同じ穴の天才
「本能寺から来た男」の外伝です。
秘密兵器「コバンザメ」の恐るべき実態とは。そしてその開発者もなかなかです、という話です。
昭和一七年(一九四二年)秋、瀬戸内海に浮かぶ小さな島に設けられた特設ドックには、幕府の技術士官や海軍工廠の関係者が数人集まっていた。
ドック自体はそれほど大きくはない。
せいぜい駆逐艦クラスの船を作れる程度のものだ。
広島県の尾道の沖合、対岸四国の愛媛県との間の瀬戸内海は、世界的にも屈指の多島海である。海の迷路と言われるほど、海が島の間で迷路のようになっていて、地元の水先案内人に案内してもらわなければ、正しく目的地に辿り着くのはまず不可能な海だった。
古くはその海の特徴を活かし、村上水軍などという、水先案内料を取る海賊の根城ともなった海域である。
そして彼らがいるドックのある島は、まさにそんな水先案内のベテランでも、あまり知られていない、極細の水路沿いに設けられていた。
こんな場所にドックを作ったのは、秘密の保持ということももちろんあるが、作っているものが、危険極まりないものだったからである。
それは大型魚雷を作るためだけの施設だったのである。
この場所なら、もし万一、何かの事故で大爆発を起こしても、陸上にも海上にも隣接地域を被害に巻き込まなくて済む、という判断から、この場所が選ばれたのだ。
狭い水道に面した場所なので、海上を航行する船もおらず、また、ドックのまわりを囲む島々の険しい岩山のおかげで、万一の際、爆風が住民の居住地にまで届く心配も無かった。
「やれやれ、地の果てならぬ、とんでもない海の果てに連れてこられた、と思ったら、こういうことだったのか。ホントに作っちゃったんだ。殿下発案の超大型魚雷……」
「すごいでしょ、この大きさ。もう小型の潜水艦並みですからね」
「って、おい、スクリューはどうなった? 形も魚雷らしくないよな」
「そりゃ、こんだけの大きさのあるものを今までの魚雷と同じ構造で同じ速度を出せ、って言う方が無理ですからね。スクリューなんか使いません」
「ってことは、ポンプジェットか。おそろしく燃費が悪そうだな」
「そりゃ、これはあくまでも魚雷ですからね。遠洋航海する船じゃありません。だから船の常識はあちこちで破ってます。そのかわり最高速度五十ノット以上は保証します」
「こんなデカイものを水中速度で五十って、どんなエンジンなんだ」
「もちろん轟ですよ。但し、魚雷専用仕様のカスタムチューニング版ですけど。クァッドカムで、シリンダー当たり四バルブ、最高回転は二万回転、自然吸気ながら、圧縮比は十、四。最高馬力は毎分一万五千回転時の約五千馬力、轟シリーズ中最強スペックでしょうね」
「お前、あの諏訪の、頭のネジがブッ飛んだ連中とつるんだな。また、あいつら、とんでもない改造エンジン作りやがって。今まであいつらがどんだけ資材を無駄にしてきたか分かってるのか」
「まあまあ、何しろ求められる耐用限界はせいぜい一時間ですからね。二時間目に壊れても全然問題ないです。まさに魚雷専用エンジンにふさわしいでしょ。それに搭載する純粋酸素とニトログリセリンと燃料タンクの制限で、実際にエンジンが回っていられるのは、一時間も無いんですよ。 ま、三十分も回っていられたら御の字かな。まあ、それでも距離にしたら、七十キロ近く行っちゃうわけですが、計算上は」
「ニトログリセリン、純粋酸素……。もうそっからチートじゃねぇか。なるほど耐久性度外視でないと絶対無理なスペックだな。シリンダーヘッドが吹っ飛びかねないまわり方をするってことか」
「いや、これまだ実験用の模型ですから。まだ、何にも本物の部品は入ってませんからね。あくまで、今の構想上の話です」
「お前、そうは言っても、十分実現出来そうだっていう目途が立ったから、こんな実物大の模型つくったんだろ。しかももうこんな場所までこさえさせて。やる気満々じゃねぇか。そのバケモノ魚雷、いったい何本作るつもりなんだ?」
「それが悲しいことに予算が認められたのはたったの二十五本だけなんです。百本単位で作りたかったんだすけど。そんなにたくさんいらん、って殿下に言われたもんで」
