1 拾った箪笥
「じゃあ、あとよろしく〜」
22時までのコンビニのバイトが終わり、次のバイトに引き継ぎをして裏口から店を出る。
「あちい…」
風も無く肌に纏わりつくような湿気にウンザリしながら、少し遠回りして深夜営業のラーメン屋に向かう。
夜でもひっきりなしに人の出入りがある店で細麺の透き通るスープ、昔ながらのベーシックな650円のラーメンを啜る。
最後にウォーターサーバーからの冷たい水をコップ一杯飲んでから店を出た。
バイト先とアパートまでは10分くらいの距離だ。
ラーメン屋に寄ると、大きな公園をぐるりと周る15分程の距離になる。
その公園の入り口前に来た時、蹲っている人がいた。
「うわっ!?びっくりした!」
道の脇に人が蹲ってるように見えたのは、小引き出しが7段ある古めかしい小さな箪笥だった。
高さが60センチくらいだろうか。
誰かが捨てたようだ。
「なんかいい雰囲気じゃん」
ラーメン屋の帰り道、俺はその古めかしい箪笥を拾って帰った。
部屋に置くと、どうにも良い雰囲気に思えていいもの拾ったと思えて仕方なかった。
シャワーを浴びて、ビールを飲みながら箪笥を眺める。
引き出しを上から一つずつ開けてみる事にした。
まず、一番上を開ける。
何かを包んでいるような古びた紙が入っていた。
その包み紙を取り出し開ける。
中には髪の毛が入っていた。
「おわっ!!」
びっくりしたせいで、指の隙間からパラパラと床に落ちる髪の毛。
俺は落ちた毛を急いで拾い集めた。
その時、タラリと鼻血が出て、集めた髪の毛にべっとりと血がついてしまった。
「暑さでのぼせたかなぁ…」
血のついた髪の毛を丁寧に紙に包み、引き出しに戻す。
箪笥の事は明日にして寝る事にした。
その夜、夢をみた。
箪笥を持った老婆がニヤリと笑い
「宜しく頼みます」と、深々と頭を下げた。
次の日、いつも通り大学へ行き、バイトを終えて帰る。
少しでも早く帰ってあの箪笥の2段目を開けたかった。
家に入るなり、2段目の引き出しを開ける。
やはり中には包み紙が入っていた。
包み紙を開けると、爪が入っていた。
切った爪というより、毟られたような爪そのものだった。
何故か凄く嬉しくて、俺はその爪の入った包み紙を抱いて眠った。
次の日、バイトは休みだった。
大学に行くのもかったるくて休む事にした。
夜まで待てず、3段目の引き出しを開ける。
やはり包み紙があった。
そこには歯が入っていた。
もう、なんとも言えない高揚感で奇声を上げたと思う。
同時にバンッと玄関が開いた。
「お前何やってんだっ!!」
親父だった。
俺は親父に歯を取られると思って、急いで引き出しに仕舞った。
そして箪笥を隠すようにしがみついた。
「時間がない」
親父がそう呟いた。
俺は親父に引きずられるように部屋から引っ張り出された。
部屋に戻ろうとする俺を、親父は無理矢理車に乗せた。
知らない人が二人乗っていて、その人に殴られた時から俺は記憶がなくなった。
。。。
《side 父親》
昔からこの世の者でないモノが視えたりしていた。
年を取ったせいか最近は意識しないと視えないし感じなくなっていて、その事自体を全く気にしていなかった。
それが2日前の深夜、強烈な不安感に襲われた。
なんとも言い難い恐ろしさ。
ただ、この時はソレが何だかわからなかった。
翌日、昼間からゾワゾワとした悍ましい気持ちが、夕方には確信に変わる。
息子が危ない
それだけだ。
明日の朝一番で息子のところに行こう。
急いで祓い屋の婆さんに連絡をする。
詳しく話さなくても、婆さんには状況がわかったらしい。
「こちらからも二人出す」と言ってくれた。
朝、まだ陽が昇らないうちに家を出る。
婆さんの処に寄り、挨拶も早々に婆さんのお弟子さん二人を乗せ、婆さんからお札と御守りを私と息子の分とを渡された。
