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苦手な方はご注意ください。

BL

花熊パトロール

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

 学校からの帰り道、何もないところでなぜか躓いて転びそうになる。毎度のことだ。

 またかー、なんでおれはいつもいつも何もないところで転ぶんだー、というのんきな思考とは無関係に、「うわっ」と反射的な声を上げた瞬間、二の腕を強く掴まれた。身体が、地面にぶつかる途中で静止している。「は」と安堵の声を漏らす。

 たすかった。スニーカーを履いた自分の足でしっかりと地面を踏み、たすけてくれた人物の顔を確認する。

「あ、ヤシマ」

 あれ。ヤシマ、だっけ? 呼んでしまってから、曖昧な記憶が急に不安になる。隣のクラスで、バスケ部の、よく卓球部のほう見てる、なんかやたらでかいやつ。やっぱヤシマで合ってる。と思う。

「ありがとう」

 と未だおれの二の腕を掴んでいる、でかい手の主にお礼を言う。

「たすかった」

 ヤシマは無言でおれを見下ろしている。身長は人並みなつもりのおれだが、ヤシマの身長は人並み外れてでかい。百九十近くあるんじゃないか。そんなことを思っていると、

「花熊、付き合ってくれ」

 唐突にヤシマが言った。無表情だ。

「どこに?」

 買い物とか? お礼をしろってことだろうか。でもおれ、たいしたこと全然できないぞ。てかまあ、転ぶのをたすけてくれたくらいのことだし、そんなたいしたことしなくてもいいか。

 のんきにヤシマを見上げていたおれの脳に、次にヤシマが言った、

「ずっと好きだった」

 という言葉が浸透するのに、十数秒を要した。

「え。な、な、な、なに、ヤシマ。どゆこと」

 おれはわかりやすく動揺してしまう。反対に、ヤシマは落ち着いている。少なくとも、おれには落ち着いているように見える。

「一年の時から、ずっと好きだった。俺と付き合ってくれ」

 落ち着いた低い声で再び言われ、

「それ、好きって、おれのことを好きってこと?」

 用心深く確認すると、

「ああ」

 ヤシマは頷いた。とりあえず冷静になれ、と自分に言い聞かせながら、おれは確認作業を続ける。

「付き合うってのは、なんか、ええと、恋愛的な意味のアレ?」

「ああ」

 ヤシマは、やっぱり頷く。否定してくれないかな、とチラッと思っていたのに、ヤシマはおれの期待には応えてくれなかった。

 ていうか、このタイミングで告白? なんか変じゃない? 告白って、普通もっと落ち着いた状況でしない?

「あ! そうか!」

 この妙な状況を一発でスッキリ解決できそうなキーワードを見つけたおれは、思わず嬉々とした声を上げてしまう。

「なんだよー、ヤシマ。罰ゲーム? あ、ドッキリとか?」

 頷け、頷いてくれ、ヤシマ! おれは心の中で強く祈る。しかし、それも空しく、

「いや」

 ヤシマは首を横に振った。

「本気だ」

 終わった。

「マジか」

 思わず出た言葉は、そんな単純なものだった。

 気持ちの整理がつかず、ぼんやりとヤシマの顔を見上げるおれにヤシマはさらに言う。

「あと、花熊、俺の名前はヤシマじゃなくて、ヤシロだ」

「マジか。ごめんなさい」

 それは本当にごめんなさい。

「谷城知実」

「マジか」

 トモミって。おまえ、そんなでかい図体でそんな可愛い名前か。いや、そういうギャップ的な部分に食いついている場合じゃない。

「ごめん」

 おれは言う。

「別にいい。今日、ちゃんと覚えてくれたら」

 え、なんのこと? 一瞬思うが、

「あ、ちがうちがう。名前のことじゃなくて。それはさっき謝ったじゃん」

 谷城は、おれの次の言葉を待つように無言で見下ろしてくる。

「ごめん。おれ、谷城とは付き合えない」

 谷城は表情を変えず、おれのことをじっと見る。見続ける。やめろよー、穴があいちゃうだろ。

「どうして」

 やっと口を開いた谷城は、かすれた声でそう尋ねた。

「どうしても!」

 これでごまかす。押し通す。男は無理! って正直に言ったほうがよかったかな。でもそれだと谷城傷付いちゃうかな。てか、ふった時点で既に傷付けちゃってんだけど。どっちがよかったんだろう。こういう事態は初めてなもので、よくわからない。