「そうか、殿下にも良識が残っているところもまだあるんだな。こんなもんだらけの海にしたら、もう海を船で渡るなんて怖くてできなくなるからな」
「そんなわけでこんなひなびた場所になったんです。でも、いざホントに作れとなった時に、これから作る場所探しします、なんて言ったら、また殿下に無能扱いされますからね。ゼッタイ。でもいい場所でしょ?」
「まあ、安全性と秘密保持面では合格だが、材料の搬入なんかは大丈夫なのか? 全部船で運ぶにしても、この水路はきつくないか」
「この水路、細いけど、向こう側までちゃんと抜けられますからね。運河みたいなもんです。方向変換する必要がないから、こう、この埠頭を駅のプラットホームみたいに使えます。それに、今はまだですが、来週にはこの埠頭にクレーンを設置します。重量物の搬入も問題ありません」
「しかし洋上の離島の方が、万一を考えると良かったんじゃないか? 航路から外れているし、民家との間は山で仕切られているとはいえ、ここ、人里はけっこう近いよな」
「まあ、そうなんですが、しかし、これ、一基でも資材はすごく使うんですよ。最初の構想では、爆薬の量が百トン。この模型の設計段階で、どうしてもポンプジェットの都合でそれを削らなきゃいけなくなって、七十五トンになりまして。それでも一度にこんだけの爆薬を仕込むものなんて、ほかにありませんから。だからもし離島になんか作ったら、その材料の輸送の警備で、毎回聯合艦隊並みの大船団が必要になって、秘密も何もあったもんじゃなさそうなんで。ここなら神戸と今治の間にあって、もともと大量の物資輸送が行われている動脈みたいな場所ですから。少しずつ何回にも分けて運べるんで」
「なんか、今聞こえた爆薬量の数字、単位が間違っていないか? お前、今トンって、言ったよな。キロの間違いじゃないのか?」
「やだなぁ、斉藤さん。陸上兵器じゃないんですから。海軍の兵器はこれぐらい十分普通ですって」
「嘘だ。俺の知ってる魚雷だって、爆薬量は多くても四百キロぐらいだったはずだぞ。七十五トンなんて、お前、大型戦艦が出撃する時に満載してる全砲弾分よりもさらに多いじゃねぇか。いったい何と戦わせるつもりなんだよ。だいたい真っ当で素直な帝国臣民の発想なら、ここは世界最大の戦艦とか、世界最大の空母とか言うところだぞ。なんで世界最大の魚雷とか作っちゃうわけ? 頭おかしいんじゃねぇのか」
「それは単に今までの常識の話です。殿下は常識が嫌いですからね。大きい船なんかいらん、って言い切っちゃった方ですよ。ところが魚雷に関してだけは、その殿下がわざわざ『超大型』って言ったんですよ。それは並みの大型じゃ無いって意味ですからね。その部分を理系的に汲み取ったら、解答となる量が、キロなんていう単位で表せる量になるわけないじゃないですか」
「お前なぁ、いくら爆薬の量を増やしたって、魚雷ってのは命中しなかったら全くの役立たずなんだぞ。畑のこやしにもならん。しょせん、あれだ、『僕の考えた最強兵器』ってヤツだ。いや、むしろあれだ、海に捨てるゴミを作るんじゃない、って方だな」
「チッチッチ、それこそ、発想が古いんですよ、斉藤さん。この魚雷は、標的に命中しなくても、標的の近くに来たら爆発するんです」
「何、どうやって? 機雷の磁気感応装置でも積んだのか?」
「まさか。完璧主義の僕があんな不完全そうなもんに手を出すはずないじゃないですか。あれは金属製の船が僅かな地磁気の乱れを引き起こすのを観測して、それを感知したら起爆ってやつでしょ。こんな高速で移動する物体には反応が鈍すぎて使えませんって。やってもほとんど目標に接触直前ぐらいの距離にならないとダメでしょ。しかもその距離になってから感知したよ、って信号出すのにさらにまた時間がかかるって、どんだけ無能なんだよ、って感じで。反応が鈍い上に仕事もできないって最悪だと思いませんか? 僕が作る兵器がそんな虫けら並みの無能だなんて、絶対認められないんです。そこへ行くと、こいつは、標的が自分の半径十メートル以内に入ったら即座に、逡巡なく、遅滞なく、確実に、断固として、毅然として起爆するんです。逆に言えば、そんな距離を残していても確実に相手に損害を与えられるという意味で、この魚雷には、この大きさと爆薬の量が必要になったんですよ」
