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 夜の帳もすっかり下りて、ツァーレの町は静寂に包まれていた。

 宿泊客に冒険者が多いため、この町の宿屋は休業でもない限り、どこも常に開いている。いつ訪れるとも知れない宿泊客に備えるために、カティアは一人、受付にいた。

 薪がパチパチと小さく爆ぜる音をさせながら、暖炉の中で火が踊る。明るい間に光を溜め込み、暗くなれば淡く発光する蓄光石を使用した灯りで手元を灯し、受付台の内側でカティアは本を読んでいた。以前この宿屋に宿泊した旅商人の一団の中にいた少女から、もう読まないから、ともらった本だ。それは、平民の少女と貴族の嫡男との身分違いの恋愛を描いた娯楽本だった。


「おや、それは少し前に王都で流行った娯楽本だね」


 不意に声がかけられ、思いのほか、本に集中していたカティアが慌てて顔を上げれば、そこには微かに酒気を帯びたマチルダが立っていた。


「お帰りになられましたか。気付かずに申し訳ありません、今お部屋の鍵をお渡ししますね」

「ふふ、謝罪は不要だよ。預ける必要のない鍵を、飲みに行くからとわざわざ預けたのは、こちらなのだから」


 酒精が入り、少しばかり陽気になったマチルダが笑う。


「それより今こんな状態で部屋に戻ると、聖女様に迷惑だからね。酔い覚ましに少し、話に付き合ってくれないかな?」

「話……ですか?」

「無理に、とは言わないよ。本を読みたいと言うなら、私はそこの椅子に座り、一人寂しく酔い覚ましをしているから。ああ、でも付き合ってくれると嬉しいな」


 一度暖炉の前の長椅子に視線をやり、再びカティアを見るマチルダの誘いに、カティアはちらりと娯楽本に視線を向けた。すでに何度も読んでいるので、今読まなくとも別に構わない。そう、暇さえ潰せればよかったのだから、とカティアはマチルダの誘いに乗ることにした。


「わかりました。でも、まずは二日酔いにならないように、薬草茶を入れる準備をしますね。座ってお待ちください」


 受付の奥にある小部屋から、錫製のマグを二つと、数種類を混合した薬草を入れた銅製の薬缶をカティアは運び出した。それを炉棚に置き、次に暖炉に薬缶を吊るすと、カティアはマチルダの隣に腰を落とした。


「手慣れているね」

「子供の時からしてますから」

「そのようだ。――幼馴染殿の家が家族で宿屋を営んでいるように、我がジェレミー家も代々一族で聖女様の護衛神官の任に就いているんだよ。中でも、就任した聖女様に一番年が近い者が、筆頭護衛神官となる」


 マチルダは笑っている。


「聖女様……ミーティア……ミアに聖女としての力が発現したのは、私が十二で、あの子がまだ七つの時だった。ミアは王都に住む、小さな雑貨屋の娘だったんだよ」


 マチルダは隣にいるカティアではなく、どこか遠くを見ながら笑っていた。


「親元から離され、家名を奪われ。聖女になるということがどういうことか、何一つ理解できないまま聖女にさせられた。そんなミアが私には――」


 可哀想で、可愛かった――

 

 不意にカティアと目を合わせ、マチルダはとろりと溶けた瞳でカティアに向かって、笑いかけた。


「幼馴染殿は聖女様に対して、どんな印象があった?」

「……聖女様は清廉潔白で慈悲深い方だと、噂で聞いていました」

「噂、ね。なら、実際の聖女様――ミアに会ってみて、どうだった?」

「それは、その……」


 カティアはそこまで言葉を発し、口ごもった。果たして、思ったことをそのまま答えていいのか、と。


「そんなに重く考えなくてもいいよ。幼馴染殿はアルベルトと同い年だろう? ならば、ミアとも同じだ。そんな幼馴染殿から見た、ミアに対する率直な印象を聞いてみたいだけだよ」

「そう、ですね。それならばお答えしますが、アルベルトもそうですが、年の割に幼いかな、と。まるで――」

「まるで、なに?」

「いい意味でも、悪い意味でも……体は成長していても、中身が変わって見えなかったアルベルトと同じように、聖女様ももしかしたら同じなのかと」


 魔王討伐への旅立ちの日、同じ目線の高さのアルベルトへと、カティアは旅の無事を願った。そして五年後の今日、目線を斜め上にしなければ合わせることができなくなったアルベルトは、見た目こそ大人の男性へと成長していた反面、中身はこの町にいた頃とほぼ変わっていなかった。

