1_5 あ〇森かと思ったらA〇Cだった件について Side澪
いわゆる知らない天井、ってやつだった。
まあ、旅行先の気分と似たようなものである。
目覚めた瞬間、天井が木で、枕がちゃんとしていて、寒くも暑くもなくて、しかも水が普通に出る。
異世界転生っていうよりは伊勢旅行のほうが近い気がしている。
こちらの世界に来てから、体の奥底に謎のパワーがあって、無駄に元気なのもそれが原因ではある。
これが魔力なのか、チートなのかはわからないが、とりあえずは悪さはしていないのでまあいいかなという感じ。
(さーて、朝ごはん食べたら今日は畑つくるかなぁ)
台所へ行き、冷蔵庫を開ける。
味の薄い野菜が、今日もきれいに鎮座している。
昨日は気づかなかったが、すべての野菜が全く同じ形をしている。
(こういうのを見ると、ファンタジーを感じるよねぇ)
包丁で切って、塩をちょっと振る。火を使わなくてもいいけど、せっかくだからコンロで軽く炒めた。匂いが立つだけで、気分が変わる。味は変わらないが。
味付きの野菜の香りがするなんかショボい何かしらを食べて、とりあえず一息つく。
どこかで見たような洗剤で皿を洗い終えたところで、澪は顎に手を当ててうーん、と唸った。
さて、畑を作るのはいい。粗食耐性はあるが、怠惰な生活に全振りするほど疲れてはいない。
だが、何を植えるかだ。
そういえば、と、昨日行った玄関脇の倉庫を開ける。
昨日見た農具はそのまま並んでいる。鍬、スコップ、斧。どれも新品みたいにきれい。っていうか、多分新品なんだろう。
で、その奥に棚がある。というか、棚が“棚”すぎる。ホームセンターの園芸コーナーみたいな、あの感じ。段になっていて、パッケージが正面を向いていて、ちょっと雑な溶接跡が残るようなあのラック。
(これ使えってことだろうねー。っていうか日本語じゃん。多分。100円ショップとか、ホムセンで見たことあるようなパッケージだし。うーん、どれにするか……。ここら辺は難易度高そうだな……)
澪は一枚一枚、手に取って眺める。
「春まき」「秋まき」みたいな文字が並んでいている。
(あー、季節ごとの植えるタイミングとかも書いてあるから、それで選ぶか)
今の時期が春なのか秋なのか、外の空気だけではまだ判別しきれない。
だからどっちでもいけそうなやつを選ぶことにした。
(小松菜、ラディッシュ、葉ネギ……このへんは、失敗してもダメージ少なそう。ミニトマトは……あ、ある。うーん、ハウス栽培のほうがいいのかな)
とりあえずいくつか選んだ種と、農機具を抱えたまま、倉庫の入口まで戻る。
ふと、昨日の「持ち出すと消える」仕様が頭をよぎって、澪は試しに袋をテーブルの外へちょいと出しかけた。
消えない。
種袋は普通に手の中に残った。
(あ、これは持ち出していいやつか。無限補充枠じゃない、普通のアイテム扱いね。ゲームだなぁ)
実際はそこそこ広い一定圏内を超えたら消滅するのだが、今の澪に知る由もなかった。
外は今日もよく晴れている。空が高くて、風が軽い。森は近いが、静かなままだ。ただ遠くからは遠吠えみたいなのが聞こえては来るが……、まあ、そんなもんなんだろう。
庭は、ザ・庭だ。
手入れされていない土と、好き勝手伸びた草と、なんか強そうなツル。畑というより、放置プレイの結果である。とはいえ、マジジャングルって感じではない。
「よし。まず近場だけどうにかするか」
澪は軍手をはめた。
(農業ゲームなら多分ポイポイ抜けるはず。いけるいける。多分)
まずは草を抜く。
抜けない。
根が太い。
澪は一瞬真顔になって、次に、すぐ現実的な顔になった。
「そこはチート無いんかい」
ガックリうなだれて、すごすごと大き目の鎌を持ってきた。
某農作物女神ゲーだと、何回か刈ってたらスキルを覚えるものだが、特にスキルを覚えたなどのアナウンスはなく、地味な作業が続いていた。
