1_13 大人閑居せずとも不善をなす
澪は、谷の端から端まで、ゆっくり歩いた。まあ、端といっても開けている場所だけなので、ごく僅かな土地ではあるが。
いまだに森の中には立ち入っていない。傷は癒えたが、あの時のスライムの恐怖はいまだに色濃く残っている。
ぐるっと回って、家の前の畑に戻ってくる。
「……やっぱ広すぎるよね、これ」
声に出してしまってから、澪は自分で自分に言い訳する。
「いや、GOサインだしたのは私なんだけれど」
広げたのは勢いだ。あの日、ラント以外の人類側の“妙に畑に詳しい人”が来て、畝を見て「ほぉー、そうなのですね」とだけ言ったきり、獣人側に渡したせいでスッカラカンになった田んぼのほうを見てちょっとしょんぼりしていた。
なんとなく悪い気がして、言い訳をしたのが話の始まり。
『あ、あのぉ 別のイモもまだあるのですが、種とかもがありまして』
そこからの『ほう!? ではあちらに広げましょう!』だ。澪の「ひろげ?」は、風に消えた。気づいたら畑が増えていた。
「……人間、勢いがある方が勝つんだなぁ」
どう考えても一人でケアできるとは思えない広々とした畑を見てため息をつく
家庭菜園をするなら昭和のメガ団地くらい賄えそうな範囲である。
畑の真ん中で、澪はしゃがんで芽を指でつつく。葉の張りは悪くない。虫も少ない。水も足りている。
ありがたいことに、土地柄なのかほっといても勝手にスクスク育っている。前世の家庭菜園の一家言を持っている人が見たら怒り狂う手入れの乏しさである。もはや家庭菜園というよりは育児放棄に近い。
「……まあ、今のところ問題ないみたいだからいいか」
たまにスコールが降るこの土地では水やりとかも適当でいい。というかしなくても十分そうである。
そう思うとめちゃくちゃ肥沃で、今まで誰もここに国を作っていないのが不思議であった。
まあ、それは今はお引越し済みのボスのせいではあったのだが。
澪は立ち上がって、畝の間を歩く。最近は種が取れ始めた作物もちらほら出てきた。今試験的に森の外で育ててはいるが、あまりうまく入っていない様子。
この場所が特殊なのか、外が特殊なのか。とはいえ全く育たないわけでもないので、トライアンドエラーの段階である。
ちなみにログハウス産からの直送は相変わらず圏外で消滅であった。
など、いろいろ考えつつ、散歩をして、畑の端、最近増えた区画にたどり着く。
「もはやどこに何があるのか記憶するのも無理な気がするなぁ……。看板たてるか」
澪は歩いてログハウスへ戻りながら、そういえば、と、香辛料のことを思い出した。
あれも、じわじわ増えた。ガルドやマーヤが、前回の食料のお礼だと言って持ってくる。まあ、一応対等、ということにしておくのが肝要である。
そしてその香辛料で、ついにカレー“もどき”が作れた。まあ、米も例のスカスカ味なので、カリフラワーライスに近い気もしないでもない出来ではあるが。だが、十分おいしかった。欲を言えば福神漬けがほしい。
澪は台所を思い出して、軽く肩を落とした。
「……味噌があればもうちょっと料理の幅が広がるんだけれどねぇ」
異世界転生あるある。最初の壁、発酵食品である。まあ、無残にも砕け散ったわけではあるが。
蓋を開けたら、発酵というより事件現場だった。澪は無言でそっと閉め、厳重に封印して、友達がやっていたハンマー投げを思い出しながら森の奥に放り捨てた。
まあ、とりあえずはカレーからにしよう。こんなところで食中毒になったら目も当てられない。加熱したからといって外毒素型の食中毒はどうにもならないのだ。
そんなことを考えつつ玄関へ戻ると、すでに人がいた。
物々交換で来ていたのはラントだった。
……だけじゃない。
澪が戸を開ける前に、外から聞こえる声で分かる。
「澪さーん、いるっすかー!」
語尾で分かる。ティッシだ。相変わらず元気そうで悩みがなさそうなのが好感が持てる。本人に言うと失礼になりそうだが。
「声がでけえよ」
ラントの声が続く。声は抑えているが、ティッシには通じていない。澪はため息をついて戸を開けた。
軒先に、ラントとティッシが立っていた。さらに後ろに、もう一人か二人、何度か見た荷物持ちの人たちだ。
