表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第一章
12/69

見知らぬ街で・十二

 ぼたぼたと、涙が次から次へと溢れては流れていく。おわ、とヒューゴさんが引っくり返った声を上げた。

「ちょっ、ど、ど、どうした! 痛かったか!?」

「ヒューゴ、何を泣かせてるんだ」

「ガキを泣かせてんじゃねえ」

「いや、ま、待て、泣かせようとした訳じゃねえ! 何だ、アレだ、とりあえずベイル、何か拭くもん!」

 全く、と呟きながらベイルさんが壁際の棚へと歩いていく。

「シェルは、えーと、その毛皮貸せ! もこもこだ!」

「意味が分からん」

「あーもー、何だどうした! ええい、俺が悪かったってことでいいから、な! 泣き止んでくれ! 泣き止んで下さい!」

「うぐっ、ず、ずびばぜん……」

「だから、謝らなくっていいんだっつの!」

「だから、叫ぶなやかましい」

 戻ってきたベイルさんが、ヒューゴさんの後ろ頭を叩いた。差し出されたタオルを、お礼を言って受け取る。

「喚く暇があるなら、下に行って厨房から何かもらってこい。具体的には、食べるものと飲むもの」

「あ? 何で俺がお前の小間使いしなきゃならねえんだよ」

「襲撃騒ぎのせいで、食事がまだだ。泣いた分水分補給も必要だろう。発端なら、それくらいの埋め合わせをしろ」

 ヒューゴさんが、ぐっと言葉に詰まる。唇をへの字に曲げるものの、ガタリと椅子から腰を上げた。今度は私が慌てる。

「いえ、そんな――」

「気にすんな。腹立つが、こいつの言うことは間違ってねえ。さっさと行ってくるから、少し待ってろな」

「す、すみません……。ありがとうございます」

「ついでに俺の分もな」

「――あ!?」

「一人分も二人分も似たようなもんだろう」

「何だよ、結局てめえの都合じゃねえか!」

 叫びにも似た抗議にも、ベイルさんは素知らぬ風を貫き通す。

「詐欺師か!」

 そんな叫び残して、ヒューゴさんは部屋を出て行った。重く激しい足音が、徐々に遠ざかっていくのが聞こえる。

 全く騒がしい、とシェルさんが溜息を吐いた。

「それで、バドギオンにはどのルートを通って向かう? まっすぐにセトリアを突っ切って北上するか」

「いや、ホロスを経由して、まずはホヴォロニカに入る。最初の停泊地は、アランシオーネだ」

「ふむ。迂回にはなるが、被害は最小限に抑えられるか」

「今回はそれを最優先した方がよさそうだからな。来月の半ばにバドギオンに入れりゃ、御の字だ」

 ホヴォロニカは、昼間見せてもらった地図に書いてあったのを覚えている。セトリアの東の国だ。バドギオンは翠珠の周辺になかったから、きっと遠いところなのだろう。

「ああ、そうか。ナオは国の名だけでは分からんな」

「あ、ホヴォロニカは、分かります。昼間の地図で見ました。セトリアの東にある国ですよね」

 シェルさんは軽く目を瞬かせ、「覚えがいいな」と笑った。

「その通りだ。俺達はセトリアを経由してホヴォロニカに入り、ホヴォロニカを縦断して、バドギオンに向かう。バドギオンは、セトリアやホヴォロニカの北に広がる国だ」

「シェルさんと、ヒューゴさんの生まれた国なんですよね?」

「そうだ。雪に閉ざされた国で、魔術研究が進んでいる。とは言え、魔道大国を称するミスミには適わんし、最近はアルト――アルトゥ・バジィに押され気味で、大陸第三位に転落することもそう遠いことではないかもしれんが」

 アルトゥ・バジィ。聞き覚えのある名前だ。

 どこでだったか、と記憶を探っていると、語ったひとの特徴的な声と一緒に、その時の光景が脳裏に蘇った。はっとしてベイルさんを見ると、頷きが返される。

「俺の生まれた国だ。ニーノイエの北、セトリアの西。山以外に何もねえ国さ。魔術研究の経緯も、褒められたもんじゃねえ」

「どういうことですか?」

「戦争に勝つ為」

 さらりと言われた言葉に、息を呑む。二の句を継げないでいると、「止めとくかい」といつにも増して淡々とした声が問う。先を聞くのを、ということだろう。迷わなかった訳ではないけれど、気付けば首を横に振っていた。

