花降る街・四
かくして、私とベイルさんは、ヒメナさんのお使いに出ることになった。渡された地図の通りに歩いて、二十分ばかり。到着したのは衣装や装飾品を取り扱うお店だった。
店内に足を踏み入れたベイルさんは周囲に目もくれず、まっすぐ奥のカウンターへと向かっていく。カウンターの中では、若い女の人がきょとんとして、私とベイルさんを見比べていた。
「ヒメナ・カサノーバの代理で来た」
「あー……ああ、今朝伝声で言ってた、アレね」
ようやく納得がいったという風で頷くと、女の人はカウンターの中から二つの紙袋を取り出した。予めヒメナさんから渡されていた代金を、ベイルさんが支払う。
その間に、カウンターの上の紙袋を持とうとすると、
「ぐえっ!」
いきなり襟が後ろから引かれて、喉が締まった。ぎょっとして背後を見上げるものの、ベイルさんは平然として、
「野暮だな、お前は」
意味が分からない。眉間に皺を寄せて首を捻ると、視界の端で代金を受け取った女の人が笑っているのが見えた。
「毎度」
更に、物凄い笑顔で言われた。……意味が分からない。
「行くぞ」
いつの間にか二つとも紙袋を持ったベイルさんが、踵を返して歩き出す。仕方がないので、大人しく後に続くことにした。
表通りの人出は、それはすごいもので、その中を歩いたのでは日暮れまでに戻れるかも怪しそうだった。人気のない路地を並んで歩きながら、手持ち無沙汰ついでに訊いてみる。
「一つ、持ちましょうか?」
「いや、いい。軽いからな」
さらりと返される言葉に「そうですか」と頷きかけて、ふと思う。軽いから、と荷物を渡してくれないのなら――
「どうした、途中で黙り込んで」
「ええと……重くても、渡してもらえないんだろうな、と」
「まあな」
あっさり肯定された。む、と唇が曲がる。
「そんなに気を使ってもらわなくても」
「お前ほどじゃねえ」
「そんなことないですよ」
「あるさ」
何だか話題をすり替えられているような気もしたけれど、退くこともできなかった。意地になって、言い返す。
「ありませんってば」
「だったら、そう堅苦しい喋り方をするな」
「……はい?」
「癖なのかどうなのか知らねえが、日頃から気を張る必要もねえだろう。エンディスと話している時の方が、よほど楽そうだ」
予想外の言葉に、ぽかんと目が見開く。言われていることは分かる。けれど、何故か、返す言葉が見つからなかった。
「ヒューゴさんも同じようなこと、言ってました」
それでも、あの時は、こんなに狼狽えたりはしなかった、と思う。こうやって喋るのは癖なのだと、言えた気がするのに。
「丁寧が悪い訳じゃねえが、傭兵稼業には縁遠い話だからな。傭兵の半分は無頼の類だ。聞き慣れねえ言葉遣いに、距離を取られてるようにでも感じたのかもな」
「でも、ベイルさんは慣れてますよね?」
軍は特に規律と慣例を重んじると、ニーノイエで教えられた。長く軍人をしていたベイルさんが、慣れていないはずはない。
「さてな。俺も今はしがない傭兵だ」
「そういう返しは、ずるくないですか」
「そうだな」
事も無げな返し。……本当に、敵わない。
「ベイルさんやヒューゴさんは、大人じゃないですか」
「そんなことを気にする性分じゃねえから、楽にしてりゃいい」
「……はあ、分かり――分かった。……です」
何だそりゃ、とベイルさんが少し笑う。だ、だって、言い慣れないんだから仕方がない!
