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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第二章
19/69

鏑矢は放たれた・六

『久しぶり――と、言うほどでもないか』

 斜に構えた笑みを浮かべ、その人は言う。流れる長髪は深い紅で、涼やかな双眸は鮮やかな緑。線の細い男のひと。

 ふと、背後に気配を感じた。振り向こうとして、振り向く前に白く細い腕に背中から抱き締められる。

『相変わらず、それは君に懐いているな』

 からかうような声。しゅるる、と背後で上がる威嚇音。

その音に触発されて、いくつかの情報の断片が脳裏を過った。深い親愛を私に注いでくれた「彼女」は、それと同じだけ、皮肉げに笑うこのひとを嫌っていた。

『さすがの魔祇(まぎ)も、こうなってしまっては罵倒の一つも叶わないか。いや、滑稽滑稽』

 威嚇が高まる。片手を挙げて止めると、渋るような気配と共に音は消えた。赤い髪を揺らせて、あのひとが笑う。

『君は従僕と違い、いつも理性的で助かる。――中佐に伝えてくれ。あなたの前には有象無象は塵芥に同じ、無駄でしかない。今後の追手は私の配下、四人に絞る。貴方が勝っても負けても、私にとっては喜ばしい。竜の腕を宜しく頼む、と』

 さらりと告げられた言葉に、目が見開く。

 もしかして、と口にしかけた問いは、抱き締める手に「止めておきなさい」とでも言うように腕を叩かれたことで呑み込んだ。勢いで訊きそうになったものの、肯定されてしまったら、それはそれで立ち直れなくなるような気もした。

