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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第三章
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花降る街・三

 ふっと意識が覚醒し、目を開ける。薄暗い天井が見えた。もうすっかり夜になってしまったらしい。起き上がると、ぐるる、とお腹が鳴った。溜息を吐きつつ、ベッドから出る。

『ベイルは食事に出ているようだ』

 靴に足を突っ込んでいると、エンデが呟いた。そっか、と囁き返し、立ち上がる――と、扉をノックし、鍵を開ける音が聞こえた。どうしようかと迷っているうちに扉が開き、天井の白い石に光が灯される。光に痛む目を細めてベッドを離れると、お盆を片手に持ったベイルさんが部屋に入ってくるのが見えた。

「起きてたのかい」

「あ、はい、ご迷惑をお掛けしました」

「迷惑だとは思ってねえから、謝罪は要らねえ」

 言いながら、ベイルさんがテーブルにお盆を置く。その上には青い野菜と薄切りのお肉を挟んだサンドイッチにスープ、淡い黄色のお茶らしき飲み物が載せられていた。

「食欲があるなら、食え」

「ありがとうございます、頂きます」

 お礼を言ってテーブルに着くと、ベイルさんもまた向かいに座った。折角なので、食事のついでにさっきの夢のことを伝えてしまうことにする。記憶を少し取り戻せたこと、龍の腕を封印し直したこと、ニーノイエでのこと――他にも色々。

「なるほどな。竜騎兵団は全て、ハーデの統括下にあるのかい」

「そのはず、だったんですけど……〈爪〉以外の二部隊、〈(コルミロ)〉と〈(コーラ)〉は、大臣達に奪われてしまったんです」

「だからか。どうりで追手が少ねえ訳だ。で、竜騎兵団はニーノイエにいた竜の亡骸から作った魔道具を扱う部署だった、と」

「はい。〈爪〉は最初に作られた部隊なので、特に魔導具の扱いに慣れた人ばかりで……私もたくさん、教わりました」

 そこで兵士として、半年ばかり訓練を受けた。何度か死にかけもしたけれど、それでも誰も殺さなかった。

 そう呟くと、「そうか」とベイルさんは小さく頷いた。

「殺さずに済んでいたなら、それに越したことはねえ。辛かったろうに、よくやったな」

 静かに投げられた言葉に、じわりと涙が滲みかける。それを誤魔化すように、パンを口に押し込んだ。答える代わりにもぐもぐと口を動かしていると、重苦しい溜息が落ちる。

「ハーデも、馬鹿なことをしやがったな」

 珍しく、その声は嘆いているようにも聞こえた。口の中のパンを飲み込んでから、尋ねる。

「竜の亡骸を使ったことが、ですか?」

「何もかも、だ。ハーデの竜騎兵団は、かつてのグナイゼナウ部隊と全く同じだ。力を得る為、忌まれる全てに目を瞑った」

 分かるようで、分からない言葉だった。

 この世界では、竜が崇拝されている。その墓を暴き、亡骸を利用することは、確かに忌まれることなのだろう。けれど、グナイゼナイ部隊も、というのはどういうことだろう。ナタンさんの言っていたことに関係があるのだろうか。最も竜が憎み、竜を憎む――とか何とか、言っていたっけ。

「まあ、その話はまた今度にするとして、今はお前の話だ」

 問い掛けようとした瞬間に発された一言は、私の思考を読み取ったかのようだった。そう釘を刺されてしまっては、何も言えない。仕方がないので、スープの野菜をつつくことにする。

「他に、思い出したことはあるかい」

「そう言えば――私、と言うか、水竜の腕? を使うことを、ハーデさんは〈ナーダ計画〉と呼んでいました」

虚無(ナーダ)? ……ふん、相変わらず詩才のねえことだな」

「どういう意味なんですか?」

「虚無を意味するアルトの古語だ。――ともかく、お前がどこかの国の手に落ちるのだけは防がねえとならねえな。そんなことになりゃ、後に残るのはただの地獄だ」

 素っ気なく聞こえるほど、平らかな音で紡がれた言葉。その意味を理解するのに、妙に時間が掛かった。

「……地獄、ですか」

「そうだ。『湖岳の血戦』ですら生温い――そうさな、一種の悪夢と言っても良い。後に残るのは、それこそ虚無のみになる」

「それを、ハーデさんが――私が? そんな、まさか」

 問い返した声は、抑えようもなく震えていた。

「武器も兵器も、使い道があるからこそ――使う為にこそ、作られる。そういうものだ」

 ベイルさんの語り口は、不思議なほど確信に満ちていた。けれど、私はまだ何も分からない。ベイルさんが何を理解しているのか、私が何をできてしまうのか。……本当に、何も。