「そうか」

 谷城は低い声で、静かに言う。

 ていうか、谷城、おれの二の腕ずっと掴んだままじゃん。いい加減離してくんないだろうか。ちょっと痛いぞ。

「じゃあ」

 谷城は少し考えるようにして言う。

「友達になってくれ」

 そうきたか。いや、でも、まあそのくらいなら。

「いいでしょう」

 おれの返事に、今まで無表情だった谷城の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。それ、笑ってるつもり? というくらいの微かな変化だった。

 谷城は、掴んでいたおれの二の腕をやっと離してくれた。ほっとしたのも束の間、今度は手を握られる。

「な」

 じっとりと熱い手の温度に動揺していると、

「花熊、いっしょに帰ろう」

 谷城が言った。

「いっしょに帰るのは別にいいけど、この手はなんだ」

「友達になっただろ」

「友達は手を繋ぎません!」

 思わず突き放すように言って、乱暴に手を振りほどいてしまう。

 しまった、と思い谷城の表情を盗み見る。くっきりとした形のいい眉が、わずかに下がっている。それ、悲しい顔なの? というくらいの微かな変化だったけど、おれの胸はちくちくと痛んだ。ごめん、という言葉が出かかったが飲み込む。

「じゃあ、おれが転びそうになったら、さっきみたいにたすけてくれ」

 精一杯譲歩してそう言うと、谷城は表情を緩ませた。やっぱり、それ笑ってるつもり? というくらいの微かな変化だった。



 あれから、おれは毎日、谷城といっしょに帰っている。おれの所属している卓球部のほうが谷城のバスケ部よりも少し早く終わるので、なぜかおれが谷城を待って、いっしょに帰るのだ。

 ちょっと待て、なんでおれが谷城を待たなきゃいけないんだ、と思わなくもないが、特に用事もない暇人なので普通に友達を待つように待ってしまう。谷城が、毎日毎日、部活前になると、まるで忠犬のように健気にもおれの教室までわざわざやって来て、「花熊、今日いっしょに帰ろう」などと懇願するように言うからかもしれない。


「おい、花熊。バスケ部のでかいのがまたこっち見てんぞ」

 素振りをしていると、隣で同じく素振りをしていた五反田が言った。

「谷城だよ」

 おれは言う。

「ずっとヤシマだと思ってたんだけど、実はヤシロだった。知ってた?」

「いや、いま知った」

 五反田は言う。

「でも、あいつ、前からずっとこっちのこと気にしてるみたいだったから、顔は覚えてるわ」

 そうなのだ。谷城は、以前からやけに卓球部のほうを気にしていた。なんでだろう、何か不満でもあるのだろうか、とは思っていたが、まさかおれを見ていたなんて。別にうれしくもなんともない。疑問が解消されただけだ。

「花熊、最近あいつといっしょに帰ってんだろ。どうしたんだ、急に」

 五反田が尋ねてくる。

「なんか、友達になろうって言われた」

 おれは、いろいろと端折った答えを返した。

「もう、二年の秋だぞ。なんで今更」

「さあ」

「そんで、友達になったんか」

「うん。まあ、一応」

 卓球部は基本的に、体育館のステージの上で練習をする。コートはバスケ部とバレー部が使うからだ。バスケ部はステージ側のコート、バレー部は出入口側のコートを女子部と男子部が交替で使用している。ちなみに、卓球部は人数があまりに少ないため、男女混合で練習している。

