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八重谷茉莉花はちょっとおかしい。  作者: 犬川くろのすら
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八重谷茉莉花はちょっとおかしい。13

 翌週。


「ただいまー。」


 俺はアパートを引き払い、実家に帰った。


 大学のある県と隣同士とはいえ、長期休暇でもなければ帰らない我が家は、いつだって懐かしさに満ちている。

 今後はしばらく実家から出勤する日が続くが、ある程度落ち着いたら、もっと職場に近いところに下宿するつもりでいる。一人暮らしに慣れきった体質を失わない内に実家暮らしから離れないと、せっかく培ったソロライフ技能が鈍ってしまうからだ。


「あれ、鍵かかってる。」


 家族は出掛けているのだろうか。祖母と両親と妹がいるのだが、皆で外出中。

 そういえば、今日は日曜日だったかもしれない。曜日感覚をすっかり失っていた。

 そもそも、今日帰る事を連絡していなかったと思い出した。スマホの電源をずっと入れていなかったのも、ついでに思い出した。流石に充電は切れているだろうから、早く部屋で充電しよう。家族からの連絡は当然来ているだろうが、それより就職先から連絡が来ていたらどうする。やばい。落ちまくったテンションに任せて、全くその辺の事を考えていなかった。


 とにかく、幸い実家の鍵は持っている。今頃急に焦り出し、慌てた手でなんとか鍵を開けて、部屋へダッシュした。

 真っ先にスマホの充電器を取り出して、床に座り込んでコンセントに挿し、充電して、電源を入れる。着信履歴をスクロールしていくが、どうやら家族と大志満と月山からの着信しか無いようだ。大きな安堵と、少しの失望を感じた。

 八重谷の名前は、そこには無かった。


 期待していたわけではない。というのが、本心かどうか分からない。

 スマホの電源を切っていた頃のひねまくった自分は既にどこかへ去り、元の自分が戻ってきていた。今なら大志満や月山に連絡できるし、なんなら八重谷にさえ電話をかける自信も湧いてきそうだ。


 いいじゃないか、八重谷がどんな遠くにいたって。たまに電話をするくらいでも、それが限度ならそれが最良だ。

 目の前にいないならいなくてもいい、なんて欲張りを言った自分を恥じた。そういう格好つけた言いようを自分で真に受けると、大抵後悔するのだ。電話越しにしか会えなくてもいい。向こうが嫌だと言っても、俺がそうしたいからと説得しよう。今まで振り回されてきたのだ、そのくらいの我儘を聞いてもらわないと割に合わないではないか。


