出石の皿そば
若い頃は兵庫県の北の方によくスキーを楽しみに行った
ハチ高原、ハチ北高原、神鍋高原へ大阪から車を走らせる
中国自動車道の福崎ジャンクションから播但連絡道へ入る
もちろんタイヤチェーンは必携品
大阪ではタイヤチェーンなんてほぼすることもない
降り続くなんてありえないから、大雪が降れば車の運転をしなければいいというぐらいにしか思っていない
一応タイヤチェーンの脱着の練習はした
まさに伝統的な鎖なので走ると音が響きそうだ
播但連絡道は車の通行量が多いので案外積雪はない
当時は今の和田山ICまで開通していなかったが、どこまでだったか忘れてしまって記憶にない
播但連絡道を降りてからはタイヤチェーンを装着することになった
鉄製のタイヤチェーンは一度使用すると翌年は錆びついてしまい、だいたい買い替えになる
ただ、後年主流になるゴム製のものほど高価では無かった
屋根の上のキャリアーにスキー板を載せた車が増えてくる
目的は同じなので、各スキー場まで連隊を組んで走ることになる
ゆっくりゆっくりと進む
ブレーキを踏んでみる
ギュッという音とともに若干前へ滑るのが解る
山道に入ると滑らないようにさらに慎重な運転になる
渋滞があったりするし、溝に誰かの車のタイヤが落ちているのにもたまに出くわす
溝にタイヤを落としているのは、図体のでかいFRの車が多かった
まさに運動法則の理にかなっているということか・・・妙に感心したこともある
スリップして動かない車にはみんなで降りて後ろを押す
そんな助け合いの精神が働く
お互い様だから
スキー場に着き駐車場に車を停める
翌朝まで停めたままになる
この時の鉄則はワイパーを持ち上げて浮かして置くこと
ワイパーが凍りつくのを防止するのと、大雪が降ってもワイパーが埋まらないように
その後スキー場でひたすら遊ぶ
この時はつくづくリフトを発明した人は天才だと思った
リフトがあるのとないのとでは楽しみが雲泥の差だ
リフトが無かったらここまでスキーも流行らなかっただろうとも思える
その日は夕方まで滑って
宿の乾燥室に用具を置き
風呂に入る
これがまたいい
ただ、当時はすぐ筋肉痛が出たと思う
若い証拠だ
夜は鍋料理で乾杯
ありがたい!
ただ、長時間の運転とスキー疲れですぐに眠くなったのを覚えている
翌日は午前中のみスキーだ
午前中スキーを楽しんだあといよいよ帰路につく
帰路につくと行っても直接帰阪するのではなく
必ず寄るところがある
それがかつての出石郡出石町で現在の豊岡市出石町だ
何のために寄るのか?
もちろん出石の皿そばを食べるため
大体この辺りのスキー場に来る人はほぼ寄ると言っても過言ではないと思っている
出石の皿そば
10センチくらいの大きさの皿に2~3口ぐらいで食べられる量のそばが載せてある
それが5皿で一人前
そのそばを好みで薬味をいれた出汁につけて食べる割子そばの形態のもの
出石は城下町で信州から国替えとなった大名が信州のそば職人を連れて移ってきたのが始まりらしい
信州そば・・・それは旨いはずだ
もちろん5皿では足りない人がほとんど
5皿単位で追加注文した記憶があるが15皿~20皿あたりは成年男子では普通だったように思う
追加注文大会となるので、どの店も大体店の前には入店待ちの客の行列ができているのが普通だ
確か店によって決められた量を食べると記念品が貰えたと記憶している
学生の運動クラブ合宿帰りらしき団体が入店すると、何百皿なんて圧巻の風景も見ることができる
締めはそば湯
これがまたホッとする
満腹になったら、城下町の散策をする
そう、お土産購入時間がくる
出石の古いしかし整然とした町並みは来るものの心を奪う
町のシンボルである時計台の辰鼓楼は絶好の記念写真ポイントにもなっている
当時はこの一皿の量がもっと多ければいいのにと思っていたが
この量が風情のある文化なんだろうと今は思う
しかしもう何十年も食べていない
出石の皿そばが無性に食べたくなってきたけれど遠いよなぁ
しかし、奈良県明日香村でのライヴ出演のために毎回日帰りでこの豊岡市から来られている方がおられる
改めてすごいといま感心した