第一話 祝いと呪い
その日、とある国の国境に程近い小さな村は一種異様な雰囲気に包まれていた。
村を混乱に陥れたのは、数年ぶりの来訪者の存在だ。
この村、実際は立派な貴族領であるのだが、この領ときたら何とか領民がギリギリ食い繋げるくらいの収穫はあるが、それにしたって土地はまだまだ痩せているし、人口も少ないから働き手も不足しているし、何と言っても領主である貴族家が没落寸前である。
この数年、住人の流出はあれど移住希望者など皆無。
あまりに貧乏過ぎて領主(とは言うが治めているのは村二つ程度なので実質村長である)は一昨年の秋に住んでいた屋敷を処分して金を作り、その金で最後まで残ってくれていた数名の使用人に退職金を払うと、家族揃ってこの村の端にある空き家に移り住んだ。
夜逃げしなかったその心意気や良し、と住民達は思ったものの、困窮一歩手前の生活は相変わらずである。
そろそろ冬を越えられずに村ごと滅亡かもしれないな、と数少ない村人は口にこそ出さなかったが誰もが不安を胸に抱えていた。
そんな所にまさかの来客だ。
しかも狭い村だから全員にほぼほぼ筒抜けである。
村を訪れたのは立派な仕立ての衣装を身に纏った黒髪の青年と、そのお付きらしい老年の男性と数名の護衛だった。
本人達はお忍びのつもりだろうが、村人からしたら明らかに『目立つ団体さん』だ。
二人以上は『たくさん』扱いのこの村ではその感覚は当然だった。
「お客様がこんな村に何の用があるんだ?」
首を傾げた村人の中で、年老いた物知りの一人が馬車を指差して言った。
「ほれ、馬車の家紋見てみぃ。ありゃ侯爵家の家紋だ。なんつったか、リーゼンフェルト……とか言ったか」
「ああ、あの」
「んだんだ。『あの』リーゼンフェルトだべ」
リーゼンフェルトと聞いて、皆が一斉に納得した顔になる。
侯爵家の名前を村民らが知っているのも当然で、このリーゼンフェルト侯爵、実は市井にまで噂が流れる程有名な侯爵であった。
それは、彼がこれまで五度婚約し、五度破談になっている事にある。
破談となった貴族令嬢は皆揃って体調を崩し、実家に帰った後は寝込んで外にも出られぬ有り様だという噂から、侯爵が実は黒魔術に手を染めていて婚約者を生贄にしようとしただとか、物凄く苛烈な性格故に令嬢達が恐れ慄き心身を喪失しただとか、それらの悪行によって呪いを受けて教会から破門されただとか、荒唐無稽な噂話がまことしやかに囁かれていたのである。
ただ、今では国内の貴族女性が侯爵を恐れて婚約の申し出を断っているため、侯爵が未だに独身であるというのは噂でも何でもなく事実であった。
そんな侯爵がこの死にかけの領地にやってきた。
となれば目的など推察するまでもない。
畑を耕していた村人達は領主(何度も言うが治めているのは村二つ程度なので実質村長である)の茅葺き屋根の平屋を遠巻きに眺めながら囁いた。
「つぅと、目的はお嬢さんか」
「それ以外この村には何もねぇべや」
「違ぇねぇや!」
「こんなとこまで来るなんて、あの侯爵ってぇのは本当に相手がいねぇんだなぁ」
村民たちによって交わされるあまりにも世知辛い会話は、幸い近くに流れる小川のせせらぎに掻き消されて侯爵の耳には届かなかった。
届いたとしてもそれどころではなかったかもしれない。
村人達が会話をしていたまさにその時、侯爵は侯爵という地位にありながら、没落寸前の貧乏下級貴族のエルフェ家当主に「貴殿の娘を当家に嫁がせては貰えないだろうか」と頭を下げている真っ最中だったからだ。
エルフェ家当主であるアルフォンソ・エルフェは、色んな意味で顔を青くさせながら侯爵からの申し出にあわあわと口を開閉させた。
「あの、しかしながら侯爵閣下……。家格が見合いませんし、御存知の通り、当家はその……少々アレでして……」
「失礼ながらそちらの財政事情は存じている。それを承知で頼みたい! 私にももう後がないのだ!」
「承知と仰られましても、その、財政事情というだけではなく、侯爵家の名に傷が付きかねないというか……」
もごもごとお断りしたいですオーラを出したアルフォンソに、リーゼンフェルト侯爵──その名をクリストフ・フォン・リーゼンフェルトという──は真顔で言った。
「私で侯爵家の直系子がいなくなれば、法の定めで傷が付く家門そのものが無くなってしまうのだ」
ごもっともである。
