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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第二章
21/69

鏑矢は放たれた・八

「夕食だ、起きろ」

 頭の上から声がして、肩が叩かれる。近くにあった気配が遠ざかっていくのが、寝ぼけた頭に何となく感じられた。

 いつの間にか、寝ていたみたいだ。眠気で満足に働かない頭で考えながら、重い瞼を押し上げる。目を開いた途端に木目の天井が飛び込んできて、ぽかんとした。

「……あれ?」

 椅子に座っていたはずだと思うのだけれど。首を捻りながら起き上がると、何故か布団の中にいるだけでなく、脱いだはずのコートまで綺麗に畳んでベッドの隅に置いてあった。

「人を心配して自分が疎かになるんじゃ、意味がねえだろうに」

 ここ数日ですっかり聞き慣れた声がまた聞こえ、ようやく頭がはっきりした。慌ててベッドから降りて靴を履き、声の方へと向かう。ベイルさんはテーブルの脇に立ち、その上に広げた地図をじっと見下ろしていた。地図の脇には、大陸共通語がびっしり並んだ、写真入りの紙束も置かれている。新聞だろうか?

「あの、私は椅子に座ってました、よね?」

「座ってすぐに寝た」

「はあ……って、何でそれを――ま、まさか起きて!?」

「寝てようが、この部屋の中の様子くらいは把握できる」

 つまり、最初から全部筒抜けだった、と……。

「穴があったら、今すぐ飛び込みたい……」

「何を訳の分からねえことを」

「自分の間抜けさに、恥ずかしくなってるだけです」

「感謝はしてるがな」

 へ、と間抜けな声が漏れた。ぎょっとして見上げたベイルさんはいつもと変わらない様子で、何でもないように続ける。

「次は自分が寒い思いをしねえようにやってくれりゃ、尚いいってだけだ」

 語る声は、どこまでも落ち着き払っている。……ヒメナさんの言っていたことが、何となく分かった気がした。ベイルさんはいつだって落ち着き払っていて、慌てたり驚いたりするのはこちらばかりなのだ。逆恨みだけれど、不公平な気がしてしまう。

「何だ、そんなに目を見開いて。目玉が落ちるぞ」

 怪訝そうに言われて、我に返る。何を考えてるんだ、私は。

「や、その……ええと、何でしたか、夕食ですよね!」

 もう何が何だかな感じに訳が分からなくなってきていたので、無理矢理話を変えることにした。

「そろそろ部屋を出た方が、いいですよね!」

 そうだな、とベイルさんが地図を畳みながら頷くだけで、他には何も言わないでくれたのが、逆に少し情けなかった。



 客間の並ぶ三階から接客用の二階を経て、一階に下りる。一階の半分は従業員の生活空間で、夕食が用意されている食堂もその一つのはずだったけれど、いざ到着してみると、テオドロさんとヒメナさん以外に誰もいない。さっさと席に着くベイルさんに続いて、少し迷ってから椅子を一つ挟んで隣に私も座った。

「身内は全員食事を済ませていますから、後のことを気にすることはありません。ごゆっくり、どうぞ」

「それに訊きたいこともあるのよね。いいでしょ、隊長?」

「好きにしろ」

「ありがとうございます。あ、食べながらで構いませんので」

「うちの自慢の料理番が作ったのよ、どんどん食べてちょうだい」

 そんな会話の後に、食事は始まった。頂きます、と手を合わせてから、フォークを取り上げる。

「それで、護衛ってどこまでなの?」

「バドギオン」

「遠回りじゃない。セトリア突っ切った方が早いはずでしょ?」

「ホヴォロニカを通った方が、周りに被害が出にくい」

「何よそれ、追手がかかってるってこと?」

「ああ、それで俺達を訪ねてきて下さったんですね」

「そういうことだ。野暮な用事で悪いがな」

「俺達こそお世話になりましたからね、お安いご用です」

「そう言って貰えると助かる。――で、直生。敵の大将から伝言があるんだったな。ちょうどいい、今聞かせろ」

 不意に投げかけられた言葉に、ぎくりとした。スープ皿を持つ手が震えたことも、ベイルさんはきっと見逃さなかっただろう。

「わ、分かりました。――ええと、有象無象を差し向けるのは無駄でしかない、今後は自分の配下四名に絞る。それから、私達が勝っても負けても喜ばしい、とも言っていました」

