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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第一章
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見知らぬ街で・十三

 瞼越しに光を感じて、沈んでいた意識が浮上する。思い切って目を開けると、知らない模様の天井が飛び込んできた。

「起きたかい」

 どこだっけ、と考え込んだのも一瞬のこと。抑揚乏しく言う声が聞こえて、飛び起きた。声のした方へ顔を向ければ、テーブルで本を読んでいたらしいベイルさんが、こちらを見ている。

 夢か幻であることを祈りながら辺りを見回すものの、現実は無情だ。どれだけ見ても、ここはベイルさんの部屋で、私はベッドの上にいる。起きていきなり、気が遠くなりそうだった。

「す、みません、ベッドを、お借り、してしまって」

「いや、いい。それより、身体の具合はどうだ」

「身体の具合……は、特に。大丈夫だと思います」

 痛いところはないし、疲れもない。答えると、「なら結構」と頷いて、ベイルさんは廊下に続く扉のすぐ右にある扉を示した。

「あの先が浴室だ。湯は張っておいたし、着替えは女連中から貰ったのを置いてある。その他置いてあるものは、好きに使っていい。俺はこれから朝飯を取りに行きながら、隊の連中と話をしてくる。三十分程度で戻るが、それくらいで十分かい」

「あ、はい、ありがとうございます」

 頷いて、ベッドから降りる。靴は足元に揃えられていた。

「分かった。後は……そうだな、鍵は掛けておく。もし来客があっても、放っておいていい」

「分かりました」

 頷き返すと、ベイルさんは本を閉じて立ち上がった。出掛ける準備は、もう済んでいたらしい。人の部屋とベッドで何を呑気に爆睡していたのかと、改めて過去の自分を殴りたくなるも、わざわざ作ってもらった時間を浪費する訳にはいかない。ベイルさんが部屋を出るのを横目に、浴室へ移動する。

 中の設備は故郷とほとんど変わらず、使い方が分からないこともなかった。手早く身体や髪を洗って部屋に戻ると、壁の時計で二十分が過ぎていた。それでも、まだ約束の時間まで十分も残っている。ひとまず昨日座った椅子に座ると、テーブルの上に一冊の本が置かれていることに気が付いた。

「ラーゲルレーヴ……魔術、理論?」

 分厚い本の表紙には、大陸共通語でそう書かれていた。

 好奇心が湧き上がる。どんな内容なのだろう。本を傷めないように細心の注意を払いながら、一ページ目を開いた。

 

 第一章は、魔術の成り立ち。

 古い時代のヒトが竜に教えを乞うたのが始まりで、やっぱり魔術とは「己の意思一つで世界を作り変える術」であるらしい。何もないところへ突然火を発生させたなら、確かに世界を作り変えたと言えるのだろう。

 第二章は、魔術の構成。

 全ての魔術は術を構築する式と、その式を稼働させる魔力によって成立する。魔力は体力とは逆に、精神を素に生じる力で、これを術式――紋章や詠唱で加工し、発現させるのだそうだ。自販機(術式)にお金(魔力)を入れて、ジュース(結果)を得る、と考えれば近いだろうか?

 第三章は、魔術式の構成。

 これは、案外縛りが緩いのが意外だった。術者が望むもの、結果を上手くイメージできれば、何でもいいらしい。ただし、一応言葉や図形にも力や相性があるらしく、高い効果は得るにはきちんと計算しなくてはいけない。だから、紋章や呪文を売る専門の魔術師もいるのだそうだ。


 故郷にいた頃には、全く考えられない技術だ。何となく圧倒されたような気分でいると、扉を叩く音が聞こえた。びくりと肩が跳ねる。ノック音は、やがて鍵を開ける音に変わった。