 薬缶の口から白い湯気が立ちのぼる。暖炉から温風にのせて清涼感のある、薬草特有の独特な香りが室内に漂い始めた。そろそろ薬草茶ができただろう、とカティアが立ち上がりかけると


「あはっ……あははっ!」


突然マチルダが声を上げて笑い出した。突然のことに、カティアは腰を上げかけた中途半端な体勢のまま、マチルダへと視線を向ける。マチルダは腹を抱えて笑っていた。


「あー笑った、笑った」


 笑い過ぎて浮かんだ涙を、マチルダは指先で拭いながらカティアと視線を合わせる。


「君の判断基準は、アルベルトなのかな? 幼馴染殿」

「え……?」


 カティアには、マチルダの質問の意図がわからない。


「私はね、幼馴染殿。これでも可哀想で、可愛い、ミアの幸せを願っているんだよ。護衛神官としてではなく、例えるならば、姉のように」

「……そうなんですね」

「だからね、幼馴染殿。もし、幼馴染殿の存在がミアの邪魔になるのならば、私は――」


 次第に抑揚もなく淡々と語り続け、段々と昏い瞳に変化していくマチルダに見据えられ、カティアは不安定な姿勢のままで硬直した。

 マチルダは腹を抱えるのに使っていた腕を、ゆっくりと持ち上げる。そして、カティアへと手を伸ばし、マチルダの指先がカティアの首筋に触れる、一歩手前。


 ――パチンッ!


 乾いた高い音が一つ、カティアとマチルダの間で鳴らされた。


「こんな時間に、何をやってるんだ」


 背後の高い位置から聞こえたその声に、カティアは知らずに詰めていた息を吐き出した。一拍おいて、カティアが振り返り見上げれば、そこには両の手を打ち鳴らした格好のエリアスが立っていた。

 

「エリアス、さん……?」

「おや、エリアス。君こそこんな時間にどうしたんだい?」

「それはこちらの台詞だ、お前こそ何をしている」

「ふふ、なんのことだい?」


 マチルダはカティアから距離を取り、他意はないことを示すように、両手を上げた。昏い瞳は、すでにそこにはない。


「とぼけるなよ」

「とぼけてなどいないさ。そうだろ? ねえ、幼馴染殿」

「……そう、ですね」


 マチルダに問われ、カティアは曖昧に答えた。


「薬草茶、できたみたいなので淹れますね。エリアスさんも、よければ飲んでいってください」


 カティアは気を抜けば震えそうになる体を抑えながら、椅子から立ち上がると暖炉へと歩いて行った。その後ろ姿を目で追いながら、エリアスは口を開く。


「何を考えているんだ」

「何を考えてるって? ふふっ、私が考えているのは、ミアの幸せだけだよ。邪魔するならば、誰であろうと、何であろうと、今までと同様、すべて排除するだけさ。――それよりもエリアス。君って面倒事は嫌いじゃなかったかい?」

「嫌いに決まってるだろう」

「その割に、幼馴染殿のことは気にかけるんだね。ああ、そういえば、昼間の広場の騒動の時からこの宿屋に着いてもずっと、君は幼馴染殿のことを見ていたものね」


 マチルダは思い出し、にんまりと笑う。


「……何が言いたい」

「平和的に、穏便に。落ち着くべきところに落ち着くのなら、それが一番だと言うことさ」

「誰にとってのだ」

「少なくともミアとアルベルト。それから、ミアの幸せを一番に願っている私の、かな」

「ずいぶんと手前勝手な話だな」

「もちろん、君にとっても一番になることを願っているよ。一緒に旅をした大切な仲間だからね。――さて、幼馴染殿」


 マチルダはエリアスとの会話を一方的に終わらせると、マグに薬草茶を注いでいるカティアに声をかけた。


「確かマグは二つしかなかっただろう? 私は部屋にあった水差しの水を飲むから、幼馴染殿はエリアスと二人で飲むといいよ」

「え……」

「おい、マチルダっ」

「それでは――」


 失礼させていただくよ、とマチルダは言うだけ言うと、後ろを振り向くことなく受付から足早に去って行った。

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