「それで全部かい」

 鋭い声の問い掛けに、気まずい気分で頷く。

「お前は嘘が下手だな」

 すると、妙にきっぱりとした口調で言われた。ぎくりとして目を向けてみれば、凪いだ海のような眼差しが向けられている。

「そんなに後ろめたそうな顔で言うんじゃ、子供にだって見破られるぞ。――まあ、お前が伏せたことも、想像はついてる。気を使うんだったら、包み隠さず教えてくれた方が有り難い」

「……どういうこと? 隊長」

 ヒメナさんが怪訝そうに言う。私はもう、ヒメナさんの顔もテオドロさんの顔も見ることができなかった。

「言え、直生」

 停滞した空気を切り裂いて、有無を言わさぬ声が命じる。

「あのひとは『まさかの大物が釣れた』と言って、この話を『中佐に伝えると良い』と、言ったんです」

 三階の窓から飛び降りるような気分で言うと、ヒメナさんが掠れた声で「嘘」と呟いたのが聞こえた。じくりと、胸が痛む。

『そなたの罪科ではない』

 頭の中で、慰める声がする。ああ、そうだ、何度もこうやって励まされたんだっけ。覚えもないことを、思い出す。

「ベイルさんは……いつ、気付かれたんですか」

「昔、部下に赤い髪に緑の目の奴がいた。そいつは自力で数十人を一度に転移させるだけの力を持ってた。同等の技量のよく似た別人だと考えるより、同一人物を疑う方が現実的だろう」

 生物の転移はよほど卓越した術師でない限り、〈転移碑〉と呼ばれる施設を用いなければ、実行できない。――と、今一つ事情を把握していない私に、頭の中で声が補足してくれた。

「セトリアの傭兵が依頼主の情報を喋った時から、まあ……可能性は高いと踏んでた」

 私は何も答えられなかった。私がベイルさんと同じ立場に置かれたら、きっと現実的でない考えに望みをかけ、可能性がより高い選択肢から目を逸らしてしまうだろうと思った。

「だが、これで確信が持てた。敵はハーデ・ベルムデス。何がどうなって、ニーノイエに流れたかは知らねえがな」

「待って、隊長、本気? 本当にハーデと戦うの!?」

「ハーデは一体、何をしたんです?」

「とんでもねえことさ」

 血相を変えるヒメナさんとテオドロさんに、ベイルさんは短くそれだけを言った。ひょっとしたら、説明する気はないと言う意思表示だったのかもしれない。

「はぐらかさないで! ハーデは私達の仲間だわ。部隊は取り潰されて、散り散りになった。それでもまだ仲間のはずよ!」

「それがどうした」

「ハーデが道を違えたなら、その目を覚まさせるのは私達の役目よ。そうする為に情報が必要なのは、当たり前でしょう!」

「もうそんな段階はとうに過ぎた」

「どうして!」

「あいつは、文字通りの逆鱗に触れた。もう、戻れはしねえ」

 ベイルさんの声は氷のようだった。ヒメナさんが目を見開く。その隣で、テオドロさんが沈みきった声で言った。

「ハーデは、竜に手を出してしまったんですね。もしかして、ナオちゃんにも、何か」

「故郷から拉致してきた挙句、戦争の道具に仕立てた」

 そうですか、と呟いたテオドロさんが目元を手で覆う。

「それでは確かに、もう全ては遅く、到底許されることでもないのかもしれません。……隊長は、何故ハーデがこんなことをしたのか、ご存知ですか」

「いや」

「せめてもう少し、原因を突き止める猶予を頂けませんか」

「無理だな」

「何故です」

 淡々とした否定に、テオドロさんは縋るように食い下がる。それでもベイルさんは一貫して、同じ言葉を繰り返した。

「ハーデは既に、島一つが沈むだけの戦力を投入した。下手に長引かせりゃ、被害が拡大するだけだ。最悪、ニーノイエと翠珠の全面戦争が始まる。そして何より、俺自身があいつの行動を許容しねえ。邪魔をするなら、排除するまでだ」

