1_3 滝のほとりのファーストコンタクト
「えっ――!」
女の高い声がした。
緊張が張り詰めていたラントも獣人も、無意識的に、反射でそちらを向いた。
そこには少女が居た。
一見、人類。いわゆる通常の人類だ。亜人ではない。
だが――服が変だ。布地が厚くて、妙に青い。胸当てがついて、肩から紐が伸びている。
ズボンとも違う。作業着に見えなくもないが、現地のどの村人とも違う。
黒い長い、ウエーブのかかっていない、つやのある黒髪。そしてその頭には、草? 麦わらで編んだような帽子を被っている。
鍬は構えていない。
でも抱え方が、妙に固い。刃を向けるのではなく、柄をぎゅっと握って自分の前に置く。
――盾みたいに。
武器にするつもりはなさそうだ。
そこまで双方一瞬で考えを巡らせる。
少女の目が、こちら、人類側へ、次に倒れているティッシを見て少し目を見開く、そして水幕の陰の獣人へ――ゆっくり移る。
止まって、揺れる。
視線がいったん外れて、また戻る。戻ってきて、慌てて外れる。
明らかに挙動不審だ。だが今すぐに襲い掛かってくることは無いだろう。
農機具を持っている。奥に畑がある。畑があるってことは、少なくとも短期間ではない。定住の可能性が高い。
定住? この森で?
畑? 畑?
――悪い夢でも見てるのか。
疑いが喉まで来て、ラントは噛み潰した。
今はそんなことより獣人だ。
ラントは頭の中から謎の少女を押し出す。
視界の端へ追いやり、目の前の二名に集中する。
滝つぼの横道に二人。両方獣人。片方は見たことがない種類だ。後方の草食獣人か?
でかいほうは、濡れた毛並みが身体に貼り付いているが、気にせずこちらを見ている。
もう一人の小さいほうは、動きが妙に落ち着いている。落ち着いているというより――固まってるのか?
息や心音が聞こえるのではないかというほどの緊張。滝つぼの音ですら聞こえない位だ。
息を吸って吐く。その一拍が、やけに長いし、神経を使う。
その空気におびえたのか、少女が思わず一歩、後ろに下がった。
――石がジャリ、と鳴った。
合図には十分。
次の瞬間、お互い殺気を放つ。隠す必要もない。先に殺さなければ殺される。
ラントの指が柄を握り込み、獣人の手が腰へ伸び、
互いに、気づいた時にはもう抜刀していた。
が、その瞬間。
武器は木っ端みじんになった。
冗談でも比喩でもなく、金属製の武器が、川に貼った氷よりももっと細かく、砂のようになって消えた。
何の音もせずに。
金属が割れる音も、木が裂ける音も、何も。
振りぬいた瞬間、“重さ”が消え、砂のようなかけらが周りに散らばった。
驚愕をして相手を見ると、相手も同じ顔をしている。
……無音。
ドウドウと滝の音が耳に入ってくる。
武器が壊れたなら、素手でも殺さねば、殺される。
ラントは息を吸おうとして、胸の奥で空気が止まった。
吸えないわけじゃない。吸えるのに、入ってこない。
喉の内側に、見えない膜が張ったみたいに。
目の前の獣人も、同じ顔をした。
鼻先がぴくりと動き、次の瞬間、呼吸が浅くなる。
肩が上がる。上がるのに、空気が増えない。
動こうとした瞬間だけ、世界が重くなる。
ラントの足が、ほんの少し前へ出ようとして――出ない。
足裏が地面に貼り付いたように重い。
膝の裏が、冷たい水で固まったみたいに曲がらない。
いま目の前のこいつを――そう考えた瞬間、胸がさらに締まった。
息の通り道が、きゅっと細くなる。
深海に潜ったみたいに、圧が増していく。
「グウウウ・・!!」
唸り声で目を向けると、獣人のほうも同じ現象に襲われているようだった。
でかいほうの視線が一瞬だけ鋭くなる。
その鋭さに合わせて、空気が一段、重く落ちる。
もう一人――置物みたいに止まっていたやつは、瞳だけが忙しく揺れた。動けないのに、思考だけは逃げ場を探している。
これは違う。いつもと明らかに違う。
あれは「事故で死なない」の話だ。
今のこれは――殺そうとした瞬間に、殺しに来る。
蛇に睨まれた蛙、なんて生易しい。
喉の内側、肺の奥、心臓の拍動にまで、重しが乗る。
ラントは歯を食いしばった。唾が飲み込めない。
獣人のほうも、牙を見せるでもなく喉を詰まらせている。
――そして、原因みたいにそこにいる少女は。
鍬を抱えたまま、困惑していた。
ラントは目線を切った。獣人も切った。
“殺す”の形を、いったん頭から畳む。
すると――ほんのわずか、空気が戻った。
肺の奥に、細い一本の通り道ができる。
ほっ、と、少女がようやく息を吐いた。
少女が、唇を開いた。
「あ、あの……、大丈夫ですか?」
声が震える。喉が細い。
