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[チョコレート] チョコレートの私



 (1)


 コンチャック村のマルナは、ちょっとだけそそっかしい、ごく普通の女の子です。だから彼女が恋をする時は、いつも、普通の女の子なら誰もがそうするように、全身全霊で体当たりをかますような、そんな命懸けの気持ちで挑みます。今回の話は、そんな彼女のある恋が、ものの見事に玉砕し、木端微塵に砕け散って完膚なきまでに終焉を迎えるまでの顛末です。



 マルナがその時恋をしていたのは、笑顔がとっても爽やかな、サワデスという男の子です。マルナがいつものように何もない道端で唐突かつ派手に転んでしまった時、すっと手を差し伸べてくれたのが彼でした。たったそれだけのことでしたが、マルナはそれ以来、すっかり彼の虜になってしまいました。マルナは普通の女の子でしたが、残念なことに、頭のネジが二十七本ほど抜けていたのです。


 とはいえ、サワデスはマルナの家のあるコンチャック村からずいぶん離れたところにあるクイクイ村に住んでいました。その時はたまたま用事でコンチャック村を訪れていただけだったのです。なので、そう毎日会えるというわけではありません。というか、それからマルナは彼に一度も会っていないのですが、とにかくそういう理由で、マルナは彼のことを熱烈に想いながらも、結局あれから一度もその姿を見ることができないでいたのでした。


 もちろん、会えない日々は想いを募らせるのが片想いというものです。


 もともとマルナは奇行癖のある女の子でしたが、それからというもの、マルナの奇行は以前にも増してエスカレートしてしまいました。ご飯を食べながら彼のことを思い出してご飯粒や咀嚼物を口からポロポロと落下させたり、道を歩きながら自ら作詞作曲した「さわやかサワデス」というどっかで聞いたことのあるような歌を歌ったり、畑仕事をしながらバキュームカーのような吸引力を有するキッスの練習を繰り返したり、夜はベッドの中で彼の全身を思い浮かべながらもぞもぞ動いて息を荒げていたり。何もないところで妄想にやられていきなり鼻血を噴き出すなんてしょっちゅうです。そのうちついに誰もいない空間に向けて何か話しかけるようになってきたので、見かねた母親は、マルナにこんな提案をしました。


「そんなに好きなら、来週のバレンタインデーにチョコレートでもあげたらどう?」


 それよォォォォオオオオオ!! とマルナは絶叫して、母親の提案通り、バレンタインデーになったらサワデスにチョコレートをあげることにしました。そして興奮してスクワットのような動きをしながら、その時はチョコと一緒に、彼に自分の気持ちを告白しようと決めました。恋は乙女を獰猛にします。翌日から早速、マルナは彼にあげるチョコレートの準備に取りかかったのでした。


 せっかくだから、どーんとでっかいチョコで攻めた方が想いがいっぱい伝わるよね! できれば私自身の形をしていた方が私の気持ちがわかりやすいかな! というわけで、マルナは自分自身の形をした等身大のチョコレートを作ることにしました。最初は自分の体に直接チョコレートを塗りたくってクイクイ村まで突っ走って行こうかと思ったのですが、それだけはやめてくれと母親に泣きつかれたので諦めたのです。


 マルナは並程度の木彫りの才能を発揮し、一週間かけてそれなりに似ている自分像をなんとか彫り上げると、それを使って自分の型を作りました。そして、母親から前借りした一年分の小遣いを使って山ほどのチョコを買い、それをバスタブいっぱいの熱湯で繰り返し繰り返し湯せんにかけ、少しずつ型に垂れ流していきました。そしてすっかり冷えたあと、最後に前半分と後ろ半分を貼り合わせ、とうとう自分自身の1/1スケールチョコレート像を完成させてしまいました。


 見れば見るほど完璧だ、とマルナはすっかりご満悦でした。特に美人でも不細工でもない顔も、ごく普通のサイズのバストも、畑仕事でちょっぴり太くなっている二の腕も、パンツのゴム紐の痕がついた下腹部も、平均よりやや太めの太腿も、そしてマルナの大切なあ……いえいえ、それはともかく、全身くまなく忠実に再現されています。何を作っているのか詳しく聞かされていなかったマルナの母親は、三日前に彫り上がった木彫り像を見た時点で卒倒して未だに寝込んでいたので、自慢する相手がいなくてマルナは残念でした。