「伝言をしろ、それだけですか?」

『ああ、それだけだ』

「それじゃ、不公平ですよ。報酬とか、ないと」

 冗談半分で言うと、あの人はおかしそうに笑った。それもそうだな、と言って、右手を翳す。

『では、その蛇を君に返してあげよう。私には何ら価値がないからね。伝言のご褒美だ。――さあ、行きなさい』

 刹那――真っ白に統一された世界が、反転。

「……っ!」

 がくん、と前後に揺れる感覚。

 はっとして顔を上げると、あの果てしないばかりの白さは跡形もなく、周囲は見慣れた草原に戻っていた。

「戻ってきたかい」

 耳に飛び込んできた声に、思わず肩が跳ねる。

「単なる対話用の術式だったから、邪魔しねえでおいたが」

 問題はなかったかい、と問う声に頷く。

「多分、私をこちらに呼んだ人で――伝言、が」

 答えながらも、隣を見上げることはできなかった。辺りを見回し、誤魔化すように――けれど、確かな驚きをもって言う。

「もう、終わったんですか」

 辺りには、さっき現れた男の人達が一人残らず倒れ伏していた。もしかして、と冷や汗が頬を伝う。

『死んではおらぬ。皆、生きている』

 頭の中で、声が響いた。よく知った声――彼女(・・)だ。

 その声に励まされ、軽く息を吐いて心を落ち着ける。

「大した腕でもなかったからな」

 ベイルさんがさらりと手厳しい評価を口にすると、それに低く罵り返す声があった。

「くそ、ようやく思い出したぜ」

 声の方へ目を向ければ、倒れていた男の人が一人、歯を食い縛って顔を上げるところだった。額から赤い血が流れている。

「てめえ、アルトゥールの一番隊長だろ。化け物の相手なんざ、してられっかよ。俺だって命が惜しい、もうお前らには手を出さねえと誓う。だから、見逃してくれねえか」

「先に仕掛けてきたのは、そっちだ。都合が良過ぎるな」

 掠れた声の命乞いにすら、対する声は冷たい。男の人は渋面になり、ゆるりと頭を振る。

「依頼人の情報も、依頼の内容も全部話す。頼むぜ」

「それだけで?」

「噂通りの冷血っぷりだな、分かった、何でも言うことを聞く。そっちの望みは何だ」

「お前に叶えられるような望みは、何もありゃしねえさ」

 一片の淀みもなく、ベイルさんは言い切る。男の人の顔が、さっと青ざめた。その絶望の表情が、かつて対峙した誰かに、重なって見えたような気がした。

「ベイルさん!」

 気付けば、その名前を呼んでいた。

 口を出すべきではない。それは、分かっていたけれど。

「もう、行きましょう。ここで足止めされてたら、目的地に着く前に日が暮れちゃいますよ」

「始末に時間は掛けねえさ」

「――そうじゃなくて!」

 どうしてこんなに必死なのかは、自分でも分からなかった。ただ、目の前で人が死ぬ――殺されるということが、どうしても恐ろしくてならなかった。

「あの人は、もう手を出さないと言いました。他の人だって、もう動けません。十分じゃないですか」

「見逃す、その甘さが命取りになることもある」

「ならないかもしれませんよね」

「なるかもしれねえし、ならないかもしれねえ。――が、万一なってからじゃ遅い」

 淡々と畳み掛けられて、言葉に詰まる。

「情けをかけた相手に寝首を掻かれたんじゃ、笑い話にもならねえだろう。少しの間でいい。目を閉じて、耳を塞いでろ」

 できません、と首を横に振る。これだけは譲れない。

 会話が途切れ、寒々しい音を立てて風が流れていく。それ以外には何の音もない、ひたすらな静寂。

「……分かった」

 ぽつりと、呟きが落ちた。驚いて隣を見る。ゴーグル越しで窺えないものの、確かにこちらを見下ろす目があった。

「そこまで言うなら、見逃すさ。――ただし」

 そこで言葉を切り、ベイルさんは倒れたままこちらを見上げている男の人へ目を向けた。

「口止めはするし、相応の対価は払ってもらうがな」

 そう言い放つや、ぞっとするほど冷たい風が流れた。呻き声があちこちから上がる。

「依頼主と依頼内容を吐いたら、全員連れてとっとと消えろ」

「あ、ああ……」

「今掛けた呪いがどんなものかは、分かるだろう」

「喋れば、俺達を殺すんだろう」

「見逃すといった建前、そこまではしねえさ。精々が利き腕の反応が鈍るくらいだ」

「十分じゃねえかよ」

 渋い顔で言って、男の人は溜息を吐く。それでも、呪いを受けたにしては安らかな表情で、ぽつぽつと語り始めた。

「俺はセトリアの傭兵だ。今日の昼前、妙な奴がギルドに依頼に来た。赤い髪に緑の目の、色白で細っこい野郎だった」

 訥々と紡がれる言葉に、どくりと心臓が跳ねる。

「前金で金貨十枚。標的を連れてくりゃ、更に十五枚出る。しかも、標的んトコまでタダで転移させてやるって触れ込みだ」

「明らかに胡散臭いだろうが」

「だからって、こんな儲け話を見過ごせるかよ。とにかく、それで俺達はここまできた。こんだけの人数を軽々転移させるって時点で、おかしいとは思ってたけどよ」

 そこまで言って、男の人は言葉を切った。

「それだけかい」

「それだけだ」

「……予想通り、大した手掛かりにゃならねえな」

 溜息を吐いて、ベイルさんはハーヴィに魔力を込め直す。

「一つ忠告しておいてやる。しばらくはメリノットか、更に東にでも逃げてるんだな」

「分かってる、おっかなくてセトリアにゃ戻れねえよ」

「それが賢明だ」

 そう言って、ベイルさんは再びハーヴィを発進させる。私はただ目を瞑り、座席に身体が押しつけられる圧力に耐えていた。



 巨大な木のシルエットが見えてきたのは、空の端が赤くなり始めた頃だった。近付いていくと、その途方もない大きさが身に迫って分かる。街を囲む壁は国境の街の数倍はあろうかという規模なのに、上空をすっぽりと赤や黄に染まった枝葉が覆っている。

