鏑矢は放たれた・四
篝火で明々と照らされた港でも、たくさんの人が忙しそうに動き回っていた。ベイルさんが港の入口で馬を止めると、警備に立っていた人が駆け寄ってくる。
「これは、ベイル隊長。何か火急の用事でもおありですか」
まあな、と答えながら、ベイルさんは馬を下りた。
「ワイアットはどこだ」
「中央市場で損壊物の確認をしていますが、ご用が?」
「急な仕事で、島を発つ。その為の話があるだけだ。馬はそっちで使うなり戻すなりしてくれ」
続いて私を地面に下ろすと、ベイルさんは警備の人に馬の手綱を押しつけ、颯爽と歩き出した。手綱を握らされ、ぽかんと目を丸くする人に会釈をし、私も後について港の中へと向かう。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。ベイルさんは足を止めると、広場の端で木箱に座っていた男の人へ呼び掛ける。
「ワイアット!」
木箱に座っている人が、怪訝そうに顔を上げた。ベイルさんを見て眉根を寄せ、私へ目を動かしては首を傾げる。億劫そうに立ち上がると、ゆったりした足取りで近づいてきた。
「何の用――と言うか、どういう事情かな、ベイル」
「島を出る」
「今から? えらく急な話じゃないか」
「急ぎの依頼だ。説明の要求、文句その他は上に直接言え」
「お前らしい言い草だねえ。それで? 俺に何の用?」
「倉庫の鍵を、お前が持っていると聞いた」
「まあ、備品の確認もついでに任されたからな」
「ハーヴィは無事かい」
「……虎の子の最新型を持ち出すって?」
「許可は出てる」
言いながら、ベイルさんはポケットから何かを取り出した。
横から覗いてみると、澄んだ緑色の結晶だった。細い鎖が通されていて、大きさはちょうど車の鍵くらい。結晶を見下ろしたワイアットさんは、溜息を吐いて肩をすくめる。
「嘘でもない、と。分かったよ、今はちょうど第一分隊が倉庫の中に入ってる。鍵は開いてるから、勝手に入って持ってけばいいさ。……で、その子は?」
ワイアットさんが、目線で私を示す。
「今回の任務の護衛対象だ」
「報酬じゃあなくて?」
にやりとワイアットさんが笑うと、ベイルさんは眉間に皺を寄せて、露骨に嫌そうな顔をした。珍しい反応だ。オルドという言葉には、どんな意味があるのだろう。
「アリーチャーもお前も、下らねえことしか言わねえな」
「冗談だよ」
からりと笑うワイアットさんを一瞥し、溜息を吐きながらベイルさんが歩き出す。どうやら、話は終わったみたいだ。ワイアットさんに会釈をしてから、先を行く背中を追い駆ける。市場を突っ切って、更に奥へと向かうようだ。
「お嬢さん、ベイルに食われないようにな!」
ベイルさんの隣に追いつくと、からかうような声が背中に掛かった。どう反応すればいいのか分からずに、ベイルさんを見上げる。淡泊な表情の中に深い呆れが浮かび上がり、
「阿呆め」
低く落ちた呟き。そして、一陣の風が吹き抜けた。
「おわっ!?」
背後、ワイアットさんの方から派手に転倒する音。何が起きているかは推して知るべし……なのだろうか。
「おまっ、魔術使ってまで足払い掛けなくったっていいだろ! ただのジョークなのに――あっ、ちょっ、分かった、ごめんなさい、もう言いません! 止めて! ハゲる!」
何うやらワイアットさんが惨事に見舞われているようだ。振り向こうとすると、
「馬鹿に構うな。放っとけ」
そう言われて尚、振り向けるような度胸は持っていない。申し訳ないような気分になりながら、大人しく足を動かす。
「いつもながら、ホントにひどい奴だよお前は!」
通りを曲がり際、ワイアットさんの悲痛な叫びが上がった。ベイルさんは全く反応しなかったけれど、いつもって、まさか日常茶飯事なのだろうか。
空寒い気分になりつつ到着した倉庫は、運よくほとんど被害を受けなかったようだった。ベイルさんは躊躇いなく中へ入って行き、何事かと問い掛けてくる人達を「仕事だ」の一言であしらうと、最も奥まった区画で足を止める。
そこに置かれていたのは、大型のバイクに似たものだった。ただし、私が知っているバイクとは、決定的な違いがある。何がって、そりゃあ――宙に浮いているのだ。
「コーニッシュ社最新型の、アクィロ・ウェンテだ。型番のHRV‐1をもじって、ハーヴィとも呼ばれる。ウェンテは宙に浮いて移動する、この系統の乗り物の総称だ。アクィロは、最も大型の形状であることを示す」
言いながら、ベイルさんは宙に浮くその物体に被せられていた覆いを取り去る。その下から出てきたものは、やはり故郷で見たバイクによく似ていた。本来タイヤの在るべき場所には、緑と透明の結晶が収まっていたけれども。
そして、今更に、割と関係ないことに気付く。
「今、アルファベット使いました?」
「アルファベット?」
ベイルさんが首を傾げる。……あれ?