 さあ、あとは、この像をサワデスに直接手渡すだけです。



 (2)


 そしてバレンタインの前日の深夜、自らの作り上げたチョコレートを背負い、マルナはコンチャック村を旅立ちました。クイクイ村まではかなりの距離があるので、これくらい時間を取っておかないと間に合いません。普通に歩いていくだけなら数時間ほど歩けば十分辿り着く距離ですが、前日に試しに担いでみたところ、予想していた以上にチョコレートが重かったので、もっともっと時間がかかりそうなことに気付いたのです。


 一歩踏みしめるごとに、ずっしりとした重量感がマルナの足を襲います。マルナは運動不足ではありませんが、かといって別に鍛えているというわけでもなかったので、一時間も歩く頃にはすっかり筋肉痛になってしまいました。しかし無理でもなんでもこの道程を踏破しなければ、サワデスのもとにチョコレートを届けることはできません。ところどころで少しずつ休憩しながら、マルナは普通の乙女のような不屈の精神でクイクイ村に向けて震える足を動かしていきました。


 しかし、マルナは普通の女の子ですから、無理をするとその分だけしっぺ返しを喰らってしまいます。ほんの少しだけ休憩するつもりで木陰に横になったところ、そのままぐっすり眠り込んでしまったのでした。目が覚めた時には、あたりはすっかり明るくなっていました。太陽が高く昇り、二月にしては暖かいほんのり陽気が野山を照らしているのを見て、マルナは真っ青になってしまいました。なんと、あれだけ苦労して作り上げたチョコレートがすっかり温まっているではありませんか!


 もう疲れただの休憩だのと甘いことは言っていられません。無茶をしてでもペースを上げなければ、サワデスに渡す前にチョコレートが崩壊してしまいます。マルナは気合いを入れるために自分の頬を張って精神を注入すると、クイクイ村に向けて猛ダッシュを開始しました。乳酸のたまった足の筋肉が悲鳴を上げましたが、構わずマルナは走り続けます。大声で「さわやかサワデス」を絶叫すると、少しだけ疲労を誤魔化すことができました。


 そしてそれからほどなくして、ついにマルナはクイクイ村に辿り着きました。走りながら村の入り口の門が見えた時には、感動のあまり思わずマルナは泣いてしまいましたが、しかしこれで終わりではありません。村に着いたら、次は早くサワデスを探さなくてはいけません。背中のチョコレートはすでに表面がじんわりと柔らかくなってきつつあります。


 マルナは手近にいた村人を捕まえると、サワデスの家がどこにあるのかを尋ねました。村人はマルナの背中に見える謎の物体にビビりつつ、この道をまっすぐ行って、坂道を登りきった一番奥にあるのがサワデスの家だよと教えてくれました。相手の言葉が終わるか終わらないかのうちに、マルナはお礼を言ってすぐに再び駆け出しました。


 よりにもよってサワデスの家は村の一番奥で、その上坂道のてっぺんにありましたが、マルナの恋心はそんなことではくじけません。生まれたての小鹿のようにガクガク震える足を殴りつけておとなしくさせながら、マルナは目を丸くする村人たちのど真ん中を突っ走って猛然と坂道に襲いかかりました。


 坂道を登りながら、マルナは背中に照り付ける太陽の光が気が気ではありませんでした。まだ二月ですからそこまで暖かくはありませんが、この日は非常に天気が良く、そしてそれ以上に、全力で動き回るマルナ自身の体温が、じわじわチョコレートを溶かし続けているのです。すでにチョコレートの指先はくっついて子供の手袋みたいな形になっています。もはや一刻の猶予もありません。マルナはすでに歌を歌うこともままならないほど激しい呼吸で、キツい坂道を細かく刻むように登り詰めてゆきました。


 ですが、そこまで苦労してやっとのことで辿り着いたサワデスの家は、どういうわけか、しんと静まり返っていました。すがるようにしてドアをノックしても、誰一人として出てきません。どうやらサワデスやその家族はみんな揃って外出しているようでした。マルナは思ってもみなかった事態に、呆然となってその場にへたり込んでしまいました。


 と、そこに、隣の家から着飾った男が出てきました。不審者丸出しのマルナを見つけると男はぎょっとしましたが、流石に無視するわけにもいかなかったのか、恐る恐るマルナに近寄ってきました。この男に聞けばサワデスの行き先がわかるかもしれません。息も絶え絶えのマルナはぜえぜえ言いながら男に尋ねました。