侯爵家ともなると血統は何よりも重んじられる。
下手に養子を迎えては、それをきっかけに血で血を洗う一族間の争いを引き起こしかねない。
故に侯爵家には厳格な決まりによって多種多様な縛りを受けている。
だからこそ彼は五度も婚約する羽目になったのだ。
もう後がない侯爵は苦渋の表情を浮かべて続けた。
「多少強引に婚約を進めた事もあるにはあるが、結果は貴殿も知っているかと……」
「あ、あぁ、ハイ……」
アルフォンソは、あの噂はあながち嘘でもないのだなと察し、そして同時にほとほと困り果ててしまった。
どうしよう。気を抜けばそんな言葉が口から飛び出しそうだった。
そんな時、ばぁん!と勢い良くドアを開けて登場したのがアルフォンソの一人娘であるアンバーだった。
麦穂のような濃い金色の髪を簡単に結い上げ、身に付けているのは繕いの痕跡が見える動きやすさ重視の質素なワンピース。
けれども強く輝く瞳には生気が漲り、見たものを惹きつけるエネルギーに溢れた彼女はさらりと言った。
「私は構いませんよ。ただし、条件次第ですが」
「条件? 聞かせて貰おうか」
「侯爵閣下にとっては至極簡単なお話ですわ」
挨拶も無しに突然来客の前に現れ、侯爵相手にカーテシーの一つもしないままそう言い放ったアンバーは、にっこりとその名の通りの美しい琥珀色の目を細め、優雅でありながら挑戦的な笑顔を侯爵に向けたのだった。
──そして、アンバーは侯爵にエルフェ領への金と物資の継続的な援助を取り付け、さらりと結婚を承諾したのである。
婚約ではなく結婚だ。いっそ潔いほどの契約結婚であった。
侯爵の電撃結婚というのはこの国の貴族界では前代未聞ともいえる事態だったのだが、王家からの結婚許可証は呆気ないほど簡単に発行された。
それほどまでに侯爵家の事情が切羽詰まっていたという事だろう。
何ならエルフェ家当主である父、アルフォンソ宛に王家からお祝いの手紙という名目でお祝い金と感謝状まで届いて、あまりの事態に気の弱いアルフォンソが気絶したのはアンバーの記憶にも新しい。
(私は助かったけれど、切羽詰まっているからって、そんなに慌てて結婚相手を決めて良いのかしら。後悔されても私は何も出来ないのに)
侯爵夫人にと望まれたが、アンバーは死にかけ貧乏領地生まれの極貧貴族育ちである。
当然ながら貴族として社交界での活動経験が無い。ダンスを踊るより畑を耕す方が慣れているし、取り柄といえば頑健さくらいのものである。
そんなことをぽやぽや考えながら結婚式を終え、馬車に揺られて大聖堂から侯爵家の館へと到着し、あれよあれよという間に軽食を済ませ、使用人と侍女に取り囲まれての入浴と着替えを終え、ポイっと夫婦の寝室に放り込まれたアンバーを待つのは晴れて夫となったクリストフであった。
ベッドに腰掛け、深刻そうな顔でアンバーを見詰める彼に、まさか今になって後悔しはじめたのだろうかとアンバーは不安になった。後悔が早過ぎる。もう少し粘ってほしかった。
結婚式当日に離縁なんて切り出されたらどうしようと表情を強張らせるアンバーに気付かず、クリストフは溜め息を吐き、窺うような視線でアンバーに問い掛けた。
「君は、大丈夫だろうか」
「何がでしょうか」
「私の妻となる事について、だ。私は侯爵家の当主として君に後継ぎを望まねばならん。君にとって私など、ほとんど見ず知らずの男だろう」
その問い掛けにアンバーは目を丸くする。
「えっ、今更そんなことを仰るのですか? もう結婚式も済ませてしまったではないですか」
「……それは、そうなんだが……」
「そうでしょう? それに私も閣下から頂いたお金で家の補修とか村の冬備えとか色々してしまったので、例え返せと言われても、もう籾殻すら出ません」
「籾殻」
「えぇ。大体、貴族の娘が見ず知らずの相手に嫁ぐなんて、そんなに珍しくもないでしょうに」
「それはそうだが、見ず知らずな上に呪いを受けているとなれば、話も変わってくるだろう」
「ハァ?」
呪い。呪いと言ったのか。
アンバーはここに来て初めて開示された情報にぽかんとした表情を浮かべた。
「ちょ、そ、そういうことは結婚前に仰って下さらないと、私にも心の準備というものが……」
「ん? 言っていなかったか? あまりにも皆が知っているから周知の事実だと思って言うのを忘れたのだろうか……」
え? そんなに有名なの? 知らない私が少数派ってこと?
