声を上げないという選択
城での生活にも、少しずつ「慣れ」が生まれていた。
慣れたくなんてなかった。
でも、人はどんな環境にも順応してしまうらしい。
アオイは毎朝、同じ時間に目を覚ました。
窓から差し込む光は弱く、朝なのか昼なのかも分かりづらい。
「……今日も、何もない日だ」
そう呟いてから、
自分で自分に苦笑する。
何もない方がいい。
何かが起きれば、それはたいてい自分にとって悪いことだから。
食事を取りに行く廊下は、いつも静かだった。
遠くで人の声が聞こえても、
アオイの姿に気づくと、話し声は小さくなる。
「……あ」
厨房の前で、使用人の一人と鉢合わせた。
一瞬、相手の眉がひそめられる。
「……まだいたの?」
「しぶといわね」
アオイは何も言わず、頭を下げた。
「すみません」
それが癖になっていた。
食事を渡されるとき、
皿が少し乱暴に置かれる。
中身は、昨日の残りらしいスープと、硬くなったパン。
(ありがたい、と思わないと)
そう自分に言い聞かせる。
贅沢は言えない。
部屋へ戻る途中、
後ろから小さな笑い声が聞こえた。
「聖女様と一緒に来たくせに」
「期待外れもいいところ」
胸の奥が、きゅっと縮む。
でも、振り返らなかった。
(……言い返したら、もっと面倒になる)
そう分かっていたから。
ある日、
掃除を手伝うよう言いつけられた。
「暇でしょ?」
「聖女様の邪魔になるより、役に立ちなさい」
拒否権はない。
渡されたのは、重い水桶と雑巾。
広い廊下を、一人で掃除する。
床に膝をつき、雑巾を動かすたび、
冷たい石が体温を奪っていく。
「……っ」
手に力を入れた瞬間、
桶が傾き、水が床に広がった。
「ちょっと!」
鋭い声。
「何やってるの!?」
「だから役立たずって言われるのよ!」
肩を強く押され、アオイはよろけた。
「ごめんなさい……」
反射的に謝る。
床に広がった水に、
パンの包みが落ちた。
踏みつけられる。
「あ……」
声が、喉で止まった。
拾おうとしゃがんだ、そのとき。
「――何をしている」
低く、はっきりとした声が響いた。
廊下の空気が、ぴたりと止まる。
アオイが顔を上げると、
そこには数人の騎士が立っていた。
銀色の鎧。
整った隊列。
その先頭に立つ男は、
以前、自分を助けてくれた――あの人だった。
(……騎士団長……)
心臓が、強く打つ。
「説明しろ」
その声は静かだったが、
逆らえない圧があった。
使用人たちは一斉に青ざめ、
慌てて言い訳を始める。
「この子が勝手に……」
「掃除を任せたら失敗して……」
カイルは、使用人ではなく、
床に膝をついたままのアオイを見ていた。
「……怪我は」
短い問いかけ。
「い、いえ……大丈夫です」
そう答えながら、
アオイは自分の手が赤くなっていることに気づいた。
水桶の縁で、擦ってしまったらしい。
「立てるか」
再び差し出される手。
前と同じように、
でも前よりも、少しだけ迷ってから――
アオイはその手を取った。
立ち上がると、
騎士たちの視線が自分に集まっているのを感じる。
驚き。
困惑。
そして、どこか優しいもの。
「……もう行け」
カイルの言葉は、
使用人たちに向けられていた。
誰も逆らわず、
そそくさとその場を離れていく。
廊下には、騎士団とアオイだけが残った。
「……あの」
何か言わなければ、と思った。
「ありがとうございました」
小さな声だった。
カイルは一瞬だけ、
驚いたように目を細めた。
「……礼は不要だ」
それだけ言って、
踵を返す。
去っていく背中を見送りながら、
アオイは胸の奥が、じんわり温かくなるのを感じていた。
(……覚えてて、くれたんだ)
それだけのことで、
少しだけ、世界が違って見えた。
カイル(騎士団長)
•冷静沈着・無表情
•アオイを助けた最初の人物
•甘いものが苦手と言いながら全部食べる
•身長:185cm
•体重:82kg
•髪の色:銀がかった黒髪
•目の色:スチールグレー




