Mission3 モグラ その⑥
一般的に西新宿と呼ばれるエリアは、新宿駅西口から渋谷区と中野区との区境付近までの、巨大ターミナル駅である新宿駅の西側地域の一帯を指す。
そこには繁華街のほか、新宿新都心と呼ばれる日本でも屈指の超高層ビル街があり、日本最大級のオフィス街を形成している。【新宿テロリアンタワー】という三十階建てのオフィスビルは、その一画に建っていた。
ともすれば不夜城とも称され、昼夜電気の光が絶えることのないオフィスビルが珍しくもない昨今にあって、深夜一時を過ぎた現在、そのビルからはすべての階から電気の光は消えていた。
弁護士事務所とか行政書士事務所とかNPO団体の事務所とか、およそ深夜業務という概念のない業種がテナントのほとんどを占めているからだろうと澤村は思った。
おかげで人気も皆無なので仕事がしやすくて助かる……。
「これでよし、と……」
手にするガムテープをリュックにしまいこむと、澤村は足下を見やった。
そこにはビル内を巡回中に突然背後から襲われ、薬を嗅がされて眠らされたあげく制服まで奪われた気の毒な二人の警備員が、Tシャツとパンツ一丁の姿で寝息をたてていた。
「ボス、こっちは終わりましたよ」
そう澤村が声を投げた先には、サイズの合わない奪った制服に悪戦苦闘している土門の姿があった。
「おい、涼介。こんな小さいサイズしかないのか? 俺にはとても合わんぞ」
強引に着こんだ制服はピチピチのパンパンで、いまにもはちきれそうだった。
これでも一番身体の大きな警備員を狙ったのだが、土門の「肥満度」には遠くおよばなかったようである。
「文句を言ってないで早く着替えてくださいよ。時間がないんですから」
そう言って澤村もスーツを脱いで、奪った制服に着替えはじめた。土門とは異なり、こちらはほぼぴったりのサイズである。
その澤村と土門は今、ビルの内部をらせん状に走る非常階段にいた。現在、時刻は深夜一時。
二人はこのビルの警備員になりすまし、夜間巡視を装ってこれから上階を目指そうとしていたのだが、なぜこんな真夜中に民間のオフィスビルに「不法侵入」などしているかというと、むろん理由がある。
一課の不審な動きを調査すべく、澤村はついに行動に出ることを決意した。
しかし、いざ調査をすると決めたものの、「どうすればいいんだろう?」という問題に直面してしまったのだ。
なにしろ内部調査のエキスパートである峰子も、コンピューターのプロである井上もいないのだ。他の諜報員にしたところで、
「今度の事件に関して一課に怪しい動きがある。内偵をかけるから一緒にやろう」
と、協力を要請したところで、
「お前、正気か?」
と、鼻で笑われるか、
「バカなこと言ってんじゃねえよ!」
と、怒鳴られるか、
「じょ、冗談じゃねえよ!」
と、血相を変えて逃げだすかのいずれであろう。
そんなこんなで澤村は途方に暮れていたのだが、そんな澤村の唯一の協力者(というより首謀者)である土門がせせら笑いながら、
「何を迷うことがあるか。強欲商事のオフィスに直接忍びこんで、組織とのつながりに関する証拠を探せばいいだけだろうが」
と、言いだしたのだ。
たしかに土門の言うとおり、一課とテロ組織との関与を探るにはそれが早道であり確実であろう。ゆえに澤村も、その意見自体には異論はない。
異論があったのは、その際に自分も来ると土門が言いだしたことだ。
「心配するな。俺も一緒に行ってやる。敵陣のただ中にかわいい部下を一人で送りこむこむわけにはいかんからな。わっはっは!」
……当初、この土門の台詞を耳にした澤村は、それこそビッグ・バン級の衝撃をうけた。
数々の横暴悪行で部下を苦しませてきたゴーマン上司も、齢五十を前にしてようやく悔い改めたのかと思い心から感動――するはずもなかった。
それも当然で、土門の心底など澤村はとっくに見抜いていたのだ。
「さて、どうするかな。侵入なんて危険なことはこいつに押しつければいいのだが、何か重要な証拠を見つけたらこいつのことだ。自分一人の手柄にしてしまうにちがいない。そうはさせるか。やはりここは俺も行くしかないな。まあ、何かあったらこいつに責任を押しつければいいんだし」
という腹黒い心底をである。
かくして澤村に手柄を一人占めされたくない土門は、悩んだあげく同行することを決意したのである。
澤村にしてみれば足手まとい以外の何者でもないのだが、それでも素直に同行を受け入れたのは、いざというときは土門に一切合切の責任を押しつけて、自分だけは助かろうという思惑があったからこそだ。
「よし、じゃあ行くぞ!」
着替え終えた土門は、澤村を従えて意気揚々と非常階段を上がりはじめた。
だがその勢いは五階と続かず、六階、七階、八階にいたる頃には膝はガクガク、息はゼエゼエ。口からはよだれが垂れ落ち、視線は宙空をさまよい、顔だけみればほとんど死人状態となっていた。
そんな土門であるからビルの十階にいたったときには、階段の踊り場で口から泡を噴きださんばかりの態でひっくり返っていたのは至極当然のことであろう。
「まだ十階ですよ、ボス! しっかりしてくださいよ!」
「……お、おい、涼介。強欲商事のオフィスは何階にあるんだ?」
「二十五階ですよ。時間がないんですから早く立ってください!」
吐き捨てるように言うと、澤村は一人階段をあがっていった。多少息は荒れていたが、さすがに若いとあって足取りはまだしっかりとしている。
そんな澤村の姿に「まったく上司への思いやりがない奴だ」などと文句を口にしながらも、土門もふらふらの態ではあったが立ち上がり、重すぎる足取りでそれでも必死に階段をあがりはじめた。さすがに時間との勝負ということは理解しているのだろう。
それからしばらくして、澤村と土門はようやく目的地たるビルの二十五階にたどり着いた。
当然のことながら人の気配はまるでなく、それでも用心深くペンライト片手に薄暗い廊下を進むこと一分。『強欲商事株式会社』と書かれたガラス扉を澤村が視界にとらえた。
「ありましたよ、ボス。ここが強欲商事のオフィスです」
だが、その一語に反応する者はいなかった。
不思議に思った澤村が振り返ると、視線の先二十メートルほどの場所で土門は「息絶えて」いた。
廊下に仰向けの姿勢でひっくり返り、白眼をむいていたのだ。
一瞬、疲労のあまり心臓麻痺でも起こして「殉職」したのかという「期待」も澤村の脳裏によぎったが、ゼエゼエという荒い息づかいが聞こえてくるあたり、まだ生きてはいるようだ。
「ほんと世話の焼けるゴクツブシだよなあ、まったく……」
澤村としては土門などほっといて、さっさと一人でオフィスに侵入をはかりたいところなのだが、一方で土門を今回の計画の「首謀者」にしたい澤村としては、面倒でも厄介でも土門と一緒に侵入するという「既成事実」が必要なわけであり、ひとつため息をつくと澤村は土門のもとに歩み寄り、両腕をつかんで廊下の上を引きずりはじめたのである。




