1_2 Side現地獣人側
設営作業が嫌われる理由は、だいたい決まっている。
敵がいない。
敵がいないのに手が痛い。
手が痛いのに、妙に時間がかかる。というか特に名声にかかわらないというので満点だ。
それでも前線では、やらなきゃいけない。森が落ち着いたからだ。落ち着いた森は、資源の匂いがする。資源の匂いは、戦争の匂いと同じだ。血のような金の香り。
「……こんな細いロープでチマチマチマチマ、あ~~めんどくせぇ……」
肉食獣人が支柱に縄を回しながら、盛大に愚痴った。爪があるくせに、結び目だけは壊滅的に下手だ。結び目というより、絡めただけの何かになっている。
「釘で打ち付けたほうが早くね? ほら、ドン!って!」
言いながら、釘をつまみ上げる。その手つきは雑だが、悪意はない。こっちのほうがいい案じゃないとドヤ顔である。
「ちょっ、待って! そんな扱いしないでください! これ、いくらすると思ってるんですか!?」
声が上ずっている。怒っているというより、焦って止めに入った声だ。
「どういうこったよ」
「この柱、折れないように高価な木を使ってるんです。傷つけて腐ったら、経費申請、発注、インシデント報告で……私の右手がぶっ壊れます。泣きますよ」
「そんなじゃなくね?」
「そんなにです。報告書って、書く量が多いんですよ。ほんとに。1日変わってみます?」
「いや……。じゃ、じゃあ、釘やめるわ」
肉食獣人は口をとがらせながら素直に手を引っ込めた。
「助かります。縄でいきましょう。こっち回して、輪を小さく――はい、そこで止めて」
「そこってどこだよ!」
「……これです」
「これか! よし! ――できた!」
できてない。
できてないが、本人が誇らしげなので、まあ、いいかと、草食獣人は思った。あとでもう一回だけ締め直しておくか。
「……人間って、なんで木で家作るんだろうな」
縄をいじっていた肉食獣人が言った。今度は釘に手を伸ばさない。学習が早い。
「幌のほうが楽だろ。張って終わりじゃん」
「人類は定住が多いから、との定説ですよ。」
「定住って、ずっと同じ場所にいるやつだろ?」
「そうです」
「飽きねえのかな」
「飽きたら引っ越すんじゃないですか?」
「引っ越すなら幌でいいだろ!」
「まあ、畑とかもあるので、あそこまで大規模だとなかなかおいそれと引っ越しはできないのかもしれませんが」
「わっかんねえー!」
周りが笑った。笑い声が軽い。
軽いのはいい。ここでは、それが正しい。
本国なら、草食獣人が肉食獣人に、また逆に、肉食獣人が草食獣人にこういうふうに軽口を叩くのも、なんとなくだが許される範囲が決まっている。
だがここは前線だ。泥と薪と血の匂いが混ざる場所では、身分よりも「隣で背中を預けた回数」が物を言う。
それでも“上下”が消えるわけではない。消えないからこそ、草食獣人は言い方を選び、肉食獣人は言われたら引く。そうやって、場が回る。
ハ・ガルドは少し離れたところで、そのやり取りを眺めていた。
騒ぐ声。笑い声。縄の擦れる音。
妙にのどかな音だ。
本国よりも居心地がいいなと思っている自分に気が付いて、少しだけ顔をしかめる。
見る限り拠点は、少しずつ形になっていた。村、と呼ぶにはまだまだ早いが、柵が立ち、骨組みが増え、まあ、多少の獣は追い返せるくらいにはなってきた。
反対側――森の向こうには、人間側の煙も見える。向こうも向こうで、木の箱みたいな家を組んでいるらしい。
森は静かで、焚き火は温かい。
戦争をしている場所だというのに、こういう瞬間だけは妙に“野営”だ。
「そういやさ」
別の肉食獣人が、薪を放り込んで言った。
「今日の小競り合いも、また変だったよな」
「変だったな」
「当てたのに倒れねえの。あれ、なんなんだ?」
「わっかんねー?」
「でも死なないなら良くね?」
「良い良い。最高。明日もそんなかんじで一つ」
軽口が飛ぶ。誰も深刻ぶらない。
深刻ぶっても腹は減るし、仕事は増える。なら笑っておく。
ガルドは焚き火を見ていた。笑い声を聞きながら、別のことを考える。
