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拝啓、ジェームズ・ボンド様。  作者: RYO太郎
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Prologue  賽は投げられた



 厚く巨大な特殊ガラスの向こう側に、摩天楼群がそびえたつ巨大都市の夜景が広がっている。

 

 空には漆黒のカーテンが音もなく広がり、ビル群から星の光のように発せられる無機質な光彩が、その下に果てしなく広がる街中に光の海を形づくっていた。

 

 恋人同士であればその幻想的な光景に陶酔し、ロマンチックな気分に浸れるかも知れない。

 

 だがその夜景を見はるかすことができるオフィスビルの一室で、会議用のテーブルを囲んだ十人前後のスーツ姿の男たちは、そのような甘美な時間を過ごす気はさらさらないようであった。

 

「……かねてから交渉していた、コロンビアの麻薬カルテルとの契約がまとまった」

 

 低く重々しい響きをもった声が室内に流れでると、いならぶスーツ姿の男たちの視線をひとつの方向に向けさせた。

 

 彼らの視線の先には、グレー色のスーツを着た一人の男の姿がある。

 

 どうやらその男は、この座のリーダー格のようであった。

 

 年齢は四十歳前後であろうか。彫りの深い苦みばしった顔だちをしているが、その両眼からもれる光は奇妙に険しく、酷薄な印象すらある。


 ひと呼吸おいてからリーダー格の男は、同じテーブルに座る男たちを見やりながら語をつないだ。


「最初の取引きとして、百キロのコカイン・ペーストを乗せた船が五日後に横浜港に到着する。これを中国に三十キロ。台湾と韓国にそれぞれ二十キロ。そして国内に残りの三十キロを流す。責任者は陣内、お前だ」


「わかりました」

 

 名前を呼ばれた三十代とおぼしき中背の男がうなずいた。

 

 リーダー格の男もうなずき、さらに話を進める。


「フィリピンの反政府ゲリラとの取引きはどうなっているか?」

 

 列席者の一人が手をあげてその問いに応じた。


「昨日、電波誘導式の対戦車ミサイル【ミラン】を二十基、ゲリラ側に供給することで合意しました。近日中にも取引きを開始する手はずになっています」


「よろしい。掃討作戦にアメリカ軍が参加することになって、ゲリラ側も焦っているはずだ。売却を急いでやれ。それと、スリランカの独立派組織からの注文の品は用意できたのか?」

 

 誰にともなく発したリーダー格の男の問いかけに、今度は四十年配のチタンフレームの眼鏡をかけた男が、手にするファイルらしきものをぱらぱらとめくりながら応えた。


「はい。物が物でしたので、先方からの注文どおりの数量を用意するまで多少時間がかかりましたが、ようやくC4型爆薬を三十キロ、用意することができました。先方から連絡が入りしだい、いつでも出荷できます」

 

 軍隊御用達として知られる高性能プラスチック爆弾の一種を口にした眼鏡姿の男に、内ポケットから取り出した葉巻に火をつけながらリーダー格の男がさらに問う。


「仕様も注文どおりだな?」


「はい。リサーチ・デペロップメント爆薬に不発性プラスチサイザーを配合した、アメリカ軍仕様とまったく同じタイプです。それとインドネシアの反政府武装組織からも、これと同種の注文を求めてきておりますが、どう対処いたしますか」

 

 そう問われたリーダー格の男はごく短時間、近辺の宙空を遊泳する葉巻の煙を思案まじりに眺めていたが、やがて質問者に向かって断じた。


「断れ。彼らはわれわれのネットワークには入っていない外野の組織だ。ゆえに取引には応じられないとな。どうしても取引したいというのなら、まず本部と交渉するのが先決だと彼らに伝えておけ」


「わかりました。そのように致します」

 

 さらに取引きに関する話が列席者たちの間でかわされた。

 

 しばしの間、リーダー格の男は黙して彼らの会話に耳を傾けていたが、やがて話が一段落したところを見はからい、ふたたび口を開いた。


「それと朗報だ。先日、ロシアの友人から連絡が入った。・・を入手したそうだ」

 

 リーダー格の男の一語に列席者たちの間にざわめきが生じ、風もないのに室内の空気が揺れた。


 座を囲むすべての男たちがいっせいに息をのみ、吐きだしたからだ。

 

 彼らは皆、リーダー格の男の言う・・がなんであるか知っていたのだ。


「ついにあれを手に入れましたか」

 

 列席者の一人が興奮気味にそう口にすると、今度は一転して高揚とした空気が場に生じた。

 

 そんな一同に軽くうなずいてみせると、リーダー格の男は静かに語をつないだ。


「日本への到着日は△月◇日。関空経由で朝一番の便で彼は来日する。当日、大阪にオープンしたばかりのホテルで完成記念パーティーが開かれるが、そこが取引き場所だ」

 

 具体的な取引内容が示されると、列席者たちの間に軽い緊張が走り、彼らは心もち姿勢を正した。


「これについて何か質問はあるか?」

 

 リーダー格の男が問うと、列席者たちは互いの顔を見やった。

 

 やがて一人の男がゆっくりと手をあげ、不安げな韻を含んだ一語を漏らした。


「しかし、本当に取引きを進めてよろしいのですか?」


「どういう意味だ?」


「すでにご承知のこととは思いますが、公安調査庁がこの計画を嗅ぎつけたという例の情報のことです。事実、同庁内にそれらしい動きが見られるとのこと。万全を期す意味でも、ここは計画の延期ないし変更も考慮されたほうがよろしいのでは?」

 

 公安調査庁という組織名が流れでると、先刻のものとはまた別種の緊張が列席者の間に走った。しかし――。


「心配は無用だ。すでに手は打ってある」

 

 一同に生じた不安の翳りを払うかのように、メフィストフェレスめいた微笑をたたえてリーダー格の男は続けて言った。


「公調の動きはすべて把握している。諜報部の榊原部長が国外担当の一課を密かにロシアに派遣したこと。また彼の来日に合わせて、国内担当の六課も動かそうとしていることもな。だがそれらはすべては想定内のことだ。それに……」

 

 言いさして言葉を切ると、手にする葉巻をガラス造りの灰皿にこすりつけ、リーダー格の男は嘲るような笑みを口もとに浮かべた。


「その六課だ。トップの土門は課長に昇進したのさえおかしい男で、能力も人望もからっきしだ。部下の諜報員たちにしたところで、トップ同様に低レベルな連中ばかり。懸念する必要などどこにもない」

 

 悪意のこもった賛同の笑いが、列席者たちから漏れた。


「それに本部からも、すみやかに取引きを済ませるようにとの通達がきている。受け渡しのためのエージェントもすでに日本に派遣したそうだ。つまり、すでに賽は投げられたということだ。各自、取引日デーに準備を備えておこたるな」




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