それでも言葉を落とさないように、丁寧に並べようとしている。
「ここ……私の家の、まわりなんですけど……。何か御用でしょうか?」
ラントの眉が、勝手に上がった。
家。まわり。
意味が繋がらないまま、言葉だけが耳に刺さる。
獣人の大きいほうが、短く息を吐いた。
怒った息でも、笑った息でもない。状況を飲み込もうとする息。
獣人は、肩で息をしながら、少女に尋ねる。
「……何者だ?」
少女は肩を縮め、鍬の柄を抱え直す。
武器にする抱え方じゃない。抱きしめるみたいな抱え方だ。
「高木、み、澪……です」
言った直後、澪の目がわずかに見開かれた。
――あ、とでも言いそうな顔で、口を閉じる。
何かをもごもごといった後、首をひねって、なんとなく、納得しているようなそぶりをする、澪と名乗る少女。
それを見て、何と言っていいのかわからない獣人と、ラント達であった。
獣人の小さいほう――マーヤが、喉を動かして言った。
「……すみません。調査であの、迷い込んでしまったのですが……」
言葉は柔らかい。だが声の芯は震えている。
震えを隠そうとして、余計に固い。
澪の目が、獣人へ向いた。
真正面からは見ない。
横目で、耳。毛並み。牙。
視線が合いそうになると、すっと外す。外した先が、砕けた刃の砂。
ラントは喉の奥が乾くのを感じた。
何か言えば、この場がまた沈む気がする。
だから言葉を削る。
「あ、そうなのですね。お二方ともですか?」
少女はラントの方をみて首をひねる。
「え、ええ。少し水にツレがおぼれてしまいましたが、もう目を覚ますと思います」
澪と名乗った少女は、ほっと溜息をついた。
「そうなのですね。安心しました」
「あの!」
マーヤは声を振り絞る。
「我々は調査のためにこの森の端に村を作っているのですが、あの……この森はあなたの持ち物ですか?」
そのセリフを聞いて、澪と名乗った少女は首をひねった。
「いえ、私も勝手に住み着いているだけですので……。あっ! む……むしろ誰かの土地なのでしょうか?」
「いや。ここは未だだれのものでもない」
ラントは、未だ、にイントネーションをつけてそう言う。
「あ、そうなのですね。」
澪と名乗った少女はあからさまにほっとした様子だった。
その後に、むにゃむにゃいうティッシに目をやって、小さくうなずいていた。
そして沈黙が落ちる。お互い話題が無くなったのだ。
そして今から殺し合いなど出来ようもない。
「……帰るぞ。邪魔をした。正式な挨拶はまた――」
大きい獣人、ガルドは軽く頭を下げて、小さい獣人を引っ張って滝の裏に消えていく。
「……我々もお暇させていただきます。」
ラントはティッシを担ぎ上げる。軽い。生きている重さだけがある。
獣人たちも水幕のほうへ下がる。息が、やっと戻ってくる。
背を向ける直前、澪の声が追ってきた。
「あ、あの……、大丈夫ですか?」
その声は本当に心配そうにしているようだった。
だが腐っても、ここは魔獣の森、地獄の最奥だ。この少女が本当に普通の人間なのか疑わしい。
最善はさっさと帰って、報告をすることだ。と、ラントは考えた。
「ええ、ツレは軽いもんで。では我々もまた」
「お……お気をつけて……」
何に対しての言葉なのか分からないまま、ラントは川ぞいを歩き出した。
Side:ラント(現地人類側)
川岸の砂利が、ぎし、と鳴った。
音がする。それだけで、少しだけ安心してしまうのが腹立たしい。
背中で滝の轟きが小さくなる。
小さくなるほど、さっきの“無音”が頭の中で大きくなる。
刃のはずだったものが砕けた感触が、指先に残っている。
重さが消えた瞬間の、あの変な空白。
ラントはティッシを担ぎ直した。肩にずしりと現実が乗る。
軽いのに、重い。意識がない人間は思ったより重い。ぐにゃぐにゃしていて持ちにくいのもある。
戻る道――滝裏側へ入ればおそらく早い。獣人が通ってきたということは道があるのだろう。
だが、奴らと同じ穴を通ればまた鉢合わせる。さっきみたいに“止まる”とは限らない。
ラントは川を見た。
下流へ伸びている。両側は切り立った崖と、うっそうとした森。登るのは面倒そうだ。面倒どころか、たぶん無理だ。
村の方角とは少し違う。
違うほうがいい、という下心が胸の奥で小さく頷いた。
あの澪と名乗る少女に――あの場所から、こちらの拠点の方向を悟られたくない。
「……下るぞ」
誰に言うでもなく言って、ラントは川沿いに歩き出した。
濡れた靴が砂利を噛む。音がする。ちゃんとする。
しばらく、ただ歩いた。
息を吸うと胸がきしむ。吐くと喉が引っかかる。
