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[枕] キャッチ・ザ・ピロウ・オア・ハート

      挿絵(By みてみん)


 「それ」が投げられた瞬間、その場にいた自分以外の女子五名十の目が一斉に光ったのを紀子は見逃さなかった。

 おそらく……いや、確実に、自分の目も同様に光った。それは他の五名の表情を見ればすぐに察しがつく。

 修学旅行も二日目、大広間の夕食も終えて夜が更けて、ついにその時がやってきたのだ。

 枕投げ――そう、阿鼻叫喚の戦乙女達が己の命と誇りをかけてバトルロイヤルを繰り広げる、誰もが知っているあのイベントである。


 この何の変哲もない旅館の大部屋に存在するのは男子が三名、女子が六名。女子の部屋に男子三名がこっそり遊びに来た形である。

 男子三名の内訳は、田原大地、井上哲郎、漣亮馬。十五分ほど前、お調子者の田原と井上が、シャイな漣を引っ張って来たのだ。

 女子六名の内訳は、相楽紀子、結城マリ、平田愛梨、森川清良、菊池友里恵、斉藤あけみ。うち紀子とマリと友里恵は男子三名と同じ班である。彼らが部屋に来たのはその縁がゆえであった。

 この女子六名のうち六名全員が、漣に想いを寄せていた。

 彼女らがいかに漣に心を奪われ、また日々の想いを募らせているかわざわざ語るような野暮なことはしない。さしあたって、滴るような若い血肉を備えた極上の牡鹿を見つけた時の獅子の気持ちに近い状況である、といえば納得していただけるだろうか。

 残念ながら、田原と井上は彼女らの眼中に入っていない。


 彼女らは共謀し、男子たちが部屋に「枕投げをしに」遊びに来るよう仕向け、それぞれの枕を持参させることに成功した。何も知らない男子三名は、何の疑いもなく自分の枕を持参して女子部屋を訪れた。そして、少し水を向けただけで……「枕投げ」は始まったのだ。

 それが彼女らの狙いであった。

 漣の枕を我が物とし、その匂いと感触を独り占めして一晩を過ごす。

 そのためだけに開催された「枕投げ」だったのだ。



 漣が笑顔で枕を投げた瞬間、まず飛び出したのは瞬発力に秀でるマリだった。何のひねりもなく右手を宙に差し出し、掌を限界まで広げてキャッチ・ヒズ・ピロウの構えである。

 それを愛梨が阻止する。愛梨は腰をわずかにかがめ、次の瞬間にはマリに強烈なボティ・チェックを食らわせていた。平田愛梨は十年に一度の天才と呼ばれる、インターハイ常連の陸上部の短距離ランナーである。そこに恋のガソリンを注ぎ込んだ破壊力は、容易にマリの体を吹き飛ばした。

 体当たりが直撃したマリが吹き飛んでいく横、清良がぬるりとした動きで愛梨の背中に回る。清良の生家は神秘の古武術を現代に伝える道場である。森川壊人流古武術の次期継承者の手並は物心つく前から鍛え上げられている。清良は背中から愛梨に手をあてがい、そっと右足を愛里の軸足に添え、腕を大きく縦にこねるように動かした。

 愛梨がぐるりと回転した。前後方向ではない。横方向にである。急激な横向きのGが愛梨の脳を揺らし、一切の抵抗を封殺する。さながら陰陽の文様がごとく、愛梨はその場で頭と足の位置を入れ替えると、何もできないまま畳に脳天から落下した。

 清良の油断なき残心の構え。

 しかし愛梨を投げ飛ばすことに神経を集中しすぎた清良は、その瞬間、肝心の漣の枕から注意を逸らしていた。決定的で、致命的な隙だった。清良が枕に注意を向けようとした時……未だ宙空にある枕に、鋼鉄製のワイヤーが絡みついた。