「さっき、HRVって」
「セトリアの古代文字だ」
「……そうなんですか?」
「お前の世界では、アルファベットって?」
「はい。私の国ではそこまで頻繁に使わないんですけど、あ、翠珠文字は日常的に使われています。日本じゃ三種類の文字を組み合わせて使ってて、その一つなんです」
「国ごとに、使ってる文字が違うのかい」
「文字と言うか、言語そのもの、ですかねえ。まだ他にキリル文字とか、何か色々ありましたよ」
「他にも? 不便じゃねえのかい」
「うーん、言われてみると、そうだなあって思うんですけど。そういうものだと思って育ってきましたし、どの国でも同じ言葉を使えるっていうことの方が、びっくりしました」
なるほどな、と頷きながら、ベイルさんが隣の区画に移動し、サイドカーのようなものをウェンテに連結させた。
「お前はこっちに乗れ。荷物は適当に置いといていい」
「あ、はい!」
宙に浮いている乗り物なんて、初めてだ。まず片足をかけてみると、宙に浮いているのに、想像していた不安定さや浮遊感はなかった。座席に座って荷物を空いた場所に押し込んでいると、ベイルさんが隣でウェンテに乗り込み、さっきワイアットさんに見せていた緑の結晶をハンドルに翳した。魔力が迸り、術式が起動する気配。あの結晶は、鍵だったみたいだ。
「こっちはお前に預ける。お前の乗ってるアウィスの鍵だ」
そう言って、ベイルさんはまた違う結晶を取り出し、私の乗るサイドカーのフロントガラスに翳した。ウェンテと同じように、術式が起動。どんな仕組みで動いているのか、気になってあちこちを見ていると、小さく笑う声が聞こえた。はっとして見れば、ベイルさんがかすかに唇の端を持ち上げて笑っていた。
「そんなに珍しいかい」
「その、どんな仕組みで動いているのなー、と」
ベイルさんが笑っているのを見るのは、多分、初めてだ。妙にどぎまぎしていると、膝の上に結晶――鍵が落とされる。
「首にでも掛けとけ。構造に関しては、道々話してやる」
「あ、ありがとうございます」
頷きながら、鍵を首にかける。
「ああ。さて――と、行くぞ」
車体がゆっくりと動き出す。倉庫の入口へ続く直線通路に進み出ると、一気に加速した。ぐっと座席に身体が押しつけられ、帽子が頭から浮き上がる。慌てて手で押さえるものの、吹きつける風が強くて目が開けていられない。
……十分経ったか、二十分経ったか。やっと風が弱まってきたので、そろりと目を開ける。いつの間にやら、辺りは星と月の光だけが頼りの、真っ暗闇になっていた。振り返れば、港の篝火が地上の星のように瞬いている。
「朝までには陸地が見えるはずだ。それと、やたらに下を覗き込まねえこと。暗闇に引き込まれて落ちるぞ」
「――は、はいっ!」
そろりと伸ばしかけていた首を、慌てて引っ込めた。
きらり、何かが光ったような気がした。重い瞼を押し上げ、目を開く。青く晴れ上がった空の真ん中に、太陽が燦々と輝いていた。朝か、と眩い光に目を細めていると、
「お目覚めかい」
耳元で鳴る風音を割って、声が聞こえた。顔を上げれば、ゴーグルを掛けたベイルさんが私を見下ろしてい、て――うわあ!?