ティッシは畑を見た瞬間、目を丸くした。
「でっか……。畑、増えたっすね!」
「増えたっすねぇ……」
澪が淡々と答えると、ティッシはなぜか誇らしげに頷いた。
「すごいっす。豪農になれますね」
「過労死するぞ」
ラントが即座に突っ込む。澪は内心で「ありがとう」と思った。
ラントは荷を下ろし、畑のほうへ視線をやる。
「……ここからあっちの端までは前無かったような?」
「はい」
「本気で広げすぎじゃね?」
「やむを得ない事情がありましてね……」
いつものやり取りが落ち着いたところで、澪が種袋を見せる。ティッシが覗き込み、「これなにっすか!」と騒ぎ、ラントが軽く頭を押さえる。
その時だった。
谷の入口側から、別の足音が近づいてきた。
澪は先に気配で分かった。獣人一行だ。
軒先で鉢合わせた瞬間、空気が止まった。
止まったのは、敵同士だからではない。敵同士なのは今さらだ。
ラントがまず固まった。珍しく困惑が先に来ている顔だった。
ガルドのほうも、なんて言っていいのかわからない顔をしている。
互いに何か言うべき気もする。でも、何を言えばいいのか分からない。
どうもお久しぶりです。この前ちょっと殺し合いしたぶりですね。とでもいえばいいのだろうか。
お互い固まっているのを見て、澪は少し考えて、コホンと、咳払いをした。
それを聞いて、ラントは苦笑した。
「ああ……そういえば酒があるんだが」
視線が一斉にラントに集まる。
「澪様は酒は飲まないんだろ。どうだ、やるか」
澪は「え」と声を漏らしかけて飲み込んだ。
それにドーンが平然と乗った。
「いいじゃないですか」
声が落ち着きすぎていて、逆に軽い。
「最近は安酒ばかりですし」
ガルドの視線がほんの一瞬だけドーンへ向く。突っ込まない。突っ込めばここが情報戦になる。ガルドはそこを理解している。
「……しゃあねえな、お前ら、荷物を渡したらそこで待機だ」
それだけ言って、軒先へ腰を下ろした。迷わない座り方だった。
澪は反射で「杯」を探し、棚の奥から小さなコップを出した。
素焼きの土器だ。インドのチャイでも入っていそうな形の、小ぶりなやつ。最近、石窯を設置して、試しに焼いてみた習作である。出来は……まあ、飲み口がちょっとガタガタしているが、用途としては問題ないだろう。
「これでいいですか」
「おう。十分だ」
ガルドは頷く。
酒盛りは、静かに始まった。静かに始まったが、長くは静かでいられなかった。
ラントが酒を出し、ぎこちない手つきで土器のコップに注ぐ。ガルドは匂いを嗅ぎ、眉を寄せた。
「キツくないか?」
「そうか? 酒ってこんなもんじゃねえの」
「果実酒が多いなこっちは。これは麦か?」
「においでわかるか。さすが」
マーヤは最初、丁寧に座っていた。丁寧に飲んでいた。丁寧に「強いです」と言った。そこまでは良かった。
問題は二杯目からだった。
マーヤはいつの間にか距離が近い。コップを持ったまま澪の横に寄っている。寄り方が、手続き上の距離ではない。
「澪さま……」
呼び方が少しだけ崩れている。崩れているのに、口調は妙に真面目だ。
「この前の……野菜……」
「え、はい」
「本当に、おいしかったです……」
言いながら、マーヤは澪の袖をがっしりつかんだ。
澪は困惑して周囲を見たが、ガルドはコップを眺めているふりをしている。ドーンは視線すら動かさない。ラントは「どうすんだこれ」という顔をしている。誰も助けない。
「新鮮な野菜っていいですよね……、うっ、ぐすっ」
そして、ティッシはティッシで、別方向に転がった。
最初は元気に飲んでいた。次に、やけに真面目な顔になった。次に、下を向いた。最後に、泣いた。
「うぅ……」
こっちも泣き上戸だ。しかも声がよく通る。
「なんで……なんでみんな、すぐケンカするんすかぁ……」
澪は「今ケンカしてない」と思ったが、訂正すると余計に長引きそうなので黙った。
ティッシは泣きながらコップを抱え、勢いよく言う。
「おいしいごはん、もっと食べたいっすぅ……!」
ラントが慌てて手を振る。
「お、おい、泣くな。いや泣いてもいいけど、声がでけえ」
「大声だすならこんなもんじゃないっすよ!」
「何の自慢だよ」
それを見てドーンは淡々と一言。
