[声] 声の洞
「どうして一人一度限りなんだ。
融通の利かないじじいめ。
くそっ!」
今日最後の客は、一言で言うと、はずれだった。
ヴァルファに礼を言うどころか、あからさまに八つ当たりをしてきたからだ。
もっとも、このような扱いを受けるのは、さほど珍しいことではない。
満足な形で声を残すことは、ことさらに難しいことなのだ。
だからヴァルファも全く気にせず、黙々と彼の案内に努めた。
「俺は高い金を払ってんだぞ。
ちくしょう。
こんなところに来るんじゃなかった」
出口に辿り着くと、その客はぶつぶつと呪詛を漏らしながら、振り返りもせずに去っていった。
ヴァルファは男の背中に深々と一礼し見送ったのち、“声の洞”の入り口の横に立てかけてある看板を裏返し、本日の受付を終了した。
***
王都から遥か東に遠く、常人の足であれば数年に渡る旅路を経てようやく辿り着く、辺境中の辺境。
深く広がる大森林の隅に、“声の洞”は存在する。
声の洞とは、言ってしまえば、声を保管する施設である。
この地方からのみ産出される特殊な鉱石は、不思議なことに、減衰させずに声を反響するという特性がある。
鉱石に向けて放たれた声は、音量も声色も、決して失われることなく保たれるのだ。
この特性を利用して、声を閉じ込める石の箱を作り、それを無数に保管しているのが声の洞である。
ヴァルファは三代目の“声の洞”の管理人だ。
幼い頃、その才能を見込まれて先代管理人に弟子入りし、何もない森の中で、寡黙な老人との二人暮らしを続けてきた。
やがて先代に認められ、一人前になって跡を継いだのが二十年前。
以後、ずっとヴァルファはこの洞と生活を共にしている。
この先もおそらく生涯この森から出ることはないであろう。
だが、ヴァルファは己の運命のことが決して嫌いではなかった。
こんな辺境にあるにも関わらず、決して声の洞の客足が途絶えることはない。
「声を保存する」という現象の価値が非常に高いからだ。
声には、それを発した人物の生き様がすべて表れる。
性別。年齢。性格。身なり。過去。現在の境遇。そして未来への希望。
その人物が何を大切に思い、何に怒り、何を喜ぶのか。
聞く人が聞けばすべてがわかるのだ。
そのため、最後に自分の生き様をどこかに遺したいと考えている旅人がよく声の洞を訪れる。
そして己の人生を小さな箱の中に放ち、閉じ込め、満足して去ってゆくのだ。
それらの箱の大半は、再び開かれることなく、膨大な量の箱を収めた“声棚”に死蔵される。
そうして集まった何千人分もの人生の証を保管し、管理しているのがヴァルファである。
誇り高く、生涯を捧げるに値する仕事だと、ヴァルファは思っている。
だから現状に不満を感じたことなどない。
もちろん、“保存”だけがこの洞の機能の全てではない。
単純な“保存”以外の利用方法を求めて訪れる人間もたまにいる。
次の日に訪れた客が求めた“声”の持ち主も、そんな例外の一人だった。
***
「声の洞って、ここですかぁ!」
久しく聞いていないような、可愛らしい声がヴァルファの耳に届いた。
驚いて顔を出してみると、おそらく十をいくらか超えたばかりであろう、小さな男の子がぽつんと立っていた。
男の子はヴァルファの姿を見ると、ぴんと背筋を立てて気をつけの姿勢を取り、ぺこりと頭を下げた。
「あっ。おじいちゃんが管理人ですか?
ぼく、グレイル・ラージウッドといいます!」
どうやってここに辿り着いたのかわからないほど幼い少年だ。
見たところ供もいない。
まさか一人でここまで辿り着いたとでも言うのだろうか。
ヴァルファがいぶかしんでいると、グレイルと名乗った少年はにっと笑った。
「あ、どうやってここに来たのかわかんないんですよね。
ぼく、飛行魔法がちょっとだけ使えるんですよー。
それでシンラッドから飛んできたんです!」
シンラッドは最寄にある小村の名前である。
ヴァルファがこの洞と森以外に足を運ぶ唯一の場所と言っていい。
通常なら半日はかかる道のりだが、空が飛べるなら確かに一時間もかけずに辿り着ける。
しかし、この年で飛行魔法が使えるのか。
大の大人が何年も修行してようやく覚えることが可能な風属性の高等魔法なのだが。
そこで、ヴァルファは思い出した。
少年はグレイル・ラージウッドと名乗った。
その名前を持つ人間がいつか必ずここを訪れると、その“客”は確かに言っていた。
彼の残した声の内容から鑑みると、これもそう不思議なことではないのかもしれない。
「それで、おじいちゃん!
