10
目が覚め、枕元にあるスマートフォンで時間を確認すると朝の8時。二度寝をするにはハッキリと目が覚めすぎていた。
雨宿りと称して顔を胸に埋めて寝ていた萌夏がいなくなっていることに気づく。
ベッドから起き上がると、萌夏がキッチンに立っているのが見えた。
物音に気づいた萌夏が俺の方を向いてニッと笑う。
「わ、早起きだ」
「萌夏ちゃんもな」
「や、よく寝ましたよぉ」
萌夏は笑いながらフライパンの方に視線を戻した。
「冷蔵庫、何かあったか?」
「ん、卵だけ借りた」
「借りたなら後で産んで返しといてくれよ」
萌夏は鼻で笑い「レトロなギャグだね」と言う。
「なんでもレトロをつければおしゃれになるわけじゃないからな」
「昨日寄ったコンビニでウィンナーと食パンを買っといたんだ。危うくスクランブルエッグだけになるとこだったよ」
俺のツッコミを無視して萌夏が朝食の献立を説明してくれた。
「ね、匠己さん」
「なんだ?」
「コーヒー淹れてよ。さすがに匠己さんの前で勝手にコーヒーを淹れるのはマズイかなって」
「別にそんな口うるさくないぞ……」
キッチンの方へ向かい、ケトルで湯を沸かす準備をしたらミルにコーヒー豆を入れてハンドルをグルグルと回す。
その様子を萌夏はじっと見てくる。
「なんだよ」
「私も回してみたい」
「いいぞ。力をいるから気をつけろよ」
萌夏にコーヒーミルを渡し、回し方をレクチャーする。ぎこちない手つきなので時間がかかりそうだ。
「昨日のしりとり、最後なんて言ってたんだ? ヤポ……って言いかけてたぞ」
暇つぶしにそんな雑談を振ってみる。
「記憶にないや。匠己さん、私に『る攻め』されて泣きながらトイレに行ってなかった?」
「どういう記憶改変だよ……」
「あ……じゃ、あれは夢か」
萌夏は心底残念そうに呟く。
「そうだろうな。俺起きてたし」
「緊張してたの? 私がくっついてたから」
萌夏は手を止め、ニヤニヤしながら俺を見てきた。
「べっ、別にそんなんじゃねえよ!」
「顔には出やすい、と。メモメモ」
萌夏は下を向いて笑いながらまたコーヒーミルを回し始めた。
◆
朝食を食べてダラダラしていると朝も九時半を過ぎた。
「んー……そろそろ帰ろっかな」
片付けを終えてスマートフォンをいじっていた萌夏が立ち上がってそう言う。
「送ろうか?」
「ううん。大丈夫。晴れてるし」
「雨降ってるぞ……」
振り返って窓から外を見ると、太陽が出ていないことは明らか。
萌夏は笑いながら首を横に振った。
「心持ちの話」
親指を立てて自分の胸に向けてウィンクをした。
「似合わないポーズだな」
「や、私がやる気のない人間だとバレてしまったようだね」
萌夏はそう言って微笑むと玄関に向かいスニーカーを履いた。
「またね、匠己さん。近藤さん、使っちゃダメだよ?」
ニヤリと笑って釘を刺し、萌夏は部屋から出ていった。
休みの日は午後に活動を始めることが多いのだが、今日は珍しく早起きしてしまった。
「銭湯でも行くか……」
そういえば風呂も入らずに寝ていたのか、と昨晩のことを思い出し、ビニール袋に着替えを詰め始めた。
◆
自宅から少し歩けばタワーマンションが立ち並び、その足元にある整備された広場を横目に歩くと首都高が見えてきた。
首都高沿いに少し歩けば繁華街の入口に到着。
おしゃれに言えばスパなんて表現になるんだろう風呂屋に向かうためエレベータに乗り込む。
エレベータのドアが閉まりかけたところで「すいませーん。乗りまーす」と全くやる気の感じられないローテンションな声が聞こえた。
反射的に『開』ボタンを押すと青髪の女の子が扉に向こうに立っていた。
「うえっ……た、匠己さん!?」
「萌夏ちゃん!?」
「や、さっきぶりだね」
萌夏は驚きもそこそこにエレベータに乗り込んでくる。ふわっとした浮遊感に包まれ、2人で乗ったエレベータが上に向かう。
寝起きはボーッとしていたので忘れていたが、付き合ってもいない、知り合って日も浅い女の子と一緒に寝たという事実に気づき、かなり気まずさを覚える。
「風呂、入ってなかったもんな」
「そ。ついでにサウナで整おうかと」
萌夏はいつものようなポーカーフェイスで受け答えをしている。なんだ、俺が意識しすぎているだけなのか。
「ここ、よく来るのか?」
「うん。割と。匠己さんは?」
「休みの日の行き先はここかラーメン屋くらいだな」
「なるほどね」
ピンポーンと音がしてエレベータが目的の階で停止する。『開』ボタンを同時に押して同時に「どぞ」と譲り合う形になった。
2人で目を合わせてニヤリと笑う。
「や、ここは年上からどうぞ」
「変なときだけおっさん扱いするなよ」
「じゃ、お先に」
萌夏がエレベータから先に出ていって受付の列に並ぶ。
受付用のタブレットで先に受付を済ませた萌夏は俺の方を見て手を振り、女湯の方へ消えていった。
まぁこれで今日はもう会うことはないだろう。さすがにタイミングがかち合うことはないはずだ。
◆
シャンプーをしながら匠己さんと鉢合わせた事を考える。酔った勢いで色々と恥ずかしい面を見せてしまったし同じベッドで寝た。
本来なら顔を合わせるのもかなり気まずい感じがするのだけど、匠己さんはそんな素振りも見せない。
「うー……湯船浸かって、サウナ入って……もうさすがにかち合わない?」
別に匠己さんを避けてるわけじゃない。けど、今日はもういいでしょう。
◆
(どうする!? 早めに帰るか!? 待つか!?)
