八重谷茉莉花はちょっとおかしい。11
誰かが訊ねた。
どうして桜はあんなにきれいなんだろう?
誰かが答えた。
それはね、桜の木の下にはきれいじゃないものが埋まっているから。
誰かが訊ねた。
それは何?
誰かが答えた。
それはね、金城くん。
あなたよ。
それと、私。
………………
初対面で、八重谷は既にろくでもない事を言う奴だった。
結局あの言葉には何の意味も無く、ただ雰囲気で言った八重谷流の冗談だというのは、あとで知った事だ。だから、八重谷の言葉に続けた俺の言葉は、本当に馬鹿げていたのだ。意味の無い冗談に、意味の無い本気を返した。
「八重谷さんはきれいだよ。」
今思い出しても、気が狂いそうになる。初対面で八重谷の本性を知らない時とは言え、よくもまあ言ったものだ。
その気が狂うような感じを推進力に変えるようにして、俺は大学までの道程を走りきった。桜の木は、サークル棟の近くだ。
昨日の夜に歩いたばかりの道が、不思議と目新しく見えた。
気分の問題だろうか。昼夜の他に、何か違うだろうか。何が違うだろうか。
「あー、金城先輩!」
桜の木の下には先客がいた。大志満と、里見だ。
大志満は満面の笑みで手を振っている。しかし、その上の方に俺の視線は止まった。
例年なら月末頃にならないと咲かない桜が、思いもよらない満開の姿を見せていたのだ。
「香澄ちゃんの部屋から、咲いてるの見えたんスよ!きれいでしょ!?自分が咲かせました!なんつって!」
「……大志満、里見。八重谷を見なかったか?」
大志満の普通の冗談を聞き流しながら、俺は訊ねた。里見が訝しげに俺を睨む。
「見てない。何、喧嘩でもしたの?」
「いや……ここじゃないのか?」
「待ち合わせっスか?デートっスか!?」
「うるさいよ、大志満。真面目な話をしてるんだ。」
無駄に大騒ぎする大志満にも、叱られてしょんぼりしている大志満にも、構っている場合ではない。
あの別れみたいなメッセージを寄越されて、しかし、思いついた場所に八重谷はいない。桜に関係する場所で、ここ以外に思い出の場所なんて、あっただろうか?
「もう電話したら。」
「……ああ、そうだな。ドラマみたいにはいかねえな、まったく。」
「そのセリフ、ドラマっぽいっス。」
「ありがとよ。」
八重谷の番号をコールする。まさかな、と思いながら待つと、聞こえてきたのは予想した期待外れの音声だった。おかけになった電話は電波が届かないところにあるか電源が以下略。
「……お前ら、推理ゲームやるか?」
「今の状況が、どういう状況かって?知らねーよ。陽光くん、自分で考えなよ。」
「ドンマイっス。」
「冷たいな、お前ら。いやドンマイは何?」
この二人は役に立たない。
ドラマなら、俺が辿り着くまではスマホの電源を切ってたりするんだろうか?とにかく、今は手当り次第に回るしかない。
そう決めて、まずはサークル棟に向かった俺に、もう答えらしきものが残されていた。手当り次第と覚悟を決めた時に限って、得てしてこうなりがちだ。
昨日、八重谷がいたデスク。
後輩へのプレゼントだと言っていた、あの雑貨の上に、一冊のノートが置かれていた。八重谷のネタ帳だ。俺も昨日置いていったが、デスクのノートに紛れさせてしまった。八重谷はこんなところに置いていたのか。
八重谷を真似て、パラパラとめくる。時折手を止めて眺めると、知らない問題も載っていた。これなら、このノートは俺が欲しいくらいだ。
そして、俺を騙した昨日の問題が最後の数ページに載っている。これの続きをやっているんだったな、と思い出した。ヒントでも無いかと読み、最後のページをめくる。
可憐ささえ感じる文字で書かれた、こんな言葉が目に入ってきた。
『桜の木の下には、本当は、誰も埋まっていない。』
……誰も埋まっていない。
八重谷は昔、こう言った。
桜の木の下には、金城くんと私が埋まっている。
あの時、あの言葉には、確かに意味が無かった。
しかし、ノートに書かれたメッセージは、あの言葉があって初めて意味を持つ。二人が一緒に埋まっているはずの木の下に、誰もいない。二人は一緒にいない。……そうか。
窓から桜の木は見えないが、きっと、まだ大志満と里見がいるのだろう。
大志満は桜が散るまではしゃぎ続けるかもしれない。里見は、そんな大志満が埋まるまで見守り続けて、最後は一緒に埋まる。それが幸せならそうしたっていいし、別にしなくたっていい。
俺は鉛筆を手に取り、八重谷のノートのメッセージの下に、一言付け加えた。
『桜の木の下には、本当は、誰も埋まっていない。』
『だから、これから誰か埋まってもいい。』
鉛筆を置く。
多分二度と訪れないであろう部屋を、俺は一瞥もくれずに後にした。