 バスケ部のコートのほうに目をやると、谷城がこちらに向かって小さく手を振っていた。うわ、と思う。やめろよ、そういうことは。恋人同士じゃないんだから。

 おれは見えなかったふりをして、素振りを続ける。

「あれ、おまえに振ってんじゃねーの」

 五反田が気付いて余計なことを言う。こいつ、なんでこんなに目ざといんだ。

「そうかー?」

 すっとぼけたおれに、

「そうだろ。振り返してやれよ」

 五反田は、やけに律儀なことを言う。

「いやいや、いま、まさに振ってんじゃん」

「いやいや、それ素振りだろ」

 もう一度バスケ部のほうを見ると、やはり谷城は手を振っていた。

「おい。まだ振ってるぞ。なんか、かわいそうだろ。無視してやんなよ」

 五反田にそう言われ、おれの胸はちくちく痛む。そうか。谷城、かわいそうか。

 おれは素振りを中断し、谷城に向かって小さく手を振った。谷城が緩んだ表情でこちらを見ている。どうやら、よろこんでいるみたいだ。

「おい、どうなんだ。あいつ無表情だけど、よろこんでんのか」

 五反田が言った。おれは聞こえないふりをする。

 素振りが終わり、台を出そうと倉庫へ向かう途中で、盛大にすっ転んでしまう。

「おまえ、いつもいつも何もないとこで転ぶね」

 五反田が言う。

「バランス感覚でも悪いんだろうか」

「もう病院行ったら?」

「なんつって? いつも何もないところで転ぶんです、なんとかしてくださいーって?」

 などと、ふざけて笑い合っていると、

「大丈夫か、花熊」

 急に頭上から声が降ってきて、驚いた。見上げると、谷城だ。

「大丈夫だ」

 おれは言う。谷城は黙っておれを見下ろしている。

「怪我したのか」

 そう言って腕を掴まれ、肩を抱きかかえるようにして無駄に優しく身体を起こされた。

「立てるか」

「いや、普通に立てるよ。え、なに?」

 戸惑いながら尋ねると、

「病院行くんだろ」

 と心配そうな声が返ってきた。

「ああ」

 さっきの五反田が言った冗談か。

「行かない行かない。怪我もしてない。大丈夫だって」

「そうか」

 そう言って、こちらをちらちら見ながら、谷城は名残惜しそうにバスケ部に戻って行った。

「びっくりした」

 五反田が目をまるくして言う。

「あいつ、いつの間にか、いた」

「うん」

 おれも同意を示す。

「いつの間にかいたな」

 言いながら、バスケ部のほうを振り返ると、彼らは走りながらのパス練習をしていた。バッシュと床の擦れる音が、規則正しく聞こえてくる。

 こうして見ると、飛び抜けて身長の高い谷城は、かなり目立っている。顔も、実はそこそこ整っているのかも。今まで気にしたこともなかったが、体育館の出入口付近できゃあきゃあ言いながらたむろしている女子たちのお目当ては、もしかしたら谷城なのかもしれない。

「なあ、五反田」

「ん?」

「谷城って、モテるの?」

 ゴロゴロと台を押して運びながら、おれは五反田に尋ねる。

「いや、知らんし」

 五反田は言う。そりゃそうだ。こいつは今日まで谷城の名前も知らなかったんだもの。

「でも」

 と五反田は続ける。

「モテるだろうな。部活一筋の、ストイックなイケメン。モテ要素しかないじゃん」

「えー、あいつイケメンかなー」

 確認の意味を込めて、おれは言ってみる。

「かっこいいだろ、普通に。てか、イケメンて響きはちょっと軟弱だな。あいつの場合、男前って言ったほうがいいかもな」

 五反田は言った。

「えー、そっかなー」

「オレの顔を見ろ、花熊」

 おれは、言われたとおり五反田の顔を見る。見慣れた顔。線と点だけで描けそうな、絵文字みたいに単純な顔だけど、なんだか安心する顔だ。

「で、谷城の顔を見ろ」

 言われたとおりにする。練習に集中している谷城は、いつもに増して真剣な表情だ。きりっとした形のいい眉に、きれいな二重の目、すっと通った鼻筋。確かに、谷城は男前なのかもしれない。ちょっと胸の奥が騒ぐような気持ちになる。

「な?」

 五反田は言った。

「え?」

「男前だろ、谷城は」

「五反田、おまえ、そんな自虐的な」

 おれは悲しい気持ちで五反田を見る。

「そんな目で見るな」

「おまえが見ろって言ったんだろ」



「危ない」

 頭の上から声がする。

「うぐ」

 腹が圧迫されて、思わず苦しい声が出る。おれの腹は谷城のたくましい腕にがっしりと抱えられ、おれの顔は地面にぶつかる直前で静止している。また、何もないところで転びそうになったのだ。