 時計を見れば、本を開いてから十五分も経っている。扉を振り返れば、当然と言うべきか、お盆を持ったベイルさんがいた。

「お、おかえりなさい」

「ああ。時間は短くなかったかい」

「大丈夫です。ありがとうございました」

 いや、と短く答え、テーブルまでやってきたベイルさんは、私の前にお盆を置いた。お盆の上には、一人分の食事。

「ベイルさんは」

「ついでに済ませてきた。――で、どこまで読んだ?」

 昨日のように私の向かいに座ると、ベイルさんはテーブルの上の本を示して言った。慌てて置き直してはみたけれど、やっぱり気付かない訳はないか。

「すみません、気になって、勝手に読んでしまいました」

「いや、それはお前にやろうと思ってた。謝る必要はねえ」

「え、あ……ありがとうございます」

「どういたしまして。それで、どうだった」

「ええと、三章までです。シェルさんとヒューゴさんに教えて頂いたので、特別分からないところはなかったんですけど」

「けど?」

「……実際に使える自信は、ないです」

「なら、気にする必要はねえ。本を読んだだけで習得できる奴は稀だ。とりあえず、今は飯を食え。食ったら、出発の準備だ」

「あ、はい」

 頂きます、と手を合わせてから、食事に手をつける。今回も主食はパンだ。翠珠はパン食なのかもしれない。

「ところで」

「はい?」

「覚えてる限り、戦闘の経験はねえんだろう?」

「ごほっ!」

 予想外の言葉に、思わずむせた。辛うじて噴き出すのを堪え、口の中のパンを飲み込んだものの、咳が止まらない。

「すまん、悪かった」

 ベイルさんが差し出してくれたタオルを、片手で口を押さえつつ、頭を下げて受け取る。それからしばらくして、やっと呼吸は落ち着いた。手を拭いて、もう一度頭を下げる。

「すみません……」

「いや、こっちこそ驚かせた。その様子じゃ、住んでたところは随分と平和だったらしいな」

「そう、ですね。犯罪はあっても、戦争はどこかの遠い国のことで……ご飯に困ったりすることもなくて。私のような――」

 その先を、言うべきかどうか。パンをちぎる手を止めて思案すること、数秒。その間、ベイルさんは何も言わずに待ってくれたけれど、結局踏ん切りはつかなかった。首を横に振る。

「いえ、何でもないです」

「そうかい」

 追及がないのを幸いに、残りのパンをかじり、食事に逃げる。食事を終えるまでの短い間、ベイルさんは何も言わなかった。

「ごちそうさまでした。この後は――」

 使い終わった食器を整えながら、問い掛ける。

「厨房に食器を引き渡した後で、武装を整える。そのままじゃ、心許ねえからな」

 ベイルさんが立ち上がり、食器の載ったお盆を手に取る。

「あ、お盆は私が」

「お前はその本を持ってけ。少しでも多く、自分が持て余してる力のことについて、知ってもらわねえと困る」

 そういうことであれば、仕方がない。大人しく本を持っていくことにする。一階の厨房で食器を返却すると、ベイルさんはしんと静まり返った、人気のない廊下へと足を向けた。

「この辺りは、武器や防具を押し込んだ倉庫になってる。昨日の今日だ、めぼしいものは粗方消えてるだろうが――」

 言いながら、ベイルさんは鉄で補強された重厚な扉の前で足を止めた。見るからに重そうな扉を片手で易々と開け、中へ進んでいく。部屋の中には大量の棚に多種多様な武器と防具が並び、壁にも所狭しと膨大な数の槍や剣が立て掛けられていた。

「凄い数ですね」

「依頼の報酬やら、戦利品やらで持ち込まれたもんが適当に放り込まれてて、好きに使って良いことになってる。とりあえず、防具を見繕わねえとならねえか」

「防具……鎧とかですか?」

「ああ。その体格で鎧は無茶だから、他を見繕うが。この辺りに魔術付加の外套の類があったはずだ」

 ベイルさんは棚の間を慣れた調子で進んでいく。その後について棚の間を抜けると、突き当たりの壁に、ハンガーで服が吊るされていた。普通のシャツやジャケットもあれば、物語に出てくる魔法使いが着ているようなローブもあった。ベイルさんはざっと眺めた後で、一着のコートを手に取った。深い紺色のロングコートで、襟と袖と、裾にも銀色の刺繍が光っている。

「袖を通してみろ。大きすぎても困るからな」

 差し出されたコートを手に取って羽織り、腕を通す。袖が少し余ったけれど、邪魔になるほどでもなかった。

「大丈夫です」

「なら、それでいいか。刺繍は防衛結界の構築術式だ。魔力を込めれば起動する。気休め程度だが、何もねえよりはマシだろう。……次は、武器か」

 ベイルさんは近くの棚へと移動し、再び品定めを開始した。あれこれ取り出して見るものの、すぐに戻してしまう。しばらくして、ようやくお眼鏡に適うものが出てきたらしい。

 一メートル半ば――大体私の身長と同じくらいの棒だった。左右の先端には金属の石突があって、棒と言っていいのか、それとも杖とでも言えばいいのか、よく分からないけれど。