 斉藤あけみは暗器使いである。由来はわからない。実家は普通の一般家庭だとあけみは自称するが、その話が真実か否かはクラスメイトの誰も知らない。しかし、あけみがそのセーラー服の下に数多の武具を忍ばせていることは、彼女に近しい人間――そこにはこの場にいるあけみ以外の女子五名も含まれる――であれば誰もが知っていた。

 あけみは歩く危険物貯蔵庫と呼ばれている。

 その危険物貯蔵庫たる彼女が、今まさに本気を出したのだ。パジャマの袖の下から鋭く伸びたワイヤーは正確に漣の枕を絡め取り、その柔らかい体躯に鋼鉄の筋を食い込ませる。獲物を捕らえてもあけみの目は一切の喜びを浮かべてはいない――今は、まだ。

 あけみがワイヤーを引き、枕を己の手元に手繰り寄せようとした刹那、同時に動いた影があった。最初に吹き飛ばされたマリである。彼女は壁に叩きつけられるその時、強引に体の向きを捻じ曲げ、足の先から壁に「着地」した。そのまま膝を沈め、反動を利用して再度枕に飛び掛ったのである。その間わずかコンマ五秒。等身大のスーパーボールのような残像だけを残し、彼女は漣の枕に飛び掛った。あけみのワイヤーが絡み付いていようがお構いなしである。

 結城マリは七歳まで南米のジャングルの中で育った。野生が彼女を育て上げ、彼女は親の教えがそうであるように、野生そのものを身に宿した。奇縁により日本に移り住み、普通の少女の皮をかぶって生活することに慣れてはいても、その野生は彼女の中で絶えずくすぶり続けていた。いくつかの不幸な事件を経て、その野生は彼女の強靭な精神力で押さえ込まれるようになったが、今ここでその野生が爆発した。彼女は何も考えない。本能のまま、その枕を欲するのみである。それだけで十分なのだ。

 マリは瞬間的に枕に到達。頭から畳に落ちた愛梨はまだ動けない。清良は背後の獣の気配に振り返るが時遅く、マリの異常な瞬発力には及ばない。マリは枕をひったくるように掴むと、もう片方の手であけみのワイヤーを切断した。

 だが、あけみはすでにそれを予測していた。枕の奪取に成功したと頬をほころばせるマリの目の前には、今まさに自分の体に直撃せんとする数多の鋼球があった。あけみの暗器のひとつ、パチンコ玉である。彼女は最大五百発のパチンコ玉を同時に射出できる。その全てがマリの体に叩きつけられる。マリの乙女の柔肌に苛烈な玉の衝撃が食い込み、呼吸が詰まる。痛恨の一撃。マリの手から枕が離れた。

 体をのけぞり撃墜されたマリを置いて、あけみは背中からトンファーを取り出し装備した。もちろん相手は古武術使い、清良である。あけみは全力の自分と清良を五分と見ていた。考えなしに動くマリを出し抜くことは可能だが、清良は同じようにはいかない。

 今、隙を作ったら、瞬く間に相手に食われる。互いにそのことがわかっているからこそ、あけみと清良は動けない。先にこいつを潰さなくてはならない。暢気にも枕に注意を向けようものなら、次の瞬間には死が待っている。

 強者二人が視線を交錯させたその背後――目立たぬように蠢くひとつの影があった。影は誰にも気付かれず――この激戦の中、誰にも気付かれず! 枕の落下点に到達、そのまま……無造作に降ってくる枕を掴み取った!

 途切れそうな意識を持ち直したマリが、あけみに殺気を放っていた清良が、トンファーを油断なく構えるあけみが、脳震盪から急速に回復しつつある愛梨が、そして紀子が、その様子を信じられないという目で見た。黒子のように存在感を消し、そして宝物に到達した影――菊池友里恵は、その瞬間、固有能力『施錠者(キーヤ)』を発動する!

