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閉店後の店内のカウンター席に萌夏が座り、メニューを眺める。
「何にしよっかなぁ……あ、カフェオレがいいな」
面倒なものを頼まれてしまった。
「品切れだ」
俺が素っ気なくそう言うと萌夏は頬をぷくっと膨らませた。
「じゃ、カフェモカ」
「終了」
「キャラメルフラペチーノ」
「そもそもメニューにねぇよ……」
「じゃ、アイスコーヒー」
「今日はおしまい」
「このお店には何があるの?」
萌夏がジト目で尋ねてくる。
フラペチーノ以外はどれも出そうと思えば出せるのだが、時間が時間なので出すことを渋ってしまう。
「なんでもいいけどせめてコーヒー以外にしとけよ。寝られなくなるぞ」
「や、まだまだ夜は長いからね」
「何かあるのか?」
萌夏はニヤリと笑うとジョッキを持つように手をグーにしてグイッと酒を飲むジェスチャーをした。
「飲み会か? 楽しそうだな」
「や、行くかどうかはこれから決まるんだ。匠己さんって明日休みだよね?」
「休みだな」
「行く?」
「誰が?」
「私と、匠己さん。2人で」
萌夏は自分と俺を順番に指してそう言った。
「ま、断る理由もないな」
「相変わらずツンデレだなぁ。素直に『一緒に行こうね、萌夏たん!』って言ってくれてもいいのに」
「俺のキャラ考えろよ……」
萌夏は真顔で「店を出たらァ、男と女だぜェ」と俺のキャラでもない事を、俺の声真似をしながら言い椅子から立ち上がった。
◆
やってきたのは喫茶店の近くにある焼き鳥屋。月曜日の夜なので混み具合はそれなりですぐに座ることができた。
「ドリンク何になさいますかー!?」
うちの店の5倍くらいの声量で店員がオーダーを取りに来た。
「ビールを一つと……萌夏ちゃんはどうする?」
「カルアミルクで」
「はいー! ありがとうございまーす!」
「後、ついでに串の盛り合わせと……カルアミルクって何が合うんだ?」
萌夏はメニューを見て真剣に考え込む。
「うーん……ポテトフライの青海苔トッピングを一つ」
人差し指を立てて萌夏がポテトフライをオーダーした。
オーダーを取り終えた店員が元気よく返事をして去っていく。
「匠己さんもあれくらいの声出してみたら?」
「うちはそういう店じゃないの」
「ふぅん……あ! 来た来た!」
すぐに飲み物とお通しのもやしナムルがやってきた。萌夏が笑顔で2人分の飲み物を受け取る。
「カルアミルクって……ここでもコーヒーかよ」
「匠己さんが淹れてくれなかったからぁ」
「また今度な。乾杯」
コツン、と2人でグラスをぶつける。
カルアミルクをごくごくと飲み、肴にお通しのもやしナムルを食べられる萌夏の味覚はかなり常人のそれから乖離していそうだ。
「や、お疲れのところ悪いね」
「別に疲れてねぇよ。疲れないためにあそこで働いてるんだからさ」
「そうなんだ。いつからあそこで働いてるの?」
「二年くらい前かな」
「その前は?」
「普通に会社員。大学を出て働き出したんだけど1年でメンタルやっちゃって辞めたんだ。社会復帰がてら祖父さんが道楽でやってた店で働き出して、そのまま祖父さんが引退して俺が継いだって感じだな」
「うへぇ……大変な話……」
「ま、もう過去のことだけどな。そんな俺からのアドバイスとしては、辛い時は無理して身体を動かさない方が良いぞってこと。逃げ場があるなら逃げ込めば良いよ」
「逃げ場、か」
萌夏は一瞬考える素振りを見せて、次に俺の方をじっと見てきた。
「私も逃げ場が欲しいな」
そう言って萌夏は俺を指さしてきた。
「お、俺?」
「ん、匠己さん。だめ?」
「うーん……」
答え方に悩んでいると、萌夏はグラスで口元を隠しながら話し始めた。
「今ね、土砂降りなんだ。だから雨宿りがしたい」
「雨が止んだら?」
「そのまま永住。ま、住心地次第だね」
「悪くはないぞ」
そう言ってニヤリと笑うと、萌夏も俺に合わせてにっと笑った。
◆
2時間ちょっとの会食が終わり、会計を終えて店を出る。
いつの間にか外は土砂降りになっていた。予想されていない雨なので、俺も萌夏も傘は持っていない。
「また雨かよ……」
「最近多いね」
「そういう時期だよな。台風だなんだってさ」
「あーあ。ついてないなー」
そんな風に愚痴を漏らす萌夏の顔は天気とは裏腹に晴れやかだ。
「匠己さんの家ってここから近いの?」
弾むような声で萌夏が聞いてきた。
「店と萌夏ちゃんの家との三択ならそうだな。走れば一分くらいだよ」
「じゃ……匠己さんの家で雨宿りがしたい。物理的な方ね」
「物理的じゃない雨宿りってなんだよ……」
俺がぶっきらぼうに尋ねると萌夏は「こういうやつ」と言いながら俺の手を握ってきた。
「ちょ……」
萌夏は手を繋いだまま深呼吸をする。
「ふぅ……ね、匠己さん。雨宿りさせてよ」
「物理的な方ならいいぞ」
「心理的な雨宿りは?」
「具体的な内容次第だな」
「それを私に言わせるかぁ」
萌夏はニヤニヤしながら空を見上げる。一時的だろうか、雨足が弱まってきた。
「あ……雨、弱くなってきた」
萌夏がつまらなさそうに呟く。
「これなら帰れるんじゃないか?」
「や、無理無理。途中でふやけちゃうよ。紙製だから」