 ベイルさんは短い沈黙の後、静かに話を再開した。

「開戦は、もう十二年前になるか。相手は隣国のラクストゥ・バジィ――アルトの更に北にある国だ。ラクスは覚えてるかい」

「ヒューゴさんの、お兄さんが」

「そうだ。俺とヒューゴはその戦争で会った」

「え? ……あの、それじゃ」

 口ごもる私の疑問など、お見通しなのだろう。ベイルさんは軽く頷くと、事も無げに言い放った。

「俺はアルトの軍人で、あいつはラクスの傭兵だった。終戦までの七年間、飽きもせず延々と殺し合った仲って訳だ」

 今度こそ、絶句した。ヒューゴさんとベイルさんは、時に衝突しつつも、気が置けない間柄に見える。なのに、まさか同じ戦争で戦った敵同士だったなんて。

「ま、その後色々あって、戦争が終わってからしばらく、つるむことになった。一年近く一緒に旅してたか」

 ベイルさんがそう結ぶと、ガンガンと扉を叩く音が聞こえてきた。溜息を吐きながら、シェルさんが扉を開けに向かう。

「こんな使いっ走りは二度と御免だからな、俺は!」

 荒い足音と、声。目を向けると――

「器用ですね……」

 ヒューゴさんは頭の上と両腕に食べ物が載ったお盆を載せ、小脇には三本もの瓶を挟んでいた。手慣れた風でシェルさんが瓶やお盆を受け取り、テーブルに並べていく。

「この時間では、流石に温かいものはないか」

「火はとっくに落としちまったって、料理長にどやされた」

「す、すみません……」

「あー、いや、まあ気にすんな。どうせこいつのせいだろ」

「確かにな。夕飯時に街に連れ出したのはベイルだ」

「あっ、そう言やそうじゃねえか! やっぱりひでえ奴だな」

「オイ、栓抜き取れ」

「――って、人の話聞けよ!」

 ヒューゴさんの叫びもどこ吹く風、ベイルさんは瓶を取り上げる。改めて見てみると、お皿の上には見たことのない食べ物も多かった。紫の果物や、青いパン――それらを見詰めていると、

「明日に備えて、食べとけ」

「あ、はい……。頂きます」

 食べ物を前にすると、確かに自分が空腹であることが実感できた。とりあえずサンドイッチを手に取ってみると、お馴染みのハムサンドのようだった。そこはかとなく安心して、一口かじる。

「……おいしい」

 自然と、声が出た。だろ、とヒューゴさんが笑う。

「ここの料理長の飯は美味えからな。それだけでも、城に間借りする価値があるってもんだぜ」

「そう言いながら、何故お前まで食べてるんだ」

「目の前に飯があったら、そりゃ食うだろ。お前もどーよ」

「遠慮しておく」

 呆れた顔で言いながら、シェルさんは瓶を手に取った。手慣れた風で栓抜きを扱い、封を開ける。

「水分も必要だろう」

「あ、ありがとうございます」

 差し出された瓶を受け取る。コップはないようなので、直接口をつけた。ベイルさんもヒューゴさんもそうしているので、細かいことは気にしないでおくことにする。瓶の中身は、柑橘系のジュースらしかった。控え目な甘さが丁度いい。

「……ナオ、お前、顔が赤くないか」

 食事が終わる頃になって、引き攣った顔でシェルさんが言った。

「え? そうですか?」

「おわ、マジだ。真っ赤じゃねえか、大丈夫か? つか、顔から指先まで綺麗に赤いってどういうことだこりゃ」

「……直生、酒は得意かい」

「ええと、分かりません。まだ十五歳で、飲んだことなくて」

 そう答えると、ベイルさんが深々と溜息を吐き、「ヒューゴ」と呼んだ。その目には、明らかな非難の色が浮かんでいる。

「ちょっ、俺のせいじゃねえだろ不可抗力だ! 酒持たせた料理長が悪い! つーかシェルも飲ませる前に気付け!」

「無理を言うな、子供と食事はせん。そんな習性があるか」

「無理でもやれよ! あ、待て、フラフラし始めたぞオイ。どーする、カレルヴォ呼ぶか?」

「さすがに、この時間では寝ているだろう」

「その上、子供に酒を飲ませたとなりゃ、お前の説教は確実だ。さぞやかましいことになるだろうよ」

「そいつは御免だ――って、何で俺限定だよ!」

 そんな会話が聞こえていたけれど、だんだん頭がぼんやりしてきて、誰が何を言っているのか分からなくなってきた。お腹が一杯になって、眠くなってきたのかもしれない。……うん、さっさと着替えて寝てしまおう。

「あ、ちょ、待てナオ、服! 脱ぐな脱ぐな!」

「シェル、押さえろ」

「何で俺だ!?」

 最後にそんな慌てふためいた声が聞こえたような気もしたけれど、気のせいだったような気もしないでもない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