「ってことは、測敵してるのか? どうやって?」
「そりゃ、もちろんソナーです」
「ソナーって、あれは音を聞く装置だろ、どれが敵船の音かなんてわからないだろ。まさか一回発射する度に、その相手の船の音を前もって登録でもするのか? ものすごく発射に手間と時間がかかりそうだな」
「いや、敵船の音を聞いているわけじゃありません。コイツのは、自分のポンプジェットの出すビート音、より正確に言えば、その原音と反射音の両方を聞いてるんです。原音と反射音は位相がズレますからそれで聞き分けられます。で、自分の出す音と反射音の差を距離と規定するっていう仕組みです。ホントは、これで魚雷の進行方向も制御できれば良かったんですけど、そっちはまだ将来の課題ですね。今の技術レベルではちょっとムリみたいです。こいつが今やってることは、反射音が聞こえないうちは起爆装置オフ、反射音が聞こえたら起爆スイッチ準備、反射音と原音の時間差が一定時間よりも短くなったら起爆って感じですね。水は空気よりも音を減衰させないで遠くまで伝える性質があるし、速度も空気中よりもずっと速くなりますからね。システムとしては結構信頼性は高いんですよ。ねっ、優秀でしょ」
「ふ~ん、面白いもんだな。だがそれでいくと発射直後にシャチに反射した音で起爆するんじゃないか?」
「さすが斉藤さん。その通りです。だからこの測敵装置は、エンジンが始動してから四十秒後に作動開始するようになっています。四十秒もあれば、距離にして一キロ以上離れますからね」
「ふ~ん、十メートルも船体から離れたところで爆発か。しかし爆弾の破片、水の強い抵抗で邪魔されるから船体を傷つけられないだろ。いくら爆発の威力が大きくても。水は高速の物体に対しては固い壁みたいな反応をするからな」
「実験でもそうでした。だから普通の爆弾みたいな分厚い弾体で爆薬を囲んだりしていません。そんな破片は船体に届かないので」
「そんなんで敵船を沈められるのか?」
「船体に加えられるダメージのメカニズムが今までの魚雷とは全然違うんです。これは水中の一点に強力な圧力の特異点を作り出します。その点を中心にして、圧力波が同心円状に広がります。とはいえ、水はほとんど圧縮されないので、そのエネルギーのほとんどは、温度上昇に向かって、一種の水蒸気爆発のような現象を引き起こして、さらに爆発圧力を高めるようなんですけど。とにかく、敵船はそういう圧力を船体のどこか一方方向から受けるハメになります。そうするとどうなると思います?」
「片側から強くビンタされるような感じか」
「ま、そうです。圧力をモロに受ける方は、こう凹むんですが、その圧力は中心近くは大きいけど、水の特性の関係で、距離が離れると急激に弱まるんですよ」
「不均衡な圧力分布、ってことは船体が曲がるのか?」
「そうなります。船首と艦尾が中心点に向かって折れるって感じですね。で、中心と反対側の舷側が裂けてしまう。いくら軍艦の装甲が分厚い鉄板でも、溶接やリベット止めしてつないだものは引っ張りには弱いですからね。かくて水が船内に流れ込んでジエンド」
「いろいろすごいな。この魚雷。それから、お前も。しかしなんか、幕府の技術スタッフの人選については、何か大きな間違いをやらかしちまったんじゃないかって気がしてきた」
「いやあ、殿下、提案書をご覧になった時は心底ほんとに喜んでくれましたよ」
「もういい、わかった。殿下に反対するつもりはない。で、工場としてはあっちの建屋か?」
「いや、建屋の方は、ほとんど物資の倉庫です。実際の組み立てはドックで行います。まあ、ドックと言ってもあっちの屋根で覆われた方で、外からはドックには見えませんけど」
「ドック? そうか。もう爆弾作るんじゃなくて、潜水艦を作る感覚になるのか」
「この大きさですからね。陸上を移動させるだけでもとんでもないので、もう最初からドック内で作らないと……。それにここで完成させたら、そのままシャチの腹にくくりつけられるでしょ、ドックの中で。むしろそうじゃないと何か特別な出荷用の船を作らないといけなくなるから、困るんですけど」
「じゃあ、遠洋に出す場合もあのシャチでそのまま日本から出撃ってなるのか。それはちょっとムリなんじゃないのか」
