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萌夏を泊めた休日から数日後、曜日感覚がなくなりそうになるが、ふと店内に流れるUKロックを聞いて今日が木曜日だと思い出す。
平日の夕方ながら客入りは上々。空いている席はテーブル席が残り一つという具合の中、また新たなお客が来店した。
常連かどうかは来店した瞬間にすぐに分かる。理由は2つ。顔を記憶している事が一つ。もう一つは入店時の挙動。常連は入店した瞬間に自分のお気に入りの席に向かうが、一見さんはキョロキョロと店のスタッフを探す。
巴が忙しそうにしているため、自分で出迎える。
来店したのは清楚を擬人化したかのような黒髪ロングの女性。右向きに巻かれた前髪がアイドルっぽさを醸し出している。歳は俺と同じか少し若いくらいで20代前半か半ばくらいだろう。
「いらっしゃいませ。こちらのテーブル席でよければ空いております」
「あらぁ……ありがとうございますぅ」
声まで透き通った音色でおっとりした話し方がよくマッチしている人だと思った。
柔和な笑みを浮かべ、会釈をしてテーブル席に向かう後ろ姿を見ていると、初めて会ったのにタメ口で「おい」と呼んでくる爺さんが全員あの人に置き換わればいいのに、とすら思ってしまう。
着席してカバンからスケッチブックを取り出したのと同時に巴がおしぼりと水を持ってその人の席に向かう。
何故か巴が顔を引き攣らせてキッチンに戻った俺の方にやってきて、客席に聞こえない程度の声量で話しかけてきた。
「匠己さん、1番席の注文確認お願いします」
「いいけど……どうしたんだ?」
「あの女の人、ノートにすっごいリアルなお化けを描いてて……私お化けとか苦手なんですよぉ……」
巴が泣きそうな顔でそう言う。
「そんなにかよ……ま、いいけど」
ここまで絵で人を怖がらせられるならそれもある種の才能じゃないかとすら思う。
巴の話を受けてその女の人の方を見ると目が合う。その後、小さく手を挙げて注文のために呼んできた。
メモ用紙を持って店の手前にあるテーブルに向かう。
テーブルに広げられた大きなスケッチブックには、リアルなタッチのゾンビやジャック・オ・ランタンのような西洋のお化けが描かれていた。
どれも白黒で描かれているとは思えない迫力で、巴がビビるのも理解できた。
「えぇとぉ……ウィンナーコーヒーとぉ……おすすめのご飯ってありますかぁ?」
笑顔で顔を上げて尋ねてくる。すぐ近くにあるゾンビの絵との温度差がものすごい。
「そうですね……常連の方はナポリタンかハンバーグカレーをよく召し上がってますよ」
「じゃあハンバーグカレーでお願いします」
「はい。ウィンナーコーヒーとハンバーグカレーですね。コーヒーはカレーと一緒にお持ちしますか?」
「お願いします」
上品に微笑んで女性が頷く。
会釈をしてキッチンに戻ろうと振り向いたところで「あの、店長さん」と声をかけられた。
「どうされました?」
「あのぉ……さっきの女性の店員さん、私の絵を見てびっくりされてたみたいで……一言謝っておいていただけますか?」
「あぁ……お気になさらず。こちらこそ申し訳ありません。勝手に見てしまって」
「否が応でも視界に入っちゃいますからね。あの……私、怪しい者ではないので……普段は絵本作家をしていて、これはハロウィン向けにSNSにでも上げようかなと思って落書きをしていたんです」
女性はそう言って俺に名刺を渡してきた。
名刺には米田鶴梨と書かれている。
「すみません、ご丁寧に。店主の桐間です」
「わ、本当に店主さんなんですね」
「先代から継いだのが最近でして……」
鶴梨はそう言って驚くも、名乗るより前に俺のことを店長さんと呼んでいた気がする。巴も露骨にお客の前でビビることはしないだろうし、鶴梨は観察眼が鋭い人なんだろう、と推測が立つ。
「うふふ。そうなんですねぇ」
「それじゃ、失礼します」
もう一度会釈をしてキッチンに向かうと、また誰かが店に入ってきた音がする。
入口の方を見ると、萌夏が目を丸くして店内を見ていた。
「お、萌夏ちゃんいらっしゃい」
「やっほ。すごい人だね」
「ま、たまにはな」
「席埋まってる?」
「生憎だけど満席だな……」
「そっか」
萌夏は寂しそうに俯く。
「ここ、相席でも大丈夫ですよ」
俺達のやり取りを見ていた鶴梨が近くのテーブルから声をかけてきた。
「あぁ……よろしいんですか?」
ちらっと萌夏の方を見ながらそう言う。
萌夏の性格的に知らない人と相席なんて――
「や、ありがとうございます。助かります」
いや、相席できるんだ!?
