八重谷茉莉花はちょっとおかしい。3
大志満と里見は、これから準備をして来るという事だった。大志満は大きく手を振りながら、里見は殺すような目で俺を睨みながら、二人並んで里見のアパートの方へ歩き去っていく。
「八重谷、お前知ってた?」
両手に山のような飲み物と菓子の入った袋をぶら下げて二人を見送りながら、八重谷に訊ねてみた。八重谷は別に買った雑貨類だけ鞄に入れて、悠然と歩き出しながら俺に問い返す。
「何の話?」
「大志満の……。」
「月山くんと付き合ってる話なら、知ってるわ。」
思わぬ答えに心臓が跳ねた。ただでさえ大荷物に苦心しながらなんとか八重谷を追いかけていた俺は、思わず両手の荷物を取り落としそうになる。
「……そうなん?」
どうにか持ち直し、八重谷の隣にまで追いついた。彼女の発言に驚く俺の気色を察しているのか否か、それとも発言内容にも俺にも興味が無いのか、八重谷の声色には何の変化も無い。
「別に誰が誰と付き合おうが、私には関係ないわ。興味もあまり無い。大志満さんと月山くんが付き合おうが、大志満さんと里見さんが付き合おうが、月山くんと金城くんが付き合おうが……。」
最後のはやめろ。
そう言おうとしたが、俺が言うより八重谷の呟きの方が早かった。
「最後のなら、少し興味があるわ。どう?」
「どうって何。」
「どうかしら……。」
それっきり八重谷は黙った。黙るな。その沈黙は、あまりに意味が深すぎて喧しくさえ感じる。
何にせよ、八重谷が話さないなら俺も話さない。気分の問題ではなく、大荷物と格闘して息を切らしている俺は、話さずに済むならその方が楽なのだ。
ガサガサとコンビニ袋の擦れる音が騒がしく、行きとは違って足音は聞こえない。暗い道をサークル棟へ向かって歩く。何の感慨も生まない無機質な音をBGMに、歩き続ける。
考えるくらいしかする事が無いから、俺は考える。例えば、大志満と里見、そして月山の事。
月山桂太は1年生の男子で、サークル内の誰よりも「普通の大学生」だ。適度に明るく、過度に活動的でもなく。
一般人らしく、喜怒哀楽は比較的曖昧に示す。大志満のように体中で喜びを示しもしなければ、里見のようにはっきり怒りもしない。そして、八重谷のように全部どこかに置き忘れてもいない。
月山は、最初は八重谷を目当てに研究会に入ってきた。一般人に相応しく「高嶺の花」という言葉くらいは知っていたようで、「美人の先輩と同じサークルにいるだけで幸せです」という心根を隠しもせずにいた。
だが、その幻想は八重谷本人によって砕かれたのだ。
八重谷の最大の難点は、愛想の悪さや歯に衣を着せない物言い、冗談かどうかわからないおふざけ、といったものではない。それらも問題ではあるが、最大のというのは「推理ゲームに対する情熱」だ。
誰よりも本気でネタを作ってくる。しかも必ず殺人事件をテーマにする上に、描写が具体的で生々しい。
そして、八重谷がそれを本気で朗読するのだ。講談師もかくやという調子で緩急自在に言葉を操り、まるで眼前で殺人事件が起きたかのように錯覚させられる。初めて聞いた時、大志満と里見が泣いた。推理ゲームの本番は、その後の推理のはずなのに、まるっきりそれどころではなかった。
それを一度体験した者にとっては、もはや八重谷自体が不気味な存在に成り代わってしまう。遠くて手が届かない高嶺の花ではなく、怖くて手を伸ばせない墓地の彼岸花のような存在に。
……本当に人を殺してるから、あんな描写が出来るんですよ。
月山が青ざめた顔で俺に言ってきた事があった。日頃から冗談とも何とも分からないような事を言っている八重谷だから、俺は「あり得ない」と言い切ることが出来なかった。あり得ないとは思っているが、そうであってもおかしくないとも思ってしまう。少なくとも、月山の言葉には幾らかの本気が混じっていた。
それでも月山は、推理ゲーム自体は気に入ったようで、他にその遊びを出来る場所が無いので研究会に入り浸るようになっていた。もちろん八重谷の恐怖の朗読を何度も聞かされることになるが、それも怖いもの見たさのような気持ちで楽しめているようだった。それは大志満や里見も同じだ。
月山の八重谷自身に対する恐怖も次第に薄れ、それは八重谷を女性として見ることに対する抑止力として存在する程度と見える。例えば、信仰対象のような存在に落ち着いたと言ってもいいかもしれない。大志満と里見も八重谷を尊敬しているようだし、八重谷は三人にとっては女神のようなものか。災厄をもたらすやつだ。
……大志満と里見。
そう言えば、去年の春に研究会に入ってきたのは大志満が先だった。彼女はサークル棟の見学で部屋を覗き、挨拶より先に「すげえ部屋っスね」と率直な感想を口にした。そして、本しか無いすげえ部屋の何をどう気に入ったのか、そのまま居着いたのだ。
それからすぐ、大志満に誘われた里見が来て、月山が入学するまでの一年間は四人で遊んでいた。
思い返せば、研究会の思い出は意外と多い。
月山が来る前、つまり昨年度の夏休みだ。
夏なので、趣向を変えて夜中に怪談会をやった。
八重谷は推理ゲームがしたいのであまり乗り気ではなかったが、大志満と里見が「どうしても八重谷の話す怪談が聞きたい」と頼み込んだので実現した企画だ。怖いもの見たさにも程がある。絶対泣くぞ、と俺は忠告したのだが、二人は聞き入れず、そして八重谷の怪談でやっぱり二人とも泣いた。というか、俺もちょっと泣いた。
その後、あのコンビニでアイスと花火を買ったんだった。大学近辺は住宅地だからロケット花火はやめろと俺が言うと、大志満は諦めるのではなく、逆転の発想で海に行けばいいなどと言い出した。今度は大志満と里見だけでなく、八重谷まで一緒になって我儘を言い、俺に車を出させたのだった。
帰りの車中は全員寝ていたので、俺はたいへん虚しくなったのだ。
馬鹿馬鹿しい。くだらない。何やってんだ。そんな言葉が頭に浮かぶのに、それら全ての言葉に、実際に口に出す程の現実味が無い。
……本当は、そんな風には思っていなかったから。
「八重谷。」
もうすぐサークル棟に着くというところで、俺は八重谷に声をかけた。
「何かしら?」
「いや……。」
俺は、何を言おうとしたんだろうか。
研究会の思い出を語りたかったのではない。そんな事ではなく……分からない。疲れて口を開きたくなかったはずなのに、思わず声が出ていた。思わず出た言葉が彼女の名前だったのは、なぜだろう?
「くたびれたから、荷物を交換しようという提案?」
「……いいよ、それは。そうじゃなくて……。」
二言目を後悔した。続ける言葉が分かっていないのに、何か続けようとしてしまった。
黙っていると、八重谷は片手をこちらに差し出してきた。両手に持った荷物を片方よこせ、と言っている仕草だ。
「軟弱。」
「うるせえよ。」
俺が片手で持っていた荷物を両手で胸に抱えて運びながら、八重谷は悪態をついてくる。俺はいつもと変わりないように返す。
多分、これでいいのだと思った。俺が自分から何か言おうとしたって、うまくいかない。八重谷にろくでもない事を言われて、それに何か言葉を返して、そうやって振り回されるくらいが俺には似合っているのだ。