お願いです。
ぼくに父さん、じゃなかった、ゲイズ・ラージウッドの声を聞かせてください!」
ゲイズ・ラージウッド。
ヴァルファの記憶によれば、十年前にここを訪れた屈強な戦士だ。
彼は声の“保存”ではなく、“伝達”を希望していた。
遠い未来、誰かに自分の声を聞かせるために、一時的に保存することを目的とする利用方法だ。
とはいえ、声を残す側も聞く側も長旅が大変なため、その用途を選ぶ人間は滅多にいない。
“伝達”の場合、必ず合言葉を決めてもらうことになっている。
何せ再生は一度きりだ。
望まぬ相手に聞かせて終わり、となっては取り返しがつかない。
ヴァルファは少年に合言葉を尋ねた。
「『湖のほとり、アカギの実、たゆたう銀波の光』」
少年は間髪入れずに答えた。
合格である。
ヴァルファは頷き、少年を洞に招き入れた。
***
声の再生は、必ず専用の部屋で行うことになっている。
他の一切の音を排して聞くためだ。
この部屋は洞の中にあるが、もちろん壁は例の鉱石ではない。
ちなみに声の入力には、また別の専用部屋が存在する。
普段はそちらばかり使うため、再生部屋を使うのは久々だ。
少年を再生部屋に待機させ、ヴァルファは林立する“声棚”の中を歩く。
薄暗い洞の中に浮かび上がる、おびただしい数の岩の壁。
素人なら必ず迷うであろう“声棚”の迷路の中をヴァルファはすいすいと歩き、やがてひとつの箱の前に立った。
『ゲイズ・ラージウッド 1773』
今でもはっきり思い出せる。
ゲイズはいかつい図体に似合わず人懐っこくて快活な男だった。
よくよく思い返せば、あの少年に実に似ている。
棚と箱の固定を解除し、一抱えはある箱を持って、ヴァルファは来た道を戻ってゆく。
ずしりとした重みがヴァルファの両腕にかかる。
この仕事は常に石の箱を持ち運びするため、意外と筋力を必要とする。
力がなくては勤まらない。
そのため妥協のないヴァルファは年の割に鍛えられた体を持つ。
それはたまの賊の撃退にも役立っているが、そろそろ無理が利かなくなってきている気もするのが実際のところだ。
まだまだ現役を続けるつもりだが、それもいつまで続くだろうか。
箱を持って再生部屋に入ると、中で待っていた少年がつばを飲み込む音が聞こえた。
この中にあるのは、本来なら十年も前に消え果てたはずの父親の声なのである。
緊張しないはずがない。
箱を中央のテーブルに置き、土魔法を行使して封を解除する。
あとは箱の蓋を開くだけで中の声が溢れ出して来る。
ヴァルファは少年を見て、再生に管理人の立ち会いを希望するか、と聞いた。
少年は、うーんうーんとしばらく唸ったあと、一人で聞きます、と告げた。
ヴァルファは頷き、部屋を出て、後ろ手に扉を閉める。
あとは中で父子の語らいがなされるのみである。
望まれもしない部外者が中を覗くなど、野暮の極みでしかないだろう。
と、その時であった。
ぐらり、とヴァルファの体が揺れた。
違う。
揺れたのはヴァルファではなく、地面だ。
揺れはすぐに激しくなり、とても立っていられないほど強くなった。
地震か!
なんと間の悪い!
ぐらぐら、ぐらぐらと地震はずいぶん長く続いたが、やがて収まっていった。
ヴァルファは立ち上がると、まだ残る眩暈を振り切るように軽く頭を振った。
“声棚”については心配はいらない。
多少揺れたくらいではびくともしないよう、魔法によるガードが幾重にも施されているからだ。
もちろんあとで念のため見回る必要はあるだろうが、おそらく無傷のまま保たれているはずだ。
この程度でいちいち記録が失われていたら、声の洞などとうに終わっている。
だが、問題は。
そう思った瞬間、再生部屋の扉が開き、半べそをかいた少年が現れた。
「おじいちゃん。
父さんの声が、声が……」
***
不安は的中していた。
部屋の中央の台に置いてあったはずの箱が、床に転がって腹を見せている。
もちろん、蓋はとっくに外れていた。
「ぼく、父さんの声を聞こうとしたんだ。
そしたら、いきなり部屋が揺れて、わけがわからないうちに箱が落ちて、蓋が開いちゃって……。
どうしよう。ぼく、せっかくの父さんの言葉、何も……!」
必死に涙を堪える少年の頭を撫で、ヴァルファは思案した。
よもや、本当にこのようなことが起こるとは。
万一のための役目が必要になることも実際にあるのだな。
心配いらん、このような時のための保険がある、とヴァルファは少年に優しく告げた。
少年はしゃっくりあげながら、不安げにヴァルファの顔を見上げた。
老人は少年に笑いかけ、それから大きく息を吸い込み、朗々と宣り上げた。
わが息子、グレイルよ。
よくここまで来た。
長い道のり、大変だったろう。
いや、案外、そうでもなかったのか?
