第二話 夜明け
新婚初夜を放り投げて行った会議は明け方まで続いた。
現時点では推測に過ぎないが、アンバーが受けている呪いは土地に起因するのでクリストフには影響しないが、民の為に尽くすという縛りがあるクリストフの呪いは結婚したことで侯爵家の一員となったアンバーにも降りかかっているはずだ。
加えて、アンバーについてはエルフェ家の血統が抱える呪いのため、嫁いでもなおエルフェ領に心を砕かねばならない。
お互いの呪いについての注意点など、伝えるべきことや検討すべきことは山積みだった。
そして話し合いの末に疲れ果ててベッドで寝落ちた二人は、揃って仲良く寝過ごして屋敷の人間にやたらニコニコされながら遅めの朝食をとるに至ったのである。
もちろん二人は夜通し話し合っていただけで何も艶っぽいことはしていないのだが、呪いと折り合いがつけばその内それも事実になるのだからと、あえてその点を明らかにすることは避けた。大人の判断であった。
「とりあえず、私もあなたも領地と領民に真摯に向き合い、誠実に領地を運営していけば呪いにふれることはないはず」
「あぁ。元より侯爵家に生まれた者としての責務を放棄するつもりはないが、より一層励むとしよう」
領地のために尽くす二人は、今や夫婦という前に共同経営者という名の同僚であった。
真面目な二人は領内の道の整備や橋の補修からはじまり空き家問題に就労支援まで、『領民の幸せのために』を合言葉にリーゼンフェルト領とエルフェ領を盛り立てるための仕事に勤しみ、その結果、誇張でも何でもなく文字通り死にかけだったエルフェ領に至っては、リーゼンフェルト領からの支援もあって徐々に息を吹き返し、備蓄に余裕ができるようになった。
このままいけば、エルフェ領では長年財政難で行うことが出来なかった村祭りも出来るかもしれない。
エルフェ領にそんな明るい空気が流れ始めた頃、リーゼンフェルト領にも同じく領民の間に明るい空気が流れ始めていた。
「領主様の奥方はこれまでの婚約者達と違い、リーゼンフェルト領に来てもなお健やかにお過ごしだ。きっと何か良いことが起こる予兆に違いない」
街に行った際に人々がそう口にするのを人伝に聞いたアンバーは、その夜、寝室で鏡台に向かって髪を梳かしながら首を傾げていた。
「私が元気なだけで吉兆だなんて、皆さん大げさですよねぇ」
しかしクリストフは、皆の言うことも一理あると真面目な顔で頷いていた。
「かつての婚約者達は当家の呪いを知ると婚約しただけでその呪いが降りかかるのではと恐れ、あまりに心配するので私もこまめに彼女らの体調など気に掛けていたのだが、結局は全員が……」
「まぁ、そんなことが……」
それって、真剣な顔で何度も執拗に体調を心配されるうちに本当に呪いがかけられたような気になって、その結果体調を崩したんじゃないのかしら。
アンバーは喉元まで出かかった言葉を咳払いで誤魔化して笑った。
「結婚してから私もあなたもこうして元気に過ごしていますし、今のところ災害もなく、日々政務を頑張って領地も安泰。思うに、普通に過ごしている限り呪いについては心配いらないのでは?」
「そのようだ。まぁ、呪いが解けるよう手を打とうにも、精霊王と精霊妃の呪いなど解呪しようとすることさえ不遜にあたるかもしれないしな。これまで通り地道に……」
「どうかしましたか、クリストフ」
急に黙り込んだクリストフにアンバーが声を掛けると、その肩がびくりと跳ねた。
「クリストフ?」
「アンバー……、あの」
「はい」
「呪いの件はひとまず大丈夫そうなのだが、その……そろそろ頃合いなのだろうか?」
「頃合いって一体何の……、アッ」
もごもご言うクリストフの言葉の意味に気が付いてアンバーの頬が赤く染まった。
日々充実して過ごしていてすっかり忘れていたが、そういえば初夜を繰り越していた。
呪いについては今のところ問題は無さそうだし、そうすると次に果たすべきは侯爵夫妻としての責務、つまり初夜のやり直しである。
ブラシを鏡台に置き、寝台に座るクリストフの横に移動したアンバーは、そっと夫の手に自分の手を重ねて顔を赤くしながらぽしょぽしょと囁いた。
「私……は、その、吝かでは、ありませんが……」
「……そ、そうか」
呪いについての対応、ヨシ!
お互いの意思確認、ヨシ!
場所時間帯その他諸々、ヨシ!
