筋肉エルフは溺愛を譲らない(前編)
短編「筋肉エルフは溺愛を知らない」の続編(前編)です。
先に前作を読んでいただけますと幸いです。
その日、買い物から帰る途中。
私は道端で、一匹の兎を見つけた。
「……え?」
草むらの中で、小さく丸まっている。
兎は警戒心が強い。元の世界でも、可愛いなぁと思っていたけれど、なかなか触れ合う機会には恵まれなかった。
だからこそ。
(これはもしや……異世界転生者特典、念願モフモフチャンスでは!?)
そう思って目を凝らしたのだが。
「……なんか、大きくない?」
普通の兎より、ひと回り。……いや、ふた回りは大きい。
ふわふわの毛に覆われた身体は、ころんとしていて、妙にむちむちしていた。
だが、その身体にはいくつか痛々しい傷がある。
「怪我してる……!」
私は慌てて駆け寄った。
「大丈夫? 痛い?」
そっと手を伸ばす。すると兎はびくりと身体を震わせた。しかし、逃げようとしたものの、傷が痛むのか、すぐにその場へへたり込んでしまう。
「待って。怖くないからね」
できるだけ優しく声をかけながら、そっと頭を撫でる。
何度かそうしているうちに、兎は抵抗するのをやめた。やがて、その大きな身体は私の腕の中へすっぽりと収まる。
「……か、可愛い」
不謹慎にも、思わず頬が緩んだ。
「エイルさん、この子連れて帰ってもいい?」
少し後ろを歩いていたエイルさんへ声をかける。
「……もちろんです」
返事自体は、いつものようにすぐだった。
ただ。
「エイルさん?」
「何でしょう」
「……いや、何でもない」
彼はいつものように微笑んでいた。
それなのに、私の腕の中の兎を見ている金色の瞳だけが、妙に冷たく見えた気がした。
気のせいだろうか。
***
家へ帰ると、さっそく兎の手当てを始めた。
「エイルさん、薬ある?」
「はい。こちらをどうぞ」
エイルさんは相変わらず手際がいい。薬や布をすぐに揃えてくれる。
私は兎の傷を丁寧に洗い、薬を塗っていった。
「痛いね。ごめんね」
「……」
兎はじっと私を見つめている。長い耳は、ぺたりと横へ倒れていた。
「大丈夫、大丈夫」
優しく頭を撫でると、兎は少しだけ目を細めた。
「ほら! エイルさん、見て!」
「はい」
「撫でると、すっごく気持ちよさそう!」
「……そうですね」
「可愛いねぇ」
「…………そうですね」
「エイルさん?」
いつもより少し低くなった、エイルさんの声。
私は少し不思議に思って顔を上げる。けれど彼は、いつもの完璧な笑みを浮かべていた。
「……クロエさんが嬉しそうで、何よりです」
うん。やっぱり気のせい、だよね。
***
それから数日。
兎はすっかり我が家に馴染んでいた。
私はこの子を「フィーネ」と呼ぶことにした。もちろん、ただの思いつきである。
「兎のフィーネ」、なんとなく響きが可愛いでしょ?
「フィーネ、おはよう!」
朝起きると、専用の寝床からこちらを見ている。
「お腹空いた?」
ぴょこんと長い耳が動く。
「はいはい。今あげるからね」
少しずつ懐いてくれたのが嬉しい。
頭を撫でて。耳を撫でて。頬を撫でて。たまには抱き上げて。
「可愛いなぁ……」
フィーネを抱き締めながら、思わず顔が緩む。
「本当に癒やされる……。小動物とぬいぐるみ、それぞれから得られる幸福を一気に摂取している感じ……」
「……」
「大きな兎さん、この世界最高……!」
モフモフは至高である。
そんな素晴らしい存在が我が家にやってきたのだから、当然、私は暇さえあればフィーネを構うようになった。
……ただ。
そんな私を、少し離れた場所からじっと見つめている人がいる。
「…………」
刺さるような視線を感じるのだ。
「エイルさん?」
「はい」
「もしかして、エイルさんも抱っこしたいの?」
「私は結構です」
「そう?」
「はい」
即答だった。モフモフへの嫉妬かと思ったけど違ったらしい。
その直後。
「クロエさん」
「ん?」
「お茶が入りました」
「あ、ありがとう!」
スッと差し出されたカップを受け取るには、フィーネを一度膝から下ろすしかない。
エイルさんの淹れるお茶は、とても美味しい。だから、温かいうちに飲むに限る。
「おいしい!」
「それは良かったです」
嬉しそうに言うと、エイルさんは満足そうに目を細めた。
……そういえば。
最近、お茶を淹れてくれる頻度が増えた気がする。しかも、フィーネを抱いている時に限って。
「……考えすぎ?」
「何か?」
「ううん。何でもない!」
すると足元では、フィーネがじっとエイルさんを見上げていた。そして。
ぴょん。
「わっ」
一度私がカップを机に置いたのを見計らって、再び私の膝へ乗ってくる。
「どうしたの?」
ぎゅう。
「ふふ。寂しかった?」
フィーネを抱き締める。その瞬間。
「……クロエさん」
「はい?」
「やはりフィーネを、こちらへ」
「え?」
そう言って、エイルさんは私の膝からフィーネを問答無用で抱き上げる。
「飲みながらですと危険ですから」
「あ、うん……?」
何だか最近、エイルさんの「危険です」も増えている気がする。
***
ポカポカと日差しが降り注ぐある日。
私は庭でフィーネを膝に乗せ、のんびりしていた。
「今日もふわふわ~」
撫でるたびに、フィーネの耳がぴくぴくと動く。
「兎の耳って可愛いよねぇ」
「……」
「エイルさんの耳も綺麗だけど、この耳も柔らかくて可愛いなぁ」
その瞬間。
少し離れたところで薪を割っていたエイルさんの手が、ぴたりと止まった。
「……私の耳よりも、ですか?」
「え?」
「……いえ。何でもありません」
そう言うと、エイルさんは再び薪割り作業を開始するが。
カァンッッッ!!!