息子のアパートに着くと、息子の部屋から奇声が聞こえた。
何度も奇声をあげているのがわかる。
急いで合鍵でドアを開けると、髪がところどころ抜け落ち、爪が剥がれて指先が血だらけになっている息子がいた。
叫ぶ息子の口からは血がぽたりぽたりと落ちる。
見ると前歯が2本無くなっていた。
息子は私を見ると怯えたように小さな古い箪笥にしがみついていた。
その箪笥が元凶だろう。
「げぇ…!!」
その禍々しさにあてられ、私はその場に吐いた。
息子の様子をみても時間がないのは明らかだ。
一刻も早く婆さんのところへ行かないと、息子は助からないだろう。
嫌がる息子を引き摺りながら車に放り込む。
婆さんのお弟子さん二人が何か唱えて、息子にお札を貼った。
それまで暴れていた息子が気を失った。
婆さんの処に向かう道中、後部座席に座る二人はずっとぶつぶつと何か唱えていた。
婆さんの処に着くと、婆さんも何か唱え出した。
婆さんの指示した小屋へ、口からポタポタと血を流す息子を背負って運ぶ。
部屋の中央へ息子を寝かせる。
そして箪笥はお弟子さんが指示した処へ置いた。
すると、息子が「ヤメロ!返せ」と凄い形相で暴れ出した。
お弟子さん二人がかりで息子を押さえ、婆さんが息子に酒を飲ませたり、酒を頭にかけたりした。
それから、さらに増えたお弟子さんと入れ代わるように、私は部屋を出された。
どれだけ時間が経っただろう。
夜通し続いた婆さんのお祓いの声が聞こえなくなった。
しばらくしてお弟子さんに抱えられながら婆さんが出てきた。
婆さんは「少し休ませてくれ、落ち着いたら詳しく話すから」言って奥の部屋へ消えた。
。。。
《side 息子》
目が覚めると知らない部屋だった。
手に包帯が巻かれ、口の中が無茶苦茶痛かった。
舌で確認すると歯が無くなっているのがわかった。
軽くパニックになって起き上がると、足元に親父がいるのが見えた。
親父と目が合うと、親父が泣き出した。
よくわからない状況だった。
「もう大丈夫だから、もう大丈夫。大丈夫だ」
と泣きながら繰り返す親父。
「ここどこ?俺、どうしたの?」
わけがわからない。
「俺、歯どうしたの?なんでこんな事になってんの?」泣きそうになりながら親父に聞く。
すると、部屋のドアが開いてお婆さんが入ってきた。
「起きたか…お前、箪笥を拾ってきただろう?」
お婆さんに聞かれて
「箪笥なんて拾ってない」
と答えた。
「そうか。もうすでに魅入られていたんだな…
それなら今の状況は全くわからないだろう。
お前は魅入られ、呪術の掛かった箪笥を拾い、自分の体を貢いでいたんだよ。
箪笥の引き出しが7段有ったのは、一週間って事だ。
箪笥の中に呪の掛かった紙が入っていて、そこには上から順に、貢ぐ物が記されていたんだよ。
一段目から「髪と血」
二段目は「爪」
三段目は「歯」
四段目は「耳」
五段目は「眼」
六段目は「指」
七段目で「命」だった。
あれはね、人を呪うためのものだよ。
あの箪笥はこちらでお焚き上げをして、きちんと燃やすけれど…
本当にすまないが、私が出来るのはここまでだよ。
お前さんはもう3つの貢物を、納めてしまったからね。
…どうなるかわからない。
とにかくこの後は病院に行って爪と口を治しておいで」
そう言われた。
親父は何度も何度もお婆さんに頭を下げて御礼を言っていた。
俺は何がなんだかわからないまま、病院に連れて行かれ、指先の処置や、毛を毟った時の頭皮の怪我と、前歯の処置をした。
炎症からか熱が出ていたので、様子見の為と、検査の為、数日入院することになった。
親父は連れて帰るとか言っていたが、俺が親父を宥めた。
本当にあちこち痛いのだ。
家に居るより病院の方が痛みに対応してくれるだろうと思ったから。
微熱のせいで無茶苦茶怠い。
痛いし怠い。
何より…
キーーーーン…
さっきから耳鳴りが五月蝿い。