アンバーの脳内では何故か確認事項の指差し確認が行われていたが、その間にもクリストフはアンバーの手を取りその甲にそっと口付けていた。
「アンバー」
「はい」
「今夜こそ本当の夫婦になろう」
「は、はい……っ」
──その後のことを、アンバーは残念ながら断片的にしか覚えていない。
何度か「え? 私まだ人のかたちしてる? 端っことかどっか溶けてない? 大丈夫?」と思った記憶はあるのだが、気付いた時には部屋は明るくなっていて、朝日の中で枕元に腰を下ろした夫が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
私の夫はこんな時でも絵になるわねと差し込む朝日と夫の眩しさに目をパチパチさせながらアンバーが思っていると、クリストフがごく真剣な声音で言った。
「身体は辛くないか」
「きちんと人の形をしてるなら多分大丈夫だと思います」
「人の形はしているが、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫です。その、優しく、して頂いたので……」
夫の気遣いを嬉しく思いながら頬を染めたアンバーはふにゃふにゃ微笑んでベッドから出て、侍女たちが来る前に簡単に身支度を整えようと鏡台に向かい、そしてきゃあと悲鳴をあげた。
「どうしたんだ、アンバー!」
慌ててクリストフが駆け寄ると、顔を青褪めさせたアンバーがクリストフを見て叫んだ。
「前言撤回です! や、や、や、優しくない! なんですかこの歯型! か、噛んだんですか!? ここここんなにたくさん!?」
「うっ! あー、あの、本当にすまない。……つい」
「つい、でこんなにガブガブされたんですか、私! 実家のヤギにだってこんなに噛まれたことないのに! 許しませんよ! 仕返しです!」
「あっ、こら、やめないか」
「いやです!」
アンバーが仕返しとばかりにクリストフの手を掴んで手首の辺りをかぷかぷ噛んでいると、先ほどの悲鳴を聞きつけた侍女たちが「どうなさいました、奥様!」と慌てた様子で寝室に雪崩れ込んできた。
そしてクリストフの手首を噛んでいるアンバーと、アンバーに手首を噛まれて困り顔のクリストフと、アンバーの首元に残された大量のキスマークを見て目を丸くした。
「あら! あらあらあらまぁまぁまぁ」
「うふふ、そうよね、新婚ですものね」
お盛んですわねと侍女たちはうふふおほほと一様に生温かい笑顔を浮かべ、お邪魔してはいけませんからなどと言って、来た時と同じようにあっという間に退室していった。まるで嵐のようだった。
何か非常に誤解された気がするが、実際見た通りのような気もする。
そう思った二人は同時に無言で数秒間見つめ合った。
そしてアンバーはそっとクリストフの手首を離して問うた。
「……不仲だと思われるよりは良い、ですよね?」
「ま、まぁ、そうだな……?」
「あと、このタイミングでアレですけど、お伝えしたい事があるのですが」
「なんだ?」
やはりどこか体調が?と心配するクリストフをじっと見つめたアンバーは、離したばかりのクリストフの手をギュッと握り、小さく微笑んで言った。
「あなたはまだ結婚の時のことを気にしているようだから敢えて申し上げますけれど、私はあなたの事を夫としてちゃんと愛していますよ。結婚してあなたと暮らして、あなたの事を知って、そして今回あなたに触れられて、私ちっとも嫌ではありませんでしたし、むしろ嬉しく思いました。だから、これからも末永くよろしくお願い致します」
言い終えるとアンバーは深々と頭を下げた。
ただしクリストフの手は掴んだままだったので、クリストフもつられてぺこりと頭を下げることになった。
最初は実感のない契約結婚だったが、呪いを発動させないという共通の目標があったからだろうか、それともクリストフの本来の人柄故だろうか、気付けばアンバーは彼の隣で生きることに喜びを感じていた。
自分の生まれ育った領のために働くことを彼が応援してくれたのも大きかったかもしれない。
だってもう契約がどうのという気持ちなんて微塵もない。
アンバーには恋愛経験がなかったが、愛と称するのであればクリストフに向けるものであり、同時にクリストフから与えられる温かな感情のことであれば良いと思ったのだ。
クリストフは結婚した最初の晩にこの結婚について何やらひどく心配していたようだから、アンバーは彼を愛していると、気持ちをそのまま言葉にしたのである。
言葉にしてきちんと伝えればきっと彼の憂いも少しは晴れるだろうから。
そんなアンバーの告白を受けたクリストフはわずかに目を見開いて二度瞬きをした後、顔をほのかに赤く染めながら咳払いをした。
「私も君を妻に迎えてから毎日幸せで、その、私も、君を心から愛している、ので……こ、こちら、こそ末永くよろしく頼む」
「はい。お任せください。あ! でも噛むのは控えてくださいね。着るドレスに困りますから」
「ならば仕立て屋を呼ぼう」
「噛まないでくださいと申し上げましたの。そういう貴族的解決は良くありませんわ」
そんな他愛もない会話のうちにどちらからともなく笑い出し、二人はしばらくの間くつくつと肩を揺らしていたが、笑いがおさまってくると今度は引き寄せられるようにゆっくりと唇を重ねた。
相手が呪われていたって構わない。
二人ならきっとこの呪いともうまく折り合いをつけて、民のため、領地のために生きていける。
心の底からそう思った二人が本当の夫婦として迎えた朝は、どこまでも輝かしく、そして穏やかであった。




