第7話 君を幸せにする
「あ……。気が付かれましたか?」
目を開けた俺に言葉がかけられる。
視界もぼやけていたが、構わずにそのまま、俺はベッドを飛び降りた。
「……きゅ、急に……、どうしました?」
二回目のタイムリープ。
このタイト村に、サルのモンスターが大群でやってくるのは三回目。
それも、もうまもなく。すぐに、だ。
このターン、俺は完全にセロを救ってみせる。
セロ自身はもちろん、彼女が泣かないように、ロスや、彼女が大事に思っている人、すべてを……。
俺は、困惑しているセロの手を取り、握りしめた。
「ちょ、何……?」
顔をしかめ、少し身を引くような感じになったセロ。
構わず、俺は念じた。
「セロに【魔法の力】を与える」。
このターン、前回と違うカテゴリの魔法を与えることができるはずだ。
「何なんですか、一体!」
握って光っていた手をセロが振りはらう。
彼女の俺を見る目、その態度もどこかトゲトゲしい……。
って、そうか。
時間を戻してるから、セロの記憶に俺とのことが残ってないのは当然か。
「俺はシュン。この異世界にやってきた、最強の魔導士だ」
「イセカ……? マドオシ……?」
「セロを助けるため、この村を救うため、時間をさかのぼって繰り返してる」
「……私の名前、なんで……」
「これから、この村は壊滅する。サルのモンスターに襲われて、だ」
「申……。どうしてそれを……」
唖然とするセロは、自身の手が光っていることに気が付いたようで、手のひらを見つめて目を丸くする。
「それは今、俺が君にあげた魔法の力、【授与】の力だ」
「授与……?」
「それで君は、今の俺と同じように【魔法の力】を皆に与えることができる。【分け与えたい】と願いながら相手の手を握れば、【魔法の光】が見えるはずだ」
「何を言ってるの……」
じりじりと後退るセロ。
「信じてくれ」と訴える俺。
「五十音って判る?」
「仮名五十音ですか……?」
「そう」と俺はうなずく。
「【あ行】で【授与】、【か行】で【念動力】、【さ行】が自分をパワーアップ。【た行】や【な行】も。【や行】は他の人を助けることができて、【わ行】は相手から盗める」
口早に魔法のカテゴリを教える俺に、彼女の疑うような目つきはそのままだ。
でも、ていねいに説明してる時間はない。
「それぞれの行と見えた光が魔法のカテゴリをあらわしてる。君は、【授与】の力でロスや、ロスだけじゃなく、君が助けたい人、大切な人に魔法の力を授けるんだ。たとえば、【わ行】を授けたいと念じれば、ロスには【シーフ】の魔法が身に付く。そうすれば、モンスターに対抗するための力を手に入れられる」
「ロス……、ロスのことも、知ってるの……?」
「君がロスに【授与】したら、ほら、こんなふうに魔法が使えるんだ」
指先に灯した【念動力】の火を見ると、セロの口があんぐりと開いてしまった。
少しして、彼女は俺へと顔を戻すと、黙ってコクンとうなずいた。
よかった。
信じてくれたみたいだ。
当然だ。記憶がなくても、彼女は「セロ」なんだから。
「サルが来るまで時間がない。俺はロスの顔も居場所も知らない。他の、君が大切な人も知らない。今すぐ行って、君は皆に力を【授与】してくるんだ」
もうひとつうなずいて、セロは部屋を出ていった。
よし。
これで大丈夫。
これで、セロもロスも助かる。
【授与】で【魔法】を与える際の【ルール】――【行は、人生でひとつだけ】。
セロが何人に魔法を授与してくるかはわからないけど、この【ルール】がある限り、ひとりが使える魔法はひとつの行だけだ。
魔法は【一行】だけでも充分な強さ。サルになんか負けない。サルには負けないが、俺の地位を揺るがすほどではない。
なんていったって、【すべての魔法】を使えるのは俺だけなんだから。
この異世界で、俺だけが最強の魔導士。
矢継ぎ早で困惑しただろうけど、セロとロスが戻ってきて、サルを撃退してから、彼女たちにはしっかり話を伝えよう。
俺が転生者だということや、魔法を駆使して、こんなふうにモンスターの危機にさらされている人々を助け、慕われ、異世界を統一していくつもりだということ。
そういえば、この世界に、お決まりの「魔王」や「ラスボス」はいるんだろうか……。
どっちにしろ、早速でふたり、あるいはそれ以上、女の子の仲間ができる。
【マインド】を使わなくても、恩人であり、絶対的な強さを誇る俺に、彼女たちは好意を持たずにはいられないだろう。
俺は彼女たちを幸せにして、彼女たちは俺を幸せにする。
この異世界で俺は、現実世界では絶対にありえなかった、最高の人生を送れるんだ。
*
これは、とある男の物語。
どこだか判らない異世界に飛ばされ。
可愛い女の子が目の前で死んでしまったものの。
女神との出会いを果たし、特別な力――『魔法』に目覚めて女の子を救う。
そんな、とある男の冒険譚――。
――ではない。
*
カァン
「……はへェん?!」
鋭い音が室内に響き、シュンの首が情けない声を上げて宙を飛ぶ。
胴と斬り離された男児の生首は、薄れゆく意識のなかで女の子を見た。
色黒で銀髪。尖るような耳。
片手を小さな体躯――シュンの肩に添え、もう片方の手で大仰な剣を振り抜いた姿。
忌々し気に、シュンの双眸を睨みつける赤い目。
(あれ。俺……、最強の俺……。なのに……。どうなったんだ?)
