなかった。長い爪の一振りが、サーベルごと担い手を斬り裂く。

 それだけで、戦闘は終了した。余りにも早い、決着。

 ゆらり、ナタンさんの身体が血飛沫を散らせて落下する。

『……さ、すが、は、』

 ノイズ混じりの声が響いたかと思うと、ナタンさんの落下が止まった。覚えのある魔力が、また漂っている。

「ハーデだな」

 風を駆り、私の隣に戻ってきたベイルさんが呟く。不機嫌そうに発された声も、その姿も、もう普段と変わりがなかった。

『ご名答。さすがは中佐だ。いや、准将?』

「御託はいい」

『相変わらずですね』

 夜闇の中に、ぽっかりとハーデさんの姿が浮かび上がる。数メートルと離れていない、目と鼻の先の距離。陽炎のように揺らぐ半透明の姿は、実体でなく魔術で投映された虚像である証だ。

『しかし、全ては予定通り』

「この状態が、かい」

『ええ。ナタンは高潔が故に情けをかけ、エジードは善良さ故に情に流れる。ですが、私は彼らの長。その程度の事態は織り込み済み。彼らは、それで構わないのですよ。愛すべき資質だ』

「――で? 回収に来たなら、とっとと連れて帰りやがれ」

『ええ、私とて長居をするつもりはありません。久方ぶりの再会に挨拶を、と思ったまで。そして、勝者には褒美が必要だ』

 ハーデさんの映像がナタンさんへ手を伸ばすと、淡い光が流れだした。その光は私へ向かってきていて、ベイルさんが眉根を寄せたものの、それ以上の反応はない。悪いものではなさそうだ。

 浮遊する光が身体に吸い込まれる。その瞬間、濁流のような情報が押し寄せた。ニーノイエで過ごした記憶、繰り返した鍛錬の記録、積み上げた戦闘の方法。様々な情報の断片が、乾いた砂に落ちた水滴のように、身体の奥底へと染み込んでいく。

「……っ!」

 左胸に鋭い痛みが走った。何事かと調べてみても、かすかな痛みの余韻があるだけで、傷もない。……何だったんだろう。

『果たして、君は私の想像を超えられるかな。君が失ったものの断片は、かつて君の師であった四人が、それぞれ持っている。これで二人分――後、二人だ』

 笑う声はひどく楽しそうであり、妙に怪しく響いた。

「お前は、何を考えてる」

 平坦な声が、静かに問い掛ける。

「何故、自分で出てこねえ。その方がよほど早いだろう」

『私も忙しいんですよ。ある程度はご存知でしょうが、ニーノイエは先の内紛の影響色濃く、未だ分裂している。海千山千の巣窟を、そうそう留守にする訳にはいきません。氷湖の竜の相手もありますしね。敵わないと知りながら、彼も健気なことです。私の足止め――それこそが、狙いなのかもしれませんがね』

 おどけるように、ハーデさんは肩をすくめる。

 どうやら、ハイレインさんは粋蓮に留まる傍ら、ハーデさんを牽制してくれていたらしい。アランシオーネに着くまでに襲撃がたった一回で済んだのも、そのお陰かもしれない。

『おっと、お喋りが過ぎましたね。ともあれ、しばらくは私ではなく、部下がお相手します。よい旅を』

 最後まで余裕の笑みを湛え、ハーデさんの映像は消えた。後に残ったのは、遠くで轟々と鳴る竜巻の音だけ。それで、やっと終わったのだという実感が沸いてきた。

 いきなり痛んだ左胸への不安や、記憶を取り戻して感傷的になっているせいで落ち着かないところはあるけれど、最初の窮地をやり過ごすことができたのだと思うと、ほっとした。

そっと安堵の息を吐き――がくりと、膝が抜けた。

「うわっ!?」

「大丈夫かい」

 倒れ込む寸前、脇から胴を抱えられた。

「す、すみません……」

 いや、と答える声がしたかと思うと、身体が持ち上げられる。

「無粋で悪いとは思うが、少し我慢しろ。久しぶりに消耗が大きいんで、大規模な転移術式を組めるほど余力がねえ」

 言いながら、ベイルさんは私を左腕で抱え直す。右腕は、ほとんど動いていなかった。

「足手まといで、すみません……」

「俺の不足だ、お前が謝ることじゃねえ」

 淡々と、ベイルさんは転移の術式を構築していく。私も残りの魔力を費やして、治癒の術式を組んだ。

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