 『施錠者(キーヤ)』は端的に言えば、結界の密室を生み出す超能力である。予め存在する境界線上に、光以外の何物をも通さぬ半透明の壁を出現させ、自身を閉じ込める。効果は一分しか持続しない。しかも連続使用のインターバルは同じく一分である。つまり一分間の完全なる防御と引き換えに、一分間の無防備を晒す能力だ。彼女の常人離れした気配の薄さを加味しても、結界が破れた瞬間、友里恵は他の女子達に成す術なく蹂躙されるだろう。だからこそ、この場の他の女子たちは、友里恵がそれを使うとは思っていなかったのだ。

 咄嗟に抜き手を伸ばした清良が、トンファーの隠し機構から針を射出したあけみが、友里恵の周囲に展開した結界に即座の一撃を加える! だが金属に金属をぶつけるような冷たい拒絶の音だけが響き渡り、二人の攻撃は容易く跳ね返された。『施錠者(キーヤ)』の一分間は無敵なのだ。たとえいかなる手段を用いようとも、畳の縁を基礎として構築された友里恵の障壁を破壊することはできない!

 その脆い結界の中、友里恵は…枕に顔をうずめ、思いっきり息を吸い込んだ!

 結界の外の女子たちの顔が凍りつく!

 先を……越された!

 その瞬間、彼女ら全員は友里恵の真意を理解した。友里恵は端から生き残ろうとは思っていなかった。最初からこの一分間だけ枕を満喫し、その後潔い死を迎えるつもりだったのだ! 流れ星より短い刹那、しかし誰にも邪魔されないその六十秒。友里恵は十字架を見上げる殉教者のように敬虔な表情で、漣の枕をぎゅっと抱きしめた。

 攻撃、攻撃、攻撃、攻撃! 今や清良とあけみとマリのターゲットは完全に友里恵の結界へと切り替わった。鋼鉄であろうが瞬く間に原型を留めず粉々に破壊されるであろう猛攻の嵐の中、音を通さぬ静寂の中で友里恵が至福の表情を浮かべる。どんなに焦っても結界は壊れない! 立ち直った愛梨の体当たりも加わり、核爆弾の爆心地をも上回る衝撃の旋風が結界を中心に吹き荒れる!

 そして……長い長い、あっという間の六十秒が経過した。

 『施錠者(キーヤ)』が鍵をかけた一畳の密室は音もなく消え去り、その瞬間、清良の抜き手とマリの飛び蹴り、あけみのトンファーが友里恵の体に突き刺さった。友里恵は声ひとつ出すこともできずに意識を失った。涙の軌跡が宙に湾曲したラインを描く。すでに物言わぬ人形と成り果てた友里恵は安らかな顔で枯葉のように空を舞い、背中から床に落ちた。そして、二度と動かなかった。

 枕は? 枕はどうなった? 友里恵への敵愾心を高めすぎた清良とマリとあけみの隙を突いた愛梨が天才アスリートの爆発的脚力を発揮し、枕だけに的を絞った突進で奪い取っている! いかな実力を秘めていても、憎しみに呑まれた者は敗北するのである。愛梨は枕を抱え込んだまま、勢いを殺すことなく、予め開け放たれていた窓から身を躍らせる。ここは地上二階。窓の下には草むらが広がり、その向こうには闇に沈む温泉街の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。そのどこかに一匹の泥棒猫が迷い込んだとしても、発見はおそらく困難であろう。

 枕を奪取し逃走を続ける愛梨を追い、清良、マリ、あけみが直ちに追撃を開始する。競うように窓から飛び出し、一歩抜きん出たのは野生の支配するマリだ。三者はしめやかに庭へと着地すると、風のように駆け抜けて愛里の後を追いかけていった。


 そこまで確認してから、紀子は言葉を失っている漣に笑いかけた。

「漣くん。お話しよう?」


 部屋の隅で呆然としている田原と井上に気を払う者は、誰も居なかった。







[枕] キャッチ・ザ・ピロウ・オア・ハート(了)

ササライ様から豪華な扉絵をいただいてしまいました。ありがとうございます!

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