◆
「かっ……帰らねぇ……」
ラストオーダー直前の店内は一テーブルだけにお客が残っていた。
何故か鶴梨と萌夏は意気投合。席が空いたにも関わらず相席を継続して二人で話し込んでいる。
「二人共、ラストオーダーですが何か頼まれますか?」
「うふふ……あ、じゃあホットコーヒーを一つお願いします」
「私はいつもの」
「はいはい。アイスコーヒーの氷少なめだな」
「ん。よろしく」
「萌夏さんは桐間さんと仲がいいんですね。常連さんですか?」
「や、私は先週からちょくちょく来てるくらいだよ」
「ほぼ毎日来てたくせに」
「数日空いたから寂しいかなと思って来てあげたんだよ」
「べっ……別に寂しくはなかったけどな」
萌夏は「ツンデレ〜」と言って笑う。
「あらあらぁ……お二人は……」
「何ですか?」
「いいえ。何でもないですよ」
鶴梨は口元に手を当てて笑う。
何を言いたいのか分からないので話をそこで切り上げて二人のコーヒーを用意するためにキッチンへ向かった。
コーヒーを淹れながら萌夏の様子を窺う。
普段のキャラからしてあまり積極的に人と交流するタイプとは思えなかったけれど、鶴梨がそれだけ話しやすいんだろうか。歳も近そうなのもあるんだろう。
ふと、二人が俺の方を同時に見てくる。
鶴梨は笑顔で手を振り、萌夏は顔を赤くしてそれを制している。内容は分からないが楽しそうではある。
水を注いだグラスを二人のコーヒーと一緒に持って行き、隣の席に座る。
「ね、匠己さん。チュルリの絵見た?」
「チュルリ……? もうあだ名がついたのか」
「あだ名と言うかペンネームですね。『ヨネダチュルリ』という名前で絵本を描いているんです」
萌夏が鶴梨の説明をフォローするように画像検索の結果を見せてくる。
ヨネダチュルリで検索をすると、キラキラした世界観の絵本の表紙が何冊も出てきた。
「おぉ……本来はこういう系統なんですね」
「うふふ。そうですよぉ。普段はゾンビなんて描いてませんからぁ」
「なるほど……」
「私たち、スランプトークで盛り上がってたんだ」
「スランプトーク?」
「はい。萌夏さんは何やらお仕事が上手くいっていないと。私も絵本のネタが思い浮かばなくて……似た境遇だねって話をしていたんです」
どうやら似た境遇の二人らしい。萌夏の言い方からして自分の正体は隠しているみたいだ。
「この店、いいよ。ずっといてもマスターは何も言わないし」
「最低限、閉店時間は守ってくれよ……」
「とか言いながら話に混ざりに来ちゃうツンデレなんだよね」
「べっ、別に気になってたわけじゃないからな!?」
「こんな感じ」
萌夏が俺を指さして笑うと、鶴梨も口元に手を当てて上品に笑った。
「あらあら。仲がいいんですねぇ」
「俺と萌夏ちゃんが!? じょっ、冗談やめてくださいよ! 萌夏ちゃんはただのお客様ですから!」
「わ。鶴梨って匠己さんのツンデレを引き出すのが上手いね」
「うふふ。そうですかぁ?」
いつもの倍疲れるのは何故だろう。仕事で疲れたことはないが今日は何故か疲れるな。
「あ、鶴梨。絵本のネタだけど、ツンデレな喫茶店のマスターとかどう?」
「うーん……犬……ですか?」
鶴梨が俺を見て首を傾げる。
「や、猫じゃない?」
「俺がモデル? じゃ、強くてかっこいい動物にしてくださいよ。ライオンとか虎とか」
俺の言葉を受けて「じゃあこんな感じですかね」と考え込んでいた鶴梨が頷き、絵本の読み聞かせのように頭の中にあるストーリーを話し始めた。
「キツネの喫茶店にはお客さんがいません。キツネさんは素直になれなくていつも思っていることと逆のことを言うからです。また来て欲しいのに『もう来るな』と言い、好きなのに『嫌い』と言う。だから誰も喫茶店に二度と来ようとはしませんでした」
「キツネかよ。それに、そこそこ客も入ってるわ」
「匠己さん。これは絵本の話だよ」
「あ……そうだったな……」
萌夏のツッコミで冷静になる。
「そこに一匹のぉ……ハムスターがやってきました」
「や、今私を見て言ったよね?」
「やっぱり小動物なんだな」
「解せないや。どう見てもセクシーなフラミンゴだよね」
俺は萌夏を見てニヤリと笑い、鶴梨の話の続きを待ちわびる。
「ハムスターさんは頭が良いので、すぐに狐さんがなんでも反対のことを言っていると気づきました。だって熱いコーヒーなのに、冷たいって言うんですから」
おっ、絵本ぽい、と思うも邪魔をしないように萌夏と目を合わせて笑い合う。
「椅子に座ったハムスターさんは言いました。『キツネさんのネクタイ、すごくダサいね』と。キツネさんは言いました。『なんでそんな酷いこと言うの?』」
鶴梨は淀みなく続ける。
「『狐さんは皆にこういうことをしてるんだよ。すごくお洒落だと思うからわざと反対のことを言ったんだ。』それを聞いた狐さんは言いました。『僕ももっと素直になるよ』」
「ハムスターさんは『そんなことしなくていいよ』と反対のことを言って、二人で笑い合いましたとさ。おしまい」
萌夏と2人で拍手をする。鶴梨は恥ずかしそうに顔を隠した。
「アドリブなのでかなり適当ですけどね。本当はもっとキツネさんとハムスターさんがぶつかったりして、子供にも分かりやすく示唆を与えないといけないんです」
「らしいよ? キツネさん。もっと素直にならないと」
萌夏がニヤリと笑って俺を見てくる。
「捻くれハムスターも似たようなもんだろ」
俺も腕組をして言い返す。
そんな俺達を見て、鶴梨は「うふふ。いいコンビですねぇ。ネタが増えました」と言って笑っていたのだった。