 久しぶりに晴れやかな気持ちで、久しぶりの我が家を見て回るか、と居間に向かった。


「あら、お帰りなさい。」


 背筋をぴんと伸ばし、茶道の先生を連想するような正座をした着物姿の女性が、ちゃぶ台に向かってお茶を飲んでいた。


 体が勝手に床へと落ちた。人は、本当に驚くと腰が抜けるのだと初めて実感した。

 一瞬お化けかと思ったそいつは、紛れもなく八重谷茉莉花だった。

 崩れ落ちた俺を見て、それから視線を正面に戻して、お茶を一口。ようやく再び口を開いた。


「驚くかと思って。」


 馬鹿じゃねえのか。


 そう言いたいのは山々だったが、口が痺れたように動かない。足腰も立たない。自分がどうなっているのか、何がどうなっているのか、分からない。


「陽光くん。あなたの考えてる事くらい、分かるのよ。」


 分かるもんか。俺にだって分からないのに。


「あなた、また自分の推理が正解だと決めつけて、分かってないのに分かったつもりになっていたんでしょう。悪い癖だわ。」


「……前から思ってたけど、お前、婆ちゃんみたいなんだよな。」


 ようやく動いた口が発したのは、八重谷と祖母の口調が似ていることを指摘するという、この場にそぐわない内容だった。

 状況には全く合っていないのに、俺はそれが正解であるように思った。八重谷の言葉に、俺が思ったように返す。いつものやり取りがそこにあった。


「光栄だわ。あなたのお祖母様、素敵な方ね。お着物も貸してくださるし。」


「婆ちゃんの着物めちゃくちゃ似合うじゃん。」


「そう?嬉しいわ。」


 抜けた腰がなかなか戻らないので、どうにか手と足を摺るように移動し、八重谷の正面に座った。俺の分のお茶も淹れてくれたので、遠慮なく頂く。

 何から訊ねていいか分からずにお茶を啜っていると、八重谷が話し始めた。


「さっきのは、どう?当たっていたでしょう。」


「いや、でも月山と二人で解いたんだぞ。二人とも納得する程度の辻褄は合ってたんだが……。」


「教えてみなさい。」


 俺は説明した。

 全員の名前が桜に関係している事。

 だから、桜の花言葉を調べた事。

 そして、八重谷の別れの挨拶が英語だった事をヒントに、海外の花言葉を調べたら『私を忘れないで』という別れの言葉だった事。

 サークル棟のノートに書かれていたメッセージの事も話した。


「……頑張ったのね。それは褒めてあげる。偉いわ。」


「どうも。」


「けれど、また自分の推理をこじつけた。月山くんは裏切ってなんかいないのに、月桂樹の『裏切り』に固執したように。」


「またやったのか、俺は。」


 過去の事例を挙げられると、殊更に恥を上塗りしている気になるのでやめてほしい。わざとかもしれないが。

 無論、同じ失敗を繰り返した俺に否があるのは間違いないので、甘んじて受け入れはする。


 素直に話を聞くつもりでいる俺に満足した風に、八重谷は小さく頷いて続けた。


「全員が桜に関連しているというのは、まあ事実ではあるわね。本筋ではないけれど、そこに辿り着いたなら『優れた教育』『精神の美』『優美な女性』から私の事だと思って、私の名前に注目してくれたら、少しは正解に近付いたかしら。」


「それで月山のスマホ殴りそうになったんだけど。」


「半分冗談よ。そもそも、桜だと決めつけて固執したから、あなたは間違ったんだもの。そこから修正しようとしたら、一度桜という先入観を捨てるか、さっきの理屈で私の名前に辿り着くしかない。」


 完璧なひらめきだと思ったはずの桜が、まさか間違いだったとは。八重谷も、混乱させるためのミスリードのつもりでいたわけではないようだが。

 俺は相手が仕掛けてもいない罠に嵌って迷走し、八重谷は仕掛けてもいない罠に相手が嵌って困惑した。そういう事だ。


「それから、一応言っておくけど、ノートのメッセージは後輩に向けたのよ。後輩へのプレゼントと一緒にあったでしょう?」


 確かに。普通に見れば、「桜の木の下には死体が埋まってると言うけど、無いから大丈夫だよ」という前向きなただの詩だ。余計な一言を付け加えて物騒にしてしまった事は、黙っておこう。


「で、俺は何をミスったんだ?」


「”byebye”は英語よ。もし私が”au revoir”と言っていたならフランス語の花言葉が正解だけれど、英語を言ったのだから英語で考えなければいけないわ。勝手に『英語だから海外』なんて解釈を広げては駄目。それでは推理の範囲が広がる一方だもの。現実の推理ならどこまで広げなければいけないか分からないのは、そうかもね。けれど、これは私の作ったゲームなのだから、忠実に沿わないと間違った道を進む事になる。」


 そう言われれば、そうだ。英語というヒントから、海外まで話を広げてしまったのが不味かった。せめてアメリカやイギリスくらいに留めておいて、うまく合わなければ別のアプローチを考えるべきだったか。

 ダメ出しには納得したが、ならば答えは何だ。何を英語にすればいい?


「私からあなたへのメッセージだと言ったのだから、まずは全員じゃなく、私とあなただけで考えたら?」


「八重谷茉莉花と、金城陽光。」


「はい、ヒントはおしまい。あとは自分の部屋で考えなさい。」


 まだ推理をさせるつもりのようだ。いい加減立てるようになった俺は、スゴスゴと自分の部屋へ引っ込む事にした。

 いや、その前に解決すべき問題がある。何故、八重谷が俺の家にいるのかだ。むしろそれが現状最大の疑問であるはずだ。


「そもそも、うちの家族はお前をどう扱ってんだよ。座敷わらしか?」


「ちゃんと説明して同意を得てるわ。普通の居候よ。」


「何をどう説明したらお前がうちに居候するんだ……。」


「解けば分かるわよ。分からなかったら、解いた後に冷静になってもう一度その名前を見直して、解釈すること。以上。」

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