「舷側の低い、その辺のゴミを満載してるようなバルク用の輸送船にでも、シャチにだっこしてもらった形で出すしかありませんかね。いや、待てよ。それじゃ、コバンザメが外から丸見えだ。それこそ殿下の怒りを買うなぁ。チラリ、チラリ。いやあ、困ったなぁ。どうしようかなぁ。チラッ、チラッ」
「何だ、その擬音は。それになんで、そこでイチイチ俺の顔を見る?」
「ウェルドックのあるワニの母船作ったじゃないですか~。やだな。全部言わなくても分かるでしょ、コバンザメ開発予算って、元々ゴミみたいに小さかったのに、ワニが、なんか当初見込みよりもずっと難しかったとかで、そのとばっちりですんごく削られたんですけどぉ。ここは迷惑をかけて済まなかったって、言うべき場面じゃないかと思ったりしたんですよねぇ。チラリチラリ」
「ええぃ、うっとうしいやつ。で、俺にどうしろって言うんだよ。もう予算が出てくるような袖は無いぞ」
「いえいえ、そんな大それたことをお願いするわけじゃありんせん。あの、ワニの母船、確か結構な数、作ってましたよね。確か僕の記憶では二十ぐらいあったんじゃないのですか」
「十八だ。殿下が、大西洋に持って行く必要があるかもしれないから準備しておけ、と言うから。ワニ本体だけじゃ、いくら遠洋航行能力はあると言っても、洋上で二週間以上過ごせるだけの設備は無いからな。やむを得ずだ」
「そのうち、二隻を、このシャチプラスコバンザメの母船用にください」
「あんなデカイもん、あれに入るわけないだろ」
「もちろん、あいつ専用に改造するんですよ。ワニなら、ウェルドックに五隻入るんでしたよね? これをシャチ二隻のスペースにして、こう船腹のこの部分を切り取ってしまえば、コバンザメも、ほらね、ちゃんと隠れますって。元が双胴船だから、問題ないでしょ。シャチは乗員数が全然少ないので、船内スペースはこんなに必要ないから、切り取った部分の船体補強のための空間もちゃんと確保できるし。それに、その十八って言う数字、元から二隻、予備ってなっていたハズですよね。僕、知ってるんだ。企画書見ちゃいました」
「ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ。あれは、保険として絶対いるの。殿下が二方面とか言ってて、二方面で済んだことなんか一度も無かったんだからな。必ず増えることになる、これが幕府の常識。シャチの母船のことは別な船として新たに考えることにしよう」
「あ~、そんなこと言ってたら、来期予算になっちゃうじゃないですか。ダメですよ、シャチとコバンザメ完成に間に合わないなんて。そんなの」
「だって、お前な、ワニと違って、シャチとコバンザメの方は、全然納期を約束させられていないだろ。納期に縛りがあるワニが優先されるのは当然。コバンザメは、今のところ、殿下が、作ってみろ、と言ったというんで始まった話だからな。一緒にされたら困る」
「なんか、それ、陸軍の言うこと、やることに口を出すな、って言われた昔を思い出すんですけど。今は陸海軍の区別も無くなったんですからね。だから予算をワニの開発で削られたことも忘れようとしていたのに~、あんまりですよ。こういう時こそ、助け合いが重要なんですって」
「こういうのはな、巡り合わせだけの問題だから諦めろ。まあ、いいじゃないか。急げっ、って言われたわけじゃないんだし。言われたら、そこで今の話をして、殿下の了解を取ればいいだけの話だ」
「何、ノンビリした話にしようとしてるんですか。我々が殿下に潜水艦の技術開発が難しいって、言って、スケジュールの見通しが全然立たないって説明した時、殿下がどんだけ怒り狂ったのか忘れたんですか。あの人、たとえそれが自分の語ったスケジュール通りであったとしても、普通に、ごく当たり前に、監督が赤ペンでシナリオに書き込んだト書きに従ったかのように、憲法で保証された当然の権利を行使するかのように不機嫌になって、目が赤く光って殺気が三割増しになるんですよ。そんなの最初から分かってる話じゃないですか。あの、もう、ちょっと、斉藤さん、ってば。逃げないでくださいよ、なんとかお願いしますよ」
「悪い、俺もちょっと別件があるから、今日は帰るわ。じゃあな」