「いつもありがとう」

 おれは、谷城に礼を言う。谷城は、おれを立たせてくれ、表情を微かに緩めて大事そうにおれを見る。ぞくぞくが腰から首まで這い上がって耳に散らばってくるような心地になる。そんな目で見るな。おれは、名残惜しげにおれの腰に添えられた谷城の手から、さりげなく逃れた。この視線にも、谷城との身体接触にも、未だに慣れない。不快感はないけれど、戸惑いはおおいにある。なんだかくすぐったいような、ざわざわするような感じだ。

 部活が終わって、薄暗い道をふたりで帰る。あまり言葉は交わさない。ただ、並んで歩くだけだ。だいたい、いつもおれは転びそうになり、いつも谷城がたすけてくれる。おかげで、最近のおれは、生傷の絶えなかった以前とくらべ、絆創膏や消毒薬とは縁遠い生活を送ることができている。

「花熊」

 谷城が低い声でおれを呼ぶ。

「うん?」

 おれは谷城の男前な顔を見上げる。暗いところで見ても男前。思わず眉間にしわが寄る。おれは聞いてしまったのだ。体育館の出入口にたむろしている女子たちが、トモミちゃんトモミちゃん、と騒いでいるのを。谷城め、こいつガチでモテてやがる。うらやましい。

 谷城はそんなおれを見下ろして言う。

「いつも、花熊といる、あの、卓球部の……」

 言葉足らずなのはいつものことだが、きっぱりと物を言い切る谷城にしては珍しく歯切れが悪い。

「ああ、五反田?」

 五反田がどうしたんだろう。あいつ、おれの知らないところで、何か粗相でもしたんだろうか。

「五反田」

 谷城は記憶するように、五反田の名前を繰り返す。そんなもん覚えてどうすんだよ。

「五反田がなに?」

「仲いいな」

「うん」

 谷城に言われ、おれは素直に頷く。五反田とは、中学の頃からの付き合いだ。確かに仲はいい。

「え、それだけ?」

 おれは拍子抜けして、思わず言う。そうしたら、谷城が急に立ち止まってしまった。

「谷城? どしたの」

 先に行き過ぎたおれは、少し後退し谷城のところまで戻る。

「花熊」

 谷城がおれを呼ぶ。

「うん?」

 返事をしたが、谷城はそれきり口を開かない。暗くて表情はよく見えないけれど、心なしか両眉が下がっているように見える。

「谷城、なんか悲しいの?」

 尋ねた瞬間、谷城はおれの両肩を掴み、ぐいっと引き寄せたかと思うと、身を屈め、おれの顔に思い切り顔を近づけてきた。

「待て!」

 焦って、叫ぶように言う。谷城の動きがぴたっと止まる。寸止め。危なかった。

 鼻と鼻がくっつきそうなほど近いところに谷城の顔がある。てか、くっついてる。おれの鼻の頭と谷城の鼻の頭は、完全にくっついている。下手に動くと口までくっついてしまいそうだ。まさに目の前に谷城の血走った目があって、なにやら荒い息遣いを直接顔に感じる。こわい。なんでこいつこんなにハアハア言ってんの。

 おれは、顔を引きながら谷城の胸のあたりをおそるおそる押して、谷城と距離を取る。谷城がおれの肩から手を放し、素直に離れてくれたので安心した。

「次やったら、友達やめる」

 とっさに出てしまったおれの言葉に谷城は、あからさまに傷付いたような顔をした。そんな顔をしないでくれ。胸がちくちくと痛むが、今のは谷城が悪い。だって、おれはこわかったんだから。体格のいい谷城が、もし本気でおれをどうにかしようと思うなら、そんなのは簡単なんだということを実感してしまった。おれは、力では谷城に敵わない。今日は素直に言うことを聞いてくれたからいいけど、次もそうだとは限らない。心臓が、ものすごいスピードで、どどどどど、と脈打っている。