午前中で、ある程度形になった。まあ、大規模農園っていうよりは、某牧場系物語インスパイアの最初のほうって感じではあるが。
土下座をしてインベントリを実装してもらえばよかったと鈍痛がする腰をさすりながら思う。
「うーん、天気もいいし、のどかだし。マジで休日って感じだねぇ。それか老後か……。まあ、余生といえば余生か」
昼は薄味野菜スープ。
温度である程度味をごまかす作戦に出る。結果としてはまあ、2アウトって感じくらい。激安食べ放題サラダバーに出てきたら唇をかみしめながら納得するくらいの味ではある。
そんな感じで食後家の前の机でぼけーっとする。
さて、午後は、鍬で土を起こす。
固いところと、柔らかいところが混ざっている。とりあえず石はのける、雑草もまとめる。
「うーん、腐葉土とかあれば混ぜ込んだほうが良いって漫画で見た気がするけれど、今のところ無いしなぁ。森の中にはあるかもしれないけれど、まあ、おいおいかな」
なんやかんやで、ちょっとした間借り系家庭菜園くらいの範囲を整頓したくらいで、暗くなってきたので切り上げる。
その日は風呂に入って、レンジで野菜を温めて、塩を振って食べて、寝た。
寝る前に、ふと思って、窓から外を見た。
森は暗い。
暗いのに、音が少ない。
虫の声が、いるようでいない。
(動物とかいるならおいおい狩猟民族にジョブチェンジかなぁ。エイジングとか全然わかんないけど……まあ、とりあえず今日のところは静かなのは、助かる)
次の日も、澪は畑をやった。
三日目も。
四日目も。
草を抜き、土を起こし、石を拾い、畝っぽい形に整えていく。
最初は「いつ終わるのこれ」だったのが、だんだん「ここまで来たら、もうちょい」になっていく。伊達に某有名工場ゲーでエンドコンテンツまでたどり着いたわけではない。
トラップタワーを作って徹夜で学校に行ったのも今となってはいい思い出だ。
四日目の夕方。
澪は、畝の前で腕を組んだ。
初日まではザ・庭オブ古民家(格安For 動画配信者)って感じだったのが、違法建築家庭菜園程度にはしっかりしているような気がする。
まあ、手前みそだけれど。
「……よし。種いくか」
袋を開けると、小さな粒が出てくる。
これが葉になる、という事実は何度経験しても変な感じがする。澪は説明書の図を見ながら、深さと間隔を確認して、指で小さな溝を作った。
(“間引き”って書いてある。うん、知ってる。知ってるけど、できるかな私。芽を抜くって、なんか罪悪感あるんだよね。植物至上主義ってわけでもないんだけど。別に販売するわけでもないからみんな適当に生えてくれりゃいいかなー)
小松菜、ラディッシュ、葉ネギ。
澪は土をかぶせ、水をやった。水は外になぜかあった水道にホースをくっつけて巻くという、異世界にあるまじき所業をしているが、まあ、奥の方にある井戸で水をくむのはちょっと勘弁してもらいたいという現代っ子だった。
その夜、澪はベッドに倒れ込みながら、ぼんやり思った。
(これ、QOL上げて農場ゲームみたいにやってけってことかな……野菜と塩と水があるから当分困らないし。遠くに行ったらレア肥料があるみたいな話なのかな)
思ったより、悪くない。
景色はよくて、空気は気持ちよくて、家は快適。
欲を言えば、早めに実績解除をしてスプリンクラーが欲しい。研究テーブルはどこだ。イリジウムとかあるのかな。
五日目。
澪は畑を見に行って、しゃがんだ。
出ている。
小さな芽が、ちゃんと出ている。
「うわ、かわいい」
思わず声が漏れた。
芽に向かって話しかけるのは変だが、この世界で今一番信頼できる相手が芽なのだから仕方ない。
っていうかこんなに早く芽が出るものだっけか? と疑問に思ったが、しょせん異世界なのでまあそれはそれでと思った。ゲームも大体翌日には芽が出てるし。
澪は水をやり、ついでに庭の端まで散歩した。
何日か家の周りにいると、距離感がつかめてくる。崖と森に囲まれているのは変わらないが。
(実績解除とかで、森に土地が伸びたりするのかなー?)
