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異世界恋愛短編集

それでも私は、間違っていません

作者: 百鬼清風
掲載日:2025/12/18

 ――いずれ話そう。


 はいはい、出ました。

 それ、今月で何回目だと思ってるの?


 エリシア・フォルネスは、にこやかに微笑みながら、内心で盛大に机を叩いていた。もちろん実際には叩かない。ここは王都、しかも婚約者の屋敷の応接間だ。伯爵令嬢としての矜持と礼儀は、いい加減もう体に染みついている。


「そう。いずれ、ね」


 口から出た声は、我ながら驚くほど穏やかだった。

 感情? ある。ものすごくある。

 でも、感情があるからといって、すぐ叫んだり泣きわめいたりするほど子どもじゃない。――と、思っている。思ってはいるのだ。


「今は立て込んでいてね。君も分かってくれるだろう?」


 婚約者は、困ったように眉尻を下げてそう言った。

 その顔を、もう何度見ただろう。


 立て込んでいる。

 忙しい。

 今は時期が悪い。

 いずれ話そう。


 その“いずれ”の間に、私は何度、夜会を一人でやり過ごした?

 何度、隣に立つはずの人の席が空いたまま、笑顔を貼り付けた?


「ええ、分かってるわ」


 分かってる。分かってるとも。

 あなたが決断しない人だってことくらい、もう嫌というほど。


 応接間を辞したあと、馬車に乗り込んだ瞬間、背もたれに体を投げ出した。


「ああもう! 何なのあれ!」


 叫んだ。思いきり。

 対面しているときに出さなかった分を、今ここで一気に放出する。


「いずれ話そう、いずれ話そうって……その“いずれ”で私の人生が何年止まってると思ってるのよ!」


 向かいに座る侍女のマリアが、慣れた様子でうなずいた。


「本日も、でございましたか」


「本日も、よ。本日も! ねえマリア、これって何? 私がせっかち? 短気?」


「いいえ。どちらかと申しますと……」


「と申しますと?」


「よく耐えていらっしゃる方かと」


 その言葉に、一瞬だけ言葉を失った。


 耐えている。

 ――ああ、そうか。私、耐えてるのか。


「……ねえ、それ褒め言葉?」


「はい」


「嬉しくないんだけど」


 馬車の揺れに合わせて、胸の奥がじわりと重くなる。

 怒っている、というより、疲れている。

 声を上げる元気はある。でも、もう何度も同じ話をしていることに、心が摩耗しているのが分かる。


 屋敷に戻ると、母が待ち構えていた。

 この流れも、もう覚えがある。


「今日もお話は進まなかったの?」


「ええ、見事に」


「エリシア、あなたももう少し……」


 来た。

 この先の言葉、当ててみせようか。


「我慢しなさい、でしょ」


 母は言葉を詰まらせた。

 当たり前だ。何年も聞いてきた台詞なのだから。


「立場があるのよ。今は耐える時期なの」


「ねえ、それ何年目の“今”?」


 つい、早口になる。

 感情が口を衝いて出るのを、もう止める気もなかった。


「私ね、我慢が嫌いなわけじゃないの。必要ならする。でもね、期限も説明も無い我慢って、ただの放置よ」


「そんな言い方――」


「じゃあどう言えばいいの? 私、いつまで“分かってくれるだろう?”を信じればいいの?」


 母は答えなかった。

 それが答えだった。


 部屋に戻り、椅子に座り込む。

 喋って、怒って、ぶつかって、それでも何も動かない現実に、ふと可笑しくなった。


「……私さ」


 独り言が、自然とこぼれる。


「怒ってるんじゃないのよね」


 怒りは派手だ。爆発する。

 でもこれは違う。静かに、確実に、心を削ってくる。


「疲れてるんだわ」


 期待して、待って、信じて。

 その繰り返しに。


 私はよく喋る。感情的だし、面倒な女だと思う。

 でも、それでも。


「……怒鳴ってないだけで、我慢はとっくに限界じゃない?」


 そう口にした瞬間、胸の奥で何かが、すとんと音を立てて落ちた。

 ああ、そうだ。これだ。


 間違っているのは、怒らなかったことじゃない。

 ――続けていることだ。


 その考えが浮かんだ途端、不思議と心が少しだけ軽くなった。

 まだ何も決めていない。

 でも、少なくとも一つだけ、はっきりしたことがある。


 私は、黙るために生きているわけじゃない。



 翌朝、目が覚めた瞬間から、もう分かっていた。

 今日は絶対に、誰かに何か言われる日だ、と。


 予感は外れない。外れた試しがない。

 朝食の席に着いた途端、親戚のおば様が口火を切った。


「エリシア、あなた最近、少し強く出すぎではなくて?」


 はい、来た。

 来ましたよ、この流れ。


「強く出してるつもりはないですけど」


「でもねえ、男性というのは繊細なのよ。あまり追い詰めると――」


「追い詰めてません。質問してるだけです」


 間髪を容れず返した私に、周囲の視線が集まる。

 ああもう、分かってる。今の言い方、可愛げゼロ。


 でもさ。

 追い詰めるって何?

 “いつ決めるのか”を聞くのが、追い詰めること?


