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夜間勤務を終えれば、カティアはこのまま翌朝までの時間、自由だった。エリアスと別れ、母に簡単な引き継ぎを済ませた後、受付を出たカティアは、一人食堂の片隅で朝食を食べていた。ふんだんに使われた野菜と塩漬けした猪豚肉入りスープと、町のパン屋特製の黒パンで空腹が満たされたカティアが、宿屋から扉一枚で繋がっている自宅へと戻ろうとしたその時のこと。
「あのっ、カティア、さん……!」
いつの間にか側にいたらしい、ミーティアから声がかけられた。
「少しだけ、お話、しても、いいですか……?」
胸の前で祈るように手を組みながら、ミーティアは水分を湛えた瞳でカティアを見ていた。
朝食の時間からは少しずれているが、まだまだ人目のある食堂内で聖女に話しかけられたカティアは否とは言えず、ミーティアを自宅の居間へと招き入れた。
招き入れた部屋の中で、装飾も何もない、加工も最低限の木材で簡単に作られた質素な卓子に座るミーティアは、可哀想なくらいに縮こまっている。そんなミーティアが落ち着くように、とカティアは鎮静作用のある薬草茶を淹れた。
「聖女様に出すには安物で恐縮なのですが、薬草茶です。落ち着きますよ」
「あ、いえっ、全然、私なんかに、その……そんなに気を遣わないで、下さい」
宿屋のお得意様用にと用意していた、ソーサー付きの真新しい陶器のカップに注いだ薬草茶をミーティアの前に置く。そして、自分には錫のマグに入った、気休め程度の眠気覚ましのために香辛料の畢撥を加えた薬草茶を置いて、カティアはミーティアの対面に座った。
暫しの間、無言が続く。ちらちらとカティアを伺うように視線を向けるミーティアに、カティアがやはり自分から話を振るしかないのか、と薬草茶を飲みながら考える。このままでは埒が開かないな、とカティアがミーティアを眺めていれば、ミーティアは一度だけ下唇を噛み締めたあと、あのっ、とミーティアにしては大きな声を出した。
「わた……私、アルベルトが好き、なんですっ! カティア、さんはっ、アルベルトのこと、どう思っていますかっ! カティアさんは、アルベルトのことが……好き、なんですか!?」
「はい……?」
ミーティアの言葉に、カティアは目をパチクリとさせて聞き返す。将来はきっと、過去を懐かしむ笑い話にしかならないだろうあの騒動の、あの時、あの場所に一緒にいて、何故そんな考えになるのだろうか、とカティアは疑問に思う。
「アルベルトはただの幼馴染……寧ろ、弟みたいなものですよ。本当に、アルベルトに対して恋愛感情なんて持ってないんです」
おそらく、きっと。ミーティアには曖昧な答えは通じないだろうと、カティアは端的に答えることにした。
「本当の、本当に、です……か?」
「本当です。それに、仮に私がアルベルトのことを好きだとしても、アルベルトが選ぶのはどう考えても聖女様ですよ。昨日の噴水広場でのこと、覚えていますよね?」
覚えてます……と消え入りそうな声でミーティアは答えた。
「でも、私はっ、カティアさんと違って、傍にいることしか、できないからっ」
それから、ミーティアの紫水晶のような透明な瞳から、ぽろりと一粒雫が落ちる。
「聖女様?」
「旅に出たばかりの時から、アルベルトはちゃんと勇者だったの! 聖女の名ばかりの、こんな私とは違う、眩しくて、少しだけ羨ましくて! でも……でも初めて人型の魔物を倒したあの日、急にいなくなったアルベルトを探して、見つけて、その時触れた指先がっ」
氷みたいに冷たくて――
ぼろりぽろり、とミーティアはとめどなく涙を流している。
「私は、手を繋いで、黙って傍にいることしか、できなかったっ……でも……でもきっとカティアさんなら、何か、他にもっと……」
ああ、これは、これ以上は聞いては駄目だ、とカティアは思った。それから、庶民が聖女様に対して行うには不敬かもしれないが、と思いつつもカティアは右腕を伸ばすと、涙で濡れるミーティアの頬を掌でそっと拭った。
「聖女様、それは私がおいそれと触れては駄目な、貴女とアルベルトの大切な思い出ですよね? だから、そこまでで充分です。でも、一つだけ言わせてください。アルベルトはきっと、いえ、間違いなく、ただ傍にいてくれた聖女様に、救われたんだと思います」
思えば、いつも陽気で、ヤンチャで。典型的な子供らしい子供だったアルベルトだけれど、昔から何らかの自分の気持ちに整理をつける時だけ、ふらりといなくなることがあった。カティアや家族達はそれを、町から出なければそこまでは危険はない、と。いつもの事でその内戻ってくるだろう、と放っておいた。
ミーティアはカティアなら他にもっとできたことがあったと思っているようだが、そんな状況になったとしても、カティアにはそもそも探しに行くという選択肢はないのだ。
「だから、私は聖女様がアルベルトのことを想ってくれたのが、幼馴染として、本当に嬉しいと思う。……ありがとうございました」
ミーティアはもう、涙を流してはいなかった。
*****
目元を赤くしたミーティアを人目につかないように客室まで送ったカティアは、一人になると壁に寄りかかり、深い溜息を吐いた。その時、前方から旅装束を纏い手荷物を持った宿泊客が一人やってきた。
「おや、お疲れかい?」
歩いてきたのは、セドリックだった。
「いえ、大丈夫です。セドリックさんは、もうお出になられるのですか?」
「うん、ここにいたら、何だか家族に会いたくなっちゃってね。ちょうどそっち方面に行くっていう旅商人の馬車があったから、護衛がてら乗せてもらえることになったんだ」
「そうなんですね。ご宿泊、ありがとうございました」
カティアは右手を上に、下腹部の位置で軽く手を組んでお辞儀をした。
「あれ? それってエリアスの指輪、だよね」
カティアのお辞儀で、カティアの右手中指に嵌る銀色の指輪を目敏く見つけたセドリックは、嬉しそうにうんうん、と頷きながら話を続ける。
「エリアスは無愛想だし、ちょっと何考えてるか分かりにくいかも知れないけど、悪い奴じゃないよ」
オレ的にはオススメだよ、と。セドリックは意味ありげに片目を閉じてカティアを見る。それに対して、何と答えたらいいかと戸惑うカティアに、セドリックはただ楽しそうに笑った。
「またこの町に来ることがあれば、お邪魔させてもらうよ。一泊だけだったけど、ありがとうね。この町に来て良かったよ」
それでは、ね。と片手を上げて去っていくセドリックを、カティアはただ、見詰めていた。