 ぼうっと見惚れていると、淡々とした声が聞こえた。

「あの樹は竜の名を取って、ケラソスと呼ばれてるそうだ」

 そうですか、と相槌を打ちながら、私はまだ悩んでいた。昼間の襲撃以来、初めての会話らしい会話。言わなきゃいけないことがあるのは、分かっているつもりなのだけれど。

「さっきのことだが」

 迷っている間に、ベイルさんが再び切り出してくれた。

「シェルも言ってたろう。傭兵は自分の意思で戦場に身を置く。何があろうと自己責任、憐憫や同情は誇りを傷つけるだけだ」

「……よく、分かりません」

「理解し難いだろうし、割り切れねえだろうとも思うがな。殺す意思を持って剣を取ったなら、殺される覚悟もすべきだ。そうでなくとも、今はお前の安全が最も優先される」

「……でも、人が血を流すのは、どうしても」

 恐いのだ、とまでは言えなかった。口ごもると、ベイルさんが溜息を吐く。やっぱり、不愉快に思うのだろう。

「分かった。なるべく敵は殺さねえでおくし、致命傷も避けると約束する。代わりに、采配は任せてもらえるかい」

 静かに告げられる、許容の言葉。よかった――と息を吐こうとして、はたと気が付く。これじゃ、ただの繰り返しだ。

「す――すみま、せん」

 ほろりと口を突いて出たのは、そんな言葉だった。

「質問の答えになってねえな。それとも、自分に非があると?」

「たくさん迷惑を掛けているのに、また、我が儘を言いました」

 そう言うと、急にハーヴィが停まった。何事かと隣を見上げれば、ハンドルから手を離したベイルさんがゴーグルを外す。今まで隠れていた藍の双眸が、直に私を見下ろしていた。

「言っておくが。俺がお前を守るのは、俺が自分で納得して決めたことで、同時に仕事だ。襲撃があるのは、馬鹿なことを考えて騒ぎを起こしてる奴がいるからだ。何度でも言うが、お前に責任はねえし、俺に負い目を感じる必要もねえ」

「でも、護衛というのは、代わりに戦ってもらうことですよね」

「それが、気が咎めると?」

 頷くと、ベイルさんは眉間に皺を寄せ、頭を掻いた。

「俺が戦うのは、それが俺の仕事だからだ。それに対して罪悪感を持たれても、困るだけだ」

 すみません、と呟く。それ以外に何と言えばいいのか、分からなかった。強情だな、とベイルさんが溜息を吐く。

「さっきも転移を解いたし、敵の大将から何か情報も得てきたんだろう。それで十分、手柄だと思うがな」

「それだけ、で?」

「それ以上をさせるなら、俺は護衛失格だろうよ」

「そう、ですか。……分かりました」

「ああ。なら、これで手打ちだな。――で、さっきの答えはどうなった。あれで納得してもらえると、助かるが」

「あ、はい。我が儘を言って、すみませんでした」

 そう言って見上げたベイルさんの顔が、一瞬ひどく険しくなったように見えたけれど、見直した時にはいつも通りの表情があるだけだった。見間違いだろうか。ぱちぱち瞬いていると、

「お前はどうしてそう、自分を軽視する?」

 冷たいくらいに乾いた声。今度は、驚きで瞬いた。

「そんなこと、ないと思いますけど」

「ある」

 即答の断言だった。そんなにはっきり言わなくても、と思うくらい、きっぱり言い切られた。

「心配するのも、守ろうと思うのも他人ばかり。我がねえ訳でもねえのに、常に折れて譲歩して。挙句の果てには、元凶も責めずに一人で全部背負い込もうとしてるときた」

 一旦言葉を切り、ベイルさんはじっと私を見下ろした。

「お前は、もっと自分を守ることに意識を割くべきだ」

 その言い方じゃ、まるで私が自殺志願者か何かみたいだ。

 いくら何でも、それはないと思う。確かに周りは気になるし、譲歩することも多いかもしれないけれど、それは単に臆病だからだ。衝突を避けているだけであって、自分を差し置いて他人の為に動いている訳ではない……と、思う。