「体格差がこんなにあるのに、急にそういうことされたら、おれはどうやって抵抗したらいいんだよ」

 谷城は目を見開いておれを見る。

「おまえ、おれのこと好きだって言ったのに、なんでおれのこわがることすんの?」

 言ってから、気が付いた。あ、おれ泣いてる。涙ぼろぼろ出てんじゃん。恥ずかしい。慌てて手の甲で涙を拭う。うわ、やばい、鼻水垂れた。

「わるかった」

 谷城が言った。

「わるかった。花熊、泣くな。もうしない」

 谷城の手が、おれの顔に伸びてきて、おれは思わず、ぎゅっと身を縮める。谷城は構わず、おれの顔を上に向けると、素手でおれの鼻水を拭った。

「あ、汚い」

 思わず言うと、

「そんなことはない」

 谷城は言う。谷城の顔を見上げると、さっきの血走ったような目ではなく、穏やかな眼差しだったものだから、安心して余計に涙が出た。谷城が、鼻水を拭いたほうの手とは逆の手で、今度は涙を拭ってくれる。

「なんで、あんなことしたんだ」

 正確には未遂だが、おれは谷城に尋ねる。

 おれの涙が止まらないものだから、近くの公園のベンチで少し休むことにした。おれは部活用のタオルで顔を拭き、谷城もさすがに自分のタオルで手を拭っていた。

「花熊が好きだから」

 谷城は言った。好きだからってなんでも許されると思うなよ、この肉食獣が、と一瞬思ったが、

「でも、もうしない」

 と谷城が沈んだ声で言うので、おれは「うん」と頷くだけにする。

「もしかして、五反田にやきもちやいた?」

 ふと思いあたって訊いてみると、街灯の灯りの下、谷城の顔がわかりやすく真っ赤に染まった。

「おい、マジか。五反田、男だぞ」

 呆れて、おれは言う。

「関係ない」

 谷城は、赤い顔のままで静かに言った。そうか、と思う。谷城には、あまり性別という概念がないのかもしれない。

「谷城は、なんでおれのこと好きなの?」

 これは、かなりの謎だと思う。なんでおれなんだ。自分で言うのもなんだけど、そんなにいいもんじゃないだろう、おれ。

「花熊、よく転ぶだろ。最初は、あんなに転ぶやつ初めて見たから、気になって見てた。見てるうちに、好きになった。転ぶたびにすぐ立ち上がるのが、おきあがりこぼしみたいでかわいいなと思って」

 えー、と思う。何その理由。もっと他にないの? もっと素敵なやつ。

「もっと、いい理由ないの?」

「いい理由?」

 谷城は不思議そうにおれを見た。

「いや、まあいいや」

 ひとを好きになる理由なんて、案外そんな単純なものなのかもしれない。てか、そう思わないと、なんだか微妙だ。なんだよ、おきあがりこぼしって。おれはタオルをバッグに仕舞い、立ち上がる。

「泣いちゃってごめんな。帰ろうか」

「泣かしたのは俺だ」

 谷城が言った。

「優しいな、知実ちゃんは」

 からかうように言うと、谷城の顔がまた真っ赤に染まった。

 次の瞬間、谷城が勢いよく立ち上がり、

「花熊、キスしたい」

 唐突に言った。おれは耳を疑う。そして、後退りする。何言ってんだ、こいつ。さっきの今で、何言ってんだ。

「次やったら友達やめるって言っただろ!」

「だから、許可を取ってる。もう無理矢理したりはしない」

 もうしないって、そういうことかよー。言葉が足りないよ、知実ちゃん。

「駄目だ。おれはしたくない」

 谷城の眉が微かに下がる。だから、悲しそうにすんなって。胸がちくちくしちゃうだろ。

「どうしても、駄目か」

「だ、う、」

 なに言葉に詰まってんだ、おれ。駄目だって言え。どうしても駄目だって。

「谷城、おまえ、こわいよ。なんでそんな盛ってんだよ」

 おれはまた泣きそうになりながら言う。

「花熊が」

 谷城は上ずった声で言う。

「花熊が、名前呼ぶから」

「マジか」

 思わず、声が漏れる。おれのせいか。自業自得か。言わなきゃよかった、知実ちゃんなんて。

「花熊」

 谷城が熱を含んだ声で俺を呼ぶ。

「したい」

「く、口じゃなければ……」

 おいおいおいおい。何言っちゃってんの!? どうしちゃったの、おれ! 馬鹿じゃないの! 奇跡の馬鹿! こわい! 自分がこわい!