そしてぐるぐる散歩していると――ふと、足元の土に目が行った。
動物の足跡。
それが、あるところで、ぴたりと途切れている。
澪は一歩、近づいた。
途切れている線の向こうは、普通の地面に見える。草も同じ。風も同じ。
違うのは、“ここから先は、誰も通ってないみたい”という一点だけだった。
澪は顎に手を当て、うーん、と唸る。
そして、のんきに結論を出した。
(いわゆるここがマップ境界か。ゲームならお金とかイベントとかで解除される奴だよね)
午後。
澪は軽装で、少しだけ遠出することにした。
理由は単純で、ちょっと飽きたからだ。
「準備はこれでいいかなー。飲み水と、地味に作ってた保存食と、あと何がいるかな?」
まあ、そこまで遠出をするつもりもないので、ピクニック程度のものを詰め込んで出発する。
ゲームっぽいが、この世界のいいところは別にシステムで入れないところもないことだ。
鼻歌交じりに森のほうへ進む。
空気は変わらない。ここら辺はログハウス側ということもあって、そこまでうっそうとはしていない。
奥の方はめちゃくちゃ高い木とかがあって、先が全く見えないが。
(まあ、あそこまで行くのもねぇ。縄文杉行くのも大変だったし、絶対迷うよね)
澪は、途切れた足跡のラインの前に立った。
少しだけ迷って――踏み出した。
その瞬間、足元の土が、わずかに湿った音を立てた。
ぬち。
「……ん?」
澪は足を止めた。
次の瞬間、草むらが、ゆっくりと盛り上がった。
透明っぽい。
丸い。
ぷるぷるしている。
「あ、スライムじゃん。ん? スライム?」
澪は無意志的に半歩、引いた。
スライムが、同じだけ近づく。
距離が詰まる。目がないのに目があった気がした。
「いやいやいやいや……ちょっと待って。私はおいしくないよ?」
澪は反射で、近くの枝を拾って突いた。
枝が、ずぶり、と沈む。
次の瞬間、枝の先が、じゅ、と音を立てて溶けた。
その瞬間、足が勝手に動いていた。
反射的に逃げようとした。
だが、足が滑った。湿った土に靴裏が持っていかれ、澪はよろけた。
スライムが、その隙を逃さなかった。
「うわっ!」
腕で防いだ。が、左の腕に触れた部分に、熱湯に突っ込んだような痛みが走った。
「ギ……ギャアアアア!!! あついいたい!!」
必死に振り払おうとしても、くっついて取れない。
「なんで!! なんで!!!!」
見る見るうちに、服が溶けて、皮膚がどんどん色を失っていく、爪が剥げて……
(ヤバい死ぬ)
「離せ、離せ、離せ!! 寄るな、寄るなあああああ!!!!!」
その瞬間、体の奥底にあった、エネルギーのほとんどが消滅する感覚があった。
それと同時に、腕についていたスライムが、ブロワーで吹き飛ばされたかのように消滅し、小さな石ころがそこに転がるだけであった。
「え……、あっ! ぐううういいたい!!、これが、チートなの? 1回きりとか聞いてないよ……」
誰に教わったわけでもない。でもなんとなくわかる。体の中にあった力のほとんどは今ので消滅した。
「ぐうう、そんなことより早く治療しないと、腕がヤバい、あー、痛いよぉ……」
澪は転げ込むみたいに家へ戻った。
鍵をかけて、閂まで閉めた。閉めたところで安心できるわけじゃないのに、とにかく閉めた。
洗面台まで行き、水を出して、袖をめくる。
赤くなってゆるゆると血が流れている。痛みは限界を超えたのかしびれに変わっていた。皮膚はなんか羊皮紙みたいなまだらに――いや、考えたくない。
さっきまでののんきな“農場ゲーム”のテンションが、音を立てて崩れていく。
(外、危ないって言ってた。あれ、そういう意味か……)
澪は棚にあった救急セットから取り出した軟膏を塗って、腕に包帯を巻いて、痛み止めを飲んだ。
至れり尽くせりのこのセットが頼もしいと同時に急に恐ろしく見えた。
同時に、家の外が、急に広すぎて、そして危険に見えた。
――怖い。
澪は包帯の端を結び、布で三角巾をつくって首からかけた。
そして、ふぅ、とため息をついて、膝の上で握った手をほどいた。指が白くなっていたことに、そこで気づく。
痛み止めが効いてきて、少しだけ冷静になった。
あの足跡の境目。あれが境界だ。
この箱庭ゲーのログハウスと、マジのサバイバルの。
危険があると言っていたではないか。私はマヌケか。
問いは、答えのないまま部屋に落ちた。
このことは、澪の心に想像以上のトラウマを植え付けた。
それ以降、澪は畑とログハウスの周りからは一歩も出ないようになっていた。
あの瞬間が来るまでは。