自分の生活で精一杯で世間に目を向けるほどの余裕がなかったアンバーは、誤魔化すようにひとつ咳払いをした。
「まぁ。侯爵閣下ともあろうお方が、とんだうっかりさんではありませんか。でも過ぎたことは仕方ありませんわね。それで、どんな呪いなんです?」
小首を傾げたクリストフの仕草が栗鼠のようで可愛らしいなと思いつつも、人より肝っ玉の坐っているアンバーは気を取り直して事実確認のために話の先を促した。
仮にも今日から夫婦となる仲である。夫が呪われていたのは意外だったが、見た目には特に変わったところはなかったし、結婚式からこれまで様子のおかしいところだって侯爵という地位にありながら貧乏貴族に突然結婚を申し込む暴挙の他には何もなかった。
アンバーの視線の先で、クリストフは溜息混じりに口を開いた。
「リーゼンフェルト家はその昔、精霊妃を軽んじて彼女の怒りにふれてしまったのだ。その呪いで、我が一族は民に仇なせば早々に死に至る。現に何代か前には享楽に耽ったものや領地運営を怠った者が呪いで死んでいる。そして、それは嫁いできた者にも降りかかる呪いで……」
「えっ、つまり私ももう呪われているって事ですか?」
「結婚した時点でそうなるな」
「そんな! 困ります!」
頬に手を当てて叫ぶアンバーに、クリストフは眉尻を下げてすまないと謝罪した。
しかしアンバーはあわあわと慌てた様子でそうではないのだとクリストフに言った。
「うちだって……私だって呪いを受けているのに、まさか二つ目の呪いだなんて!」
「今何と?」
「だから、私、既に呪いを受けているんです。うちは初代当主が精霊王様を怒らせてしまったとかで……。あの、呪いって重ね掛けとか大丈夫だと思います?」
「すまないがわからない。おそらくだが、あまり良くはないと思う」
「ですよねぇ。うーん、でもこうなったら一つも二つも変わらないかしら」
「それは……どうだろうか……」
そこで二人は急に無言になった。
お互いに、何を言うべきか言葉に迷ったのである。
まさか夫も妻もそれぞれ呪われていたのは予想外が過ぎた。
「あの……」
「なんでしょう、閣下」
それでも先に気を取り直し、沈黙を破ったのはクリストフだった。
かしこまっているのか、妙にちんまりとベッドに座ったまま彼はアンバーに問い掛けた。
「君は具体的にはどのような呪いを受けているんだ。結婚を申し込む前に君の家について調べたが、呪いだなんて話は聞かなかったぞ」
「あら。地元(※村二つ規模)では割と有名なんですけどね。あんな困窮極まる領地を捨てることも出来ずに留まり続ける貧乏貴族とか、少なくともそんな話は耳にされたのでは?」
「それは……」
アンバーが口にした内容は、あの辺では子供だって平気で言うような悪口の類だった。
──日頃の行いが悪いとエルフェの領主のような生活を送ることになる。
アンバーだって何度村の子供達に『やーい、お前んち貧乏貴族〜』と指をさされて揶揄われたことか。
内容が内容なので、育ちの良いクリストフはアンバーの手前頷くことも出来ずに困った顔をした。
それが何よりの肯定だった。
アンバーはよろしいと小さく頷いて続けた。
「それこそが呪いです。改めてご説明致しますと、当家はかつて精霊王様の怒りに触れ呪いを受けたのです。私たち一族はあの土地のために生きることを呪いによって定められていて、土地を捨てて逃げることすらままなりません」
「土地に縛られる呪いか。だから君は結婚の条件にあの領地の支援をあげたのか」
「えぇ。あの地から離れて他家に嫁ごうとも、きっと呪いは解けませんから。まぁ、何もせずにただ嫁いでいたら呪いで死んでいたかもしれませんが」
「それは……なんというか、大変だな」
「お互い様でしょう」
そして二人はしばらくの間、無言で見つめ合った。
民に縛られる呪いを受けたリーゼンフェルト家と、土地に縛られる呪いを受けたエルフェ家。
お互いに結構しっかり呪われているなと思ったからだ。
ついでに瞳の奥に呪いの片鱗でも見えるだろうかと思ったが、それを捉えるよりも先に気恥ずかしさが勝ってしまった。
見つめ合う間に無意識に距離が近付いていた二人は、鼻先が触れそうになったのを合図に弾かれたように離れた。
「す、すまない」
「いえ、私こそ……。あの、それで、どうしましょう」
ほんのりと頬を染めたアンバーの問いに、同じく顔を赤くしたクリストフが首を傾げる。
「どうする? 何のことだ」
「え? ほら、私たち今夜が所謂初夜でしょう? ……します? その、そういうコト、を……」
再び訪れる沈黙。
ベッドに座るクリストフが身動ぐと、衣擦れの音がやけに耳についてアンバーの頬はまたほんのりと赤味を増した。
「エルフェ嬢」
「アンバーとお呼びください」
「あ、アンバー。その、」
クリストフはうろうろとあちこちに視線を移しながら言った。
「……確かに義務ではあるのだが、そういうコトは、呪いが影響しないか確認してからの方が良いのではないだろうか……」
「ごもっともですわね、閣下」
「クリストフと呼んでくれ」
「クリストフの仰る通りですわ」
よし。二人は顔を見合わせてこっくりと頷いた。
「まずは今後の方針について話し合おう」
「賛成です」
こうして二人は結婚後初めて迎える夜を、お互いの呪いとどう付き合って生きていくかについてとことん話し合って終えたのだった。