 自分で自分に戸惑っているうちに、谷城がおれとの距離を詰める。どこにキスされるんだろうと、心臓をばくばくさせていたら、谷城は、おれの右手を取り、そのてのひらにべろりとキスをした。キスというよりも、感触的には舐められた感が強い。なんとなく拍子抜けして、肩の力が抜ける。と思ったのも束の間、

「俺、やっぱり花熊が好きだ。花熊とちゃんと付き合いたい」

 谷城の言葉で再び固まってしまう。

「ま、まだ駄目。もうちょっと待ってくれ」

 そして、おれはなんだかずるい答えを返してしまった。



「花熊、さいきん谷城くんとよくいっしょに帰ってるよね。仲いいの?」

 いつものように体育館のステージの上で素振りをしていると、同じ卓球部の鷺沼さんに訊かれた。

「あ、うん。友達」

 おれは素知らぬ顔で答える。五反田が不気味なほど黙っている。たぶん、聞き耳を立てているのだ。野次馬め。

「谷城くん、よく花熊のこと見てるね」

 鷺沼さんはおれの横に並び、自分も素振りを始める。おいおい、バレてるぞ谷城。見るならもっと控え目に見ろよ。

「谷城くん、かっこいいよね」

 鷺沼さんは言う。やっぱり、谷城はかっこいいらしい。

「彼女とかいるのかな」

「どうかなー」

 おれは曖昧に答えながら、なぜかひやひやしていた。彼女はいないが、好きなやつはいる。おれだ。隙あらば、人気のない夜の公園のベンチで、てのひらをべろべろ舐められている。定期的に。でも、こんなこと絶対言えない。