そんな風に話をしながら、空が薄赤くなった頃に〈ヒラソール〉へ帰り着くと、満面の笑顔でヒメナさんが迎えてくれた。
「使いは果たした」
ベイルさんが差し出す紙袋を受け取り、中身を確かめながらヒメナさんが頷く。
「そうみたいね。観光はしてきた?」
「それが目的で出た訳じゃねえ」
「……ほんとに気が利かないわね、隊長」
「ほっとけ」
言いながら、ベイルさんはさっさと通路を進んでいく。何となくその後について歩んでいくと、
「夕食、後一時間くらいで準備できるわよ!」
背後から響いた声に、ベイルさんは片手を挙げるだけの反応を返した。
こちらの世界には、テレビやパソコンは存在しない。夕食を終えてお風呂に入ってしまうと、すっかりやることもなくなってしまうので、ジョージナさんに本を借りることにした。借りたのは騎士道物語という、騎士の武勲や恋愛がテーマの小説だ。この大陸には、まだ騎士と呼ばれる人々が現実にいるらしい。
借りた本を抱え、三階に戻る。部屋にはもう、ベイルさんも戻っていた。テーブルで夕刊を読んでいる。
「粋蓮に何か動きはありましたか?」
「いや、変わりはねえな」
そう言って、ベイルさんは新聞から顔を上げる。そして、何故か眉間に皺を寄せ、手招きをした。
「な、何ですか?」
「いいから、来い」
何事かと腰が引けるものの、逃げるという選択肢は最初から存在しない。恐る恐る近づくと、
「もう冬も近い。風邪を引きたくなきゃ、ちゃんと乾かせ」
ベイルさんが立ち上がり、手を伸ばす。肩に掛けていたタオルが頭から被せられ、その上から髪を掻き混ぜられた。少しの痛みもない、丁寧な動作だった。
「――明日の」
しばらくして髪を拭く手が止まり、ベイルさんが口を開いた。タオルに阻まれて、その顔を見ることはできなかったけれど。
「ナタンとの一戦は、手加減をしてられるようなもんじゃねえだろう。必ず、殺し合いになる」
そう言われるだろうとは、思っていた。
この前の戦闘で、エジードさんは竜騎兵の所以である魔道具を使っていなかった。その魔道具を使われれば、この前の劣勢が逆転する可能性も、全くなくはない。
「お前はどうする? ここで待っててもいいし、戦いを見届けると言うなら、それでも構わねえ」
重い、問い。それでも、不思議と迷うことはなかった。
「一緒に行っても、いいですか?」
「構わねえが、後悔しねえかい」
「大丈夫、だと思い……たいです……」
「不安な答えだな……まあ、いいか。目の届くところにいてもらった方が、俺としても安心ではある」
ベイルさんは、そこで一旦言葉を切った。短い沈黙を挟んで、「ただ」と再び切りだす。
「明日、防御に水は使うな。俺が使う術式とじゃ、相性が悪すぎる。まかり間違って、敵と一緒にお前まで焼いちまったなんてことになりゃ、目も当てられねえ」
その言葉に、きょとんとした。
ベイルさんの属性は風だ。風と流水の相性は悪くないし、そもそも風で「焼く」ことはできない。なら、何か別の――そう言えば、この前は光と金属までも操っていたっけ。……そこまで考えて、カレルヴォさんが言っていた言葉を思い出した。
「風と光では雷になるから、ですね?」
そうだ、とあっさりした肯定。ここまで訊いてしまえば、もう核心を突いたも同然だ。意を決して、問う。
「ベイルさんは、〈竜の寵児〉なんですか?」
「遺憾ながらな」
二度目の肯定も、あっさり過ぎるほどだった。
「風と、光と――金属も使ってましたよね?」
「いや、地属は魔道具を使ってるだけだ。三重属性保持者なんてのは、さすがにこの世に生まれた試しがねえ。竜になら、そういう奴もいるのかもしれねえが。ともかく、雷撃は流水じゃ防げねえ。それは念頭に置いておけ」
そう結び、ベイルさんは私の頭から手を離した。頭が軽くなったのでタオルを取り、ポケットに入れていた櫛で髪を梳かす。
すると、不意にベイルさんは何やら思い出した風で、
「そう言えば、この前の話の続きがまだだったな」
「この前? ですか?」
「一昨日、訊きたいことがあると言ってたろう。〈爪〉連中の邪魔で、随分と先延ばしになったが」
言われてみれば、そんな会話もしたのだった。エジードさんとの戦闘を挟んだせいで、すっかり忘れていた。
ベッドの方へ歩みながら、ベイルさんが問う。
「何を訊くつもりだった?」
「……ナタンさんと街で会った時、怒っていましたよね?」
「そんなこともあったな」
「それが、その――どうしてだったのかなあって……」