足早に立ち去る技官の一人を、もう一人は肩をすくめて、その背中を見送った。
そしてすっかりその背中も見えなくなった頃、おもむろに自分のあごを手で撫でさすり、それから何やら思いついたかのように、両手を打った。
それから二週間後、メキシコシティの大統領官邸の執務室の前、待合ラウンジでは、大統領にアポイントを取った来客が秘書官に案内されて、時間待ちをしていた。
時計を見ると、約束の時間まで十五分ほどあった。
やれやれ、ちょっと早く来すぎたか、と、ふと傍らを見ると珍しくマガジンラックがソファー横に置いてある。
手持ち無沙汰でいた来客は、時間潰しのつもりで、ラックの中をのぞき込んだ。
どういうわけか、船の本ばかりだった。スペイン語のものだけでなく、英語やフランス語の雑誌もあるが、どれもこれもヨット、プレジャーボート、カヌー、豪華客船など、船に関係する雑誌ばかりだった。その中には軍艦を紹介したものまで入っている。
来客はヨットの雑誌を取り、グラビア写真を眺めていった。
秘書官が来客にコーヒーを持ってきたところで、秘書官に話し掛けた。
「なんか雑誌がたくさんあったんで、勝手に見せてもらっているよ」
「ああどうぞご自由に」
「前はこんなもの無かったけど、どうしたんだい。見れば、どれもこれも船の雑誌ばかりのようだが、カマチョ大統領は急にマリンスポーツに関心でも持ったのかい?」
「さあ、もしかしたらそうなのかもしれません。事情はよくわかりませんが、最近よく大統領とお会いになる、さるビジネスマンの方が、お暇な時にでもお読みくださいと言われて、毎回毎回置いて行かれていくものが溜まってしまった、ということでして」
「ほう、ビジネスマンが……」
来客は、大統領との雑談ネタに困っていた。
大統領とは割と頻繁に顔を会わす関係なので、ネタの在庫が無くなっていたのである。
そして大統領が、海に関心を持っている、というのは全く初耳だった。
こうして、同じような誤解をした来客がカマチョと会う度に、海と船の話をするようになるにはそう長い時間は掛からなかった。
それから一ヶ月後、幕府の井上事務局長から、事務方に、シャチおよびコバンザメの四隻セットをメキシコに大至急、提供することになった、との通達が示された。
「いまさら念押しをする必要はないと思うが、メキシコは太平洋とメキシコ湾両方に面しているからな、それぞれの海用に二隻ずつ必要だ。それで四隻だ。なお、アメリカの管理下にあるパナマ運河を秘匿艦船に通行させるわけにはいかない。従って日本からの輸送は太平洋横断ルートで送るのは太平洋側の分だけだ。カリブ海へ配備する分は、そうだな、ちょうどイギリス向けに売却する戦車や戦闘機を船団で送ることになっているから、それと途中まで同行という形にすれば警備と守秘両方の面で適切だろう。そういう形で進めて欲しい」
「もうしわけありませんが、シャチとコバンザメのセットはそんな長い距離の航行は不可能です。そしてコバンザメのあのケタ違いの大きさは、普通の輸送船にとっては危険すぎます」
「しまった。言われてみればそれもそうだな。長距離輸送のことなんか全く考えていなかった。何かいい手はないか」
「あの、ワニの母艦を作りましたよね。あれをシャチ用に改造すれば、なんとかなるんじゃないかと思いますが……」
「あのウェルドックつけたやつか。だが、コバンザメの大きさでは入るまい」
「いえ、あの母艦はワニなら五隻入りますけど、それをシャチ二隻用にすれば収納可能です。ちょっと改造は必要ですけど」
「なるほど、そうか分かった。では、メキシコ援助用にシャチ輸送用にワニの輸送母艦二隻を転用する、という命令を出しておこう。それで問題ないな」
「は、ありがとうございます」
数日後、幕府の会議室での会話(但し私語)。
「おかしい、ゼッタイに腑に落ちない。なにかが仕組まれてた臭いがする。なあ、そう思わないか、お前?」
「さ、斉藤さん、いったいどうしたんですか。顔が近いですよ」
「とぼけるんじゃねぇよ。ゼッタイ、お前なんか言ったか、やっただろ」
「何の話ですか、僕は知りませんよ」
「母船を二隻、取り上げられた。シャチプロジェクトに……。メキシコにやるんだそうだ。なんか辻褄が合いすぎるんだよな、誰かさんがいつぞや話してくれたもんと」
