第四話 伝説の聖女
「な、何者だ!」
ほーっほっほっほ、と教会前広場に響く高笑い。
それは声を張り上げる神官の声よりも更によく通り、実に瑞々しく伸びやかであった。
今まさに呪われた侯爵家が教会に全てを委ねる、というところで謎の元気な高笑いが割って入ったので、神官たちは当然憤慨し、高笑いの主を見つけようと怒りに顔を真っ赤にして周りを睨みつけていた。
「寄ってたかって戯言をぴーちくぱーちくと……騒がしいことこの上ないわね。あまりの滑稽さに思わず笑ってしまったではないの。まったく、教会も堕ちたものだわ」
カツ!と石畳にヒールを鳴らして現れたのは、王都で流行している最新スタイルの旅装を纏った美しい娘だった。
「なんだと! 教会に対し不敬であるぞ!」
「あらまぁ。その言葉、そっくりそのままお返ししてよ」
その場の誰よりも存在感を放つ彼女に圧倒され、人々は海が割れるかのように無言で道を開ける。
そうして開けられた花道を通り、夜の闇よりも深く、艶のある長い黒髪をばさりとかきあげ、宝石すらも恥じて煌めきを失うほどに輝くルビーの瞳をすっと細めて娘は神官を一瞥した。
「まぁ。このわたくしがわからない? それでよく神官を名乗れたものだわ。お前、まさかモグリの神官ではないでしょうね」
旅装の娘は実に堂々とした態度で不敵な笑みを浮かべながら神官を見遣る。
突然現れたこの娘は一体どこの誰なのか。
皆が困惑した視線を娘に向ける中、一人の老婆が小さく叫んだ。
「この高笑い……! まさか……!」
老婆はよろよろと人混みを割って出ると、唇を震わせて言った。
「ワシがまだ乙女であった頃、東の森で迷い難儀していたところを聖女様にお助け頂いたことがある。あぁ、忘れもしないこの高笑い……。間違いない。これは、このお声は、──精霊妃であらせられる聖女ヴィオレット様のお声じゃ!」
「なんだって!?」
「精霊妃様!?」
どよ、と人々が驚愕に揺れた。
ヴィオレットとは、かつてこの王国に降臨した聖なる乙女の名である。
貴き侯爵家に生まれた彼女は、とある地方の朽ちかけた橋を民のために自ら掛け直し、貧困に喘ぐ農夫らには新しい麦の種と農具を、そして貧しい村娘には美しい婚礼衣装を与え、領主に進言して人々に教育を施し、その地の人々はおろか森の魔物ですら彼女を崇め讃えたと伝えられている。(※諸説あり)
更に聖女の高笑いは魔除けの効果と共に万病に効くとされ、なんなら腰痛や膝の痛みにも効果覿面ということで、聖女降臨の地には今でも無病息災を願う人々が巡礼に訪れている。
ちなみに聖女が村娘に与えたとの謂れがある婚礼衣装は、聖女に見込まれ領民の教育に貢献したという領主の地に建てられた『聖女博物館』に収蔵されており、今でも十年に一回くらい特別展示されていたりする。
閑話休題。
「聖女様が、何故このリーゼンフェルト領に……」
人々のざわめきの中でクリストフが呟いた言葉に気付いたのか、聖女ヴィオレットはにっこりとクリストフとアンバーに微笑みかけた。
「わたくし達がほんの数百年ほど精霊界にいる間になんだかおかしなことになっていたものだから、気になって少し寄ってみただけのことよ」
その微笑みは春の陽射しのように柔らかく、リーゼンフェルト侯爵家に呪いをかけたとは俄かに信じがたいほどであった。
驚きに目を見開くクリストフとアンバーの前を通り、聖女は神官にびしりと人差し指を突き付けて言った。
「どうせ呪いという言葉を使って長年に渡ってうまいこと首輪をつけてきた侯爵家の財産をこの機会に全て教会に流して甘い汁でも吸うつもりだったのでしょうけれどこのわたくしがいる限りそうは問屋が卸さなくてよ!」
一度の息継ぎもなく一気に捲し立てた聖女は、そうして自らの優れた肺活量を存分に周りに披露しつつ神官たちを睨みつける。
当然神官たちは聖女の勢いに押されながらも必死に反論した。したのだが、それは決して成功したとは言い難かった。