「……私は、自分にそんなことができるなんて、とても思えません。でも、ベイルさんは、そう思うんですよね」

 もう一度尋ねると、「ああ」と二度目の肯定。

「それは――その根拠は、何を知っているからですか?」

 必死に考える。上手く訊かないと、きっと真実には辿りつけない。誤魔化されるとかではなくて、ベイルさんはこの話題について、自分から答えを教えてはくれないような気がした。

 ひょっとしなくても、ずっと前からベイルさんは私の兵器としての力だとか、事情だとか、そういうものに気が付いていたのだろう。だからこそ、時折ヒューゴさんやシェルさんが不思議に思うような行動を取っていたのではないか。

 そんなことを考えながら、言葉を選びながら言うと、

「お前は、馬鹿じゃねえ」

 真意の読めない言葉がもどかしい。そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、今聞きたいのはもっと違う言葉だ。

「少しずつでも思い出していけば、遠からず自分で答えを見付けられるだろう」

「そうした方が良い、と言うことですか?」

「本質を理解するには、な」

 結局、答えは教えてもらえないらしかった。はふ、と溜息を吐く。脅威の原因が分からないというのは、結構辛い。

「もっとも、お前が力を使うなら、どの道大したことにゃならねえような気もするがな。どんなに強い力を持っていようと、お前はそれを破壊や殺戮に使うとなれば、躊躇うだろう」

 それはそうだ。戦うことは恐ろしい。誰かを傷つけるのも、傷つけられるのも、怖い。でも、それはそう感じる、そう思うというだけの話に過ぎない。現に――

「ニーノイエで、殺せと言われて、何度も死刑囚だという人と戦いました。それでも殺さずに済んだのは、ハーデさんが見逃してくれていたからで、そうじゃなかったら、きっと……」

「仮定の話に意味はねえさ。結局、殺さなかったんだろう」

 懺悔めいた告白にも、ベイルさんはあっさりと言う。その態度は妙に確信的で、やたらに反発したいような衝動に駆られた。

「でも、それは、それが許されて、逃げていられたからです。自分の命と天秤に掛けて、逃げられなかったら」

「繰り返すが、仮定の話はどうだっていい。他人を切り捨て、殺すことを即座に決断できると――お前は自分にそれができると、本当にそう思うのかい」

 返答に詰まる。そんな状況にあったら、私はまず怯え、迷うに決まっていた。それだけは、否定しようがなかった。

「ほら見ろ。どうしたって、お前は躊躇うだろう。だったら、その躊躇ってる間に、俺がお前を殺してやる」

 淡々と告げられた、その一言。恐ろしいはずの言葉に抱いたのは、驚きと――そして何より、感謝だった。

「……ありがとう、ございます」

「礼を言うのもどうかと思うがな。――まあ、お前がその決断を迫られるのは、俺が任務をしくじって、最悪死んだ後のことだ。余り考えたい話じゃねえな」

 さらりと告げられた言葉に、一瞬、呆然とした。つまり、それはこの仕事に命をかけてくれるということなのだから。

「何を驚いた顔してる」

 私の一瞬の驚きすらも見逃さなかったらしく、ベイルさんが怪訝そうな顔で言った。

「や、その、何でもないです、はい」

「……まあ、追及はしねえが。ともかくアイオニオンへ着けば、お前は故郷に帰れる。見えねえ脅威に怯えるより、目的の為に力を注ぐ方が建設的だ。戦い方も少しは思い出したかい」

「あ、はい、本当に少しですけど」

「なら、明日の鍛錬は昨日ほどの手加減はしねえでおくか」

 そう言われた瞬間、記憶を取り戻したことを早くも後悔しかけたことは、秘密にしておこうと思った。



「一日寝込んでたと思ったら、朝から生傷作って、全く」

 溜息を吐きながら、ヒメナさんが私の頬に湿布を張る。冷え切った感触に、ぶるりと身体が震えた。

 昨夜の宣言通り、朝早くから鍛練は開始された。その結果はヒメナさんの反応そのままに、ひどいものだ。左頬は腫れ、口の中も何箇所か切れている。ついでに右脇腹には大きな青痣、腕にもいくつか青とも緑ともつかない斑点が浮いている。

