鏑矢は放たれた・五
部下がいて、「アルトゥ・バジィ国軍の最大戦力」なんて呼ばれていて。きっと、ベイルさんは軍でも相当に高い立場にあったのだろう。それなのに、今は傭兵をしている。どうしてだろう。
そこまで考えて、止める。気にならないと言えば嘘になるけれど、気安く訊いていい話でもない気がした。黙っていると、その思考を見透かしたかのように、ベイルさんは淡々と続ける。
「俺は、アルト国軍の非正規部隊に所属してた」
「非正規、ですか?」
「ああ。公には存在しないことになってた。俺も書類上は正規部隊の佐官になってたし、実際にそっちの仕事も掛け持ってた。あくまで本業は非正規の方だったが――まあ、上層部の連中にとっちゃ、大層使い勝手のいい部隊だったろうよ」
諜報から暗殺、前線での戦闘まで何でもやった。
乾いた声で呟くベイルさんは、私に話しているのではなく、ただ口に出して過去を思い出しているようにも見えた。
「部隊はグナイゼナウ少将の管理下、グナイゼナウ部隊と呼ばれた。終戦間際は、少将の私兵じみた扱いになってたがな」
「グナイゼナウ少将は……」
「直属の上司だった。今も軍で辣腕を揮ってるだろう。大人しく暗殺される御仁でもねえ。……俺は、その部隊の直接指揮を任されてた。最終階級は中佐――いや、戦死待遇で准将だったか」
「え?」
今、何か、さりげなく重大なことを言われたような。
「……あの、今、戦死って?」
「ああ。軍人だった頃の俺は、五年前に死んでる。講和条約を結ぶのに、邪魔になったらしくてな。あっさりと首切りだ」
どこまでも乾いた声で言われ、返す言葉に詰まった。邪魔になったから切り捨てるなんて、ひどすぎる。理不尽だ。
「部隊総出で斬首になるところを、少将の機転で助かった。表向き戦死にして、軍を抜け出してな。かつての部下で生き残った連中は、皆大陸中に散って好き勝手生きてるそうだ」
そう締めくくり、ベイルさんは口を閉ざした。
こんな事情があるのなら、誰にも過去を喋らなくて当然だ。処刑されたはずの人が生きているなんて知られてしまったら、大騒ぎになる。――なのに、どうして。確かに私は知りたがってしまったけれど、そんな軽々しく教えていいことじゃない。
「ベイルさん、こんな重大なこと、何で私に」
「そっちの事情を聞き出しておいて、こっちがだんまりってのも不公平だろう」
「そんな、私の事情は何も大事なことなんて」
「或いは」
断ち切るように、ベイルさんが強く言う。はっと口を噤むと、
「この五年、誰にもその話をしなかったからな。昔語りでもしたくなったのかもしれねえ」
平然と告げられた言葉。きっと、それは真実ではない。
そう思いながらも、私は否定する言葉を持っていなかった。
「じゃあ……ちょうどいいですね。私なら、ハイレインさんのところに送り届けてしまえば、話が広がることもないですし」
「そう言えば、そうだったな」
答える声はいつも通り淡々としていたけれど、それこそ嘘だろう。ベイルさんが仕事のことを忘れるはずがない。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることをした覚えはねえが」
その言葉に何故だかむず痒いような気分になり、私は逃げるように地平線に目を向けた。
「ホロスが見えてきたぞ」
ベイルさんがそう言って前方を示したのは、太陽の位置も随分高くなった頃のことだ。示された方へ目を向けると、遠く灰色の輪郭が見える。距離が近くなると、お馴染みの壁だと分かった。街を囲む壁の巨大な門の前には、ずらりと馬車やウェンテが並んでいる。監査待ちなのだろう。ハーヴィも最後尾に並んだ。
「ゴーグルと帽子は外しとけ」
ハーヴィを最低速にまで落とし、ベイルさんが言う。
「下手に顔を隠して、痛くねえ腹を探られるのも面倒だからな」
「分かりました」
頷いてゴーグルを外し、かぶっていた帽子も膝に乗せる。そうして待っていたのに、列は遅々として進まない。やっと順番が回ってきた頃には、すっかり待ち疲れてしまっていた。
「お待たせしました。ホロスへは、どんな用件で?」
「通過するだけだ。目的地はアランシオーネ」
監査役なのだろう人が近付いてくると、ベイルさんは鞄から一枚のカードを取り出した。問い掛けた人は注意深くカードを受け取ると、何やら呟き始める。魔術で調べているようだった。
「……確認しました。どうぞ、恙無く任務を終えられますよう」
短い間の後にそう言うと、監査役の人はカードを返し、あっさりと次の順番待ちの人のところへ移っていってしまった。
「こんなに簡単で、いいんですか?」
「ホヴォロニカも商会の活動範囲内だからな。部隊長の身分証明は、それなりに役立つ」