「な、何をデタラメを……! 私はこの呪われた地を浄化するために……」
「お黙りなさい! あぁ、呪い呪いと鬱陶しい。誰が何を呪ったですって? わたくし、誰かを呪ったことなどなくってよ!」
その言葉に人々はまたざわめいた。
精霊妃である聖女ヴィオレットはリーゼンフェルト侯爵家に呪いなどかけていないという。
ならば今日に残る呪いとは一体何処から来たものなのか。
困惑するクリストフたちを見て聖女は小さく溜め息を吐いた。
「確かに、かつて己が聖女であると主張した娘がいたわ。時の王族、当時の第二王子殿下だったけれど、彼がその精霊の加護を持つ娘を擁護してわたくしを排斥しようとした結果、精霊王様がひどくお怒りになり、王子殿下は王籍から除されて加護持ちの娘も放逐されたのは皆もよく知るところでしょう」
その話は今では誰もが聞いたことのあるこの国ではメジャーなお伽話のひとつだった。
聖女を追放しようと画策する王子と偽物の聖女、対して王子に迫害されてもなお清く正しく生きた聖女の物語は豊穣祭でよく劇の演目としても採用されるくらい皆に浸透している。
だからこそ皆は首を傾げた。
「……故に、精霊王様と精霊妃様はお怒りになりその二人に呪いをかけたのでは……?」
今ここで聖女がその話を口にしたということは、リーゼンフェルト家がその王子と加護持ちの勘違い娘に関係があるということではないだろうか。なんなら呪われているというエルフェ家も何か関係しているかもしれない。
しかし聖女は形の良い眉をキュッと顰め、視線でそれを否定した。
「あの娘は放逐された後、流れ着いたこの地で名を変えて、己の授かった加護をその地の者のために使うとわたくしに誓いました。そしてその誓いの通り、残りの人生を慎ましく誠実に生きました。わたくしがその娘に与えたのは呪いではなく──祝福です」
聖女は、当時のリーゼンフェルト侯爵に見初められ、侯爵夫人となって民の為に力を尽くすと誓ったその娘に祝福を与えたのだと言った。
「このわたくしが、よりにもよって改心した相手に呪いなどかけるはずがないでしょう! わたくし、断じてそのような底の浅い女ではなくってよ!」
「リーゼンフェルトに与えられたのは祝福……? ではどうして呪いなどと伝わったのだ……」
呆然とするクリストフに聖女はじとりと神官を睨め付けながら言った。
「教会がその方が都合が良いと思ったからに決まっているわ。教会に保管されている記録簿を確認してご覧なさい。わたくしも先ほど確認して驚いたのだけど、当時の神官によって記録が書き換えられた痕跡があるわ。侯爵家に聖女が祝福を与えたのがそんなにも気に入らなかったのかしら。それこそ呪いではないの。まったく腹立たしいこと」
聖女の告発にその場にいた人々がざわりと揺れた。
それが事実であればとんでもないことである。
一人二人と疑念に満ちた視線を神官に向け始めると、神官は己の劣勢を悟って苦虫を噛んだような顔になった。
「しかし実際に呪いで命を落とした者もいると記録されているではないか!」
なおも言い募る神官に、聖女ヴィオレットはやれやれと呆れた表情を浮かべた。
あるいは、まだ食い下がるそのしぶとさに感心したのかもしれない。
イタズラを咎め諭す母親のような声音で聖女は続けた。
「人はね、享楽に耽って不摂生を続けると命を縮めるように出来ているの」
「ふ、不摂生……?」
「そうよ。そもそもの話、リーゼンフェルトの一族は生まれつきアルコール耐性が低いようね。そこのお前。現当主なのでしょう。塩分とアルコール摂取量、それから睡眠時間にはよくよく気を付けることよ」
尊大な態度でクリストフにそう告げた聖女に、ついに聖女から視線まで外されて言葉に詰まった神官の一人がブルブルと震えて顔を真っ赤にしていたが、ハッと何かに気付いて叫んだ。
「わかったぞ! 貴様、聖女を騙る魔女だろう! 聖女様が呪われたこの地に御降臨あそばす理由などないのだ! 魔女め! 正体を現すがいい!」