「ほんと、隊長は容赦ないわね。顔、もっと腫れるわよ?」

「大丈夫です。敵が顔を狙わない保証も、ないですし」

「心意気は立派だけど、ナオは傭兵でも軍人でもないでしょ。ただの子供、しかも女の子が顔を腫らしていいなんてことは、絶対にないのよ。もう少し上手くやりなさい」

 諭すように言いながら、ヒメナさんは救急箱を閉じた。ありがとうございました、とお礼を言いつつ、服を着る。

「そう言えば、朝食の準備中ですよね? すみません、すっかりお邪魔してしまいました」

「何言ってるのよ、気にしなくていいわ。第一、自分で全部手当てするのは無理でしょ? 隊長に手伝わせる訳にもいかないし」

 それもそうだ。因みに、ベイルさんは朝刊を買いに出掛けていて、今はいない。

「それじゃ、お手伝いします。何かありますか?」

「あら、そう? 本当にナオは律義よねえ。――テオ! 何かナオに手伝ってもらうことある?」

 すぐ隣の、もうもうとした熱気に包まれたキッチンに足を踏み入れながら、ヒメナさんが問い掛けると、

「それじゃあ、野菜の皮でも剥いてもらおうかな」

 キッチンの奥でオーブンの様子を見ていたテオドロさんが、こちらを振り返って言った。

「じゃ、ナオ、そこの流しでお願いね」

 ヒメナさんが指さした広い流しの中には、こんもりとジャガイモが盛られていた。包丁で皮を剥き始めると、テオドロさんがオーブンを開ける。ふわりと焼き立てのパンのいい匂いした。

 胃を刺激する匂いに、ぐう、とお腹が鳴る。吐く可能性を考えて、今回は朝食の前に鍛練を開始したのだった。

「……すみません」

「だから、そう謝ることないわよ。あれだけ散々殴り合いしてれば、そりゃお腹もすくでしょう」

 隣で皮の剥き終わったジャガイモを刻んでいくヒメナさんが、からからと笑う。その口ぶりだと、まるで見ていたみたいだ。顔を上げてヒメナさんを見ると、「ええ」と頷きが返された。

「ここの窓から、見てたの」

 流しの前にある窓が示される。促されて見れば、確かに裏庭が一望できた。なるほど、だから鍛練の終了を見計らったようなタイミングで声が掛かったんだなー。

「そう言えば、今日はナオちゃん、祭りは見に行くの?」

 オーブンから取り出したパンを籠に入れながら、不意にテオドロさんが言った。私は首を捻る。

「ええと、明日に大事な用事があるので、それが終わったら、ちょっとは余裕が出てくるんじゃないかと思うんですけど」

「今日も何か予定があるの?」

 どうなんでしょう、とまた曖昧な返事を返すと、キッチンの入り口から声が聞こえてきた。

「姿が見えねえと思ったら、こんなところにいたのかい」

 朝刊を片手に持ったベイルさんだった。ジャガイモを刻む手を止めて、ヒメナさんが入口を振り返る。

「ちょっと借りてたわ。返した方がいい?」

「そこまで行動に口を挟むつもりはねえ」

「そう。ところで、今日の予定は?」

「特に決まってはねえが、午前中は休んでいるべきだろうな」

 そうね、と私の顔をちらりと見た後で、ヒメナさんが頷く。

「だったら午後、少し頼まれてくれない? 知り合いのお店に、物を取りに行って欲しいの。後で地図は渡すわ」

「……その程度なら、構わねえか。分かった」

「助かるわ、ありがとう」

 ヒメナさんは、やけに楽しそうな顔で答える。その途端、ベイルさんが胡散臭いものを見るかのように、眉間に皺を寄せた。

「お前、何か企んでやがるな」

「真実企んでいたとして、素直に言うと思う?」

 ふふん、とヒメナさんが笑う。思わず見惚れてしまうくらい綺麗な笑顔なのに、ベイルさんの表情はどこまでも渋い。

「面倒は御免蒙る」

 不機嫌そうな低音にも、ヒメナさんはにやりと笑うばかり。

「断る権利なんて、ないわよ。前言撤回は受け付けないわ」

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