そう言いながら萌夏が何度も手を握ってくる。さすがにここまでされると色々と感づくところはあるが、素直に言うのは照れくさくなってくる。
「仕方ないな……朝には帰れよ。うっ、嬉しくなんかないからな!」
「わっ、ツンデレ〜」
萌夏はニヤリと笑って小雨が降る道路に手を繋いだまま一歩を踏み出す。
「場所、わかんないから連れてって」
「はいはい」
2人で手を繋ぎ、自宅の方へと向かう。
数十メートル歩くとコンビニが視界に入った。
萌夏は吸い込まれるようにそのコンビニへ向かった。
「何かいるのか?」
「や、朝ごはんとか」
「そのくらいあるもので作るのに」
「ふぅん……あ、これはある?」
入店してすぐ目の前の棚の途中で萌夏が足を止める。
視線の先にある箱には『0.03』とデカデカと書かれている。どう見てもコンドームのパッケージだ。
「いっ、要らないだろ!?」
「予備とかあるの?」
萌夏はさも普通のように尋ねてくる。
「予備!?」
「うん。予備。替えのやつ貸してよ」
「ないけど……別に使わないだろ」
「えっ……しないの? 寝る前とか。私、朝と夜は絶対にしてるよ」
「えぇ……元気だな……」
「普通だと思うけど……」
「えっ……ち、ちなみに、ひっ、一人で?」
「うん。そんなお父さんとかお母さんにしてもらうような年じゃないし」
「親に!?」
「小さい頃そういうのなかった?」
「ないだろ!? 親がしてるところを見てトラウマになるとか言うだろ!?」
「や、普通に毎日見てたけど」
「毎日!?」
「うん。そうだよ」
萌夏はそう言うと棚に掛けられている歯ブラシを手に取った。
「歯磨き、毎朝毎晩するよね? 予備の歯ブラシあるかなって聞いてみたんだけど。匠己さん、何と勘違いしてたのかなぁ?」
萌夏はニヤニヤしながら歯ブラシを顔につけて俺をからかってきた。
「はっ、歯磨きだけど!? それしかないよなぁ!?」
「だよね」
萌夏は笑いながらその場でしゃがみ、コンドームの箱を手に取った。
「ま、これはこれであっても困らないよね。家にあるの?」
「ないけど……」
「じゃ、こうしよ。もし、10の何乗分の1でもいいから、僅かにでもそうなる可能性があるなって思うなら各々で買っとこ」
「最大二箱!?」
「ぜっ、ゼロじゃないなら……ってだけ。別に今日何かするとか決めてるわけじゃない」
萌夏は酔った勢いでした提案だったのか、いきなり我に返ったように顔を赤らめた。
「会計終わったら答え合わせしよっか。私、トイレ行ってくるから先に買っといてよ」
萌夏はそう言うと、自分が手に持っていたパッケージ俺に手渡してトイレの方へ消えていく。
一人でじっと渡された0.03のパッケージと向き合う。少し考えた後にその場でしゃがみ込んだ。
◆
会計を済ませているうちにすっかり雨は上がっていた。ひんやりとした空気の中、外で待っているとビニール袋を後ろ手に持った萌夏が店から出てきた。
「どう?」
俺の袋を見ながら尋ねてくる。俺は萌夏から受け取ってそのまま会計に持っていった0.03と書かれた箱を見せた。
「わっ。ガチで買ってる」
萌夏が少し驚きながらそう言う。あ、これやっぱり買わない流れか、と自分のやらかしに反省し始める。
「もっ、萌夏ちゃんは買ってないのか?」
萌夏は顔を赤くして俯きながら首を横に振る。口元だけで笑い、袋から0.01と書かれた箱を取り出して見せてきた。
「ちょっといいヤツ買ってるし……」
「ってか匠己さん、自分が持っていったってバレないように箱を前に出してたよね?」
「あー……う、うん」
一つ取るとその分だけ陳列棚が空いてしまう。それで取ったことがバレるのが嫌だったので棚の後ろから一つ持ってきて綺麗に前面にパッケージを並べ直していた。
「あれまーじで焦ったからね。『どっちなんだろ?』ってすっごい考えたから」
「で、結局0.01にしたんだな」
「ま、事が起こる確率とリンクしてるとも言える」
「0.03%と0.01%か。ま、そんなもんだな」
「だよね」
お互いに絶対にナシなんて思ってはないから買った。だけど今日じゃないよね、と認識を合わせる。
「どうせなら他の商品でやればよかったね。商品名に含まれてる数字が『事が起こる確率』みたいな感じで」
「カカオ90%チョコ買ってたらヤバいな」
「ほぼやるじゃん」
「ヤプルト1000とかな」
「ふっ……せっ、1000%やるって……ふふっ……」
萌夏はツボに入ってしまったらしく、ケラケラと笑い始める。
「と、とりあえず家行くか? それか雨も止んだし――」
俺が日和ると萌夏が距離を詰めてきてじっと目を見てきた。
「ううん。今日は匠己さんに雨宿りするって決めてるから。いこ?」
「お……おう」
萌夏と二人で並んでまた歩き始める。
さっきの1000%ヤる、という流れが余程気に入ったのか、萌夏は歩きながら『君は1000%』を歌いだした。
さすがというべきか、可愛らしい声ながらもしっかりと口腔で響いて上手いと感じる。
「歌、上手いんだな」
「ま、一応これで飯を食ってますんで」
萌夏は恥ずかしそうに頬をかいて照れる。
「なんて名前でやってるんだ?」
「近藤武蔵」
「嘘つけ」
あいも変わらずしょうもない雑談を続けながら家へと向かうのだった。