「棍に軽量と硬化の魔術付与……悪くはねえな」

「軽くて硬いってことですか?」

「ああ。ひとまず、急場を凌ぐ程度には使えるだろう」

 差し出されたので、棍を受け取る。軽量化の魔術が効いているのか、金属の手触りの割に驚くほど軽い。

「さて、これで一通りの装備も整えたことだ――そろそろ、集合場所に向かうぞ。頃合いだからな」

「……はい」

 すなわち、襲撃を迎え撃つ態勢に入るということだ。答えた声が震えて聞こえたのは、気のせいだと思いたかった。



 お城を出ると、玄関前には既に一番隊の人達が集まっていた。百人近い屈強な男の人達がそれぞれ武器を携えている光景は、素晴らしく物々しい。要するに、怖かった。

「あ、隊長! おはようございます!」

 ヴィサさんがまずベイルさんに気づき、挨拶をする。

「ああ、おはよう」

 ベイルさんが軽く頷いて応じると、他の人達も一斉に挨拶の声を上げた。野太い声の多重奏は、結構な迫力だ。

「ナオも、おはようさん」

「はい、おはようございます」

 ヴィサさんがにこりと笑いかけてくれるので、会釈をして答える。――と、足音荒く走ってくる姿が、視界の端に映った。まっすぐこちらにやってくる。誰だろう。

「直生さん!!」

「あれ、慶寧君? どうしたの?」

「どうして、避難しないんですか!」

 私の前で足を止めた慶寧君は、質問に答えず、いきなり怒鳴った。今までの穏やかな印象を根こそぎ払拭する、切羽詰まった形相だ。相当急いできたのか、肩で息をしている。

「その辺には色々と事情があって――とにかく大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないですよ!」

「え、それはまずいな、癒務室行く?」

「何を言ってるんですか、僕のことじゃないです!」

 どうやら、私は言葉の意味を取り違えていたらしい。

 ぶふっ、と背後でヴィサさんが噴き出すのが聞こえたけれど、脳内編集で聞こえなかったことにしておいた。慶寧君はそんな周囲の様子に構うことなく、語気荒く続ける。

「羽深さんに聞いたんです、直生さんは東の遺跡に行くって。どうして避難しないんですか?」

 どうしてと言われても、何と答えれば良いものやら。答えに困っていると、また新しい声が聞こえてきた。

「何だあ? 朝っぱらから、何を騒いでんだ」

 声の方へ視線を転じると、ヒューゴさんがお城から出てくるところだった。その手には、青みを帯びた銀の槍が握られている。持ち主の長躯をゆうに上回る長さは、二メートルばかりか。

「ヒューゴさん、おはようございます」

「おう、おはよう。……元気そうだな」

 何故か、ヒューゴさんは呆れたような感心したような、複雑な表情を浮かべて言った。どうかしたのだろうか。問い掛けようとしたものの、ヒューゴさんは慶寧君の姿を見つけて怪訝そうな顔をし、その機会を逸してしまう。

「で、ケーネィはこんなトコで何してんだ。避難すんだろが」

「そうですけど、直生さんが――」

「ああ、こいつはベイルの護衛対象(オルド)だから仕方ねえさ。護衛の契約上、下手に引き離しても色々と面倒があるしよ」

「護衛、ですか?」

「そう言うこった。何にせよ、仕事の話だ、お前が口を挟めることじゃねえ。ガキはとっとと避難してろ」

「……分かりました」

 悔しそうに、慶寧君は頭を下げる。そして、顔を上げると、じっと私を見た。まっすぐな眼差しに、何故かたじろぐ。

「直生さん」

「な、何?」

「我が言祝(ことほ)ぎ、(むち)(いわ)いとあれ」

 その言葉が響き始めた途端、周囲が淡い光に包まれた。

 驚いている間に光は消えてしまったけれど、不思議な、何とも言えない暖かな空気が意識の片隅に残っている。

「な、何だったの、今の?」

「ちょっとした、守りの祝福です。僕にできるのは、これくらいが精一杯で――とにかく、気をつけて下さいね」

「あ、うん、ありがとう。心配させちゃって、ごめんね」

「僕が勝手に騒いだだけですから。それでは、失礼します」

 慶寧君はベイルさんに頭を下げると、踵を返して走って行った。その背中はすぐに畑の植物に紛れて見えなくなってしまったけれど、胸には釈然としない重さが残った。

「……何と言うか、申し訳ない気分です」

「気に病んでも仕方ねえさ。――さて、そろそろ出発だろ」

 ヒューゴさんは私の頭に左手を載せると、ベイルさんを見て言った。ベイルさんが溜息を吐く。

「お前が来ねえから、出発できなかったんだ」

「そりゃ、どーもすみませんな」

「最後の馬鹿が来たところで、出発する。配置に変更はなし。馬で先行するノエ班は、遺跡を塒にしてる連中を退去させておけ。だが、間違っても剣は抜くな。渋るようなら、今は全てに目を瞑って、砦の軒先を貸してやると言って説得しろ」

 ベイルさんが告げると、五人の男の人が「了解」と返事をし、足早に去って行った。その背中を見送った後で、ヒューゴさんが問い掛ける。

「俺達は歩きか?」

「遺跡では混戦になる。馬が好き勝手走れる空間はねえし、魔物に怯えて暴れられても面倒だ」

「なーるほど。で、お前は先頭だろ、ナオもか?」

「ああ。傍に置いておく。お前には、最後尾を頼む」

「はいよ」

 そして、午前十時三十分――私達は、砦を出発した。

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