「酒は、そういうものです」
「お前が言うな。つーかお前も酒弱かったのかよ」
「この酒はいけない。ああ、とてもいけない」
ガルドのツッコミにオウム返しをするドーン。澪は思わずずっこけそうになる。
軒先は、妙な空気になった。
敵同士なのに、殺し合いの話ではなく、酔っぱらいの相手をしている。マーヤは澪の袖を離さない。ティッシは泣きながら「平和」を訴える。ラントとガルドはツッコミにまわり。ドーンだけが普段通りだが、壊れたレコードみたいに繰り返しているので、多分ダメ。
「……スライストマトと、チーズあったかなぁ」
空腹に酒はだめだなと前世の知識を思い出して澪は苦笑する。
背中で、笑い声と泣き声が混ざる。
少しだけ賑やかで、この世界には存在しなかった光景だ。
澪は、そんな夜が嫌いじゃない自分に気づいて、こんな風景が続けばいいのにな、と思った。
酒盛りが終わって、ガルドが村へ戻るころには、夜がひんやりしていた。
自分は酔っているわけじゃない。むしろ頭は冴えている。冴えているのに、軒先の空気が忘れられない。
縁のないと思っていた戦争のない世界。おとぎ話の世界があったら、あんな感じのかもな、と、珍しく感傷的になっていた。
そこへ、ドーンが追いついてきた。足音は静かだが、歩調が少し速い。
「帰って早々ですが」
ドーンの声は平らだった。平らなのに、急ぎの色が混ざっている。
「もう酒は抜けたのか?」
「ええ、驚きの指示がきたもので」
ドーンは珍しく苦々しい顔をしている。
「本部に呼び出しです。少し急ぎで」
ガルドは歩幅を変えずに答えた。
「……帰ってきたのか?」
「ええ。呼び出しはヒ・ベローム様です。あまり良くない報告があるとのことです」
カバ獣人族長の長男。四十前後。現場の采配がうまく、無駄がない。表面上は温和で丁寧だが、ガルドは性に合わなかった。仕事はできるとは思っているが。
村の中央の家に入ると、ガルドをヒ・ベロームがにこにこして迎えた。その左右には本国のほうに一緒に行っていた別のカバ獣人が2人。どちらも熟練の戦士だったが、名前は憶えていない。
「お疲れさま。楽しんでいたところ、遅い時間に悪いね」
声は柔らかい。言葉も丁寧だ。けれど、目の奥に壁がある。こちらを見ているようで、きっちり線を引いている。
「いえ」
ガルドは頭を下げた。
「ところで、ご用件は?」
ヒ・ベロームは笑顔のまま頷く。
「簡単に言うよ。あまり良くない話だ。本国の好戦派が、離反するかもしれない」
ガルドの視線が一度だけ落ちる。床の模様を見たわけじゃない。頭の中で今後の話を計算した。
ヒ・ベロームは続けた。声は柔らかいままだ。
「なので、しばらく申し訳ないけれど、君には謹慎してもらう。監視も付けるよ」
ドーンは苦々しい顔をする。想定内だが、最悪のところに着地した。いや、そこまででもないが、だが良くない。そんな顔だった。
反発しても状況は変わらない。変わらないどころか、現場が荒れる。ガルドは肉食獣人とは思えないほど心が凪いでいた。
本来の性格もあるし、先ほどの異常な酒盛りの影響もある。
代わりに、一つだけ確認した。
「……期間は」
ヒ・ベロームは穏やかな顔のまま答える。
「様子が読めるまで。かな。なるべく短くなるように努力はするけれど、難しいかもしれない」
丁寧なだけで、中身はきっちりしている。壁もそのままだ。
「わかりました」
ガルドの返事にヒ・ベロームはにこにこしたまま、少しだけ首を傾けた。
「助かるよ。君が落ち着いていてくれるととても助かる」
ガルドは無表情で頷く。
こうなる未来も想定していなかったわけではない。
「一つ質問よろしいですか?」
「ああ、いいよ。でも多分その答えはイエスだ」
「やはり父上が」
「君に嫌疑は無いけれど、まあ、難しい事情を汲んでくれると信じてるよ」
「……当然です」
ガルドは最後にもう一度頭を下げ、家を出た。
房に行く前に腐りそうなものはマーヤに処分してもらわないとな、と、考えていた。
ひゅう、と風が吹く。
そろそろ秋だったか。夜が更け、外の空気が冷たいことに今年初めて気が付いた。
村の中に、さっきまでの賑やかさとは別の、きな臭さが薄く混じり始めていた。