言いながら、ベイルさんはハーヴィを発進させる。
「国境を超えて、街を出る時は監査も厳しくなりますか?」
「いや、大して変わらねえ」
その言葉通り、街を出る時もカードを見せるだけだった。そうして門をくぐってみれば、壁の外はまた辺り一面の草原。
「……もっとこう、面倒な手続きがあるのかと思ってました」
「ま、実際はこんなもんだ」
そんな会話の中、ハーヴィは街道を北上する。周囲は、ひたすらに草原。地平線まで、ずっと緑色だ。だからか、セトリアとは風の匂いも違うような気がした。そのことを伝えてみると、
「さすが、と言うべきか。呆れるほど鋭いな」
苦笑を含んだ声で、そう返された。
「ホヴォロニカは風属性の魔力を強く帯びた土地柄だ。その差異を感じ取ってるんだろう。俺もそこまでは把握しきれねえな」
「ベイルさんでも、ですか」
「俺だって、何でもできる訳じゃねえさ。そう言えば、お前は記憶を封じられていると、ハイレインが言ってたろう」
「あ、はい、そう言えば」
「昨日荷物を纏めがてら聞いてきたが、奴はその呪いを解けなかったらしい。『空蝉では』らしいが、存外竜も役に立たねえ」
冒涜的な言葉に、思わず苦笑が浮かぶ。
「なら、アイオニオンに着くまで戻らないんでしょうか」
「いや、そうでもねえだろう」
「はい?」
問い返す声が、引っくり返った。冗談だろうか。ハイレインさんにできないことを、この世の誰ができるのだろう。
「お前はハイレインをして奇跡と言わしめた。だったら、自分で呪いを解ける可能性も、なくはねえだろう」
「……それは、その、冗談」
「のつもりはねえが」
さっくり、先回りで否定された。そんな無茶な。
「私は、全然、できる気がしませんけど」
「俺は、できると思うがな」
肯定する声には、一片の迷いもない。何でそんな風に断言できるのか、私にはさっぱり分からないけれど。――でも、そこまで言ってもらえるのなら、とも思う。
「……じゃあ、とりあえず、頑張ってみます」
「無理はしなくともいいがな。アイオニオンに着けば、どの道万事丸く収まる。しかし、記憶やら何やら封じられてる割に、昨日は戦えてたな」
昨日――粋蓮の遺跡でのことかな。
「あれは、私でも何でか分からないんですけど」
「ふむ……。封印されても、何か残った物があるのかもしれねえな。アランシオーネに着いたら、試してみるかい」
「へ? 試す、ですか?」
「戦闘状況下において、無意識ながらも発揮されたんなら、存外戦ってたら何か思い出せるかもな」
「ま、また、戦うんですか!?」
「大したものじゃねえ。模擬戦程度だ。手加減はする」
「も、模擬戦……その相手を、ベイルさんが」
「他にいねえだろう。――怖いかい」
少し、と口篭る。けれど、やっぱり狙われているのは私で、その為に騒ぎが起きているのだから。少しでも努力はしないと。
「無理強いするつもりはねえが」
「いえ、お願いします」
「そうかい? えらく思い切りがいいな」
「そうですか? 自分でも戦えたら、少しは周りへの被害が減らせるかなと思っただけなんですけど」
「周囲への被害が、ね」
呟いたベイルさんが、唇を歪める。
「そこは普通、自分の生存確率を上げる為だと考えるんじゃねえのかい。他人のことを気にするより先に」
「え? あ、そっか、そうですね。すみません」
「謝ることじゃねえが――」
紡ぎかけの言葉が、不意に止まった。
その理由は、私でも分かる。空気が帯電しているかのような緊張。いつの間にやら漂い始めた、暗く淀んだ気配の魔力。気付けば、ハーヴィも停止していた。ベイルさんが止めたはずはないから――じゃあ、止められた?
(――左、七時の方向)
頭の中で、かすかに囁く声がした。それが誰のものか考えるより早く、左手が魔力を走らせる。凝縮、放射。指示された位置で、衝突した魔力が物理的な圧力となって弾け飛ぶ。
「――おわぁっ!?」
衝突の爆心地から、どさどさと屈強な佇まいの男の人達が現れた。数は二十人強。約束が違う、そんな馬鹿な、と不平を口にしながらも立ち上がり、私達へ武器を向ける。
「追手か」
面倒臭そうに、ベイルさんが零す。その声を聞きながら、天を仰いだ。目線が勝手にあちこちを巡る。何かを探しているのだ。……私自身、理解していないものを。
「直生、無茶はするな」
静かに放たれた声には、逆らい難い強さがあった。
すっと視線が空から落ちる。これまで私の身体を動かしていた行動指針は、すっかり消えていた。けれど、その瞬間――
『やれやれ、まさかの大物が釣れてしまった』
皮肉っぽく笑う声がして、視界は漂白された。
真っ白な世界。その中心に、そのひとは立っていた。




