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八重谷茉莉花はちょっとおかしい。  作者: 犬川くろのすら
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八重谷茉莉花はちょっとおかしい。4

 部室に戻ると、時計は午後七時をいくらか過ぎていた。

 サークル棟は職員の出入りがほとんど無く、学生側で管理しているような状態だ。鍵は各サークルが勝手に取り付けた錠前などで部屋ごとに施錠してあり、24時間好きに使える。俺達の部室も、トイレの個室よろしく中からだけは掛け金で外から開けられないように施錠が可能になっている。

 夜8時を過ぎると電気が止まって蛍光灯やテレビは点けられなくなるが、持ち込んだ灯りを使えば読書などは可能だ。

 今も、他の部屋のどこかには誰かがいるのだろう。アパートに帰らず、基本的にサークル棟に寝泊まりする輩までいると聞く。


「よく考えたら、全部俺らで調達しなくても他の三人とで分担したらよかったじゃねえか。」


 荷物を床に置くと、俺はすぐに椅子に座り込んだ。背もたれに体を預けるが、安物の椅子が悲鳴のような頼りない声をあげたので、すぐに体を起こす。


「ちょっと。荷物、取ってちょうだい。」


 後から入ってきた八重谷が、胸に抱えた袋を見せつけて訴える。「ああ、悪い」とすぐに駆け寄って受け取る。少し放っておいて困らせてやろうかという考えも過ぎったが、多分、八重谷は遠慮なく全部床に落とすだろうと思ってやめた。


「大志満と里見はいいけど、月山は?あいつまで寝てんのか?」


 一緒に、と冗談で言いかけたが、シャレにならないので飲み込んだ。

 俺が受け取った荷物を部室の隅に置く間に、ガチャリとドアを閉めて八重谷は椅子に腰掛けた。スマホを取り出して、少し操作してから俺に向き直る。


「連絡はしてあるから、そのうち来るでしょう。生きていればね。」


「シャレにならないって。」


 大志満と月山が付き合っている。

 八重谷の言った言葉が、俺の中で繰り返し巡っていた。そして八重谷は、冗談みたいに「大志満と里見が」とも言った。

 どれが本当なのだろうか。

 どれもが本当なのだろうか。

 どれもが嘘なのだろうか。


「必ず来るわ。最後だもの。」


 再び八重谷の口にした最後という言葉を、今度は俺も否定しなかった。


 俺達は大学4年生。今日は3月15日。昨日は卒業式だった。

 メンバーそれぞれの都合上、全員で集まれるのは今日が最後という事だ。だから、今日は俺と八重谷にとって最後のゲームが行われる。

 誰がネタを出すかは特に決まっていない。毎回のことだが、毎回誰かしらはネタを持っているので、他のメンバーがそれを解くという形になっている。


「八重谷が出すのか?」


 彼女が鞄に仕舞ったノートを思い出して、訊ねてみた。

 自分もネタは幾つか残しているので、もし誰も用意していなくても問題ない。俺のネタを出す機会が無くなるのなら、それはデスクの山と積まれたノートの内のひとつになるだけだ。後の世に誰かが発掘して、ネタにすればいい。


「別に、皆に出題するつもりではないけれど。」


 先程のノートを取り出して見せて、ついでに買ったものもデスクにばらまいた。普通の鉛筆と消しゴム、消せるボールペン、木製の物差し、やたらに大きいハサミ、5冊組のノート、無地のクリアファイル、たくさんのクリップ……それらの封をひとつずつ開けて、整然と並べる。

 思ったより大量に買っていた。今から全部使うつもり、ではないだろう。


「後輩へのプレゼント、置いていこうかと思って。あって困るものでもないでしょう。」


 確かに困らない。というより、助かる。

 この部屋は紙が大量にある割に、それらを扱うための文具類が全く無い。大学生だから鞄の中に文房具は入っているが、部屋に備え付けてあればわざわざ自分のものを出す必要が無いので楽だ。

 それにしても、ノートに関しては腐るほど紙があるので幾らでも代用が利くし、今更5冊が必要だろうか。それに、紙を切るには持て余しそうな、鋭く大きいハサミ辺りは妙に物騒だ。まあ、他に無かったのかもしれないし、研究会としては相応しいインテリアにもなるか。少々過剰なサービスと思えば、優しさの内だ。

 俺達の先輩の代にそういう思いやりが無かった事を恨んだ。それらがあれば、俺も助かったのに……いや、待て。思いやっているのは俺ではなく八重谷だ。俺は先輩達と同じく、それらを思いついていなかった。俺が責めるのはお門違いだろう。


「皆に出題するつもりは、無いけれどね。」


 八重谷がノートを手に取って、パラパラと開く。そして、あるページで手を止めた。


「金城くんにだけ、出そうと思っていたのがあるの。」


「俺に?」


「プレゼントだと思ってくれたらいいわ。後輩にだけプレゼントするのは不公平だもの。」


 そう言われても、俺はお返しになるような物を何も準備していない。一方的に渡されるプレゼントは、困る。


「気にしないで。だって、金城くん。あなた、今日が誕生日でしょう?」


「……そうだっけ?」


 八重谷は、全てを見通したような目をしている。俺がとぼけているのも。

 大志満が「誕生日会みたい」と言った時、少し反応してしまっただろうか。誕生日を忘れていたわけではない。二十歳も過ぎて、殊更(ことさら)に誕生日だと騒いで遊ぶつもりが無いという事だ。


「まあ、それでも気になるなら、ちゃんと解いてくれたらそれでいいわ。本当の犯罪者なら解かれない方が嬉しいのでしょうけど、私は解いてくれた方が嬉しい。」


「そうか。じゃあ……。」


 俺の言葉を、八重谷は開始の許可と受け取ったようだった。

 八重谷の話が始まる。蛍光灯の弱い灯りしかない室内、誕生日会としての雰囲気は上等だ。デスクを挟んであちらとこちら。いくらかの沈黙を置いて、八重谷は口を開いた。


 ……俺は、開始の許可を示すために言葉を切ったのではない。言葉が勝手に切れたのだ。

 頭に浮かんだ考えに、思わず口が閉じてしまっただけだ。


 本当の犯罪者なら。


 八重谷の言った、なんでもないはずのその仮定に、俺は引っかかりを覚えた。何かが頭に浮かんだ。


 それは言葉だった。

 誰かの妄想だった。

 青ざめた顔、震えた声、真に迫った戯言。


 ……本当に人を殺したから、あんなにリアルな描写が出来るんですよ。

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