ベッドの上のコートを取り上げ、テーブルの傍に戻ってくると、ベイルさんは「ふむ」と小さく唸った。その様子は答えを渋っているようには見えなくて、少しだけほっとする。
「面倒な話になるが」
「あ、いえ、話したくないことなら」
構いません、と付け足すと、ベイルさんは首を横に振った。
「そんなことはねえさ。面白くもねえ話なのは確かだがな。それでも、聞きたいかい」
迷わなかった訳ではないけれど、無言のまま頷いた。
「分かった。とりあえず、これでも羽織って座れ。短く終わるかどうか、自信がねえからな」
差し出されたコートを、少し躊躇ってから受け取る。
「ベイルさんは」
「俺はいい」
座れ、ともう一度促され、今までベイルさんが座っていた椅子に座る。ベイルさんは私のすぐ隣――テーブルに浅く腰掛けるようにして、静かに話し始めた。
「軍だとか国家だとかってのは、兎角異端に対して敏感で、排除したがる傾向にあってな。その反面、一度利用価値を見出すと、一転して束縛に近いほど強固に組織に組み込もうとする」
「竜騎兵――あ、もしかして〈竜の寵児〉も、ですか」
「そうだ。グナイゼナウ部隊も、同様の意図の下に創設された特殊部隊だった。だが、その末路は前にも話したろう」
頷く。あんな理不尽すぎる最期、忘れられる訳がない。
「利用価値が高い――特に戦闘能力に秀でてる奴は、状況が反転すると、比例して厄介な存在になる。そして、国や軍を動かす連中は、その仮定を想定して動きたがる。お前も、いくらかは体験したかもしれねえが」
「……はい。少し、分かる気がします」
疎まれ、忌まれていた竜騎兵団がそれと同じだけ頼られていたのも、そういう理屈なのだろう。
「だが、俺は俺の目的の為に戦ってただけで、国や軍に忠誠を誓ってた訳じゃなかった。だから、死ねと命令されたところで大人しく従う理由なんざ、ありゃしねえ。国の為に命を捧げろだとか言われても、そんな高尚な自己犠牲の精神は持ち合わせちゃねえしな。それでも連中はあれこれ条件を突きつけて、命じる訳だ。その手の横暴が、俺は嫌いでな」
口調は淡々としていたけれど、ベイルさんがどれだけその「横暴」を嫌っているかは、ひしひしと感じられた。
「かつて自分が受けた理不尽を、ハーデはそのままお前に課してる。それがどんな苦痛を与えるのか知りながら、だ。俺はそれが気に食わねえ。――お前は、前に何故ここまで首を突っ込むのかと訊いたな。これがその理由だ」
「ハーデさんやニーノイエの、思い通りにさせたくない?」
「ああ。連中を放置するのは、他の何を差し置いても我慢がならねえ。悪いが、俺は義侠で立っている訳でも、親切で動いている訳でもねえのさ。全て私情だ」
「いえ――」
その方が楽でいい、と続けかけて、止めた。止めておいた。
「後は、商会のお仕事だから、ですよね」
「それも理由の一つに数えられなくはねえがな。実際のところ、俺の中であれの比重は大きくねえ。商会に属さずとも、ヒューゴのようにギルド所属の独立傭兵として十分に生きていける。商会には機会があったから、たまたま属してるだけだ」
肩をすくめる仕草。淡々とした声音が続く。
「まあ……正味な話、翠珠とニーノイエが開戦しようが、商会の立場が悪くなろうが、俺はどうでも良くてな」
それほど思い入れはない、とは先に聞いていたものの、その言葉には驚いた。商会は翠珠の国と切っても切れない関係にある。戦争になれば、関わらずにはいられないはずだ。
「正確に言えば、俺はこの世界のほとんどに興味がねえ。どこで誰が死のうが、どの国がいつ滅ぼうが。何が起きようと、起きまいと。そういう性分らしい」
どこまでも落ち着き払った、静かな言葉。
逆に、それが身体をすくませた。深い闇を覗いているような感覚。何か言おうと口を開いて、それなのに蚊の鳴くほどの声さえ出てこない。直生、とベイルさんが私の名前を呼ぶ。
「無理して理解する必要はねえし、受け入れる必要もねえ」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に首を横に振っていた。
違う、そういうことを言いたいのじゃない。そう思うのに、何一つ言葉は出てこなかった。言いたいことはあって、分かっているのに、それをどう言えばいいのか分からない。
「話は終わりだ。本を借りてきたんだろう」
読んだらいい、とベイルさんは離れていく。その背中を見ながら、結局私は何も言うことができなかった。