「エリシア」


 今度は父だ。

 低く、たしなめるような声。


「感情的になりすぎだ。少し落ち着きなさい」


 感情的。

 便利な言葉だわ、本当に。


「お父様、私、怒鳴ってませんよ?」


「そういう問題ではない」


「じゃあ、どういう問題ですか?」


 問い返すと、父は一瞬言葉に詰まった。

 その沈黙に、胸の奥がじわりと熱くなる。


「……つまり」


 私が続ける。


「私が黙って、笑って、待っていれば、丸く収まるって話ですよね?」


「エリシア!」


「違います? でも皆、そう言ってる」


 母も、おば様も、父も。

 言葉は違っても、結論は同じ。


 ――私が大人になれ、我慢しろ。


 食事の後、庭に逃げた。

 新鮮な空気を吸わないと、さすがに口が止まらなくなりそうだったから。


「……ねえマリア」


 後ろを歩く侍女に話しかける。


「私、そんなに変?」


「変、ではございません」


「じゃあ、面倒?」


 少し間を置いてから、マリアは答えた。


「……正直に申し上げますと、よく喋られる方ではあります」


「でしょ」


「ですが」


 そこで彼女は、きっぱりと言った。


「理不尽ではありません」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ楽になる。

 分かってくれる人が、一人でもいる。


 午後には、友人が訪ねてきた。

 心配して、という名目だけれど、まあ半分は確認だ。


「エリシア、本当に大丈夫?」


「何が?」


「その……焦って判断してない?」


 来た来た。

 今日はこの話題の大安売りね。


「ねえ、逆に聞くけど」


 私は椅子に座り直し、身を乗り出した。


「何年待てば“焦ってない”になるの?」


「それは……」


「五年? 十年? それとも、一生?」


 友人は視線を泳がせた。

 誰も、数字を出せない。

 期限を言えない。


「エリシア、あなたは強いから……」


「それ」


 私は指を立てた。


「それ、嫌い」


「え?」


「“あなたは強いから大丈夫”って言葉。便利すぎるのよ」


 強いから。

 耐えられるから。

 泣かないから。


「強いって、折れていい理由じゃないでしょ」


 口にした瞬間、胸がきゅっと締まった。

 ああ、そうだ。これだ。


 強いから大丈夫なんじゃない。

 大丈夫なふりをしてきただけだ。


 夕方、部屋に戻って、一人になる。

 さすがに少し疲れた。


「……もしかして」


 独り言が、弱くなる。


「私が短気なだけ?」


 一瞬だけ、そんな考えがよぎる。

 周りがみんな同じことを言うと、不安になる。


 でも、すぐに首を振った。


「違う」


 短気なら、もっと早く爆発してる。

 何度も説明を求めて、何度も待った。


「説明されてないだけよ」


 決めない理由も、決める時期も、何も。

 それを“我慢しろ”で片付けるのは、違う。


 ベッドに腰掛け、天井を見上げた。


「私ばっかり大人になるのおかしくない?」


 声に出すと、少しだけ笑えてきた。

 本当に、可笑しい話だ。


 大人になるって、

 黙ることじゃない。

 諦めることでもない。