「花熊、ちょっと谷城くんに訊いてみてくれないかな」

「え、彼女いるかどうか?」

「そう」

「鷺沼さん、谷城のこと好きなの?」

「うん、まあ。好きっていうか、いや、うん、そっか、好きなのか。とりあえず、友達になれたらいいなと思ってる」

 鷺沼さんは、えへへ、と照れたように笑う。

 もったいないな、と思う。絶対、おれなんかよりも鷺沼さんのほうがかわいいのに。

「おい、谷城の野郎、予想通り超モテてんじゃん。意外性のないやつだな」

 鷺沼さんが先輩と連れ立って球の準備に行ってしまうと、今まで黙っていた五反田が言った。

「谷城め。オレの鷺沼さんを」

「いや、おまえのじゃないし。てか五反田、鷺沼さんのこと好きだったの?」

「うん、まあ。好きっていうか。とりあえず、友達になれたらいいなと思ってる」

 五反田は、照れながら鷺沼さんと同じことを言う。おまえが照れても、全くかわいくないな。

「がんばれとしか言えん。がんばれ」

 おれが言うと、

「おお」

 五反田は頷いた。

「ちなみに、あそこの出入口でたむろしてる女子たちも谷城目当てだぞ」

 教えてやると、

「神様は不公平だ」

 五反田は嘆く。

「いや、おれは五反田の顔いいと思うよ。安心できて好きだよ」

「おまえに言われても全然うれしくな……」

 言いかけた五反田は、ぎょっとしたようにおれの背後を見ている。なんだなんだ、と思い振り返ると、すぐ後ろに谷城がいた。

「わ。ど、どした、谷城」

 谷城の眉は、心なしか下がっている。

「どっか痛いの?」

 谷城は無言で首を振る。

「オレら台出してくるな」

 五反田は後輩を連れてそそくさと立ち去ってしまう。ステージの上には、おれと谷城だけが残された。

「じゃあ、なんか悲しいのか?」

 谷城は、微かに頷いた。

「好きなのか」

 谷城が言った。

「え?」

「五反田のこと」

 うわ。聞こえてたのか。地獄耳め。

「好きだよ。友達だもん」

 おれは言う。谷城の眉がますます下がる。

「谷城、おまえこういうのにいちいち反応すんなよ」

「わるい」

 一応素直に頷いているものの、谷城はバスケ部のほうに戻る気配がない。バスケ部のほうからこちらにたくさんの視線を感じる。

「谷城、おい、他のひとたち待ってんじゃん。迷惑かけてんじゃねーよ、早く戻れよ」

 谷城は唇を引き結んで、全く動こうとしない。泣くのを我慢しているようにも見える。なんだかそわそわして、居心地が悪くなって、おれは早口に言ってしまう。

「おまえのことも好きだよ。だから早く戻れって」

 おれを見下ろす谷城の表情が緩み、あからさまに明るくなった。みるみるほっぺたの血色がよくなっていく。

 やらかした、と後悔しても遅い。軽はずみなことを言ってしまったかもしれない。

 谷城は身を屈め、

「俺も、花熊が好きだ」

 おれの耳元でそう囁いた。ぞぞぞぞぞ、と何かが腰から首まで一気に這い上がる。それが耳に散らばって、その耳をじくじくと熱くした。



「谷城、一応訊くけど、おまえ彼女とかいんの?」

 帰り道、鷺沼さんに頼まれたことを思い出し尋ねると、谷城は驚いたような顔でおれを見下ろしてきた。

「いない」

 谷城はきっぱりと言った。

「俺が好きなのは、花熊だけだ」

「そ、そういうのはいい」

 谷城の言葉は、足りなくともストレートな分、やたらと照れてしまう。

「花熊も俺のこと好きだって」

 谷城はうれしげに言う。

「友達な。友達としてな」

 聞いているのかいないのか、谷城はずっとうれしそうだ。

「ところで、なんでそんなこと訊くんだ」

 どうごまかそうかと考えていると、躓いてしまった。やばい、と思った瞬間に、胸の前に谷城の腕が回っている。

「ありがとう」

 おれの身体を支えた谷城の腕に、少しだけ故意に力が加わり身体が密着したのがわかったが、おれは気付かないふりをする。おれが転ばずにいられるのは谷城のおかげだ。このくらいは、気付かないふりをしてやってもいいだろう。それよりも、さっきの話題があやふやになったことに、おれは安心した。

「花熊」

 谷城が熱を含んだ声でおれを呼ぶ。しまった、今ので盛っちゃったか。

「キスしたい」

 谷城は言う。

 いつもの公園のベンチで、おれは谷城のほうに黙って右手を差し出す。谷城は、その手を掴み、てのひらをべろりと舐めた。ぬるりとした、生温かくて冷たい感触。

「花熊、好きだ」

 谷城は言う。懇願するように言う。今のおれは、返せる言葉を何も持っていない。谷城は、おれのてのひらを丹念に舐める。

「もうちょっとって、いつまで待てばいいんだ」

 そう言う谷城の表情が心なしか苦しそうなので、なんとかしてやりたい気持ちになる。いい加減、ちゃんと答えを出さないといけないのかもしれない。



 次の日の朝、靴箱のところで鷺沼さんに会った。谷城に彼女がいないということを伝えると、手紙を渡された。おれ宛てじゃない。もちろん、谷城宛てだ。彼女がいてもいなくても渡そうと思っていたらしい。

「お願い。渡してくれるだけでいいの」

 鷺沼さんは真剣な眼差しで言う。断ることなんて、できなかった。


 部活が終わり、おれは谷城を待つ。制服のポケットに入れた鷺沼さんの手紙が、やけに重く感じる。なんだかもやもやして、胃が痛くなった。どうしてこんな気持ちになるのかわからない。

「花熊、元気ないな」

 谷城が言う。見上げると、心配そうな目をした谷城の顔。

「うん」

 おれは頷いただけで、黙っていた。どう切り出そうかと頭がフル回転している。とりあえず、いつもの公園へ行こう。そう思い、歩調を速める。躓いて転びそうになる。谷城は無言でおれを支えてくれた。