それでも、さっきよりは空気が入る。痛みが遅れて追いついてくるだけだ。その痛みは川で打ったためか、それとも。
しばらく歩いていると、ティッシが肩の上で、もぞ、と動いた。
(あー……説明、めんどくせぇ……)
――そして、これから一番厄介なのは、これをどう報告するかだ。
武器が壊れた。
壊れた理由が分からない。
壊れたのに音がしない。
その上、あそこには畑がある。
話せば話すほど、面倒が増える。
だが隠せば、もっと面倒になる。支給の話が立たない。
ラントは、口の中でだけ結論を出した。
(……全部言う。言って、グラーフ爺にブン投げる。もう知らねえ)
それが一番早い。
早く終わらせて、寝たい。
Side:ガルド(獣人側)
一方、冷たい洞窟を無言で歩く二人。
しばらく無言で歩き続け、ガルドは先に洞窟の外に出た。
後ろで、マーヤが遅れて息を吐いた。
吐いた息が震えて、それを隠すみたいに咳をひとつ。
「……見ましたか」
マーヤが言う。声は落ち着いているようで、端が少しだけ乾いている。
「ああ」
「……髪の毛」
「武器だろ」
同時に違うことを言って、お互い首をひねる。
ガルドは黙って腰の革を撫でた。
刃はもうない。残ったのは柄と、粉が付いた革だけ。
「“人間の術”って言えば楽にはなりますけど」
「楽になるのは報告したやつだけだ」
「……たしかに」
マーヤは苦笑いして、すぐ真顔に戻る。
「それより……隊長」
ガルドはマーヤに首をしゃくって、話を促す。
マーヤが一拍、言いづらそうに口を開けた。
羊の耳が、ほんの少しだけ寝る。
「あの黒髪……普通の人類じゃないです」
ガルドは歩幅を変えずに言った。
「変な格好だったな。農具持ってた。村人だろ」
「村人なら、あんな布は着ません。あんな縫い方もしません」
マーヤの声が、妙に確かだ。
現場で“違和感”を拾うときの声。
「青い。厚い。胸当て。肩の紐。……あれ、鎧でも服でもないです」
「作業着だろ」
「見たことありません。少なくとも……人類側のどの隊も」
ガルドはそこで、ようやく思い出した。
あの少女の“まっすぐさ”だ。
怯えているのに、逃げない。
礼儀があるのに、距離の取り方が変だ。
こちらを見て、すぐ逸らす。逸らすのに、また見てしまう。
見慣れていない目だった。
だが、見慣れていないのは獣人に対してだけじゃない。人間に対しても、どこか。
「……味方でもなさそうだな」
マーヤが、ほっとしたように頷いた。
そこに、前線の人間(羊)の“立ち位置”が滲む。
「はい。人類側の兵に対しても、同じ顔でした。それに黒髪」
「何かあるのか?」
「人類に黒髪は居ないはずです」
「……確かに見たことねえな?」
言われたらそんな気がする。戦う相手の髪の色なんていちいち気にはしていなかったが。
「ですよね。なんかあった気がしたんですが……うーん」
マーヤはのどに何かが引っかかっているような顔をする。
「どうしたもんかねぇ……」
口に出してしまってから、ガルドは舌打ちしそうになり、やめた。
舌打ちしたいのは自分じゃない。状況だ。
「まあ、報告は見たままだろ。黒髪の人類一名、畑、武器破砕、殺意を立てた瞬間に息が詰まった。ってな」
「……最後、信じてもらえますかね」
「しらね。それは俺らが気にすることじゃねえ」
ガルドは木漏れ日見て、目を細める。
(“知っているルール”じゃない)
ただ一つだけ、確かだった。
あの黒髪が、澪とかいう女が鍵だ。
Side澪(森の奥にて)
畑に残された澪は、しばらくその場から動けなかった。
鍬を抱えた腕が痛い。
痛いのに、指が離れない。
抱え方が、武器じゃなくて、ほとんど抱きしめるみたいになっているのに気づいて、澪は自分で自分に驚いた。
川岸には砂が落ちている。
金属だったものの砂。
音がしなかったことだけが、現実味を削っていく。
(ファンタジーだなぁ 何かの儀式なのかな?)
澪は一歩下がって、次に麦わらのつばを押さえた。
自分の呼吸が速い。速いのに、声が遅れて出る。
(人がいた、人じゃない人っぽいのもいたけど、自分以外にも人がいた。緊張したけど、言葉も通じた)
胸の奥がふっと軽くなる。
軽くなったのが怖くて、鍬を抱え直す。盾みたいに。
(通じるんだ……)
獣人も言葉が通じた。
嬉しい、という感情が先に出かけて、慌てて引っ込める。
(共通語なのかな? いや、でも日本語だったようね。――、まあ、いわゆるチートか)
澪は脳内だけで呟いて、勝手に納得した。
澪は畑の畝へ目をやる。
鍬をゆっくり下ろして、澪は息を吐いた。
よくわからないことは、胸の奥にしまっておこう。
ここに転生して、ファースト村人?だ
修正しています