「お、おはようございます! すみません、寝ちゃってて!」
「謝ることはねえさ。眩しかったら、ゴーグルを使うといい」
その言葉で、首に掛けたゴーグルの存在を思い出す。引っ張り上げて装着すると、一瞬で余分な眩しさが消え去り、視界が明瞭になった。何か魔術が掛けてあるのかもしれない。
すっきりした視界で再び隣を見上げると、何やら見慣れないものが目についた。吹きつける風で髪が流れ、ベイルさんの額の左端には黒い紋様が見え隠れしている。流麗で複雑な意匠は美しいのに、見ていると妙に落ち着かない気分になった。
「お前は聡過ぎる。余り見ねえ方がいい」
静かに言われ、我に返る。その時になって、やっと見入っていた身体が奇妙に緊張していることに気が付いた。
「す、すみません、じろじろ見ちゃって」
「いや。それにしても、お前はすぐに謝るな。それが悪いとは言わねえが、謝るのは自分に非がある時で十分だ」
「……はい」
「ま、俺が口出しすることでもねえが。――前を見てみろ」
促されて、視線を転じる。淡い碧色が、ある地点から深い緑色に変わっていた。湖の先に、広大な草原が続いているのだ。
「陸に着いたら、一旦休憩だ」
その言葉から数分と経たず、ウェンテは陸地へ降り立った。動力が停止し、ベイルさんが運転席から降りても、宙に浮かんでいる。私も地面に降りてみたものの、どういう仕組みで動いているのか、気になって仕方がない。周囲を歩き回っていると、
「ウェンテのことは後で説明するから、今は大人しくしてろ。鞄の中に水と食料が入ってる。何か胃に入れとけ」
「う、あ、はい! すみません」
座席に置いた鞄を開け、食料の詰まった革袋と水筒を引っ張り出す。革袋の中には、スコーンのような焼き菓子と、干し肉があった。とりあえずスコーンを一つ取り出して、かじる。
「これからすぐ、ホヴォロニカに向かうんですよね?」
スコーンをかじりつつ問い掛けると、ベイルさんは干し肉を銜えたまま、座席の上に広げた地図とコンパスを示した。
「国境の街ホロスを経由してホヴォロニカに入り、まずはアランシオーネに向かう。今は、ここだ。セトリアの南東部」
干し肉を噛みちぎりながら、アランシオーネへの経路が指で示される。アランシオーネは、今の場所から北東にあった。
「アランシオーネに、今夜は泊るんでしたっけ」
「そうだ。順調にいけば、夕暮れには街に入れる」
「街は、夜になると門を閉めてしまうんですよね?」
遺跡にいた時の雑談で、ヒューゴさんが教えてくれた。
監査や防衛上の事情から、大きな街は必ず分厚い壁で囲まれている。出入りには四方に設けられた門を利用するのだけれど、やっぱり門限があって、夜は出入りが制限されるのだそうだ。
「一般的にはな。ただ、アランシオーネは他に類を見ない、極めて特殊な街で――地竜の宿る巨木を擁してる」
「りゅ、竜がいるんですか?」
「いる、って言い方は正しくねえな。竜の宿る巨木の周りに、わざわざ街を作ったんだ。木に宿る竜は兎角争いを嫌う性質で、その眼の光る街中の治安はすこぶる良好、竜を恐れて魔物も近付かねえ。よって、アランシオーネは門を閉じる必要がねえんだと」
「へええ……そんな街もあるんですね」
「唯一無二だろうがな。――ま、追手の連中にもまともな頭がありゃ、アランシオーネにいる間は比較的安全なはずだ。一度に二体の竜を敵に回すような真似は、普通なら避ける」
「です、よね。そうだ、国境を越える時も監査はありますか?」
「ああ。だが、別に指名手配を受けてる訳でもなし、正規の監査を通って抜けたところで問題はねえだろう」
そう言って、ベイルさんは地図とコンパスを鞄にしまった。干し肉を食べ終わると、もうウェンテに跨る。
「もう休憩はいいんですか?」
「お前がいいならな」
「私は、寝てましたし……。ベイルさんこそ」
「俺はいい。休むなら、街に着いてからの方がいいからな。で? もういいのかい」
「はい、大丈夫です」
頷いて、アウィスに乗り込む。ベイルさんを真似て鍵を使ってみると、すぐに足の下から起動の気配が伝わってきた。
「それじゃ、今度こそハーヴィについて講義といくか」
ベイルさんがウェンテを発進させる。瞬時の加速。すぐに湖は見えなくなってしまった。
「まず、魔力を含む鉱物全般を魔石と呼称する。ウェンテに組み込まれてるのは、浮遊石と風魔石だ。浮遊石は吸った魔力を浮力に、風魔石は風属性に換える特性がある」
人が乗っていなくてもハーヴィが浮いているのは、魔石が自動的に周囲の魔力を吸収し、浮力に変換しているから、らしい。
「ウェンテは浮遊石で浮き、風魔石を介して生成された魔力を用いて風を繰る術式を起動展開、飛行する」
「風属性は、空を飛ぶことまでできるんですね」
「誰でも飛べるって訳じゃねえがな。かなり得手不得手の差がある。――ざっくりだが、説明とすればこんなところだな」
それからは、ぽつぽつとこの世界の話を聞いた。こちらの世界にはたくさんの種族が存在するようで、私が知った他にも有翼族や鉱人族、人魚族……とにかく、色々といるらしい。
「ホヴォロニカは、有翼族と樹人族が比較的多いそうだ」
「アランシオーネもですか?」
「さて、どうだかな。この前来た手紙にゃ、鉱人族の商人一家が街に根を下ろして、親しくなったとは書いてあったが」
「あれ、知り合いの人がいるんですか?」
「昔の部下がな」
「……アルトにいた、頃の」
「軍人をしてた頃の、な」
事も無げに、ベイルさんは言う。