「……でも、ハーデと戦うなんて。見過ごせないわ」

 弱々しく頭を振って、ヒメナさんが呟く。

 ――その瞬間、総毛立つほどの寒気が全身を襲った。

「なら、お前も俺の敵になるか」

 恫喝でなく、叱責でなく、ただひたすらに平坦な声音。

 けれど、その声、その言葉は、今までに見聞きした何よりも恐ろしかった。首筋に研ぎ澄まされた刃を宛がわれているような錯覚。冷や汗が吹き出し、身体が竦んで震える。

 きっと、これが正真正銘の殺意というものなのだろう。

「……いいえ」

 短い沈黙の後、テオドロさんが押し殺した声で答えた。

「それは、できません。今の俺達には、守るものがあります。死ぬ訳にはいきません」

「そうかい」

「けれど、隊長、本当にハーデを?」

「さあな」

「……本当に、意地が悪いわ」

 ヒメナさんが溜息を吐く。いつの間にか、あの重苦しい空気は消えていた。ほっと息を吐いて、食事を再開する。

「殺すとは限らねえ。だが、あっちが強硬策で来る以上、穏便な終わり方なんてのは有り得ねえだろうよ」

「何があったのかしら。ハーデは戦好きじゃなかったはずよね」

「そんなことを、俺が知る訳がねえだろう」

「しかし、ちょうど今年のこの時期とは、間が悪過ぎますね」

「ああ。或いは、それも全て計算ずくなのかもしれねえ」

「おそらく、そうでしょうね。今年は四年に一度の大祭、醸成(かもな)の祭りも長引きます。足止めには絶好の機会です」

「ハーデの部下がどれだけの手練かが問題だな。――ともかく、明日はケラソスに会いに行ってみる必要があるか」

「ええ、事情を説明しておいた方がいいでしょう。彼女は極めて争いを厭う。竜に纏わる事件でもありますしね。木の根元へ向かえば、あちらから迎えてくれると思いますよ」

 それでやり取りは一段落したらしい。会話が途切れる。沈黙の中、フォークでサラダを小皿に取り分けていると、

「そう言えば、ナオはメリノットの出なのよね? もしかして、ミスミからの移民?」

「はい、そうです」

「どうりで珍しい響きの名前だと思ったのよねえ。それじゃ、醸成の祭りについても知らないでしょ?」

「はい……不勉強ですみません」

「何言ってるのよ、メリノット人なら知ってる方が驚きだわ。醸成の祭りは、毎年赫林(かくな)の月の終わりに開かれるお祭りでね。今年は四年に一度の大祭だから、期間もずっと長くなるのよ」

「四年に一度、何か決まりがあるんですか?」

「いや、単純に土地の性質だよ。ホヴォロニカの国土が強い風属を帯びていることは知っているかな」

「あ、はい。知ってます」

「決まって赫林の月の終わりに、ホヴォロニカの土地は一年間溜め込んだ魔力を放出するんだ。あちこちで竜巻が起こって危ないから、その日は街の外に出ないよう定められててね」

「ずっとですか? 不便じゃないですか?」

「不便は不便だけど、仕方ないもの。しょうがないから、時期もちょうど良いし、収穫祭でもやっちゃおうと思ったんじゃないかしらねえ、昔の人。領主やお役人達は、竜巻を弾く結界やら何やらで気が気じゃないでしょうけど。今年は特に長いし」

「どれくらいなんですか?」

「新聞の発表じゃ、十四日ね。最長がカトライトの十六日」

「うえっ!?」

 予想以上に長かった。テオドロさんが苦笑を浮かべる。

「面倒なことに、四年に一度の周期で放出の度合いが変わるんだよ。普通なら一日前後発生して終わるんだけど」

「大祭が始まる前に次の街に行くのは、無理なんでしょうか」

「慌てて次の街に移っても、そこで足止めを食うだけだ。だったら、争いを厭う竜の膝元にいた方が安全だろう」

「そうそう、アランシオーネはケラソスのお陰で安全が保証されてるから、他の街より人が多く集まるのよ。露店も、吟遊詩人や雑技団もたくさん来るわ。手放しには喜べないだろうけれど、中休みだと思って楽しんだらどう?」