「そんなに自分を軽んじているつもりは、ないんですけど」

「だろうな。意識してやってるなら、そりゃ生き物として致命的に歪んでる」

「……私は、何か間違ってますか」

 途方に暮れて、問い掛けた。だって、そんなこと言われたって困る。そうやって生きてきて、それ以外は知らない。間違っていると言われたって、どうすればいいか分からない。

「悪いとも、間違っているとも言う気はねえさ。ただ、そのままじゃ、いずれお前は潰れる。それは嬉しくねえからな」

 そう言って、ベイルさんはゴーグルを着け直し、ハーヴィを再起動させた。

「お前は、優し過ぎる」

 溜息のようなその言葉にも、私は答えられなかった。

「最後に、一つだけ聞かせろ。お前は故郷に帰りたいから、その為にハイレインとの取引を受けた。そうだな?」

「それは――はい、そうです。故郷には、帰らなければ」

 頷き返すと、何故か沈黙が落ちた。

「……どうかしました?」

「いや――別に。何も」

 何もない風には見えないけれど、ベイルさんが何でもないというなら、そう思っていた方がいいのだろう。そうですか、と相槌を打つだけに留め、視線を行く手の大樹に戻す。

「アランシオーネまで残りわずかだ。飛ばすから、気をつけろ」

「は」

 い、と続けるはずの声は、風に吹き飛ばされて消えた。ついでに頭の上の帽子までも。慌てて背後を振り返ると、

「おっと――」

 ベイルさんの左手が閃くように伸び、帽子を掴んでいた。危うく飛び去りそうだった帽子を、頭の上に戻してくれる。

「悪い、急に加速しすぎたな」

「いえ、こちらこそ、すみま――」

「直生。言うべきは、それじゃねえだろう」

「へ? え、ええと……あ、ありがとう、ございます」

「正解。どういたしまして」

 ベイルさんの手が帽子から離れ、ハンドルに戻る。

「少し時間が押しててな。部下は日が落ちてからが商売の場所にいるんで、日が暮れる前に着いておいた方が手間がねえ」

「日が落ちてから……何のお店なんですか?」

「本来なら、お前のような娘を連れていく場所じゃねえが」

 珍しく、ベイルさんが苦々しそうにしている。

 居酒屋とかだろうか。だったら、確かに子供を連れていくところではない……のかな? 行ったことがないから、分からない。

「部下の見世は、花街にある」

 花街、と鸚鵡返しに呟く。ああ、と肯定する声も、また渋い。その名前と意味は、一応、時代小説に出てきたので、知ってはいる。いるの、だけれど。

「そ、そそ、れは、あの、その、何と言いますか、あばば」

「落ち着け」

「え、ええと、ですね、その、お、落ち着きます、ええ、落ち着いてますとも、はい。ものすごく」

「そのどこが落ち着いてんだ」

「だ、だってですね、あの、それって、お、女の人がたくさん、いるところ、ですよね?」

「一般的にはな」

「わ、私はお邪魔なのでは……」

「だから、落ち着け。部下が花街に見世を持ってるから向かうだけであって、それ以外の意図はねえ。あの手の店なら、昼夜を問わず人が動いてるからな。万が一、俺の目が届かなくなったとしても、誰かが代わりになれるはずだ」

「な、なる、ほど」

「もう少し容易な相手か、シェルかヒューゴが同行してりゃ、普通の宿屋に泊れるんだが。悪いが、しばらく我慢してくれ」

「だ、大丈夫です」

 キリキリ痛む胃には気付かなかったことにして、頷いた。

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