シュンは念じる。
(「時間逆行」、「時間逆行」、「時間逆行」……)
しかし、シュンが念じるとおりの「不思議な力」は発動せず、そのまま、地に落ちるより早く、彼の意識は消えて失くなった。
「どう、ロス? 使えた?」
窓から侵入したイシュロスとは違い、戸口から入ってきたセロ。
転がる胴体と生首を一瞥してから、彼女は相方に訊ねた。
「使えたわ。この刀の所有権を村長から『奪った』ときと同じ、手を通して、『力を奪えた』って実感があるよ。今はもう、『奪う』ことの他にも、何でも出来そうな感覚……」
「この『耳無』の子ども……。『マドオシ』? 森で迷って行き倒れてたんだから、『惑人』の聞き間違いかもしれなかったけど……」
室内に歩み入ってきたセロは、足元の生首を蹴り転がした。
「気持ち悪い……。この村の男と同じ目で私を見てた。男どもが私たちを汚すときと同じ、イヤな目つきで手を握ってきた……。思い出すだけで気分が悪い……」
「このあと、どうする? この餓鬼は知ってたんでしょ? 黒申の妖怪を使って、私自身が囮になって引き連れてきて、村を壊滅させるつもりだったことを……」
「それだけど」と、イシュロスに向け、顔を上げるセロ。
金髪の少女は妖艶に笑っていた。
「私たち、死ななくてもいいんじゃないかな?」
「え?」
おもむろに、セロは窓辺に歩み寄る。
吹き込んでくる夜風に金糸を流し、顔には未だ不気味な笑みを浮かべたまま。
「力がなくて、対抗する術もなくて、最後にせめて道連れで、って。申が全部壊してくれたらって、私たちにはあの計画だけが希望だった。でも、今はこの、天からの授かりものとでも言うべき、不思議な力がある」
「そうだね。私だって、死ぬのは嫌だったよ」
「力がないと、私たちみたいなのは選択肢が狭められていって、無様に死ぬしかなくなるのよ。こんな世界、絶対に間違ってる」
「じゃあ、この力で村人たちを殺してまわるの?」
イシュロスには答えず、セロは空を見上げた。
今夜のふたつの月には雲がかかっておらず、綺麗で明るかった。
「私、この『与える力』を利用してみようと思うの。私たちをさんざんにこき使って、さんざんに凌辱してきたこの種族を導いてみたい」
「導く……?」
「私が与えた力に頼って、私が教えたことを守って……。何年も、何十年も、あいつらの寿命が終わってからも、私たちの寿命が終わってからも、何百年、何千年……。この種族は私の導きに人生を縛られつづけるの」
セロが振り返る。
暗澹とした底意地が、彼女の笑みには滲んでいた。
「あんな共倒れの自殺みたいな計画じゃなくて、それを私の復讐にしてみたい……」
イシュロスは「ふぅん」と鼻を鳴らす。
「ロスはあんまり興味なさそうね?」
「私はセロみたいに頭よくないし、『我らの地』に帰って、昔みたいにのんびり暮らせたら充分だけど……」
大剣を鞘に納めて、色黒の少女は相方を覗き見るようにする。
(もうセロは、「セロの復讐」をするつもりね……)
少し寂しく感じたが、イシュロスは相方に微笑んで返した。
人を斬り殺したばかりの少女の、えくぼが浮かぶ美麗な笑みだった。
「手始めに、この村を導くんだね?」
「そうよ。やっぱりロスは、自分でいうほど頭が悪くなんてない」
「それを手伝って少ししたら……、私は帰るわ。『我らの地』に帰る。この力を使って、もう、『耳無』の種族が私たちを脅かさないようにするわ」
赤い目を見つめて、セロは「ありがとう」と呟いた。
「ロス。こっちに来て」
寝台に腰を落とし、セロはイシュロスを誘う。
「今夜が区切り。日が昇れば、私たちの人生は変わる。生まれ変わるの」
「……セロ」
「ねえ、ロス。これで最後よ。いつも以上に……、慰めて……」
イシュロスは大剣をその場に落とすと、セロへと歩み寄る。
血の匂いが漂う奴隷部屋。
寝台に倒れ込むようにして、ふたりの少女は口づけを交わした。
(完)