魔女。そう言われてヴィオレットはパチリとルビー色の瞳を瞬かせた後、面白い冗談を聞いたとばかりに再び高笑いをした。
「ほほほほほ! 魔女! このわたくしを魔女ですって? ほほほ! なかなか面白い冗談を言うではないの。えぇ、えぇ、よろしくてよ! お前のその宣戦布告、この聖女ヴィオレットが全力で受けてさしあげる!」
手を握り合い、固唾を飲んで神官と聖女の遣り取りを見ていたクリストフとアンバーは、その瞬間明らかにその場の空気が変わったのを肌で感じた。
聖女の高笑いと共にぶわりと強い風が広場に吹き、人々が思わず目を閉じたその一瞬。
娘の纏う流行最先端の旅装は純白の衣に変わり、その額には聖なる紋章が輝いていた。
神々しい金色に変わった瞳を細めて娘、いや、聖女ヴィオレットは言った。
「──ご満足頂けて?」
うっそりと微笑む彼女の金色の瞳は聖女の証。
しかも神官ならば聖女の額の紋章の意味を知らないはずがない。
神々しい聖女の姿に、今度は顔を青くしてブルブルと震え始めた神官だったが、話はそれで終わらなかった。
その場にもう一度強い風が吹き、次の瞬間、聖女の傍らには真昼の陽光の下ですらはっきりとわかるほどの銀の燐光を纏う青年が立っていたのだ。
異国の装いの、恐ろしいまでに美しいその青年を見て、皆は本能でその青年が人間ではない存在だと悟り息をのんだ。
聖女の傍らに立てる存在となれば限られる。
クリストフの手を強く握ったままアンバーは恐る恐る呟いた。
「……精霊王様……?」
口にしてから、許しも得ずに呼んでしまった己の不敬にアンバーがハッと口許を押さえる。
呼ばれたのが聞こえたのか、青年は、精霊王と呼ばれる存在はちらりと視線を動かした。
「──そなたは、」
銀の燐光を纏った精霊王はアンバーを見て何かを言いかけたが、そこから言葉が続くことはなく彼の視線は傍らの妃へと移った。
その視線を当然のように受け止め、聖女にして精霊妃であるヴィオレットが可愛らしく微笑んで小さく首を傾げて見せる。
「わたくしの愛しい方。この場の説明をした方がよろしいかしら?」
「否。全て見ていた」
ヴィオレットの言葉に短く返し、精霊王はゆっくりとした動作で神官たちへ視線を向けた。
「我が妃を魔女と呼び、我が妃の施した情けを呪いと叫ぶ。そなたらの所業を許す理由を我は持たない」
精霊王の視線に、神官たちは声も出せずに青を通り越して白い顔でブルブルと震えている。
もしかしたら呼吸すら上手く出来ていなかったかもしれない。
けれどこの場に彼らを庇う者は誰一人としていなかった。
何故なら彼らは神官でありながら、よりにもよって精霊妃を魔女と蔑む愚行を犯したのだ。
それはすなわち国に対する反逆である。擁護など出来ようはずもなかった。
「真の精霊の呪いがどのようなものであるか、その身で確かめるが良い」
そう言って、精霊王は人差し指を上から下に向かってすっと下ろした。
すると広場に一陣の冷たい風が吹き、その風に包まれた神官たちが一斉に喉を押さえてのたうち回り始めた。
苦しそうに喘ぐ神官たちを彫像めいた冷ややかな視線で見下ろし精霊王は淡々と告げた。
「そなたらは今後真実しか口にすることは出来ない。神官であるのなら、そも偽りなど不要であろう?」
精霊王の言葉に神官たちは震えながら身を寄せ合い、代わりにヴィオレットはころころと鈴が転がるような笑い声を上げた。
「まぁ。命ではなく嘘のみを取り上げるだなんて、精霊王様はお優しいこと。ついでに彼らを王都の教会本部に送って差し上げてくださいまし」
「すぐに叶えよう」
ヴィオレットの言葉に従い精霊王が宙でくるりと人差し指を回せば、次の瞬間には煙をかき消すように神官たちの姿が消えていた。
神官たちが消え、先ほどまで広場に吹いていた冷たい風もおさまっている。
陽光に明るく照らされる広場の中央に佇む精霊王と精霊妃は、人々の中心できらきらと輝いていた。
それはまるで、目を開けて夢でも見ているかのような幻想的な光景だった。




