[指きりげんまん] 切っても切れない
「え…。また、仕事なの?」
しんどい平日の仕事を根性で片付け、いざ迎えた土曜日の朝。
久々のデートに心躍らせていたあたしの元に、彼は朝一番で駆けつけ、そしてこの無慈悲な言葉を告げたのだ。
「すまんの…。急に大きなヤマが入ってしもうての」
申し訳なさそうに土下座する彼の髪型は素敵なリーゼント。
秋も深いというのにアロハシャツを着込み、首元には安っぽいアクセがじゃらじゃら。
ぴしっと様になった土下座をかますその体は筋肉質に引き締まっている。
だって彼は、ヤクザなんです。
「ほんまにすまん…。甘煮組の連中がうちのシマに討ち入る報告があっての。
わしも若頭として参加せなあ、示しがつかんのじゃ…」
「毎回毎回そんなんばっかり。ねえ、最後にデートしたのいつか覚えてる?」
あたしは仁王立ちで睨んだまま、彼は土下座の格好のまま、沈黙が流れた。
あたしは深い深いため息をついた。
「半年! 半年も前なのよ! もう信じられない! 何やってんの一体!?」
「何って…そら…若いもんにこの世の習いってもんを」
「そういうことを言ってるんじゃないッッ!!」
あたしの怒鳴り声に彼の背中がびくんと震えた。そしてますます縮こまる。
申し訳なさという概念がそのまま形になって顕現しているかのようだ。
でもあたしの怒りは収まらない。
「もう我慢できない。終わりにしようよ。あたしなんか放置してヤマに精を出せばいーじゃない」
途端、彼ががばっと顔を上げた。強面が涙でぐしゃぐしゃだった。
彼は勢い込んで立ち上がり、あたしに詰め寄るように迫ってくると、手を掴んで必死に吼えた。
「すまん! ほんまにすまん! それだけは勘弁してくれえ…!
お前がいないとわしゃ生きていけんのじゃあ……。
お前がいなくなったら、わし、何を頼りに生きてけばええのか……」
「せいぜいオヤジだの若いもんだのに頼ればいいじゃない」
「そんな殺生言わんといてくれえ」
彼は母親を見失った子供のような情けない顔でうろたえる。
そして、急に何かを閃いたかのように言った。
「そうじゃ。約束。約束する。来週こそ、お前のために時間を作る」
でもその手はもう何度も食らっているのだ。今更効くか!
「またそれ? 前も同じこと言ってたけど。で、破ったんですけど」
「ああうう……そうじゃ、ただの約束じゃあない。アレをしよう」
アレ? アレって何?
過去に例のなかった展開に、少しだけひるんでしまう。
彼はあたしの手を離すと、キッチンに向かって何かをガサガサ探し始めた。
なかなか見つからないらしく、あっちこっちをひっくり返している。
「何? 何探してんの?」
見かねて尋ねると、彼は背中越しにぼそっと答えた。
「ポン酒と盃を……」
ナンデ?
「いや、ただの約束なやい、本気の誓いには必須やろと思って…」
「義兄弟の契りをかわしてどないすねん!!」
彼の脇腹に向けて全力のミドルキック! 彼は回転しながら吹っ飛んでいく!
いかん。つい本気で蹴ってしまった。
壁に激突し床に崩れ落ちた彼の口から、血とともに言葉が零れ落ちる。
「ぐぶっ。さすが『真紅の流星』……現役を退いても、わしの惚れた破壊力は落ちとらんの……」
「やめて! あたしの黒歴史をほじくり返さないで!」
レディース時代のことは思い出したくないの!
ひどい悪夢を見ていたことにしたいの!
彼はよろめきながら立ち上がると、震える膝を押さえながら辺りを見回した。
「ゴボッ。じ、じゃあ、半紙はあるかの……?」
「半紙? あるわけないでしょ。なんでよ」
「盃が無理なら血判状しか……」
彼の腕を掴み、背負い投げ一本!
床に激しく叩きつけられ、彼は潰れたカエルのような声を漏らす!
「だーかーらなんでそんな物騒な方向に持っていく! アホか! もっかい言うけどアホか!」
「わし、不器用やから……それしか知らんかっての……」
「不器用関係ないわい! 指切りげんまんでもなんでもいいじゃん!」
あたしの言葉を聞いた瞬間、彼はがばっと身を起こすと、何かとてつもなく神聖なものに触れたような声で呟いた。
「そ、それや……。素晴らしいアイディアや。なんで思いつかんかったのじゃあ」
「何がよ? 指切りげんまん?」
「そう! その甘美な響き! お前と指切り……うおお! 恋人にしか許されない特権!」
「……」
別に親子でもやると思うけど。
まあ、なんか一人で盛り上がってるし、そこまで想われてるのは悪い気分じゃないけどさ……
「やろう! 指切り! わしとお前で指切りげんまん! ふははは!」
「何そのテンション……。まあ、いいよ。それで許してあげる」
「うひひ。指切りげんまんじゃあ。たのしいのう」
あんたほんとにヤクザか?
ため息をついて、あたしは手を出した。やるならさっさとね。
と、彼の表情がそこで凍った。
彼がぐぎぎと首を巡らせ、ぎこちない笑顔であたしにそっと両手を差し出した。
「すまん。こないだケジメしてもうたんやった」
もういい加減呆れたので、とりあえずボコボコに殴ったあと、部屋から退場してもらいました。
甘煮組とのヤサが結局どうなったのか、一般市民のあたしは何も知りません。
[指きりげんまん] 切っても切れない(了)