お前が今幾つなのかはわからん。
だが、きっと立派に成長したのであろうな。
なにせ俺の息子だからな。
それに、母さん似のお前ならきっと美形に育っただろう。
女の子とは仲良くやっているか?
たぶんたくさん寄ってくると思うが、あんまりあちこちに粉をかけるなよ。
一人に絞れ。
父さんからの大切な、大切なアドバイスだ。
さて。
喋りたいことはたくさんあるのだが、そう時間があるわけでもない。
一度に保管できる声の量には限りがあるらしいからな。
だからお前に伝えなくてはならんことをこれから簡潔に伝える。
まず。
剣と盾については大丈夫だな?
どちらもワグナーにしっかり伝えたから、お前の手に渡っているはずだ。
だから兜と鎧について伝える。
兜は、正統大陸のポージットという街のカクタという家を訪ねろ。
話は通してあるから、それでわかるはずだ。
鎧の在り処は、王国の白銀城地下迷宮の一番奥だ。
お前が思っているよりも遥かに長く険しい迷宮だから、決して油断はするなよ。
くれぐれも一人で行かないように。
信頼できる仲間と一緒に行くんだ。
踏破の暁には、彼等はきっと鎧に負けないほどお前の心強い味方になってくれるだろう。
魔法について今一度学びたいと思ったら、未来大陸のジーザイという街を訪ねなさい。
そこの学園長が、この世界で一番魔法のことを判っている存在だ。
きっと魔法だけではなく、この世界の在りようについてもお前に教えてくれるだろう。
こんなところだろうか。
あとのことは、お前なら自分の力できっとどうにかできる。
仲間を作れ。
一人になるな。
一人ではできないことでも、みんなで力を合わせればできる。
本当は、それだけわかっていれば十分なんだ。
ああ、もう時間が来てしまった。
まだまだ話したいことはたくさんあるが、ここまでにしなければなるまい。
グレイルよ。
俺も、母さんも、お前を愛している。
お前とその仲間達なら必ずやれる。
勇者という運命の重圧に負けず、まっすぐ進んでいける。
まだ幼いお前を成長するまで守れってやれなかったのが心苦しいが、俺達はずっとお前を見守っているぞ。
ゲイズ・ラージウッドよりグレイル・ラージウッドへ、愛を込めて。
***
その日、少年はヴァルファの家に泊まっていった。
ヴァルファは少年といろんな話をした。
少年の旅の話。
両親の思い出の話。
この洞の話。
そして、ヴァルファ自身の、一度聞いたことを決して忘れない記憶力と、あらゆる声色を再現する能力についての話も。
“伝達”の場合は万一に備えて管理人自身が予備の“箱”になると聞いて、少年は感嘆の溜息を漏らしていた。
***
「それじゃ、本当にありがとうございました、おじいちゃん!」
翌朝、洞の前。
少年は来た時と同じように直立不動の体勢を取り、ヴァルファに向けて頭を下げた。
ヴァルファはわかるかわからないか曖昧なほど小さな笑みで少年の礼に応えた。
「じゃあね!
また遊びに来るよ!」
少年は当たり前のように風属性極大魔法を唱えると、ふわりと宙に浮き、あっという間に空の彼方へ消えていった。
なるほど、とヴァルファはひとりごちた。
この調子では、あの子にとって、すでにこのあたりは庭も同然に違いない。
さて。
ヴァルファはしばらく空を眺めたあと、洞窟の入り口の横に立てかけてある看板を裏返し、本日の受付を開始した。
今日も客が来るかどうかはわからない。
誰も来なかったとしても、“声棚”の確認はしなくてはならない。
すべきことはいくらでもあるのだ。
でも、それも全て終わって、本当に何もすることがなくなってしまったら。
その時は、そろそろ弟子を取るのもいいかもしれんな。
そんなことを考えながら、ヴァルファは数多の声が眠る洞に戻っていった。
次にここに遺される声は、一体どんなものになるのだろうと思いをめぐらせながら。
[声] 声の洞(了)