[リモコン] 帰ってきて
葬儀から帰ってくると、居間のテーブルの上に見慣れないリモコンが置いてあった。
私のいない間に誰かが家に入ったのかと一瞬恐ろしくなったけど、どうもそんな形跡はない。
手に取る。やっぱり見たことのないリモコンだ。しかも、はっきりいってボタンがおかしい。
「お父さん」
「お母さん」
「ゆーた」
「パイン」
上から順に、この四つだけ。
一瞬、何も考えられなくなったけれど、恐る恐る、「お父さん」のボタンを押してみた。
特に何も起こらない。
悪ふざけもいい加減にしてと、リモコンを床に叩きつけようとした、その時だった。
「ただいま~」
玄関からお父さんの声。ばっと振り向くと、会社帰りのお父さんが、いつも通り帰ってくるところだった。
「う~す。あれ? マリ。お母さんやゆーたはどうした?」
いつも通りのお父さんだ……。
慌てて、「お母さん」「ゆーた」「パイン」のボタンも次々と押してゆく。
「ただいまっ。やべっ! マイハマン始まっちゃうっ」
「こらっ! ゆーた! 帰ってきたらただいまでしょ!」
どたどたと走ってきて、即座にテレビの前に待機するゆーた。
玄関からゆーたを怒鳴りつけるお母さん。
躾けた通りに玄関のマットで泥を落としてから、パインがのたのたと居間に入ってきて、隅のマットの上に寝そべる。
帰ってきた。
みんな、帰ってきた。
「あれ? お姉ちゃん、なんで泣いてるの?なんかあったの?」
ゆーたの疑問に答える余裕はなかった。
みんな、帰ってきた。死んだわけじゃなかったんだ。なんだ。そうだったのか。
「醤油取って、お父さん」
「ん」
「ゆ・う・た! これ! にんじん残ってるよ!」
「やーだー! いらない!」
いつも通りの朝食の風景。みんなが帰ってきてから3日が経った。
弟のゆーたが騒ぐから、今日も我が家の食卓はにぎやかだ。
パインもテーブル横で一心不乱にほねっこにかぶりついている。
ニュースは今日も政治家のスキャンダルを報じている。
私達の事故のニュースは、とっくに押し流されてしまった。
テーブルの隅には、あの変なリモコンがぽつんと置いてある。
「そういえば今日は昼頃、勝子さんが来るってさ」
「え? なんで?」
「さあ…なんか大事な用があるって」
「聞いてないけど…まあ、あんた学校休みでしょ。お願いね」
勝子さんはお母さんの妹、私の叔母だ。歩くのも大変そうなくらいふくよかな人である。
昼間はお父さんもお母さんも仕事だし、ゆーたは幼稚園だ。私とパインしかいない。
「ん。お茶請けにそこのクッキー出すよ」
何しに来るんだろう?
まあ、聞けばわかるか。
取り留めのない疑問を感じながら、私は目玉焼きをほおばった。
「マリちゃん。辛いところ、ごめんね」
「いえ。あたしは全然大丈夫ですよ。どうぞ」
昼頃、約束のとおり勝子さんが我が家にやってきた。パインが寝ている居間に通す。
私はクッキーとお茶を出して、妙に沈痛な面持ちの勝子さんに振舞う。
勝子さんは平然としている私をいぶかしげに見ていたが、意を決したように切り出した。
「さて…早速だけど。マリちゃん、この後どうしたい?」
「どうしたいって…?」
「家はあるけど、まだ高校生でしょ。ここで一人で暮らしていくのは大変だとあたし思うの。
あたしの家で良ければ、一緒に暮らさないかしら」
なんで?
どうしてあたしが引っ越さなくちゃいけないの?
「言ってる意味がわからないんですけど」
「だからね、あんなことがあって一人だと辛いでしょ? 辛くないの?
お金はたくさんあってもね、いろいろ…思い出しちゃったりしないの?」
「思い出すって事故のことですか? あたしは怪我ほとんどしなかったし、別にもう…」
「いや、マリちゃん自身のことじゃなくて。お母さんとかお父さんのことは」
「この時間はお母さんもお父さんも仕事に出てますけど。ゆーたは幼稚園です。知ってますよね?」
あたしがそう言った瞬間、勝子さんの顔色が真っ青になった。言葉もない、といった顔であたしを凝視する。
あたしは困惑してただ待つしかない。
パインが一度身じろぎして、また寝付くくらいの長い沈黙があった。
おもむろに勝子さんは立ち上がり、あたしの手を強く引っ張った。
「マリちゃん。今すぐあたしと一緒に来なさい」
「ちょっ、痛い! なんで? いやっ」
「いいから! ちょっと、来なさい」
急に強引になった勝子さんが怖くて、あたしは抵抗してしまう。
暴れた振動で、テーブルがひっくり返った。
「あっ」
上にあったものが床に散乱する。
リモコンも跳ね飛ばされ、勝子さんの足元に転がった。
「ご、ごめんね」
叔母さんが焦って足元のものを拾い上げて…リモコンを持ち、怪訝な顔をした。
しまった、とあたしは本能的に怯えた。
「何これ? リモコン…?」
「ちょっ! 触らないで! やめて、それを返して!」
適当に、あまりにも無造作にボタンを押す叔母さんから、慌ててリモコンを奪い返そうとして突進する。
足をもつらせ、二人で絡まりながら倒れた。
「痛い…」
「あっ。ああっ。ああっ!」
リモコンが割れていた。おばさんが…下敷きにしてしまったのだ!
ぶんどってまじまじと見る。真っ二つに割れて、中のコードが千切れている。
一目でわかる。壊れている。壊された!
頭の中が真っ白になる。
「帰って」
「マリちゃん」
「帰ってよ!」
あたしの絶叫に気圧されたのか、勝子おばさんはしばらく何かを言っていたけれど、やがて諦めて帰っていった。
あたしは壊れたリモコンを呆然と眺めていたが、ふと居間の隅を見た。
騒ぎに目を覚ましたパインがあたしに寄ってきて、ぺろりと手をなめた。
大丈夫だ。パインはいる。お父さんもお母さんもゆーたもいるはずだ。
突然帰ってきたからといって、突然消えたりはしないはずだ。
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
きっと必ず大丈夫。
夕方には、お母さんがゆーたを連れて戻ってくるはずなんだ。
夜にはお父さんも帰ってくる。
パインをかき抱いて、あたしは一心不乱に、家族の帰りを待ちわびた。
[リモコン] 帰ってきて(了)
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