「ひゃっ!?」
庭に、とんでもない音が響いた。
薪が割れた。というより、砕け散っていた。
「!?」
さっきまで普通の太さだった薪が、木っ端微塵になっている。
「……エイルさん?」
「何でしょう」
「薪、粉々だけど」
「少し力加減を間違えました」
「そ、そうなんだ……」
するとフィーネが、私の膝の上からエイルさんを見た。
エイルさんも、フィーネを見ている。
数秒の沈黙。
「……?」
何だろう。この世界の住人(獣)同士、何か通じ合うものがあるのかな。
***
そんな日々が続き、フィーネの怪我はすっかり治った。
「よかったぁ!」
私はフィーネを抱き上げた。
「これなら、もう大丈夫だね」
フィーネは私の胸元へ、すり寄るように顔を埋める。
「元気になったなら、森へ帰らないとね」
「……」
「寂しいけど、ずっとここに引き止めておくわけにもいかないもんね」
フィーネの耳が、ぴくりと揺れた。すると。
「そうですね」
エイルさんが静かに口を開いた。
「野生の動物に、人間の匂いがついてしまうのも良くありません。明日にでもすぐに森へ返してあげましょう」
「……そうだね」
私が頷くと、エイルさんはほんの少しだけ口元を緩めた。
***
翌朝。
フィーネを森へ返すため、家の外へ出た。
「じゃあね、フィーネ」
私は良くないと分かりつつも、最後にぎゅっと抱き締める。
「元気でね。また怪我なんかしちゃ駄目だよ?」
フィーネは、私の腕の中でじっとしている。
その少し後ろで、エイルさんが待っていた。何だか今日は、妙に機嫌が良い。
「では、行きましょうか」
「うん」
フィーネを地面へ下ろす。
一瞬、こちらを振り返ったあと、フィーネは森へ向かって走り出した。
……けれど。数歩進んだところで、ぴたりと止まる。
そして、名残惜しそうにこちらを振り返った。
「ばいばーい!」
私は笑顔で手を振った。フィーネの長い耳が、ゆっくりと伏せられる。その隣で。
「……はぁ」
エイルさんが、小さく安堵の息を吐いた。
「エイルさん?」
「……これで、また二人きりですね」
「ずっとそうじゃない?」
「いや、こちらの話です」
「?」
その横顔は、どこか晴れやかだった。
これでまた日常に戻るんだな、と気持ちを改めた——その時だった。
「……クロエさん」
風に乗って、可憐な声が響いた。
「え?」
振り返る。
そこにいたのは、さっきまでの大きな兎ではなかった。
頭には長い兎耳。
背中まで伸びた茶色の髪は、ふわふわとした毛先がくるりとカールしている。
そばかすの浮かぶ顔立ちは、思わず守ってあげたくなるような愛らしさ。
その可愛らしい顔とは対照的に、身体つきは普通の女性よりもひと回り大きく、ふっくらとしたむちむちの体型をしていた。
「…………」
「…………」
私とエイルさんは、同時に固まった。
女性は恥ずかしそうに、大きな身体を小さく縮こまらせる。
「驚かせて……すみません」
「え、ええっ!?」
私は目を丸くした。
「獣人!?」
「……はい」
「フィーネ、獣人だったの!?」
こくり。
「す、すごい! これまた、むちむちで可愛くて、兎耳までついた属性てんこ盛りの大きなお姉さん……!うわわぁぁ......!」
「……?」
フィーネが、ぱちぱちと目を瞬く。
「その耳、本物だよね!?」
「……はい」
「触ってもいい!?」
「……どうぞ」
フィーネが恥ずかしそうに、ふわふわの耳をこちらへ差し出した。
大歓喜で手を伸ばそうとした、その瞬間。
ガシッ。
「……クロエさん」
急に逃げられない強力な拘束で、後ろから手首を掴まれた。
「え、エイルさん?」
「駄目です」
背後から聞こえたのは、これまで一度も聞いたことがないほど、低く冷えた声だった。
振り返ると、いつものように微笑んでいるエイルさんがいた。
……笑っている。口元だけは。
けれど、金色の瞳には、一切の光が宿っていなかった。
「彼女の耳を触るなら」
掴まれた手首を、ゆっくりと引き寄せられる。
気付けばエイルさんは、逃がさないとでも言うように私を背後から抱き込んでいた。
「私の耳は」
至近距離。綺麗な顔が、私を肩越しから覗き込む。
吐息がくすぐったい。
「もう二度と触らせませんよ?」
「…………」
え。それって。
「……な、脅し?」
思わず引きつった声で呟くと。
「そう受け取っていただいて結構です」
即答だった。
「……貴方には、これからきちんと言葉にしてお伝えすべき、ですね」
エイルさんは至近距離で、見たこともないほど綺麗な笑顔を浮かべた。
「……ケチね、耳くらい」
私たちを見たフィーネが、小さく呟いた。
「駄目なものは、駄目です」
「なんで!?」
私も思わず叫んだ。
そして、フィーネとエイルさんは、ゆっくりと視線を合わせる。
にこり。
にこり。
……二人とも、笑っている。
なのに、なぜだろう。
庭の気温が、すっと下がった気がした。
終
ムチムチお姉さんにバブりたくて(゜∀゜)
(後編はもう少しお待ちください)