「いやあ、僕、以前から殿下からの電波が分かるっていうか、そうなるんじゃないかって気がしてたんですよ。いやあ、まいったな。僕は何にもしてませんって。だいたいコバンザメ開発にかかりきりで、そんなことやってるヒマ無かったし」
「いや、ゼッタイ、お前だ。さあ、白状しろ、いったい何をやった。言えよ?」
「ホントに何もしてませんって。斉藤さんは全く疑い深いんだから……」
その頃、五井物産東京本社副社長室での会話。
「メキシコシティ店から、一件問い合わせが来ていますけど……」
「何だ?」
「大統領府を訪問する時、必ず船の雑誌を買って持って行って、それを執務室に置かしてもらうように頼むこと、って指示について、良ければ理由をお聞かせ願いたい、とありますが」
「ああ、あれか。あれは船舶部からの依頼だ。わしもあんまり詳しい話は知らないんだが、プレジャーボートやらヨットやら、メキシコ湾沿いってのは、そういう金持ちの遊び用の船の需要がすごく多いらしいな。それでアメリカの方じゃ、そこそこの商売ができてるんだが、さらにそれを拡大したい、とこういうわけだ。同じメキシコ湾に面したメキシコにもそういう金持ちがゼッタイいるはずだからメキシコなんだそうだ。で、有望な顧客をつかむには大統領の近所を狙え、っていうことになってな。幕府からの突然の呼び出しでわしが出向いて以来、メキシコ大統領官邸にはうちはほとんどフリーパスで入れる状態になったらしいからな。君、これは五菱や住倉には絶対できないビジネスだよ」
「それにしても、うちの船舶部によくそんな商売っ気のあるヤツがいましたね。役人の予算ばっかり追っかけている連中ばかりだと思った」
「ま、その点については、君の言う通りだな。どうもこの提案、その役人の方が、うちの船舶部に持ち込んできたらしい。なんでも幕府に籍を置いているらしいが、日本でレジャー船の製造販売をしている、ウチも一部出資している会社の技術担当の非常勤取締役もやってるとかの関係で、ウチの船舶部ともいろいろとつながりがあるんだそうだ。やっこさん、こういう商売でもコンサルタント料なのか特許料なのか知らんが、そういうのを取れる立場にいるらしい。まっ、そうと分かっても、幕府と聞かされたらこっちも無視するわけにはいかんからな。それにしても、最近は役人にも変わったのが増えたな。うちの社員よりも商人らしいというか、商売っ気が上だ。これもあの殿下の影響じゃないのかな」
「我々もうかうかしていられませんね」
「全くだ」
再び、幕府の会議室の一室での私的な会話。
「斉藤さん、斉藤さん、今夜ヒマでですか?」
「なんだよ、薄気味悪い笑顔なんか浮かべて。もう何にも出せんぞ」
「いや、そういうことじゃなくてですね。日頃からいろいろとお世話になっている斉藤さんにちょっと恩返ししてもいいかなぁっと」
「うん、何、急に殊勝なこと言い出すんだ、お前は、熱でもあるんじゃないのか」
「いや、斉藤さんのおかげで、ちょっとまとまった臨時収入が入ったんで、そのお裾分けでもしようかなって」
「おい、お前、俺をダシにしていったい何をやっている?」
「別に何にもしちゃいませんって。ただ、斉藤さんの話でちょっとヒントをもらって投資したら、うまくいったというだけですよ。単に瓢箪から駒、偶然が偶然を呼んだだけの話ですから……。とにかく、驕りますから、今夜飲みにいきましょ。新橋辺りに」
「新橋? おい、俺をその程度と値踏みするんじゃねぇ。驕るなら銀座にしろ」
「え~、折角斉藤さん好みの若い子がいる店見つけたのに。一目で絶対気に入るから、斉藤さん、えへへへ」
「なんか、今日のお前、ものすごく気持ち悪い」
「そんなことありませんって……。ところで例の母船の改造の件、ちょっと手伝って頂けると大変ありがたいんですが……。確か、ワニの三方面派遣も無くなったし、工数が浮くはずですよね……」
「お前、そう言えば最近、そうやって、人の目の前にニンジンぶら下げて動かすのうまくなってきてるような気がするんだが。まるでどっかの殿下みたいだよな」
「そんな、殿下みたいだなんて、照れるな」
「褒めてるわけじゃないんだが」