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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第三章
29/69

花降る街・五

 時間の流れは平等で、公平で、そして残酷だ。どれほど思い悩もうと、無情に流れ去っていく。結局、あの会話の続きを見つけられないまま、刻限は来てしまった。

 お祭りの三日目の夜。ナタンさんとの戦いの時。

 まだ昼間の喧騒が消えない夜更け、私とベイルさんは再び夜の草原に立っていた。円に近い月が白々と地上を照らし、遠く近くに轟々と音を立てる竜巻が踊っている。

 ふと、前方で魔力が弾けた。ベイルさんが足を踏み出す。数メートルの距離を挟んで、ナタンさんが現れた。相変わらずの憂いを含んだ表情。決して悪い人ではない。それを知っているからこそ、かつての師と言える人を前にしてどんな顔をするべきか、私は判断ができずにいた。私の歪んだ表情を見て、ナタンさんが苦笑を浮かべる。アンドラステ、と低い声が呼んだ。

「始める前に念の為、訊いておく。私に従う気はあるか」

 ナタンさんの声は竜巻の轟音の中でも、明朗に響いた。闇夜を透かし、鳶色の双眸がひたりと私を見据えている。真っ向からその視線を見返し、首を横に振った。

「私にも、目的があります。それを諦めることはできません」

「……そうだったな。その意思だけが、お前を生かした」

 ナタンさんが嘆くように瞑目する。けれど、再びその眼が開いた時にはハーデさんをして「優秀な軍人」と言わしめる、怜悧な厳しさ以外には何もなかった。

「交渉は決裂――否、初めから無意味だったか」

「その通りだ」

 一歩を踏み出し、ベイルさんが後を引き継ぐ。話し合いは終わった。ここから先は、もう私の領域ではない。

 合図も何もなく、戦闘は始まった。

 ナタンさんがサーベルを抜き放ち、術式で造り出された剣を手にしたベイルさんが滑るように駆けていく。瞬く間に間合いは詰まり、振り下ろされた剣をサーベルが受け止めた。

 目にも止まらぬ剣撃の応酬。けれど、ナタンさんの劣勢は明らかだった。受けるのに手一杯で、反撃もままならない。だと言うのに、不意にベイルさんは大きく飛び退り、間合いを取った。

ふ、とナタンさんが淡い笑みを零す。

「さすがは〈鳴神(ヴァルフラン)〉か」

 無言でベイルさんが剣を構え直す。その背中には、かつてない緊張が張り詰めていた。その理由は、私にも分かる。

 ナタンさんの握るサーベルから、目に見えそうなほど濃い魔力が立ち昇っていた。同族の気配に、左腕がじくりと疼く。竜の亡骸が収められた魔道具が、本領を発揮しようとしていた。

 つと、片手で扱うものであるはずのサーベルに、ナタンさんが両の手を添えた。周辺の大気が撓んだような錯覚。

 ぞっと背筋が震えた。全力で後ろに跳び、防護結界を生成。寸前まで立っていた場所を渦巻く烈風が直撃し、跡形もなく抉り砕く。張り巡らせた防壁すら、薄紙のように切り裂かれた。

『ナタンは風属の術師。竜の爪で、その殺傷力は飛躍的に上昇している。油断をすれば深手を負うぞ』

 エンデの囁きを聞きながら、更に跳び退いて逃げる。

『――ナオ、上だ!』

 その最中、降り注ぐ魔力の気配。咄嗟に右手でルーンを描く。

櫟樹の防護(エイワズ)!」

 古代の表意文字であるルーン文字は、現代でも魔術の構築を助ける――精度を高める補助要素として使われる。けれど、そうして展開した防壁も、降り注ぐ黒い礫の前に瞬く間に崩壊した。

 光属性の強まる日中とは逆に、夜は闇属性の魔力が強まる。その魔力を凝固させた礫の破壊力は凄まじく、棍で弾き落とすと、金属のような硬く重い手応えがあった。

『気を散じるな、本丸の登場だ!』

 エンデの警告に合わせて、探査術式を展開。前方から高速で接近する黒影。あの人のことだから、逃げさせてなんてくれないだろう。戦うしかない。せめて先手を打つべく棍を突き出すも、黒い影は無駄のない動作で回避、鈍く光る短剣を振り下ろした。引き戻した棍で受け止めれば、刃はそのまま表面を滑り、棍を握る指を狙ってくる。辛うじて握り変えて刃は避けたものの、