倒せない敵と小競り合いを続けるのは、無意味だ。
無意味なことが続くと、いずれ別のところが壊れる。
身体でも武器でもない。もっと面倒なやつ――金と時間と、そして人の心だ。
だが、それを今ここで言う意味はない。
現場の能天気さは、守るべきものでもある。
だからガルドは、言い方だけ選ぶ。
「……積極的に取りに行くのはやめる」
肉食獣人たちが一斉に顔を上げる。
「え、逃げんすか?」
「逃げない。牽制は続ける」
「じゃあ何をやるんすか」
「斥候を増やす。奥の地図を埋める」
「偵察かよー……」
「細かい作業、だりぃ……」
「文句言いやがった奴は今日は飯半分にすっぞ?」
「「申し訳ございませんっ!!」」
真面目に返事をした後、ゲラゲラ笑う。
草食獣人が困った顔で肩をすくめるが、ガルドも今はこんな感じでいいか、と思っていた。
不真面目な殺し合いに真面目になる意味はない。
数日後。
斥候が戻ってきた。顔が明るい。何かいいものでも見つけたのだろう。
「隊長! 水源、見つけました! 滝です!」
「滝?」
ガルドは首をひねる。そんなに大きな山などあっただろうか。まあ、木々も高さがあるので、森の奥地がどうなっているのかいまだによくわかってないのだが。
「でかい滝壺で……裏に、穴があります! 洞窟みたいな!」
それを聞いて肉食獣人は一気に騒ぎ出す。
「洞窟!? 絶対なんかある!」
「宝!」
「肉!」
「肉は洞窟にねえだろ!」
「あるかもしれねえだろ!」
ギャーギャー騒ぐ。
草食獣人は「落ち着いて」と言いかけて、言うのをやめた。落ち着くわけがないからしばらく放っておくことにした。
「場所はどこです?」
「こっちです! 森の奥寄り!」
地図の上を指でなぞる。
本来は今の川が長期間耐えうるものなのかの確認だけだったが、思った以上にしっかりした水源だったらしい。
だが、ガルドはそれを見て、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
嫌な予感、というほど大げさじゃない。
ただ、妙に気になる。妙に、放っておきたくない。
喜ばしい話のはずなのに。
――面倒が増える匂いがする。何かに誘われている気もする。
「ちっ――、しゃあない。俺が行く」
「えっ? 隊長が?」「宝好きだったんすか」「冒険好きでしたっけ?」
めいめい適当なことを言う獣人。
「好きなのは面倒が減ることだ。だから確認する」
ガルドは短く言った。
「最少で行く。足音がうるさいのは置いていく」
「ひどっ!」
「うるさい」
笑いが起きる。
笑いが起きるのは、いい。ここではそれが正しい。
象の獣人、エ・ラージュが黙って並ぶ。影がでかい。
「俺も行く」
「洞窟だっつってんだろ。お前は居残りだ。」
エ・ラージュはしょんぼり顔になる。
「代わりにマーヤ、お前が来い。」
「ええっ!?」
羊獣人のマーヤはびっくりして悲鳴を上げる。
草食獣人が前線に行くなどまずありえないからだ。
「いや、死人が出ねえならだれでもいいだろ。小柄でメモが得意な奴が来ねえと意味がねえだろうが。」
「たいちょー、俺らはどうしたらいいっすか?」
ほかの獣人たちが聞いてくる。
「俺らが行って帰るまでに柵と掘りが出来てなかったら、お前ら全員マラソンな」
「「ひいっ!」」
翌朝。
手にした地図を見ながら森を歩く。今日は一段と静かだ。
なれない山道で息が上がっているマーヤが一番うるさいくらい。
遥か彼方に聞こえていた滝の音が近づくにつれて、空気が冷えてくる。
そして数時間も歩き、思った以上に時間がかかったが、滝壺が見えた。
白い水幕。跳ねる霧。
そして、水幕の奥に暗い穴がある。
「よくこれを見つけたな」
目を凝らさなければ、穴があるなんて気が付かない。
なんとなく、誘われている気がしていい気がしない。
ガルドは、ほんの一瞬だけ足を止め、ふぅ、と息を吐いた。
「危ないと思ったらすぐに引き返すぞ」
「了解です」
そうマーヤと自分に言い聞かせて、滝壺へ向かって歩き出した。