 ちゃんと話して、ちゃんと決めることだ。


 その夜、はっきりと理解した。

 誰かが代わりに決めてくれるのを待つのは、もう終わりだ。


 次は――

 私が、直接、話をする。


 逃げ道のない形で。



 正面から話す、と決めた翌日は、驚くほど静かに始まった。

 嵐の前の静けさ、ってやつかしら。嫌な予感しかしない。


 朝から落ち着かなかった。

 喋る準備は万端なのに、相手が喋る準備をしているかどうかが、まったく分からない。


「本日、お約束の刻限でございます」


 マリアの声に、深呼吸をひとつ。


「ええ。行きましょう」


 逃げる気はない。

 というか、ここまで来て逃げたら、さすがに自分を嫌いになる。


 婚約者――いいえ、まだその肩書きが残っているだけの彼は、応接室で待っていた。

 いつもと同じ、穏やかな表情。

 それが、今日は妙に腹立たしい。


「忙しいところ、時間を作ってくれてありがとう」


 開口一番、そう言った。

 皮肉? 半分。

 本音? 半分。


「いや、当然だよ」


 当然。

 その“当然”が、今まで一度も守られなかったことには、触れないのね。


「単刀直入に聞くわ」


 椅子に腰掛け、間髪を容れずに言った。


「あなた、私と結婚する気、ある?」


 空気が止まった。

 一拍、二拍。

 彼は視線を逸らし、指を組む。


「……その話は、もう少し落ち着いてから」


「今が“その時”よ」


「だから、今は――」


「ねえ」


 思わず、声が低くなる。


「私、今日ここに来るまでに、何回“今じゃない”を聞いたと思う?」


 彼は黙った。

 黙る。

 また、黙る。


「ねえ、黙らないで」


 感情が、じわじわと浮かび上がってくる。

 怒り。焦り。苛立ち。

 全部混ざって、喉の奥を熱くする。


「私はね、喧嘩しに来たんじゃないの。確認しに来たの」


「確認……?」


「そう」


 指を折る。


「結婚する気があるのか」

「いつなのか」

「そのために、何をするつもりなのか」


 簡単な三つ。

 本当に、それだけ。


「それを答えてほしいだけなの」


 彼は困ったように笑った。


「エリシア、君は少し急ぎすぎだ」


 ――あ。


 その瞬間、胸の中で、何かがはっきりと形になった。


「急いでる?」


 ゆっくりと聞き返す。


「これが?」


「そうだよ。状況も複雑だし、周囲との調整も――」


「調整」


 思わず笑ってしまった。

 乾いた笑いだ。


「調整って、何年単位の話?」


「それは……」


「何年?」


 再度、問う。

 彼は答えない。


 その沈黙の中で、妙に冷静だった。

 感情は騒がしいのに、頭は静かだ。


 ――あ、この人。


「決めない、って選択を、ずっとしてきたんだ」


 ぽつりと、声に出た。


「え?」


「決めないことで、誰かが我慢してくれるのを、当然だと思ってる」


「そんなつもりは――」


「じゃあ聞くけど」


 私は一歩も引かない。


「今日、ここで、何か一つでも決める気はある?」


 彼は、また困った顔をした。

 その顔を見た瞬間、胸がすっと冷える。


 怒鳴りたい?

 泣きたい?