「な――っ!」

 棍に、ずるりと黒い陰影が巻きついた。今更に思い出す。

 この人は闇属の精神干渉系の魔術だけでなく、影の操作――使役を得意とするのだ。その技術には、己の影を伸縮させ、物理的な干渉を可能にすることも含まれる。棍を手放して飛び退くと、触手めいた影は棍を粉々に粉砕し、尖鋭化した先端をこちらへと向けてきた。膨大な数が、一斉に鎌首をもたげる。

鹿角の守護(アルジズ)!」

 苦肉の策でルーンを紡ぐものの、武器を失ったのは大きな痛手だ。槍衾さながらに迫る影に、ぞっと怖気が走る。

「ナタン・ラパラ! 話が違うようだがな」

 激痛と負傷を覚悟したその瞬間、目の前に降り立った背中が無数の影を一刀の元に叩き斬った。無数の影を切り裂いた剣は、細雪のような光を散らしている。闇属性に対抗するには相反する属性――光を用いるのが定石だ。

「遺憾ながら、そのようだ。エジード! 何のつもりだ」

「ハッ! 何のつもりも何もねえよ。何度も考えちゃみたが、こればっかりは譲れなかった。罰なら後でどれだけでも受けてやるからよ、アンドラステとは、俺が最初に戦う」

 憮然として言うナタンさんに返る声は、どこか吹っ切れたような、清々しくすら聞こえる響きを持っていた。

「本気か」

「冗談だと思うのかよ」

 いや、とナタンさんが苦々しげに言う。その一方で、エジードさんが軽やかに呼んだ。

「〈鳴神〉さんよ、こいつをあんたの後ろの奴に渡してくれ。そいつのもんだからな」

 短い間の後、ベイルさんが左手を上げ、何かを受け取る素振りを見せた。ちらりと一瞥した後で、私へと後ろ手に差し出す。その手に握られていたのは、細身の刀だった。

 受け取って、試しに柄を握ると、驚くほど掌に馴染んだ。

「エジード、あれはベルムデス様が管理していたはずだが」

「毒を食らわば何とやら、って奴だ。命令違反は今更だろ?」

 からからとエジードさんが笑い、ナタンさんが溜息を吐く。何だかんだで、正反対の性格のあの二人は結構仲がいい。

 かすかな懐かしさを覚えながら、ベイルさんの隣に並ぶ。私の姿を捉えると、エジードさんの表情は一転し、かつて時たま見せた、切ないほどに真剣な顔をした。私に忠告をする時、決まって浮かべていた表情だ。

「抜け、アンドラステ。そして、俺と戦え」

 命令のはずのそれは、懇願のようにも聞こえた。

「その為に、記憶も、剣も、返してやったんだ」

 けれど、私はその言葉に答えることはできなかった。答える代わりに、ベイルさん、と呼ぶ。

「連中の勝手に付き合ってやる義理はねえ――と言いたいところだが、好きにしろ」

 ただし、と言って、ベイルさんは私の背中を叩く。

「無茶はするな」

「はい。……ありがとうございます」

 頷いて、刀の柄を握る。軽く引くだけで、滑るように鞘から抜けた。鞘をベルトに押し込み、両手で構える。

「思い切りがいいじゃねえの」

 揶揄するような言葉には、答えないでおいた。

 別に、何かが劇的に変わった訳ではない。奇跡のような偶然のお陰で、代わりに戦ってくれる人がいるだけで。元々これは私の戦いなのだから。名指しで挑まれて、断る道理はない。

疾き駿馬の如く(エワズ)――」

 ルーンを刻み、脚力を強化した両脚に魔力が滾る。強化した足は、一瞬で間合いを侵略した。刃を返し、峰で胴を薙ぐ。

「戦う時は殺す気でやれって、俺は何度言ったよ?」

 短剣で受けるや、ひどく険呑な声でエジードさんは言った。露骨な苛立ちに、それでも否と応じる。

「私が、一度でも頷いたことがありましたか」

 言い合いながら、互いに押し退け合って距離を取る。詠唱を省略し、一足飛びに術式を構築。凝縮させた水塊を連射。水弾は軽快な足取りに避けられるものの、焦りはなかった。あの人は左前方からの連続攻撃を受けると、後退の三歩目で一瞬止まる。そういう癖があると、知っていた。ナタンさんが共闘していれば、その隙を補ったのだろうけれど。今の状況では、無理な話だ。