 ねえ隊長、とヒメナさんがベイルさんに話を振る。ベイルさんは食事の手を止めることなく、

「護衛つきで良けりゃな」

「い、いいんですか?」

「毎日は勘弁して欲しいが」

「そんな、一日で十分です」

「そうかい」

「――って、ちょっと! 隊長、それはないでしょ!」

 何が、とベイルさんが怪訝そうな目を向ける。ヒメナさんは呆れ果てたという風で溜息を吐いた。

「そこはもう少し気の利いた返事をすべきでしょ? 頷いてどうするのよ! 本当、愛想ってものが致命的に欠けてるんだから。いくら女嫌いでも、もう少しねえ」

「別に嫌いだって訳じゃねえがな」

「でも、好きでもないでしょ」

「まあな」

「前々から思ってたけど、隊長って結局何なの? 女に興味なくて男は更に眼中になくて、何、禁欲主義って奴?」

「単なる個人主義」

「微妙にズラした答え方しないで欲しいんだけど」

 ……何となく、ソリゾジーニャという言葉の意味が分かってきた気がする。それにしても、反応に困る話題だなあ……。

「この際だからもう全部訊いちゃうけど、今まで誰かこれと思った人はいなかった訳? ……少将は?」

「ただの上司」

「仕事でも色々あったでしょ?」

「仕事に挟む私情はねえな」

「模範的すぎて殴りたいわ」

 ……どーして、どんどん突っ込んだ話になっていくのだろう。ベイルさんもはぐらかすとか答えないとか、そういう反応をするかと思ったのになあ……。

「あー、ほら、ヒメナ、ナオちゃんが困るから。そういう話はまた別の機会に」

「ナオがいるからこそ、はっきりさせておいた方がいいのよ。二週間以上も同じ部屋で寝起きするんだから。それ以前に、何で護衛が隊長一人なのよ」

「後で二人合流する」

「……もしかして、また男?」

「ああ」

「気が利かないにもほどがあるわ」

「手落ちがあるのは事実だから認めるが、事情が事情だ。不用意に話を広げる訳にもいかねえ。仕方がねえだろう」

「そうかもしれないけど、ナオだって辛いでしょ」

「――はい?」

 なるべく話を聞かないよう、食事に集中していたせいで反応が遅れた。取り皿から顔を上げると、ヒメナさんが妙に怖い顔で私を見ている。一瞬、素でびびった。

「こんなのと四六時中顔を合わせて、辛くないのって話」

「ええと、本当にとても親切にしてもらってばかりなので、辛いこととかは、何もないです」

 そう言うと、ヒメナさんは一層渋い顔でベイルさんを見た。

「隊長、脅してる?」

「お前は俺をどうしても悪役にしたいらしいな」

「ただの親切心よ」

「有難迷惑って言葉を知ってるかい」

「残念、初耳だわ。チラシの裏にメモして捨てとく」

 そろそろ満腹だ。ことりとフォークをテーブルに置く。

「ナオちゃん、もういいの?」

 すると、それを待っていたかのように、テオドロさんが声を上げた。頷いて見れば、ほっとしたような顔をしている。……テオドロさんも、さっきの話に困っていたのかもしれない。

「はい、ご馳走さまでした。美味しかったです」

「いえいえ、お粗末さま。今から三階で用意をするんじゃ大変だから、身内の使った後で構わなければ、浴室を使っていったらどうかなと思うんだけど」

「あ、じゃあ、お願いします」

「うん、置いてあるものは自由に使ってくれていいからね。それじゃヒメナ、浴室に」

「はいはい、相変わらず話を変えるのが下手ね」

「ほっといてくれ」

「ま、良いけどね。ナオ、行きましょ。案内するわ」

「あ、でも片付けが――」

「テオがやるから良いわよ。ついでに他に使いそうな部屋を教えておくから、ついてらっしゃい」

「あ、ありがとうござます……」

 ヒメナさんに促されるまま、席を立つ。入口の方へ向かいながら、頭を下げた。

「ええと、それじゃ、お先に失礼します」

 ああ、とベイルさんが頷くのを見ながら、リビングを出た。

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