 公園のベンチで、谷城に鷺沼さんの手紙を差し出す。

「なんだ」

 谷城が言った。表情が心なしか強張っている。

「卓球部の鷺沼さんから。谷城に渡してほしいって」

「なんで」

「谷城のことが好きなんだって」

「いらない」

 谷城は言う。その言葉通り、谷城は手紙を受け取ろうとしない。

「なんで、そんな手紙を受け取ってくるんだ」

 谷城が泣き出しそうな声で言った。

「俺が、おまえのこと好きなのを知ってて、なんで」

 その言葉に胸がちくちくして、胃がきりきりと痛んだ。全くその通りだ。中途半端なおれの態度が、谷城の気持ちも鷺沼さんの気持ちも、両方の大事な気持ちを踏みにじって傷付けたのだ。

「花熊も、俺のこと好きだって言ってくれたのに」

 あれは友達としてだ、なんてとても言えない。全面的におれが悪い。谷城によく考えもせず好きだと言ったのも、軽い気持ちで鷺沼さんの手紙を引き受けたのも、全部おれが悪いのだ。

「俺は、花熊が好きなのに」

 谷城は言う。胸の奥がちくちくする。

「でも、ちゃんと読んで返事をしてあげてほしい」

 おれは、押し付けるようにして谷城に手紙を渡す。

「生殺しにされるつらさは、おまえがいちばんよくわかってるはずだ」

 ごめん、おれが言うことじゃないけれど。

「花熊は、いいのか」

 谷城が鼻をすすりながら言う。

 泣きそうだ泣きそうだとは思っていたが、谷城は泣いていた。谷城って泣くんだ、と、ぼんやり思う。おれのせいで、谷城はいとも簡単に泣く。

「俺が、誰か他のやつと付き合ったりしても、花熊はなんとも思わないのか」

 想像してみる。谷城と鷺沼さんが並んで歩いている姿。谷城が鷺沼さんとキスをしたり、鷺沼さんのてのひらを舐めたりしているところ。え、谷城、鷺沼さんのてのひらも舐めんの?

「やだ」

 声が出ていた。

「いやだな、そんなの」

 谷城が目を見開いておれを見ている。

「ごめん」

 おれは谷城に謝る。

「おれ、男は無理だ。でも、谷城が他の誰かと付き合うなんていやだ」

 なんて我儘な答えだ。自分で自分に呆れてしまう。そして、

「今まで、つらい思いさせてごめん」

 おれは全てを受け入れる覚悟を決めた。

「花熊」

 谷城がおれを呼ぶ。

「キスしたい」

「いいよ。しよう」

「でも、本当にいいのか。花熊、いま男は無理だって」

「谷城ならいいよ」

 谷城の目から、涙がどっとあふれた。おれは手を伸ばし、谷城の涙を拭ってやる。うわー、こんな男前でも鼻水とか出るんだーと、なんだかしみじみ思いながら、鼻水を拭ってやるべきかどうか迷って、素手はちょっとなー、と躊躇った後、結局タオルで拭ってやる。谷城は、されるがままになっていた。

 谷城の手が、おれの頬にふれる。顔が近付いて、鼻の頭と鼻の頭がくっついた。谷城の鼻が犬みたいに濡れていたので、おれは少し笑ってしまう。今度はこわくない。

 谷城は数秒間、躊躇った様子を見せ、おそるおそるという感じで、おれの唇にただ唇を押し付けるだけのキスをした。そのまま少しだけじっとして、唇は離れてしまう。

「あれ?」

 なんだか拍子抜けして、疑問符を飛ばしてしまった。あんなにひとのてのひらをべろべろ舐めるやつのキスが、こんなにつたないものなのだろうか。

「舌とか入れなくていいの?」

 思わずそう言うと、谷城は顔を真っ赤にして、

「は、初めてだから、どうしたらいいのかわからない」

 と言った。

「マジか」

「や、やり直してもいい?」

 谷城がそんなことを言うので笑ってしまう。

「いいよ。もっかいしよう」

 今度は、舌先が少し触れるだけのキス。

「もういっかいしたい」

 おれの指に自分の指を絡ませて、谷城は言う。

「いいよ。いくらでも」

 何度かつたないキスを繰り返した後、

「好きだ、花熊」

 谷城が言った。

「おれが転ばないように、ずっと見ててくれ」

 おれは、そう答える。

 今まで見ててくれてありがとう。これからもよろしく。



ありがとうございました。

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