 周辺一帯を範囲に含めた探査術式は、再開した戦闘においてもベイルさんが優位を保っていることを伝えてくる。放たれた術式がこちらに向わぬよう巧みに誘導しつつ、それでいていつでも援護に来られる距離を保って、苛烈にナタンさんを攻め立てる。その気遣いを、無駄にしてはならない。

 エジードさんの三歩目の隙を狙って、射撃を集中させる。物量で押し込んでしまえば、逃げ場もないはずだ。

「い、っ!?」

 ――なのに、痛んだのは私の方だった。

 左腕で爆ぜた激痛。まるで腕が吹き飛んだかのような衝撃に驚いて見てみたものの、何らかの異変どころか、出血すらない。だというのに、痛みと痺れで完全に動かなくなっていた。

『見えたか、ナオ』

 頭の中で問うエンデに、否定を送り返す。

 弾幕が途切れた隙を縫って、エジードさんが間合いを詰めてくる。左腕は力が入らない。右手だけで、刀を構えた。

『エジードは呪い師。その身に呪いを纏っている』

「簡潔に!」

 痺れて動かない左腕に魔力を流し、状態の把握と治癒を急がせる。……ああもう、罅入ってるし! 痛い訳だよ!

『己の身に向けられた術式を反射させる。それが、あれの竜騎兵としての特質だ』

『反射ったって、私の式は撃ち返されてなんて』

 エンデの分析を聞きながら、胸を狙って突き出された短剣を刀で弾き逸らす。追撃の蹴りは、後ろに跳んで回避。

『左様、反射するのは術式そのものではない。向けられた術式を解析分解し、それが齎すはずの結果のみを反射するのだ』

 過程を無視した結果だけの反射とか、そんなの反則だ。ヒトに可能な術の範囲を逸脱している。

『無論、竜の亡骸があるからこその大道芸よ。エジードに傷を与えるなら、奴の呪いを凌駕するほどの術式を組まねばな。精度か規模か、どちらでも構わぬが』

 そんな術式を組んでいる余裕はない。他は?

『簡単な話だ。奴の呪いは術にしか反応せぬ』

 つまり、物理手段。その為には、動かない左腕が問題だ。上手い具合に事を運ばれてしまっている。

 嘆きたいのを堪えて、振り下ろされる短剣を刀で受けた。鍔迫り合いになる前に受け流し、身体を低く沈める。手首を返して刀の柄頭を前方へ向け、みぞおちを狙って、打突。

「そんなもんが、当たる訳ねえだろ」

 吐き捨てるような声。久しぶりの反撃は、いとも容易く掌で受け止められた。

「俺すら殺せねえなら、今ここで殺されとけ」

 頭上に光る短剣。深く踏み込んだ体勢は退避が難しく、刀の柄頭も掴まれている。刀を捨てて逃げるべきか、一瞬の迷い。

「!!」

 刹那、空を焼いて迸る紫電が視界を染めた。矢もかくやと飛来する、一振りの剣。雷光を纏う一撃が、鈍い音を立ててエジードさんの肩を貫いた。大きく仰け反る細い体へ、次々と追撃が降り注ぐ。苦々しげにエジードさんは私の刀を手放し、後退した。

 その足跡を、尚も剣のつるべ打ちが追ってゆく。草原に突き立つ剣は、さながら墓標の群れのようだ。

『ナオ、呆けるな!』

 警告の声に、はっとした。上空から凄まじい密度の魔力が迫っている。慌ててルーンを紡ごうとして、

「わっ!」

 紡ぎ終えるより早く胴に腕が回り、身体が引き上げられた。宙に浮いた足の下を、刃の渦めいた風が通過していく。立っていた場所は深く抉られ、茶色い地肌を晒していた。……受けようなんて考えたのが馬鹿だった。

「すみません、ありがとうございます」

 ああ、と短く答えるベイルさんは風を踏んで、宙を滑るように駆けた。地上ではナタンさんとエジードさんが合流し、剣に貫かれた傷の処置をしている。

「左腕は、大丈夫かい」

「もうすぐ、動かせます」

「何をされたか、は?」

「エンデが教えてくれたので、分かっています」

「勝ち目は」

「作ります」

 そうかい、と呟いて、ベイルさんは地上に降り立つ。

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