 違う。


 ただ、理解してしまった。


 この人は、悪人じゃない。

 でも、責任を取る人でもない。


「……分かった」


 椅子の背にもたれた。


「もういい」


「エリシア?」


「答え、もらったから」


 彼は慌てたように言う。


「待ってくれ。誤解だ」


「誤解じゃないわ」


 私は立ち上がった。


「“決めない”って答えも、立派な答えよ」


 それだけ言って、部屋を出た。

 背後で呼び止める声が聞こえたけれど、振り返らなかった。


 廊下を歩きながら、心臓が早鐘を打つ。

 感情は荒れている。

 でも、不思議と、迷いはなかった。


「……はあ」


 外に出た瞬間、大きく息を吐く。


 これで終わり、じゃない。

 でも、始まりでもない。


 ただ一つ、確実になったことがある。


“決めない人”の隣で、

 これ以上、人生を止めるつもりはない。


 次は――

 私が、期限を切る番だ。



 期限を切る、と決めた途端、人はこんなにも忙しくなるものなのね。

 自分でも驚いていた。迷っていた時間が嘘みたいに、頭が冴えている。


 まず母。

 次に父。

 その次に親族。

 最後に――“善意の忠告”が大好きな人たち。


 まるで示し合わせたみたいに、全員が同じことを言う。


「もう少し待ちなさい」

「今は時期が悪い」

「あなたが折れれば丸く収まる」


 はいはい、聞きました。全部、何十回も。


 だから今回は、順番を変えた。


「いいですよ」


 そう言った瞬間、全員の顔がぱっと明るくなる。

 ああ、この空気。知ってる。


「ただし」


 微笑んだまま、続けた。


「条件があります」


 間の取り方が我ながら上手だったと思う。

 期待と警戒が同時に走る、この顔。


「期限を決めてください」


「……期限?」


「ええ。いつまで待てばいいのか」


 母が困ったように視線を逸らす。


「それは……状況次第で……」


「駄目です」


 即答。


「状況次第、は禁止」


 空気が凍った。


「次に」


 指を立てる。


「その期限までに、何を決めるのか。具体的に」


「エリシア、そこまで詰めなくても――」


「詰めないから、ここまで来たんです」


 父の言葉を、被せるように遮る。

 あ、今のは完全に感情的。

 でも、もう止めない。


「そして三つ目」


 深く息を吸った。


「期限を過ぎた場合、誰が責任を取るんですか?」


 沈黙。


 重たい沈黙。


 誰も、答えない。


「……ねえ」


 声が、少しだけ低くなる。


「私に我慢しろって言うなら、その代わりに、誰かが責任を取るべきじゃない?」


 誰も目を合わせない。

 ああ、そう。これよ。


 責任は、いつも宙ぶらりん。

 その宙に浮いた分を、私が引き受けてきただけ。


「答えられない、ってことは」


 ゆっくりと言った。


「誰も、本気でこの話を終わらせる気がないってことですよね」


「そんなことは――」


「ある」


 ぴしゃりと切る。


「だって、誰も“いつ”“どうする”を言えない」


 胸の奥で、何かが完全に切れた音がした。

 怒りじゃない。

 諦めでもない。


 理解だ。


 ――あ、これ以上待つ理由、無いわ。


 その夜、部屋に戻って、一人で笑った。

 声を出して。


「私、ちゃんと条件出したじゃない」


 期限。

 内容。

 責任。


 どれも、当たり前のことだ。

 でも、それを“面倒”と感じる時点で、答えは出ている。


 マリアが、そっとお茶を置いてくれた。


「お疲れさまでございました」


「ええ、本当に」


 カップを手に取り、肩をすくめる。


「ねえマリア。私、冷たい?」


「いいえ」


 即答だった。


「ようやく、ご自身の人生を、ご自身の手に戻されたのだと思います」


 その言葉に、ふっと力が抜ける。


「……そっか」


 私はよく喋る。

 感情的だし、面倒くさい。


 でも、だからこそ、はっきり分かる。


 曖昧な場所に、これ以上、自分を置いておけない。


 明日は――

 正式な場で、話をする。


 泣くかもしれない。

 怒るかもしれない。

 皮肉も言うと思う。


 それでも。


「もう待たない」


 その一言を口にしたとき、不思議と怖さはなかった。

 あるのは、覚悟だけ。



 正式な場、というのは、どうしてこうも無駄に豪華なのだろう。

 広すぎる広間、高い天井、やたらと磨かれた床。

 この空間にいるだけで、「感情的な女は場違いですよ」と言われている気分になる。


 ――上等じゃない。


 背筋を伸ばし、正面に立つ。

 婚約者、その両親、王宮関係者、親族。

 見事に揃った顔ぶれだ。


「本日は、婚約についての話し合いということで」


 形式ばった言葉が並ぶ。

 ああ、もう、前置きが長い。


「結論から言います」


 一歩前に出た。


「この婚約を解消したい」


 ざわり、と空気が揺れた。

 分かってる。分かってるわよ。

 “女の方から言い出すなんて”って顔、全員してる。


「感情的だ、と思われるでしょうね」


 自覚はある。だから先に言う。


「ええ、感情的です。泣きたいし、腹も立ってる」


 一部の人が、露骨に眉をひそめた。


「でも」


 言葉を切り、全員を見回す。


「判断は、ずっと前に終わっています」


 婚約者が、慌てたように口を開いた。


「エリシア、ここでそういう言い方は……」


「じゃあ、どう言えばいい?」


 即座に返した。


「“もう少し待てばよかった”って?