「ぜひゅ~~ぜひゅ~~、ざっ…ふう、ふう、さわで…さん、は、こひゅーこひゅー、ど、ひふぅひふぅ、ちら、にひぃ、ひゅうひゅう、いらっ、ふひ、しゃひ、ふぃぃ、ま、か、ひぃ~~ひぃ~~」


「え?」


 もはや何を言っているのかわかりません。


 男はそんなマルナを哀れに思ったのか、家の中に取って返すと、水の入ったコップをマルナに渡して飲ませました。二月なのに全身汗だくで軽い脱水症状にかかっていたマルナにとっては、まさにこの世の物とも思えない美味しさでした。激しい呼吸の合間をぬって少しずつ飲み込むたびに、限界寸前だった体の隅々に力が戻ってきます。どうにか少し落ち着くと、マルナは改めて男に尋ねました。


「お水、ありがとう、ふう、ございました。ふう、あの、サワデスさん、は、どちらにいらっしゃい、ますか」


 男はコップを受け取りながら、何かに思い当たったような顔で言いました。


「あれ、場所を聞いてなかったんですね。隣村の集会場ですよ」


「と、隣村……」


 この上さらに動かなくてはならないと知って、マルナは流石にくじけそうになりました。しかし隣のアッシュ村なら、ここからはそんなに遠くありません。万全の体勢なら、四十分も走れば到着する距離です。マルナは最後の乙女力を振り絞って、教えられた集会場に向かうことにしました。さもなくば、これまでの苦労が全て水の泡になってしまいます。


「ありがとう、ございます。隣村……行かなくちゃ、ふう、ふう」


「あの、俺も今から向かうところなんで、良ければ一緒に行きますか」


「いえ、急いで、いるもので」


「そうですか……ところで、ちょっとお伺いしますが、背中のそれは一体」


「えへへ。私の、愛のチョコレートですっ」


 ぼやぼやしていたら手遅れになってしまいます。マルナは男にぺこりと一礼すると、転がり落ちるような勢いで坂道を駆け下りていきました。男が背中の恐ろしい物体にツッコむ隙もありません。男はあっという間に小さくなってゆく後ろ姿と、その背中に背負われている焦茶色の邪神像のようなものをぼんやりと見つめながら、何かとても嫌な予感を感じ取ったのでした。



 (3)


 マルナはサワデスの笑顔だけを思い浮かべながら、隣村の集会場に向けて一心不乱に走りました。体力はとうの昔に限界を超え、すでに頭も疲労のあまり麻痺しかけていましたが、サワデスへの恋心だけがマルナの体をひたすら突き動かします。昨日から何も食べていないので、腹の虫がひっきりなしにぐうぐう鳴っていましたが、そんなことを気にする暇はありません。マルナは普通の恋する乙女ですから、他の何を引き換えにしても、この想いだけはどうしても譲れないのです。


 マルナはこんな女の子ですから、普段、同じ村の人達からはまるで空気のような扱いをされています。誰も助けてなんてくれません。いつもひとりぼっちです。だから、転んだ自分にサワデスが手を差し伸べてくれた時、本当に、本当に、本当に、泣きたくなるほどマルナは嬉しかったのです。


 途中で何度も転びながら、マルナは懸命に集会場を目指しました。すでに背中のチョコはぼろぼろで、右手と左足がどこかへ吹き飛んでしまっていましたが、マルナにはそれに気付く余裕すらありません。引きずるようにして、這うようにして、血走った目でマルナは前進します。その視線の先には、サワデスの顔だけがあります。恋する女の子にとっては、他に何も要りません。


 やがて、木々の緑の向こう側に、小さく集会場の赤い屋根が見えてきました。それと同時に、なんだかざわざわと人のざわめきのようなものも聞こえてきます。マルナは全身血がにじんで傷だらけの格好で、ついに目前へと迫ったサワデスのもとへ向けて、最後の力を振り絞って歩きました。そして木にしがみついて集会場の入り口を見た瞬間、そこで何が行われているのかを知ったのでした。