シャンプーをしながら必死に考える。別に萌夏と四六時中一緒にしたいわけじゃないし、これで待っていたらめっちゃきもがられないだろうか。
とはいえ、友人と会ったのに無視して帰るのも忍びない。それだけ、それだけだ。散々一緒にいたのにまだ話したいなんて、あるわけない。
◆
湯船に浸かっても、匠己さんと鉢合わせないかどうかばかり考えてしまう。
(どうしよ。すっぴん見られちゃうから逃げようかな)
……や、今更か。店に行くときもほぼノーメイクだし。
◆
サウナに入り汗を流す。時計を見ると既にこのスパにやってきて1時間が経っていた。
さすがにもう萌夏は帰っただろうか。ま、出てきたところで鉢合わせなんてないだろう、なんて思いながらサウナを出た。
◆
「もう帰ったかなぁ……」
サウナで汗を流しながら匠己さんの事を考える。思い出すのは昨晩のこと。何も無いとは言っていたけど本当に何もないとは。
やっぱり胸だろうか。前に低脂肪乳だとイジってきたくらいだし、匠己さんはおっぱい星人なのかもしれない。
「うーん……まぁ……可もなく不可もなく……?」
何度か左右から寄せると気持ちばかりの谷間ができた。
「別にデカけりゃいいってもんじゃ……」
その時、サウナに一人のおばさんが入ってきた。むっちりボディで大きな胸は切り分けられる前の牛タンのように垂れている。
そう。デカいと垂れるし肩は凝るしで良いことはないんだ。厚切りの牛タンくらいの厚みがある自分の胸を見て「ヨシ」と頷く。
「どうせデカくても垂れるしなぁ……あ……」
心の声が漏れていたらしく、おばさんにじろりと睨まれる。
サウナをまだまだ堪能したかったのだが、おばさんと過ごすのが気まずくなり、さっさとサウナを後にした。
◆
風呂から出て休憩所に向かおうとしていると、女湯の方から萌夏が出てきたところと鉢合わせた。
お互いに目が合うと動作が完全に停止する。
「……狙ってた?」
萌夏が作られた偶然を疑ってジト目で見てくる。
ただ、そんな疑いの目を向けてくる萌夏は髪の毛が濡れたままでタオルを頭から被っているため、どちらかといえば萌夏の方が待っていたまである。
「なわけないだろ!? そう言う萌夏ちゃんだってずっとそこに隠れてたんじゃないのか? 髪も乾かさずにさ」
「や、これは垂れ乳おばさんから逃げてきた結果だから。あ、けどそれも半分は匠己さんのせいだ」
「なんで!?」
萌夏はこの偶然を楽しむように微笑み、そそくさと俺の隣にやってきた。
「あっち」
指さした先にあるのは自販機。牛乳やフルーツオレなんかの瓶の飲料が買えるタイプだ。
萌夏に手を引かれるまま自販機の前に立つと、萌夏は自分の入館証をスキャンしてコーヒー牛乳を2本購入した。
「これは私の奢り」
「ありがとな」
「きっと何倍にもなって返ってくるんだろうなぁ、と期待してる」
そう言いながら萌夏がニヤリと笑う。
「打算的だな……常連にだけするサービスとかないからな」
「じゃあコーヒー以外。店外でね」
萌夏はニッコリと笑い、栓を引き抜いた瓶を手渡してくる。
「何もないからな」
「どうせあるんでしょ〜ツンデレ〜」
照れ隠しに突っぱねてみたが萌夏にはお見通しらしい。
了承の意味でコーヒー牛乳を受け取り、二人でその場で飲み干す。
それから、二人でスパの休憩スペースに向かい、マッサージチェアに座ってたっぷりと昼寝をするのだった。