 “私が折れればよかった”って?」


 喉の奥が、きゅっと熱くなる。

 でも、止めない。


「私はね、待ちました。

 話し合おうとしました。

 期限も、条件も、提示しました」


 指を折る。


「全部、無視されました」


 沈黙。

 重たい、逃げ場のない沈黙。


「これ以上続けるのは、我慢じゃない」


 声が、少し震えた。

 悔しい。でも、ここで引かない。


「自分を安売りすることです」


「……大げさだ」


 誰かが、そう呟いた。


 ああ、来た。


「大げさ?」


 私は笑った。

 たぶん、今の私、かなり怖い顔してる。


「人生ですよ。

 大げさに決めて、何が悪いんですか」


 誰も、反論できない。


「感情的で結構。

 うるさくて結構。

 面倒な女で、結構です」


 深く息を吸った。


「それでも私は」


 胸に手を当てる。


「間違っていません」


 その瞬間、はっきりと分かった。

 もう、誰の顔色も気にしていない。


 しばらくして、形式的な確認が行われた。

 淡々と、事務的に。


 婚約は、解消された。


 広間を出たとき、足が少し震えていた。

 でも、後悔はない。


「……終わった」


 廊下でそう呟くと、急に笑いが込み上げてきた。


 泣きたいし、疲れたし、正直、ぐちゃぐちゃだ。

 でも。


 私は、自分の人生を、自分で決めた。



 婚約が解消された翌朝、世界は驚くほど普通だった。

 太陽は昇るし、鳥は鳴くし、侍女はいつも通りお茶を淹れる。


「……あれ?」


 拍子抜けして、思わず声を漏らした。


 もっとこう、周囲がざわつくとか、視線が痛いとか、陰口が聞こえるとか――

 そういうものを、少しは覚悟していたのに。


「拍子抜け、ですか?」


 マリアが、穏やかに微笑む。


「ええ。私、昨日もっと世界が終わると思ってた」


「世界は、案外しぶといものです」


 その言葉に、くすっと笑ってしまった。


 数日後、噂は届いた。

 元婚約者が、新たな縁談でまた揉めているらしい、という話。


 理由は簡単だった。


「決断を先延ばしにする方だそうで……」


 伝えてきた親族が、気まずそうに言葉を濁す。


 しばらく考えてから答えた。


「……でしょうね」


 驚きも、怒りも、ない。

 ただの確認作業みたいな感覚だった。


 ああ、やっぱり。

 私だけの問題じゃなかったんだ、と。


 その後、新しい生活に足を踏み入れた。

 社交の場でも、仕事の話でも、私は相変わらずよく喋る。


「エリシア様は、賑やかでいらっしゃいますね」


 そう言われて、笑って返す。


「黙るの、向いてないんです」


 ある日、そんな私の話を、ちゃんと聞いてくれる人が現れた。

 途中で遮らない。

 「あとで」と言わない。

 最後まで聞いてから、笑う人。


「君の話、面白いね」


 その一言で、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ああ、これだ。


 黙らなくてよかった。

 感情的で、面倒で、うるさいままでよかった。


 夕暮れの窓辺で、一人、考える。


 間違ってなかったことを、

 誰かに証明する必要はない。


 もう、自分の話をちゃんと聞いてくれる場所にいる。


 だから胸を張って言える。


 それでも、私は間違っていません。



完。

よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
ChatGPTと話しているときと、全く違和感がありません。無駄をそぎ落として、単語の間違いがなくて、でも最大公約数でたまに誤る。王太子の話じゃないのに妃、とかね。物語。空気が締まる。問いを置き、線を示…
元婚約者だけじゃなくて家族もこんなんでよく生活できてたな 他人の我慢の上に成り立つ生活そんな楽しいのかな?って思う
何をどうしたかったんですか、元婚約者。 そっちの家に所属する人で、主人公の味方(理解者)になってくれそうな人が居てもいいと思いました。 元婚約者の性格・言動に昔からイライラさせられていた人ですね。
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