 黒いタキシードに身を固めたサワデスと、白いウェディングドレスに包まれた綺麗な女の子が、手を繋いで集会場の入り口から出てきました。二人は多くの群集とやむことのない歓声に包まれ、色とりどりの紙テープや白い紙吹雪がひっきりなしに飛びかっています。サワデスは照れくさいような笑顔を隣の女の子に向け、女の子もまた頬を赤らめてサワデスを見つめます。そして、二人は地を揺るがすような大歓声の中、深く深くキスをしました。



 マルナはその様子を木陰から眺めていました。マルナの心の中で、何かががらがらと崩れていく音がしました。地面にひざをついて、木に寄りかかってその場に倒れないのが精一杯でした。


 やがてマルナはくるりと背を向けると、誰にも見つからないうちにとぼとぼと帰路につき始めました。こうなってしまった以上、サワデスの邪魔をするのは嫌でした。背中のチョコレートがべたべたに溶けて背中に張り付いていることにようやく気付き、一歩一歩と進むたび、マルナの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってゆきました。そして、背に届く観衆のざわめきが遠くなった頃、ついにマルナはこらえきれなくなって大声で泣き出しました。最初から最後まで無茶苦茶な恋でしたが、サワデスへのマルナの想いは、まぎれもなく本物だったのです。


 しばらく歩いて少し落ち着いた頃、マルナは小さい川を渡る橋にさしかかりました。橋げたから下を覗くと、ごつごつした石で覆われた川岸まで、それなりの高さがあります。マルナはぐすぐす言いながら、背中からチョコレートを下ろしました。チョコレートは右手や左足に加えて右足もどこかへ消え失せて、胴体部分と顔だったもの、そして左手のひじまでしか残っていません。胸もすでにぺったんこです。


 マルナはチョコレートを橋から宙に向けて差し出し、ぱっと手を離しました。落下したマルナのチョコレートはものすごい破壊音を立てて粉々に砕け散り、周囲に茶色い血飛沫を浴びせました。ごろごろ転がった溶けかけのマルナの顔が、石に当たって止まり、無表情で中空を睨んでいました。


 マルナの恋は終わったのです。また涙が溢れてきました。もう一度びーびー泣こうとして、マルナは大きく息を吸い込みました。


 と、その時、背中に向かって男の声がしました。


「……あー、そんな気がしたんだよ」


 振り返ると、サワデスの家の前で水をくれた男が、心配げな顔で駆け寄ってくるところでした。涙と汗と鼻水とチョコレートで見事なまでにぐちゃぐちゃになった顔を見て、やっぱり男は少しビビりましたが、気を取り直して男はタオルを差し出しました。


「サワデスの奴、モテるくせに自覚がないからなぁ。いつもフォローは俺ってのが納得いかないが……。ほら、これで顔を拭いて」


 男はさらに自分の上着を脱ぎ、マルナの肩にかけてあげました。汗と溶けたチョコレートとこれまでの道程のダメージで、マルナの服もすでに薄汚れたボロ雑巾のようになっていたのです。かなり落ち着いてきたマルナを一瞥すると、男はあさっての方向を見ながら、マルナの肩をぽんと叩いて言いました。


「まぁ、長い人生、こういうこともあるさ! とりあえず今日は帰って気が済むまで眠りなさい。明日になればすっきりする。じゃ、俺はこれで」


 男は片手を上げると、そのままそそくさと集会場の方へ行ってしまいました。恐らく男の本能がこの女にはあまり深く関わらない方がいいと告げていたのでしょう。一方のマルナはその場に留まって、しばらくしゃっくりあげていましたが、このままここにいても仕方がないと思い、コンチャック村へと歩き始めました。心も体も重くて倒れそうでしたが、手についたチョコレートをぺろりと舐めて糖分を補給すれば、なんとか家まで帰れるような気がしました。


 家に帰ったら、男に言われた通り何も考えずにぐっすり眠ろう、とマルナは思いました。それだけで気が晴れるはずがありませんが、なにせ他にどうしようもありません。それに、今はもう一生サワデスの影を引きずって、他の人を好きになんてなれないようにしか思えませんが、もしかすると何年か経ったら、あるいは数ヵ月後には、ひょっとしたら明日には立ち直れるかもしれません。そしてその時は、今度こそこの想いを伝えようと、マルナは普通の女の子のように固く固く心に誓ったのでした。





[チョコレート] チョコレートの私(了)

(3)の第2パラグラフ、これがこの話の全てです。他の部分はただの飾りです。

これからの彼の人生に幸多からんことを。

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